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天命の巫女姫  作者: たけのこ
2章 禁断の飴玉
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2―8 河川敷での探索①

 太陽が天頂を過ぎて少し経った頃。

 道幅の広い土手兼サイクリングロードは、平日の昼間に加えて、世間で騒がられている通り魔事件の影響もあってか、歩行者は殆ど見かけない。

 そんな物静かな状態はまるで午睡のようで人だけでなく草地や動物も、ぐっすりと眠りに落ちているような静かな午後である。

 だが、琥珀と交わす会話の内容はそんな長閑な雰囲気とは縁遠い。

 陽玄はしばし会話をしながら歩いていた彼女に視線を向ける。土手の右側を歩く彼女の装いは、ベージュ色のパーカーに黒いスカート、ストッキングといつもと変わらず普通の女の子として世の中に溶け込んでいる。

 海から二十キロという標識を見かけてからしばらく土手を歩いているが、事件現場はもう少し先のようだ。

 陽玄は疑問に思うことをとりあえず口にする。


「犯人に殺す動機とかはないんでしょうか?」

「んー、どうだろう。ニュースでは通り魔って表現されているけど、心臓だけをくり抜く特質的な殺害方法からして収集癖があるような感じもするし……。それ以外の動機はよく分からない。ただ犯人の中で週に犯行に及ぶのは一度までと決めているのなら、コレクター(収集癖者)としては些か慎重すぎるような気がする」


 動機は不明。だが法則性はある。

 ぐぬぬと考えあぐねる琥珀。どうやらこれ以上は筋の通った推察は出ないようだ。

 現状、何とも言えない。だが確かに犯行に及ぶ回数に制限を設けている点は妙に引っ掛かる。仮に琥珀の推察が当たっていて、犯人である魔術師が心臓だけを集める特殊性癖者であれば、そいつの精神は明らかに病的であり、その衝動を抑え込むための言い聞かせとして自制をかけているのだろうか。


「着いた。降りよう」


 土手の階段を降りて、雄大な河川敷内を歩く。

 周囲には刑事のような警察関係者の身ぶりをした人間はいない。

 緑地には侵入区域や危険注意を喚起する立ち入り禁止のテープが張られていた。彼女はその表示を無視してテープを掻い潜る。陽玄も一瞬躊躇いながら彼女の後に続いた。

 立ち入ったところで何が変わるというわけもなく、見えるのは草地の生い茂っている大地だけである。

 けれどそんな緑も少し歩くと汚さがやたらと目立つ。

 河川敷は空き缶やペットボトル、食材の包装パックがあちこちに落ちていて、コバエが集っていた。ゴミの不法投棄が顕在化しているここは、人為的に作られた広大なゴミ捨て場のようであり、ここから少し離れた場所で流れている川も綺麗とは呼べない。


「汚い……ですね」

「そうだね。空気が悪い」


 そうは言うが、琥珀は川の方へ、茂みの多い場所へ足を踏み入れた。


「どこに行くんですか?」

「え? あそこの小屋だけど」


 何の違和感も抱いていないような純真無垢な反応。

 彼女が指さす方向は川岸近くの草むらにぽつんと建っている掘っ立て小屋。どうやら彼女は路上生活者から話を聞くようだ。


「その、本当にホームレスに話を聞くんですか?」

「うん。だって、この近くで殺害されたんだよ? もしかしたら有益な情報が得られるかもしれないし」


 少し抵抗感はあるが、事情聴取は事件解決のために重要である。

 ほどよく伸びた草同士のこすれる音に青い草の匂い。青臭い茂みを掻き分けた彼女と陽玄は、小石で足場が不安定な川岸に建つ小屋の前に辿り着いた。彼女は扉らしきものをノックする。


