2―3 看病③
解熱剤を買いに行くため外に出る。服装は着替えるにしても今着ているものしかないため、このままだ。寝間着として渡されたが、パーカーとズボンであるため外に出たところで違和感はないだろう。むしろ着物で外に出る方が人の目を集めやすい。
玄関のドアを開けて、外に出た。一分、一秒でも早く、彼女の役に立ちそうなものを買いに走り出した。
…
駅前のドラッグストアまでやってきた。誰かのために何かを買うのは初めてかもしれない。いや、そもそも一人で店に入ること自体、陽玄にとっては初めての体験だった。とりあえず看病に必要なものを思い浮かべる。自分が体調を崩した時に清信がしてくれたことを思い出しながら。
(えっと、まずは解熱剤と冷却シート、薬を飲むための水と、後は何か栄養になるもの……免疫力が低下していると思うから何か口にしてもらわないと……ゼリーとか、果物なら食べやすいかも、あ、でも、たくさん買っていたから家にはあるか、ならアイスクリームでも買って帰ろう。食べたことないけど、身体の内側から冷えそうな感じがする)
他に必要なものはないか、後で無くなるよりかは余分に買っておいた方がいいと、包帯やガーゼ、消毒薬も買い物かごに入れ、思いつくものを買いあさった。
お会計をして店を出た。急いでもと来た道を走る。琥珀の家は市街地から離れた坂の上にある。踏切を渡り、高台へと続く階段を上る。やがて緩やかな坂を上り終えれば、そこは見慣れた墓地風景。森に囲まれた霊園内を走る。その道中、店を出てから一度も止まらなかった足が立ち止まる。
「……」
あの時の分かれ道。このまま真っ直ぐ歩けば自分の家だった屋敷に辿り着く。あれから死体はどうなったのだろう。警察の姿もない。まだ誰もあの夜起こった出来事に気づいていないのだろうか。様々な不安や憶測が頭をよぎる。本当であれば屋敷を確認したいところだが、単純に怖くて見に行く気になんてなれず、遠ざかるように左折した。
琥珀の家に戻った陽玄は即座に二階へ上がり、彼女の部屋のドアをノックする。
「ん」
頷きのような軽い返答は入っていいよという了承なのだろう。陽玄はドアを開けて彼女の元に戻った。
「おー、なんかたくさん買ってきたね」
「言っておきますけど、無駄遣いはしてませんから」
「ふふ、そんなの気にしてないよ」
「身体、起こせますか? とりあえず解熱剤を飲んでください」
陽玄はすぐさま袋から解熱剤とペットボトルの水を取り出して飲むようにと差し出した。
「……ありがと。今、起きるね」
琥珀は重い身体をゆっくりと起こそうとするが、どうやら起き上がることさえきついらしい。
「はぁ、今夜が山場だなぁ。……本当はこんな弱っちくないんだけどなぁ。あ~、ああ、もうっ」
ふてくされるように吐露しながら琥珀は心の中で何かと格闘した後、「ごめん、身体、起こすの手伝ってくれるかな」と陽玄に頼んできた。
「は、はい」
陽玄は布団を退かし、琥珀が望む言葉通りに自身の腕を使い、ベッドシーツと彼女の背中の隙間に腕を忍ばせる。
「失礼、します」
感触からしてこれでは寝心地が悪くて眠れないだろうと思った。ベッドシーツは一晩中寝ていた彼女の汗でビショビショに濡れ、汗が染み込んだパジャマに密着した背中は沸騰したかのように熱かった。
陽玄は身体を起こしてあげた後、錠剤の瓶から三錠ほど取り出した。それを琥珀は水と一緒に飲み込む。
「冷却シート買ってきました。その、着替えて貼ってください。その間、僕は新しいシーツを取りに行ってきますから。浴室にありますよね?」
「うん、あると思う。ありがと」
それから十分後。脱衣所から替えのシーツを取りに戻った陽玄は、ドア越しに琥珀の様子を確認する。
「巫さん、着替え終わりましたか?」
「……」
聞こえる声量で訊ねたつもりだが、返答はない。
「巫さん?」
「……」
眠ってしまったのだろうか。
心配になって陽玄は恐る恐るドアをゆっくり開き、隙間から中の様子を窺った。琥珀の容態を見て陽玄は咄嗟に駆け寄った。
「大丈夫ですか」
「ん? あぁ、へーき、へーき……」
本人は平気と言っているがそうは見えない。琥珀は明らかに意識が朦朧としていて、下着姿のままベッドにもたれ掛かっている。
「巫さん? 巫さんっ」
呼びかけても反応はなく、琥珀はそのまま気を失うように眠ってしまった。
「……どうしよう」
このままの状態で寝かせておくべきか、それとも看病すべきか。
病人とは言え、黒いブラとショーツに包まれた体躯は魅惑的で、自分でも分からない、変な気分に掻き立てられる。
まさか、第二ラウンド目の格闘があるとは思ってもいなかった。しかもさっき手当てをした時よりも、余程、難易度が高い。
(いや、狼狽えている場合か。やるしかないだろ)
陽玄は邪な気持ちを切り替え、無表情のままやるべきことだけを実行する。まず布団を床に置いた後、琥珀を抱きかかえ、その上にゆっくり移動させる。その後はてきぱきとシーツを取り替え、再び彼女をベッドに寝かせた。
(無心……)
心に言い聞かせて次は冷却シートを貼っていく。まずは額に一枚。彼女の前髪をあげて、そっと貼り、首の筋にも一枚貼った。
「……失礼します」
次に太い血管が通っている両脇の下に一枚ずつ貼っていく。不幸中の幸いか、下着姿のおかげで貼り易かったが、もう一枚を右脇腹に貼った時、「っん、う」と冷たさが伝わったのか眠っていても反応があった。陽玄は不覚にも色っぽい吐息に妙な気を再発させる。
(無心無心無心……)
陽玄は心の中で無心を連呼し、最後に太腿の付け根部分にも何とか左右に一枚ずつ貼ることができた。
(はぁ……疲れた。なかなかの、難儀だった)
これ以上は心が持たない。流石に着替えさせることはできなかった。それでも布団を被せて琥珀の表情を覗くと身体中を冷やしたことで楽になったのか落ち着きを取り戻したような柔らかい寝顔を浮かべていた。
(一先ずはこれで安心かな)
外はもうすっかり暗くなっていた。特にやることもない陽玄は壁際に腰を下ろし、様子を見守ることにした。お腹も空かなければ、眠気もないこの身体。陽玄は琥珀の容態が良くなるようにと祈るのみでその場から動くことはしなかった。




