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天命の巫女姫  作者: たけのこ
1章 出会いと邂逅
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1―6 帰る場所

 一日が始まろうとしている――午前六時。

 道場には真剣を構えた父が立っている。

 父と唯一顔を合わせる時――月に数回の朝稽古。

 陽玄はこの朝の時間が憂鬱で仕方なかった。死と隣り合う時間。真剣を握った父は人格が一変したかのように気性が激しくなり、殺す勢いで刀を振るってくる。


「陽玄っ、恐れるな!」


 一瞬でも緩めば、檄が飛ぶ。

 殺伐とした空気、張り詰めた空気。これだけで身体は思うように動かない。心も恐怖で支配され、攻めるなんてできずただ受け身をとるだけ。身体は掠り傷だらけで、でも痛みに慣れたことなんて一度もない。


「小胆者、そんな立ち回りでいれば殺されるぞ!」


 脅しのような喝が陽玄に送られる。父はあらゆる流儀を、捏造、改造し、それらを稽古という形で教え込んでくる。

 陽玄はそんな父が怖くて、恐ろしくて、そんな稽古がつらくて、苦しくて――何よりこれは魔術継承のためであって、陽玄にとっては何の意味もなさないただただ苦痛で仕方のないものだった。


「痛っ、ああああああああああ!」


 突発的な激痛が左肩に飛来した。その反動で思わず右手に持っていた刀を落とす。


「何を、している。刀を落とすな、戯け者!」

「すみ、ません」

「一体何度同じ過ちを繰り返すのだ。早く持て。どんなことがあろうと稽古は続けるぞ」


 肩部に深い切り傷を負おうと関係なく、父は高圧的な口調で叱咤する。陽玄は負傷した肩を押さえていた手を離し、血の付いた手で剣を握る。

 この屋敷の跡継ぎは、息子である陽玄ただ一人。魔術を継げなければ生きている価値もない。継ぐためだけに生まされた命に求めるものは他に何もないのだから。


「自信を持て、陽玄。諦めず稽古に励めばいずれ魔術は開花する。さあ、再戦だ」

「は、い」


 父はそう言ってくれているが、十年以上、こんなに稽古を積んでいるのに何の成果も上げられない。それでも自分を見捨てることはせず向き合ってくれる父に対して、陽玄はもう無理だと弱音を吐くことはできず、やり過ごすしかなかった。



 キキキキキキ。

 九月三日、早朝。

 いつもの合図だ。嫌でも身体はその音を覚えている。刀同士が衝突した時に生じる反響音が耳の奥から聞こえてきて陽玄は目を覚ました。


「嫌な、夢だった」きっと家出した罪悪感からだろう。

 リビングは薄暗かった。

 どうやら琥珀はまだ就寝中らしい。彼女はいつも何時ごろに起きるのだろうか。少女の要素が残る容姿から見て、陽玄とさほど年は変わらないはずだが、年上だとしても、一、二歳離れているぐらいだろう。だとすれば、十六、十七歳あたりといったところだろうか。なら学生で、これから高校へでも行くのだろうと陽玄は思った。

 ソファーから起き上がり、立て掛けてあった柱時計で時刻を確認する。


「……嘘だ」


 陽玄はいつも通り朝六時前に起きたつもりだった。だが、時計の針は昼過ぎ――午後十三時。それは陽玄にとって生まれて初めての寝坊だった。


「じゃあ、巫さんは?」


 陽玄は華麗な刺繍で装飾された部屋の中をぐるりと捜索した。一階には当然いない。なら二階には、と折り曲がった階段を上った。

 上の階には三つの部屋が横一列に並んでいた。陽玄はとりあえず手前からドアを三回ノックする――だが返事はない。

 結局、その隣も、一番端の部屋も返答はなかった。さすがに了承も得ずに部屋を覗くことはできない。だけどこんなに物静かなら彼女は本当に出掛けているのだろう。


(僕も、屋敷に戻らないと)


 昨晩、琥珀と約束したこと――それは思いを伝えること。

 階段を下りた陽玄は廊下の先――玄関のドアに視線を送る。


(最後に、礼の一つぐらい言っておきたかったけど、仕方ないよな)


 陽玄はリビングに軽く会釈し、廊下を歩く。玄関で靴を履きドアを開こうとした時、大事なことに気づいた。


「あ、でもどうしよう、鍵……」


 自分の家はまだしも世話になった他人の家。鍵をかけずに出ていくなんてできない。彼女が帰ってくるまで待っていたほうがいいのだろうかと立ち止まる。


「……ん?」


 下駄箱に目が行った。その下駄箱は陽玄の肩より下くらいまでしかない。彼女の趣味だろうか。その上にはインテリアな小物が置かれていて、問題はすぐに解決した。木箱には童話に登場しそうなアンティークな鍵が入っていた。