「ごめんくださーい」


 初対面だというのに緊張感はまるでなく親しい間柄のように挨拶する。


「あれ、いないのかな」


 返答がなく困っていると、少ししてガサゴソと茂みの方から小汚い恰好をした男性がやってきた。


「女の声が聞こえると思ったら、ガキが俺に何の様だ?」


 髭を蓄えた六十近い年齢の男性は強張った表情で尋ねた。それに琥珀はパーカーのフードを下ろす。


「驚かせてしまってごめんなさい。あたしは巫琥――」

「こりゃあ、たまげた別嬪さんや」


 琥珀の自己紹介を遮るようにホームレスの年寄りは声を上げた。


「あはは、ありがとうございます」

「それで何じゃ、私に何か用か?」

「はい、単刀直入に聞きます。九月三日の深夜、この河川敷で殺人事件があったのですが、何か犯人について心当たりがあることはありませんか?」

「……」


 落ちている丸太に座り込んだ年寄りは観察するように琥珀と陽玄を見た後、不愉快そうに答えた。


「学校サボって探偵ごっこか……、最近の若ぇ奴は危なっかしいねえ。とは言え、俺も税金を納めずのほほんと生きている身、人のことは言えんか」

「そんなことないと思いますよ。何か買い物した時、ちゃんと税金を払っているじゃないですか」

「嬢ちゃん、それは違うよ。俺が納税しているのは消費税くらいで、それ以外の税金については何も納めていないんだ。……薄給にもかかわらず死ぬ気で納税の義務を果たしている人間からすれば、不公平だと思う人間もいるんだよ。例えば、警察官とかな」


 ホームレスの年寄りは日頃の鬱憤が溜まっているのか、事件には関係なさそうな愚痴ばかりを話す。

 けれど琥珀は嫌な顔せず相槌を打ちながらそれらの話を興味深そうに聞く。


「これは同じホームレス仲間から聞いた話だが、公園に住んでいたホームレスがこの前、集団暴行に遭ったそうだ。自尊心を満たすために税金泥棒を成敗するんだ、とよ」

「……暴行された後に警察にはいかなかったの?」

「警察には行った。駅前の交番に言って、中学生らしい集団に暴行されたって訴えたんだ。だがな、警察は『税金も払っていないお前らホームレスの相手をしている暇はないんだ! そもそも外で寝ているお前らが悪いんだ。帰れ!』ってな。それ以来、俺も何があったって警察に頼るのはやめたんだ。奴らはホームレスを助けたって、点数にはならないんだろうしな」


 すべての警察官がこのような酷い人ではないだろう。けど聞いた感じ、よくある話のようだ。


「だから、警官が事情聴取を頼んできたが、俺はすべて断ってやった。今回の事件はたまたま殺人に至ったから警察は捜査しているが、これが暴行だけに留まったとしたら、取り合ってはくれないんだからな。どーせ、奴がホームレスを狙ったのも俺らが身元不明者だからだ」

「奴?」

「いいぜ、俺の愚痴を聞いてくれた礼として嬢ちゃんには教えてやるよ。実はな俺ぁ、見たことがあんだよ、その犯人をな」


 そうしてホームレスの年寄りは、犯人について話し始めた。

 話に耳を傾けて分かったことは、犯人の身体的特徴。

 性別は男性。身長は175センチくらいで体型は標準。年齢は三十歳前後。装いは黒いトレンチコートに黒いスーツ。口元は黒いマスクに覆われていて、黒い手袋をはめた右手にはやはり凶器であるアイスピックが握られていたと言う。だが、肝心の素顔は夜の時間帯とその黒い装いからして、よく分からなかったとのことだった。


「殺害された場所は具体的に河川敷のどこなんですか?」


 ホームレスの男は白いのが交じった無精髭を片手で擦りながら、指を差した。


「すぐそこの高架下だ。背後から一刺し。殺されたホームレスは俺の知人で、俺は草むらからそれを見ていたんだ。けどよ、知り合いが殺されたというのに、俺は動けなかった。こんな生きていても何の役にも立たない、社会のお荷物だけどよ、死ぬのは怖かったんだ」


