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天命の巫女姫  作者: たけのこ
1章 出会いと邂逅
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1―8 邂逅②

 琥珀が右手に持っていたものは日本刀。冷たく光る刀身は、血の気に満ちて淀んだ空気を掻き消し、一点の曇りもない肌合いは、触れたものを打ち消してしまうほど澄んでいる。反り返った細身の切っ先は、精巧さと優雅さ、強固さを一点に集結させていた。


 その刀を見た赤い女は畏敬や恐怖が入り混じったような表情をしていて、何だかとても楽しそうだった。


「現存しない日本刀……。まさか、お前、魔力殺しの代行者か。その刀、いや戦乙女テンシの中では天のつるぎと呼ぶようだが、それを限界させたということはオリジナルも生存しているといったところか」

「……」


 琥珀は何も答えない。


「その沈黙、図星と受け取っていいようだな」

「ヨーゲン君は、そのままあたしの後ろにいてね」


 琥珀の声音は優しいが表情は険しく、陽玄は言われた通りというよりも膝を付いたまま動けなかった。


「女に守られて惨めだと思わないのか」

「っ――」


 陽玄は唇を噛みしめ、悔しさが高じて胸が詰まる。


「挑発に乗らないで」

「代行者。お前の役目はその名の通り、魔術師を殺すこと。正確に言えば魔力を消滅させることなんだろ。どうするんだ? 私を見逃しそいつを庇うのか」

「庇うよ。今は彼の命を優先させる」


 言うと琥珀は陽玄の手を掴み、膝を付いた陽玄を立ち上がらせる。


「そうか――」


 呼びかけの答えを確認した女は、残念だ、と言わんばかりに使っていた自動式の拳銃を懐にしまい、それと交代するかのように黄金色の光沢を放った回転式拳銃を取り出した。

 その銃口を琥珀に向けた女は、躊躇なく銃弾を解き放った。

 一際重い銃弾音。

 空気を裂くような一弾は、父に向けて撃っていた銃弾より明らかに大きくて……。


「伏せ――!?」


 一早く異変を感じ取った琥珀が口を開くが、それは一気に散開した。一つの弾から無数の小さい弾丸がばら撒かれ、それは鉄の粒による鳥網みたくなった。迫りくる散弾は着弾範囲が広く、均等に散らばった弾は動く対象物相手に特化し過ぎている。


 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!!!!


 散弾の威力は凄まじく、一瞬で道場は半壊し、木屑の唸り声と爆煙で陽玄の思考は停止する。そんな中、防ぐ他ない琥珀は刀を振るって、何とか陽玄を庇いきった。


「……ヨーゲン君、走る、よ……」


 苦しそうに言った琥珀の右手が陽玄の手を掴んだ。陽玄はそのまま琥珀に引っ張られる形で外へと抜け出した。


「ははは、面白くなってきたぞっ、雄臣たけおみ! 待ったかいがあったな!」


 爆煙の中、女の高揚した声が鮮明に聞こえて、身体中に鳥肌が立った。

 外気に触れても沸騰したように身体は熱く、心臓の脈拍が落ち着くことはない。ただ前を走る彼女がずっと手を握っているから、陽玄は敷地内を無心になって走れた。

 少しずつ冷静さを取り戻すと、目に映ったのは、彼女の左手から滴る鮮血だった。肩を撃たれたのか、出血が酷く、血で濡れたパーカーの裾だけが薄墨色から濃墨色へと変色していた。それでも彼女の足が止まることはなく、夜道をひたすら走り抜く。