 陽玄はその鍵を手に取り、館を出ていく。

 だが鍵を所持したまま屋敷に戻れば、きっと彼女に返すことはできなくなると思い、鍵をかけた後、近くの古びたポストの中へ返すことにした。



 陽玄の足はピタリと動けなくなった。

 外に出たはいいものの、階段を上ったはいいものの、歩道を歩いたはいいものの、そこから先――簡単な動作のはずなのに、左に曲がることができない。

 左折した先にある屋敷。真っ直ぐただ歩けば、いずれ着く本来の居場所。


「はぁ……」


 今更になって、そこにいる住居人は帰ってこない自分をどんな思いで待っているんだろうと考えてしまって、陽玄は前に踏み出せなくなった。

 初めての反抗、逃げ出したのは自分で、屋敷の方針に背いたのだからそれ相応の罰は覚悟している。

 けれど……。


「やっぱり、怖いなぁ……」


 稽古でつけられた古傷が都合よく疼いて、陽玄の身体は思うように動いてはくれない。

 心の奥底に溜まった恐怖と不安が、落ち着かない気分を掻き立てる。

 陽玄は圧しかかる不安を取り除こうと深呼吸をした。

 それでも効果は持続せず、息苦しさが先行する。その苦しさに耐えられなくなって足は右へと方向転換した。そうするといとも簡単に心の靄は晴れていき、次第に心は軽くなる。


「っ」


 陽玄は分かっている。今歩こうとしている道が逃げであると。


 ――自分だけ楽になるのは嫌――


 ふと琥珀の言葉を思い出す。


「……でも僕は君みたいに強くはないんだ」


 ここで引きとどまらないといけないのに、それができない自分が嫌で仕方がない。彼女との約束もこんな容易く破れる自分に腹が立つ。そう思う反面、心の中では安堵の気持ちに満ち満ちていた。陽玄はおぼつかない足取りで屋敷とは逆方向の道を進んだ。


 目的もなく住宅街の道を歩き回った。大通りを出れば、飲食店や商業施設が軒を連ねていた。陽玄は駅近くに設置されていたベンチに腰を下ろし、街の様子をぼんやりと眺める。

 高台と違って、ここは人通りが激しい。歩道は人で密集し、面白いように至る店へ出入りを繰り返す。カンカンカンと踏切の音が鳴り終われば、駅の改札口からは新たな人波が押し寄せてくる。

 そのまま何もせず時間だけが過ぎていく。

 今歩いているこの人たちはこの後どこへ向かうのだろう。陽玄は訳知り顔で歩いていく者たちと自分を照らし合わせる。ここにいる人たちは確かな目的を持って生きているのだろうか。それとも生きる意味を探しにどこかへ向かうのだろうか。いや違う。そんなことを考えているような顔には到底見えない。

 ただこの世に生まれてきたから仕方なく生きているんだとしか陽玄は思えなかった。そんな人たちの群れに馴染めない一人の少年は生まれた時から生きる目的が決まっていて、そのために一生を終える。でも自分はそのためだけに身を捧げてきたのだから、その目的を失ってしまったらこの先何のために生きて行けばいいのだろう。そう思うと、自分には何もなくて、人間の形をしただけの空虚な器しか残っていない。陽玄は何のために生きて行けばいいのか、先が見えない未来が怖くて怖くて仕方なかった。


(どうしようもないな。僕は……)


 決まりきった道も決まりのない道も。

 どちらの道も不安だと思う自分は弱くて情けない半端者だと、陽玄は生きることに嫌気がさした。仮に陽玄が剣崎家の魔術を引き継いだとして、それがどんなに偉大な事だろうと、もしいなければいないで、剣崎家の者はそれなりに活動を続けていくはずだ。百歩譲って絶対に成し遂げなければならない物事を成し遂げた人物が存在したとしても、仮に偉大な人物が何かの偶然で世の中に現れなかったとしても、他の者が遅かれ早かれ絶対に成し遂げなければならないことを偉大な人物に代わって行うはずなのだ。だから代わりはいくらでもいて、使えなければ捨てるなり、殺すなり、好きにすればよくて……絶対必要な存在なんて者はこの世にはいなくて……結局はみんな必要な――。駄目だ。これ以上、悪い理屈をつめていけば性根も腐っていく気がして思考をやめた。


 依然として街の風景は変わらず、新たな人波が駅の出口から流れ込んでくる。

 話をして笑っている顔。仕事帰りで疲れたような顔。沢山のすまし顔。

 けれど結局は。

 どんな人間であろうと、皆、帰るべき場所を持っている。持っているから道がある。皆、帰るんだ。

夕方五時のチャイムで朧気な意識は醒める。


(これから、どうしようか)


 何時間もここにいるわけにはいかないと立ち上がり、あてもなく人混みを後にした。



 日が沈むのが早くなったと感じた。街灯の弱々しい光が陽玄を照らす。

 あれから見知らぬ住宅道を二時間近く歩いた。どこで夜を明かそうかと悩みながら歩いていると、気が付けば琥珀の家の近くまで戻ってきていた。どうして戻ってきてしまったのか分からない。けれど森の中に続く階段を下りる。