 男の声のトーンは話しているうちに沈んでいく。


「怖いのは当たり前です。立場がどうだろうが関係ありません。皆、自分なりの生き方があって、色々な事情があるんですから」

「ふっ、嬢ちゃんは優しいな。俺のこたぁ、指さして笑ってきたり、物を投げてくるガキとは大違いだ。……まあ、俺は周りの人間に何を言われようが、自分がやりたいように生きていくだけなんだけどよぉ。そうだろ、坊主? だって自分で選んでこの生き方をしてるんだからな」

「……あ、はい」


 会話の最後、ホームレスの男性はそんな前向きなことを陽玄に言った。


「色々話を聞かせてくれてありがとうございました」

「いいや。まさかこんな美人な嬢ちゃんに話を聞いてもらえるとは思わんかったから、楽しかったよ」

「美人だなんて、おじさん、褒め上手ですね」


 琥珀はにこりと微笑んで愛想よく振る舞った。


「いいや、そう思うよな、坊主?」


 琥珀とホームレスの男が会話している間、ずっと話を聞く立場であった陽玄は、回答に困る質問を急に振られて少し戸惑う。


「…………まあ、綺麗だとは思います」


 陽玄は小声で呟き、ちらりと琥珀の方を見る。


「ずいぶんと小せぇ声だ、男なら恥ずかしがらず言ってやりゃあ」

「は、はぁ……」


 陽玄が琥珀に視線を合わせると、彼女は大人びた微笑みを見せて、その後、一歩大きく足を踏み入れた。


「それじゃ、おじさん。そろそろ行きますね」

「ああ、お前たちも気いつけろよ」

「はい」


 フードを被り直した琥珀はホームレスの年寄りに別れを告げ、陽玄も軽く会釈しその場を後にした。


「いやぁ~、お世辞でもやっぱり綺麗って言われるのは嬉しいもんだね。ありがと」


 若干、前かがみになって陽玄の顔を覗き見ながらお礼を言う琥珀。年齢は彼女の方が二歳年上で、自分は年下だからだろうか、大人びた眼差しで見つめられると、陽玄の視線はどうしても右往左往してしまう。


「どうしたの? そわそわして」


 ふふっとからかうように言って、微笑む。綻んだ口元と艶めいた唇、少し朱がさした柔らかそうな頬。色素の薄い華やかな小麦色の前髪がさらりと揺れて、長い睫毛に引っ掛かりそう。そんな睫毛に覆われた瞳は大きくて潤んでいて、陽玄が今首に掛けているコハクの宝石みたいに綺麗だ。彼女の魅力的な部分が陽玄の視界に全部入って来て、とにかく今は彼女の顔を直視することはできない。


「でもあのおじさん、絶対あたしたちのこと恋人同士だと思ってたよね」

「え、いや、そんなわけ……」

「あれれ、どうしたの、顔赤くして」


 ニマニマとからかうようにこちらの様子を窺う琥珀に陽玄はそんなんじゃないと固く否定した。


「はぁ」


 大きく息を吐いて、陽玄は顔を上げた。火照る顔に涼やかな風が宥めるように触れる。しばらくして陽玄が落ち着きを取り戻すと、ホームレスの年寄が言っていた高架下が見えた。

 少し歩いて琥珀は高架下の入り口で立ち止まった。出入り口は立ち入り禁止のテープが乱雑に巻かれていて立ち入ることができない状態である。

 高架下の近くには野球やサッカーなど球技スポーツのために利用される河川敷のグラウンドが常設されていて、さっき話し込んだ場所に比べてここは人通りが明らかに多い場所だと分かる。だが事件現場ということもあって、周囲には誰もおらず人が殺されたという事実だけが溜まり場となって、誰も寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。それともう一つ、これは常人には分からないであろう特異な変調である。


「やっぱりおかしいな」


 琥珀はその異変に気付く。


「これほどの腕前があるにも関わらず、魔力の残滓を残しているなんて。魔術師からしたら三流だ」


 澱む空気の中に魔力粒子が混じっているのを陽玄も微かに感じていた。肌がかすかにぴりつく感じ。たしかに心臓だけをくり抜く芸当を見せておきながら、魔力を残しておくなんて自分の指紋を残しておくのと何ら変わらない。


