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天命の巫女姫  作者: たけのこ
1章 出会いと邂逅
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1―5 家出⑤

 三十分ほどかけて戻ってきたのは初めて彼女と出会った場所。


「ヨーゲン君、こっちこっち」


 琥珀は指先で行く先を示した。彼女が指す道は、広い車道ではなく墓が横に立ち並ぶ草道。そのまま彼女の後ろをついていき、少し歩くと墓もなくなって砂利道だけになった。


「あの、巫さん。こんなところに家なんてあるんですか?」


 陽玄は思わず聞いてしまった。というのも彼女が向かっているのは果てしなく続く森林でそんな場所に家などあるはずがないと思ったからだ。


「失礼だなぁ~」

「ご、ごめんなさい」

「うそうそ、怒ってないよ。ん、ここを降りて少し歩けばあたしの家がある」


 琥珀の言う通り、そこには登山道で見かけるような丸太階段が下へと続いていた。だがこんな場所に街灯があるはずもなく段差は途中で闇に沈み、異界への入り口のようだった。


「……」


 立ち止まる陽玄をよそに前を進む琥珀は軽快な動きで下降していく。


「段差の間隔もバラバラだから踏み外さないように気を付けてね」

「はい」


 陽玄は足元に気を配り、身体の重心を後ろにしながら琥珀の後に続いた。

 雑木林の中はむんとした樹木と土の匂いに満ちていて、暗闇に目が慣れた頃には、残りの階段も後数段で終わりを迎えていた。階段を下り終えると琥珀は左右に分かれている道を右折する。


「左の道はね。北高根森林公園っていう植物園みたいな場所に繋がってるんだけど、あたしの家はこっち側」


 琥珀の案内に耳を傾けながら数分歩くと、彼女の家は森の中でひっそりと身を隠すかのように佇んでいた。


「到着~。どう、隠れ家みたいでしょ」

「え、あ、うん……」


 確かに雰囲気は隠れ家。だがそれにしては大きすぎるし、こんな森の中にこれ程立派な洋館があるなんて誰が想像したことか。不覚にも路上生活者なのではないかと思ってしまった自分が恥ずかしい。大きさではうちの屋敷に劣るが、築百年近くは経っているんじゃないだろうか、歴史を感じさせる風格ある佇まいだ。


「ほら、突っ立てないで入りなよ」


 緑に囲まれた自然の中に突如現れた美しい洋館に見惚れていると、いつの間にか琥珀は玄関のドアを開けていて、陽玄が入るのを待っている状態だった。


「……お邪魔、します」


 琥珀に促され、眩しいくらいの明かりに包まれたエントランスに足を踏み入れた。



 ロビーには二階に続く階段があって、長い廊下には上質そうなバロック調の絨毯が敷かれていた。そんな廊下を渡ると、視界に映るのはリビング。

 リビングのすぐ左側には、カウンターキッチンがある。そのカウンター越し、広々としたダイニングルームには、客人をもてなすような長いテーブルに八つのイスが並んでおり、窓際にはリビングルーム。三人がけのソファーが三つ、カタカナのコみたいな組み合わせで並んでいて、正面のソファーと、背の低い丸テーブルを挟んで、向かいにはブラウン管。丸テーブルの周囲には、そこだけカーペットが敷かれていた。

 この通り、内装は異国を思わせる一室。置かれている家具はどれもアンティークで統一されており、和式である武家屋敷と洋風である洋館は正反対であるため、あるものとないものがあるのは当たり前だが、他にも部屋の奥隅、テレビの左脇には暖炉やクローゼット、洋風ならではの特徴がいたる箇所に見受けられる。


「荷物ありがとね。遠慮なくソファーにでも座ってて」


 琥珀にそう言われ、陽玄は薄茶色のソファーに腰を下ろした。彼女はというとキッチンカウンターの内側に回り、スーパーの袋に手を突っ込み買ってきたものを冷蔵庫にしまっている。それをあらかた終えると、戸棚からティーセットを取り出し、やかんでお湯を沸かしながらティーポットに茶葉を目分量で入れていた。そんな彼女の手際よい動作を見ていたら目があった。


「お腹、空いているでしょ」

「いえ、空いてません」

「ふーん」


 家に招いてくれただけで十分だった。これ以上彼女の世話にはなりたくないし、何より恩を返せるものが何もない。でもきっと彼女が作る料理はさぞ美味しいことだろう。彼女の手際の良さから陽玄はそう思った。

