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天命の巫女姫  作者: たけのこ
1章 出会いと邂逅
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1―3 家出③

 昼食を食べ終わった瞬間、とてつもない睡魔に襲われるが、鎮静剤の効果は切れていて、完全に眠ることはできなかった。とりあえず目を閉じて眠る努力はしたが、やっぱり決まりきった時間にならないと眠れないよう躾られているこの身体は、夜にならない限り眠る行為を許してはくれなさそうだ。ろくに眠ることもできなければ、唯一楽しみだった食事の時間も奪われた。楽しいことなんて何一つない。苦しくて辛くてここから出ることもできない。


 いや、できないとそう思い込んでいるだけなんじゃないのか。だってこのままじゃ自分は何のために生まれてきたのか、何も分からない。


「……清信、いるか?」


 これでもし返答があれば、大人しく今日はベッドの上で安静にしていようと思った。


「――――」


 返事は一向にない。


「……」


 ということはそう言うことなのだろう。


 陽玄はだいぶよくなった左肩を押さえながら、ゆっくりと起き上がった。


「……」


 自然と陽玄の視線は壁際に向いた。


 麻酔を打たれて寝ている時に、清信が道場に置いたままだった刀を戻してくれていたのだろう、壁には陽玄の愛刀が竹刀袋に収納された状態で立て掛けてあった。


 だが陽玄は命よりも大切であると教えられたその刀を持たずに、部屋を出た。自室を出て、本館を渡って、無駄に長い廊下を通り、玄関を出る。その途中で使用人に見られたら、大人しく部屋に戻るとしよう。


「……」


 けれど、誰にも鉢合わせることなく、ついに玄関口まで来てしまった。


 ということはそう言うことなのだろう。


 靴紐を結んで外出する準備をする。魔術のしがらみを嫌う陽玄にとって、魔術にまつわる話も人間も興味はない。この屋敷に自分の居場所はない。


「……悪い、清信」陽玄はそう一言呟いて、玄関を出て行った。


 屋敷の敷地内を越えて門を抜ければ、周囲は静寂な住宅街。うちの屋敷だけが大きな塀に囲まれていて場違いであるのは否めない。


 さあ、これからどうしようか、と足を止めて何処に行こうかと迷ったが、考えても無駄だった。陽玄が門より外に出たのは半年近く前で、この町になにがあったかなんて殆ど覚えていない。行き先がない以上、まず陽玄に迫られた選択肢は左右の道どちらに行くかだ。


 即決で左に行くことにした。


 特に理由はない、ただの直観だ。


 閑静な住宅街ということもあって車どころか人もあまり見かけない。とりわけ道が分かれることもないため、ただ直進する一本道を歩いていく。


 それから半刻ほど、あてもなく歩いた。ようやく道が開けると辺り一面にあったのは無数の墓地だった。そこでようやく思い出した。ここ一帯は駅一つ分まで続く広大な霊園が続いていることを。


「確か、緑ノ丘霊園……って名前だったけ」


 ぼそりと呟いて少し歩き右折すると、細い路面は側道と合流して広い車道となった。


「見通しがいいな」


 左沿いには緩やかな斜面に草原が広がっていた。そこからは遠い町の風景が一望できる。目線を前にずらせば何処に続くかわからない一本道が又もや続いていた。よく見ればその両脇には幾本の桜の木だろうか、等間隔に植えられており、春になれば満開の桜が来るもの拒まず迎え入れてくれそうだった。


 陽玄は歩道に設置されていた一つの木製ベンチに座り、そこから見える景色を眺めた。黄緑色の草原坂の下にも数えきれないほどの墓が区画ごとに行儀よく並んでいて、その先の向こうには、高層ビルやマンションが鮮明ではないがぼんやりと視界に映った。


「こんな場所があったんだな」


 自然と言葉が出て、その後少し嬉しくなった。初めて見つけた場所。初めて見た景色。そんな光景に一人だけ。それは今の陽玄にとって味わったことのない状況で、無性にも心が少し和らいだ。