「これで犯人が魔術師であることは確定した。それとこの感じからしてからくりは術者本人じゃなく凶器のアイスピックにあるんだろう。アイスピックの聖遺物なんてあたしの記憶にはないけどね。……そろそろ戻ろうか」


 腕時計で時刻を確認した後、これ以上何も見つからないと踏んだ琥珀は、土手に上がった。


「七人目でやっと尻尾が掴めた。犯人である魔術師の性別すら分からなかったんだから、これは大きな進歩だよ。けどよかった、あのおじさんが殺されなくて。犯人からすれば目撃者を見逃す筈がないし……」

「過去の通り魔事件も今回の被害者と同じように河川敷だったんですか?」

「えっと、この犯行が始まったのは二か月前からで、大まかに説明すると、一人目の犠牲者は三十代女性。とある登山者が裏山でビニール袋に包まれた遺体を発見したのが皮切り。二人目、三人目は人目のつかなそうな路地裏で殺されていて、共に五十代男性。四人目の被害者である十代女性は、閑静な住宅街の道ど真ん中で殺されていた。被害者家族によると塾帰りに襲われたみたい。五人目からはこの町に標的を移して、公園で泥酔状態の四十代男性を、六人目はたしか公民館の脇の路地で五十代男性が殺害されている」


 場所、性別、年齢に共通点はなく、共通点と言えるものはやはり心臓だけに固執しているという点だけ。


「具体的な日時とかは分かるんですか?」

「死亡推定時刻ね。えっと……一人目は七月二十三日の午前零時頃で、二人目は二十八日の午後十一時頃。三人目は八月六日の午後九時頃で、四人目は十一日の午後十時頃。五人目は二十日の午後九時頃、六人目は二十七日で午後十時頃。そして七人目が九月三日の午後九時頃ってところかな」

「すごい、死亡推定時刻なんて割り出せるのか?」

「あたしは何もしてないよ。ほとんどの情報はテレビとか新聞とか、あと図書館に設備してあるパソコンからネットで調べたり……。たぶん、今回の事件は死体を隠したりはしないタイプだから、そういう点では情報の公表が早くてありがたいんだけどね。……それより何か分かった?」


 うーん……。

 陽玄は小さく首を傾げた。

 時刻に関しても夜の時間とは言え、ばらつきがあり、犯行に及ぶまでの間隔も不規則である。


「……分からない。日にちの間隔も法則性がありそうでない」


 二度目の犯行に至るまでに五日間。けれど三度目の犯行までには九日間。再び四度目の犯行までには五日間。そして五度目の犯行までには九日間。この法則性に乗っ取れば、次の犯行が起こるのは五日後の八月二十五日になるはずだが、六度目は七日後の八月二十七日。そして九月三日、七度目の犯行までにも七日間の空白期間がある。

 この流れでいくと次の犯行は七日後の九月十日の夜ってことになるのだろうか。とは言え、何とも言えない。


「そうなんだよね」


 琥珀は、はあ、と溜息をついた後、むぅー、と小さな唸り声を上げる。陽玄はそんな彼女の横顔を見て、彼女の役に立てることはないか、と考え込む。

 しばらく沈黙の時間が続き、距離にして駅二つ分ほど歩いてきた道を戻る。

 珠川を沿うように真っ直ぐ伸びた粗いアスファルトの道を歩いて土手を降りた。

 堤防の内側には車道を挟んで住宅街。

 信号機が赤から青に切り替わって、横断歩道を渡った。

 国道に沿って住宅街の道路を歩く。


「巫さん、これからどうするんですか」

「一度家に戻って、夕方頃にまた町を巡回しようと思う。この事件が解決するまではしばらくこんな生活が続くと思う。けど長引かせるつもりは微塵もないから。必ず暗躍している奴をあぶり出してやる」


 決意と共にその瞳は真っ直ぐ真実だけを見ようとしていた。

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