 館には明かりが点いておらず琥珀はまだ帰ってきていないようだ。このまま立ち尽くしていればいずれ帰宅する彼女と鉢合わせることになるだろう。


(本当、なにしてんだろう……僕は)


 早くここから離れようと洋館を背に歩くと、何というタイミングの悪さだろう。暗闇でも色褪せない金髪の女性がこちらに向かってきた。


「戻ってくるの早いね。やっぱり駄目だった? 君の思いは受け入れてくれなかった? これからどうしようか? てか入らないの? 合鍵あったでしょ」


 チャック付きの薄墨色のパーカーを羽織った琥珀は、歓迎するかのように軽い口調で催促する。きっと話がついてまた逃げ出してきたんだと思っているんだろう。 


「……合鍵なら、そこのポストに入っています。一度、屋敷に戻れば帰れないと思ったので」

「え、でも今ここにいるじゃん」

「それは……」

「……もしかしてまだ戻ってなかったの?」


 陽玄は情けなくて返事もできず、頭を縦に振ることしかできなかった。


「そう。君にとってはそんなにもつらいことなんだね。でも駄目だよ。ここで逃げちゃ。ずるずる引きずることになる」


 そんなこと、彼女に言われなくても分かっている。


「僕だって逃げたくない。けど、怖くて痛いんだ。刀で斬られた感覚が、身体に刻み込まれて、そんな記憶ばかりが頭を占めるんだ。もう怖いんだ。生きるために必要な行為が全部っ、ああ、どうしよう、僕はどうしようもない人間、なんだ」

「……刀。どうして跡継ぎにそんな物騒なものが出てくるの?」

「それは……それが剣崎家の決まりだから」


 陽玄は魔法使いの家系であることは何が何でも隠したかった。それは、一般人にこの手の話をしたところで何て思われるか分からないし、とりわけ魔術の存在を知らせてはいけないと固く言われてきたからだ。


「ふーん。どうやら随分と変わった家のようだね。でもそれなら尚更だよ。痛いなら痛い。怖いなら怖いって言わないと。伝えないまま自己完結しちゃいけない。君は人形じゃないしロボットでもない。だから今こんなにも心が苦しいと悲鳴を上げるんだ。でもそれは解決しない限り消えることはないよ」


 彼女の言うことは間違いなく正しくて、逃げようとしている自分を食い止めようとする。


「蟠りを残したまま逃げたら、きっと君は後悔する」


 なぜここに戻ってきたのか。

 本当は心のどこかでもう一度彼女に背中を押してもらいたかったんだと思う。


「しょうがないな。手、出して?」


 促されるまま右手を出すと、ほのかに冷えた琥珀の両手が包むように握ってきた。そして祈るように瞼を閉じると静かに言葉を紡ぎ出す。


「とっておきの手の温もり(The warmth of your special hands)。どんな時でもあなたの傍に(By your side at all times)。とっておきの言葉の温もり(The warmth of special words)。どんな時でもあなたの味方(Your ally at all times)。私はあなたの中にいます(I am in your heart)」


 今までの口調とは違う、とても暖かく穏やかな心落ち着く声音と発音。心に蔓延る不安と心に空いた寂しさを埋めてくれるような優しい暗示。


「これはあたしが小さかった頃、お母さんがあたしにしてくれた勇気の出るおまじない。……どう? 少しは勇気、湧いたかな?」

「……分からない」

「えー、そんな~」

「……でも行ってくる」

「うん。そのいきだ。でもその前に……」


 琥珀がスカートのポケットから取り出したのは透き通ったアンバーのペンダント。そのペンダントネックレスには陽玄がポストに投函した鍵と同じ形状をした鍵が付けられていて、彼女は再び手を出すように促した。


「いや、僕はもう……」

「いいから持っておきな。絶対、お守り代わりになるから」


 言って琥珀は鍵付きのペンダントを陽玄の手に差し出した。

 鍵というものは家主にとって一番大切なもので無くしてはいけないものだ。そんなものと一緒にするくらいだ。この飴色の色石は彼女にとって大切なモノに違いない。それなのにそんなものを簡単に手渡してしまう彼女はやっぱりおかしい。

 とは言え、彼女には最後の最後まで世話になり過ぎた。

 家に泊めてくれて、しまいにはどうしようもない相談事にも乗ってくれた。

 現にこうして話すと屋敷から飛び出してよかったんじゃないかと思う自分が少しいて、初めて出会った人間が彼女でよかったと陽玄は心の底から思った。何も返せるものがないけれど、これだけは心を込めて言わなくてはならない。


「巫さん、ありがとう」


 陽玄は飴色に輝くペンダントを右手に握りしめ、自分の帰るべき場所に向かった。

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