「巫さん、血が」

「大丈夫、少し、掠めただけだから」


 生温い向かい風にあおられて血液と一緒に彼女の髪が靡く。


「でも止血した方が」

「駄目、今は館まで逃げる」


 ぽたぽたと指先から滴り落ちる彼女の血。それを見て陽玄はますます不安になった。


「駄目だ。やっぱり、止血した方がいい」


 それを聞いた琥珀はようやく立ち止まり、握っていた手を離した。


「はぁ、はぁ。でも止血できるようなもの、持ってないよ」

「この帯を使えばなんとか」


 陽玄はすぐさま着物の帯を解いて、琥珀の背後に回ると傷口箇所である左肩をきつく縛った。


「うっ」琥珀は痛みに顔をしかめる。

「すいません」

「ううん」

「できた。応急手当てだけど、一先ず止血はこれで」

「うん、ありがと」

「でもどうして助けに」

「言ったでしょ、お守りだって」


 琥珀の視線は陽玄の右手に持っていたペンダントに向けられる。


「そのペンダント、所持者の位置が分かるんだよ。……稽古とは言え、真剣を振り回す家系なんて、どう考えてもおかしいからね。ちょっとこっそり見に行こうかなって」

「(位置の特定……)これ返します」

「ううん、いいよ。念のため持っていて」


 陽玄は右手に持っていたペンダントを返そうとするが、琥珀は軽い口調で拒む。


「それより、早く帰ろう」

「……いや、僕は、僕もあそこで父や清信と一緒に……」


 陽玄が俯きながら言うと、琥珀は疲れたような溜息を吐いた。


「何を言い出すかと思ったら、君は馬鹿かい? まさかこの期に及んで戻る気じゃないよね。言いたくはないけど君の屋敷はもうなくなったんだ」

「そんなの、分かってる。けど何も言えなかった。思っていたこと、何も。少なくとも使用人の清信は僕のこと、信じてくれていたのに、逃げ出したまま、きっと失望したまま死んでいったはずだ」


 何処を見ていればいいのか、焦点が合わない。残ったのはただ一人。落ちこぼれで臆病で、情けない自分だけ。


「君は実際、帰ってきたんだ」

「でも」

「なら何さ、戻ったらあの女に殺されるんだよ?」

「……そうだ、その方が良かったんだ。生きていても何の価値も意味もない。こんなろくでもない人間、早く死んだほうがよかっ――」


 たんだ、と言おうとした時、右頬に突発的な痺れが走った。自暴自棄を鎮めるような一打。自分の手を頬に這わせてようやく何が起きたのかに気づく。


「そんなこと言うなっ! 簡単に死ぬなんて言葉使うなっ! 自分の価値を死から見出すな」


 陽玄の頬を叩いた琥珀は激怒していた。それなのにどうしてそんな顔をするのだろう。どうして怒っているのにそんな悲しそうな表情を浮かべるのだろう。でも怒らせようが、悲しませようが、それに対する返事はいつもと変わらない。


「……ごめんなさい」

「……。生きるよ」


 琥珀は陽玄の裾をぎゅっと掴んで、歩き出した。


「……」


 陽玄は何の抵抗もせず無力のまま自分の身体が動いている感覚もなく呆然と歩いた。もっと早く戻っていれば何か変わっていただろうか。そんなこと思ったところで何も変わらないことぐらい分かっている。分かっている。分かっている……けど、こんな形で終わってしまうなんて思わなかった。そして、何も応えられなかった無能な自分だけが生き残っている。言おうと思っていたことさえも伝えられずに……。


「……頑張った君をあたしが知ってる。そんなに自分を責めないで欲しい。卑下するなら悲しんだ方がよっぽどいい」


 前を先導する琥珀は小さく呟いた。

 彼女に引っ張られふらつきながら歩く間、陽玄は心の中で何とも言えない感情に苛まれる。哀しみ。悔しさ。喪失感。そして屋敷がなくなって安堵している最低な自分が少なくともいるということを。