 彼女がスーパーの袋を片手に持ってやってくる。ドサッと小さな丸テーブルにその袋を置くと、彼女は向かい側の三人掛けソファーに腰を下ろした。


「実はあたし、料理得意じゃないんだよね。えへへ」


 琥珀は照れくさそうに頬を指で撫でながら打ち明けた。


「そうなんだ」

「うん。だから今日みたいにたくさん買い溜めしておくの」


 袋からガサガサ取り出したのは、おにぎり、総菜パンと手を加えることなくそのまま食べられる簡易食品ばかりだった。そう言えばさっき冷蔵庫にしまっているときも肉や魚、野菜といった主食材は見受けられなかった。しまい込んでいたものは飲料水や冷凍食品にレトルト食。それとカップ麺に缶詰めなどの保存食品のみ。後は大量のトマトジュースぐらいか。

 陽玄が思っているより琥珀は不器用だった。だからって別に失望したりなんかしない。けれど手際よくお茶の準備ができるのだから、料理だって慣れれば上達すると思うが……。


(いや、違う。どんなに頑張っても慣れないことだってある。何でもそつなくこなす人間なんてこの世にはいないし、少しくらい弱点がある方がよっぽど人間らしい)


「いただきます」


 琥珀は美味しそうにぱくぱくとレタス入りのサンドイッチを食べ始めた。本当に美味しそうだった。いつから口に何かを入れるのが怖くなったのか。外見だけは美味しそうに見えても中身は毒塗れで口に含んだ瞬間、それは食べ物とは全く別の異物感に変わる。だけど今は食べ物を美味しそうに食べる少女の姿があって、その光景が陽玄に安心感を与えていた。


「ぐぅぅ」


 不意に腹の声が外へ出た。恐怖感が和らいだ身体は素直で目の前に食べ物があれば、視覚と嗅覚で食欲はそそられる。さらに片道三十分近くかかる道を何往復もした身体は、栄養補給を欲しがっていた。


「ふふ、本当嘘が下手だね。食べたいなら我慢せずそう言えばいいんだよ。たくさんあるから一緒に食べよ。あたし、お茶淹れてくるね」


 琥珀は立ち上がり、やかんの火を止めるとトレイにティーポットとティーカップを載せて戻ってきた。再度座ると慣れた手つきで、二つのティーカップにお茶を注いでいく。


「はい、どうぞ」

「……ありがとう」


 琥珀が淹れてくれたお茶が冷めないうちにずずっとすすった。彼女も一口すすって、同じタイミングでテーブルの上にティーカップを戻した。


「で、どうして家出をしたの?」


 一息つくと、巫は早速本題に踏み込んできた。その眼差しは優しく陽玄だけを見つめている。


「……」


 家にあげてもらった以上、少なからず彼女にはその理由を聞く資格はある。それでも誰かに話を聞いてもらうことなんて初めてで、それに男が女に打ち明けるのは何だか少し気が引ける。


「だんまり? 話したくないならこれ以上は突き止めないけど、ただ自分の思いを吐き出したら少しは楽になると思うよ」


 言って琥珀は食べかけのサンドイッチを口に咥えた。彼女の言う通り、話せば少しは楽になるだろうか。でも弱い自分を見て軽蔑したり、呆れたりしないだろうか。いや、彼女の目を見てそう思う方がおかしい。まだ出会ったばかりで何も知らないけど、彼女がそうじゃない人間だってことぐらいは何となく分かる。


「聞いてくれますか?」

「うん。聞かせて」


 琥珀は食事を中断し、再度こちらに目を向けた。その眼差しに少しの照れくささを抱きつつ、陽玄は口を開く。


「その、僕の家系はちょっと特殊で、僕はその家の当主にならなくちゃならなかったんだ。生まれた時からそう決まってるから僕に選択肢はなくて、ただ何の文句も言わず教えを守って、ただ屋敷のためにこの身を捧げて頑張ってきた。辛いことも苦しいことも押し殺して必死に期待に応えようと努めてきた。……僕は、嫌われたくなかったんだ。その期待を裏切って失望させたくなかったんだ。でも本当は家柄なんてどうでもよくて僕だけを見て欲しくて、できることなら普通の暮らしがしたかった。裕福さより自由が欲しかったんだ」