 口先ではあんなに嘆いておきながら、やっぱり自分の心は矛盾だらけで。でも悲しみと安堵が打ち消し合っていることを認めざるを得なかった。


「着いたよ」


 それ以降、何も考えたくなくなった陽玄は、琥珀の声で思考を取り戻した。そこはすでに彼女の家の前だった。彼女はパーカーのポケットから家の鍵を取り出し、ドアを開ける。


「ほら、入りな」

「……お邪魔、します」


 玄関に上がった。

 電気が付く。

 靴を脱ぐ。


「とりあえず、シャワー浴びてきな。身体だけでもさっぱりすると思うから」

「……はい」

「浴室の場所、分かる?」

「はい」


 陽玄は廊下の途中にあるドアノブを捻り、脱衣所へと入る。


「あ、待って。入っている間に着替えとかタオル置いておくから、鍵閉めないようにね。あ、でも着替えはサイズ的にあたしのパーカーになっちゃうけど、我慢してね」

「はい」

「うん、お風呂上がってきたら一緒にご飯食べようね」

「はい……」


 彼女の優しさが今はつらい。どうしても肩の半分、血で濡れた衣服に目が行く。怪我を負わせておきながら、こんなにも気を遣わせてしまって、全部自分のせいなのに……。


「……ごめんね。どうにかして元気づかせたかったんだけど、今は難しいよね」


 琥珀は陽玄の冴えない表情を見て何を思ったのか、こちらの心情に寄り添うかのように謝ってきた。


「違うっ。謝るのはこっちの方で、巫さんは全然悪くなくて、何度も励ましてくれているのにこんな態度しかできなくて……ごめん」

「……駄目だね、あたしたち謝ってばかりだ。とりあえずお風呂入っておいで」

「はい」


 脱衣室に入った陽玄は肩に掛けたままの竹刀袋を洗面台に立て掛けた。その後、手首に巻いていたペンダントを外し、黒い着物とシャツを脱ぐ。最後に左肩に巻かれた包帯を解いた。

 傷跡が洗面所の鏡に映る。

 日が浅い傷。左肩の傷は縦に長く縫われていて、過去に負った傷痕よりも痛々しい。

 左肩が濡れないようにシャワーを浴びる。頭と身体を何とか洗い終え、曇った鏡にシャワーのお湯を流しかければ、自分の顔が映し出された。伸ばしたこともなければ染めたこともない前髪は、濡れて額に張り付いている。パッとしない地味な顔はやつれ、鍛え抜かれた身体に釣り合わない。


(これが今日、一家を惨殺された男の顔か……また失うのか。また……?)


 陽玄は湯船に浸かろうと揺蕩う水面に足先をつけたが、すぐに引っ込めた。熱い。熱すぎる。あれこれと考えていたことが吹き飛ぶほどの湯加減。体感的に四十五度はあると思う。流石に入る気になれず浴槽を出た。


「……」


 洗面台の籠には黒いズボンと白いパーカー、バスタオルが用意されていた。バスタオルを手に取り、濡れた髪を拭く。用意してくれた服に袖を通す。自分の体格より少し小さめのサイズだが着れないことはなかった。前から思っていたが、彼女は一体何者なのだろう。猛スピードの車を止めてみせたり、あの女の弾丸を防いでみせたり、そういえば、あの刀は一体どこから出てきたのだろう、確か、あの女は天の剱とか、彼女のことを魔力殺しの代行者とか、いろいろ言っていたけど、陽玄には何も分からない。ただ分かっていることは彼女もこちら側の人間だということ。確かにあの時、刀を所持していた琥珀からは魔力を感じた。

 陽玄は着替え終わると洗面台に置いたペンダントを首にかけ、立てかけておいた竹刀袋を手に取り、リビングへと向かった。


「巫さ――」


 彼女の名前を呼びかけて止まる。赤く湿った黒いパーカーを脱いで、キャミソール姿になっていた琥珀は右手で負傷した左肩を抑えながら三人掛けのソファーに腰を下ろしていた。


「大丈夫ですか?」


 怪我の具合が気になって陽玄は訊ねた。


「あー、大丈夫大丈夫。少し、疲れただけだから」


 琥珀は少し眠たそうに答えた。


「それより小さくない? きつくない? 上は大丈夫そうだけど、ズボンは……一応、男の子でも履けそうなぶかぶかなの、チョイスしたんだけど」

「少し腰回りがきついですけど、全然、平気です」

「そっか。気分はどう? 少しは落ち着いた?」

「はい。お陰様で少しは……」

「それはよかった」


 微笑むようにして琥珀は頷いた。


「あの、巫さんは魔術師なんですか?」


 陽玄は突拍子に訊ねた。が琥珀の薄茶色の眼はとろんとしていて、陽玄の質問を聞いているだけでも苦しそうだった。押さえたままの左肩を見て、陽玄はやっぱり心配になって名前を呼びかけた。


「巫、さん?」

「あー、ごめん。何だかあたし、すごい疲れてて、お互い訊きたいことあるけど、明日でも、いい、かな」


 熱でもあるような辛そうな喋り方に陽玄はますます心配になった。


「はい。そんなのはいつでも。それより今は怪我の手当てをした方が。救急箱とか医療器具はありますか?」

「大丈夫大丈夫。そういうのはいらないんだ。これくらいの怪我、君がしてくれた手当てで十分、あとはぐっすり眠れば治るはずだから」


 だから心配しないでと言う琥珀。けれど自分を庇ってできた怪我をなかったことにはできない。陽玄は竹刀袋をソファー近くの丸テーブルに置き、彼女の目下に手を差し出した。


「ん、何? 握手してほしいの?」

「ち、違う。せめて部屋まで手を貸そうと思って」

「あはは。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」


 陽玄の手を借りて琥珀はソファーから立ち上がった。一瞬、彼女の頭がグラッと揺れた気がして、陽玄は咄嗟に彼女の手をぐっと掴んで支えた。


「おっと、ごめんごめん、ありがと」

「いえ」


 琥珀の冷たい手を掴んで歩く。居間から階段、階段から彼女の部屋まで、おぼつかない足取りの彼女の手を今度は陽玄が引っ張っていく。階段を上り終えると一番手前の部屋で彼女の足が立ち止まって陽玄も歩みを止めた。


「巫さんの部屋はここ?」

「うん。ありがとね」


 陽玄はそっと琥珀の手を離した。


「……お腹、空いてたら、適当に食べていいから」

「でも食欲は湧いてないので、僕も寝ようと思います」

「そっか。それなら隣の部屋、使っていいから」

「いや、僕はソファーで……」

「いいから、ベッドがあるんだからちゃんとそこで眠りな、いいね?」

「……はい」

「ん。じゃあ、おやすみ~」「おやすみなさい」苦しさを隠すように手をひらひら振って、琥珀は部屋の中へ入っていった。

「……」


 陽玄はドアの前で少し立ち尽くす。心配だったが、本人は大丈夫だと言っていたし、陽玄はこれ以上、踏み込むことはしなかった。とりあえず陽玄は階段を降りて、テーブルに置いたままの竹刀袋を手に取るついでに一通りの灯りを消していく。

 真っ暗になった居間を後に二階へとつながる階段を上る。琥珀が眠る部屋を通り過ぎて隣の部屋のドアを開けた。部屋の電気を付ければ、ベッドや机、クローゼット以外何もない殺風景な空間が広がっていた。長年使われていないせいか、微かに線香のような匂いがした。


 陽玄は一先ず竹刀袋とペンダントを机に置く。


(知らない部屋、当たり前だけど何だか変な感じだ)


 たった一夜であまりにも色んなことが起き過ぎて頭が上手く回らない。姉と名乗る魔術師との邂逅。絶対的な存在である父の死。そして、窮地から救い出してくれた少女が戦乙女の代行者。


(僕はこれから先どうすればいいんだろう)


 陽玄は電灯のスイッチを押して灯りを消し、ベッドに横たわった。


(何のためにこれからを生きていけば……、今はもう何も考えたくない)


 真っ暗な一室。それと連動するかのように、陽玄も思考を遮断し、心身をベッドに預けた。

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