 そんな拙い思いを吐いて、初めて気づく。稽古で鍛え抜かれた肉体はもう大人への段階を踏んでいるのに、心に秘めたその思いは子どもの駄々のように女々しく我儘だったことに。

 本当はあの屋敷から逃れられないことぐらい分かっている。だからこの家出を機に諦めようと思ったんだ。当たり前の生活を求めることに。

 求めるから苦しい目にあう。なら、これが自分の人生なんだと受け入れてしまえば、この人生も悪くないなと思えるんじゃないかって。


「そっか。君は寂しいんだね。ならその思いをちゃんと、屋敷の人に真摯に伝えればいいんだよ」

「……それはできない。今更言って、何になるんだ。逃げ出した時点で失望されるのにそんなこと言えない」

「いいや、伝えるべきだよ。君は、思っていることを口に出さなすぎ。思ったことは口に出す。そうしないと聞いてる方は勝手にそう受け取っちゃうよ。口は何のためにある? こうやって食べるだけじゃなくて思いを伝えるためにあるんだ。しっかり伝えれば、分かってもらえるよ」


 陽玄は俯いた。果たしてそうだろうか。父の前でそんなことを堂々と言えるとは思えない。言ったところでこんな思い、否定されるに決まっている。


「それでも、もし伝えても分かってもらえなかったり、やっぱり苦しいなって思って耐えきれなくなったら、またここに戻ってくればいいよ。特別の特別だからね?」

「……そんなの駄目だ。……逃げてまた同じことの繰り返しだ」

「別に逃げることは悪いことじゃないと思うけどな。実際、君は家出をするのに、沢山の勇気と行動力を使った。人ってポジティブなことにそういう言葉使い気味だけど、逃げることも立派な行動の一つだからね。だから逃げられる居場所くらい、あたしが作ってあげるよ」

「……どうしてそこまで」

「ん~、何となく?」


 そもそもどうしてこんな気弱な男の話を親身になって聞いてくれるのだろう。そんな自分は一人の女の子に慰められて助言まで貰って、本当に情けないなとつくづく自分のことが嫌になる。このままズルズル引きずっていても問題は解決されないまま、このまま先送りにしていたら彼女にも迷惑がかかるし、このままでいいはずがないことは誰よりも分かっている。


「明日、帰ります」


 顔を上げて言うと、琥珀はテーブルに置かれた鮭のおにぎりを手に取り、陽玄に差し出した。


「食べよっか」

「……いただきます」


 陽玄は渡されたおにぎりを手に取り、頬張った。久しぶりに美味しいと感じられた。久しぶりにまともな食事を摂取したと思った。あまりにも美味しくて涙が出そうになった。


 食事を終えて――三十分近くが経った。

 陽玄はソファーに横たわってうとうとしていた。リビングに続く五、六メートルほどある廊下の方からはシャワーの音が僅かに聞こえていて、次に聞こえてきたのはドライヤーの風音。その音もぱたりと静まって、ガチャリと風呂場に通じるドアが開いたような気がした。

 少しの空白。

 琥珀より先に眠ってしまったらいけないと目を開けると、彼女の顔が視界を覆い尽くした。


「本当にいいの? お風呂……ってあれ、寝ちゃった?」

「……」


 陽玄は目を閉じていた。この体勢はまずいのになぜか起き上がることができず、起きるタイミングを失った。何故なら身体が麻痺するくらい風呂上りの彼女は色っぽかったのだ。風呂に浸かって紅潮した頬、キャミソールにショートパンツという露出度の高い部屋着姿、お団子髪にまとめられた小麦色の髪、何処を見てればよいか分からなくなって瞬時に目を閉じた。おまけにシャンプーのいい匂いがして、女性との接点がない陽玄にとってはあまりにも刺激が強すぎた。これ以上近づかれると色々もたないと思った陽玄は、このまま寝たふりをしてその場をやり過ごす。


「ありゃ、寝ちゃったかー。よっぽど疲れてたんだね」


 暗闇の中、彼女の戸惑いの声が聞こえた後、ふわっと何か温もりあるものを掛けられた気がした。


「おやすみ、頑張れ」


 そう呟かれて、カチリと電気を消す音がした後、ギシギシと階段を上るような音が聞こえた。

 陽玄が再び目を開いた頃には、周りはもう寝静まっていて、身体には毛布が被せられていた。殆どの電気が消されている中、天井にぶら下がった趣あるガラス照明が一つ、淡いオレンジ色の光を灯しながら陽玄だけを見守っていた。

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