「とはいえ、これからどうしようか」


 陽玄が頭を悩ませていると、「にゃー」と固くなった頭をほぐすような鳴き声が聞こえた。振り向けば向こうの歩道には小さな黒猫がいて、餌を貰えると思ったのだろうか、車道を横切ってこちらに向かってくる。


「っ、来るなっ!」


 動物に人間の言葉なんて通じるはずないのに、思わず声が出た。出さないといけなかった。陽玄は勢いよく左折してきたRV車を確認したのだ。ブレーキを踏んだところで間に合わないと思った陽玄は既に車道に飛び出していた。そんな人間を猫は襲ってくると勘違いしたのだろう、俊敏な脚力でいち早くその場から逃げ出した。


――なんだ、逃げられたのか。


 陽玄はよかったと安堵する。


 人を殺せんと疾駆してくる威勢のいい乗用車。開放的な車道に出現した車は、人類が作り出した獰猛な機械の動物である。躱そうとしても無意味だろう。


――まあ、この際、躱せたとしても……。


 人間でなくとも猫一匹、最後に誰かの役に立てて、死ねるのだから――。


 だが――。


 轢き殺しにかかる車は、間に入り込んだ黒い影によって静止したように見えた。金属音のような鈍くて重い音がしたのは、決して自分の骨格が砕けた音ではなく、車が弾かれた音だった。


 差し出されたものが人の手だと知って、思わず見上げた。


「え?」

「君、怪我はない?」


 そして、掛けられた声を聞いて、自分を助けてくれた人間が女性であることに気づいた。


 その女性は尻もちをついた陽玄に手を差し出す。


 陽玄はそんな女性を凝視する。


 自分と同じぐらいの背丈の女性は、茶色い革靴と黒のストッキング、ベージュ色のスカートに白いパーカーとラフな格好をしていた。だが肝心の素顔は、急に自分の無様な姿に恥ずかしくなって見ることができなかった。


 その瞬間、運転ドライバーは何事もなかったように車を走らせ、陽玄の横を通り過ぎて行った。


「あ、ちょっと待て! 勝手に逃げるな! あんなスピード出しといて」


 抑揚のある声音。


 走り去っていった車の方へ振り返った女性の後ろ姿を陽玄は見つめる。


――いや、いいんだよ、怒らなくても。だって飛び出してきたのは僕の方なんだから。


 いつのまにか風によってフードが勢いよく翻っていた。綺麗な髪だと思った。助けてくれた小麦色の金髪女性は、そそくさと立ち去ったドライバーに暴言を吐いていた。


「あ、もう……行っちゃった。ったく……あ、そうだ。大丈夫、ですか?」


 心配したような声音。


 柔らかそうで温かそうな手が目の前に再び差し出された。だが、陽玄は彼女の手を借りることなく立ち上がった。


「あの、平気?」


 そう言うと女性は下から陽玄の顔を覗き込んできた。


「っ――」


 女性の顔が視界に入る。


 大きな二重の目、尖った鼻、艶のある薄い唇にほのかに染まった薄桃色の頬、綺麗というより可愛かった。一言で言えば、女性らしさの中に少女のあどけなさが残っている感じだ。


「お、おーい、本当に大丈夫?」


 彼女は手のひらをひらひらさせている。全くもって怪我はない。ただ彼女の容姿に見惚れていて全く耳に入ってこなかった。


「……あ、はい。平気です。助けていただきありがとうございました」

「おー、喋った。うん。怪我なくてよかったよ」


「……」

「……」


 それきり会話はなく、なぜか気まずい空気が流れる。


「……変わった服装、してるんだね」

「え」


 陽玄は少し驚いた。


 普通であれば気を付けるんだよとかで話が済みそうなのに、どうしたことか彼女は服装に興味を抱いたらしい。


「えーと、こっちの方が楽っていうか、まあそんな感じ……」

「ふーん」


 こちらの曖昧な返答に納得いかないのか、彼女はさらに何か聞いてきそうな素振りを見せる。何かの気配を感じ取るように。


「……き、君だって髪が金髪」


 これでははぐらかせないと思った陽玄は、やむを得ず彼女に話を切り出した。


「あ~、これ? これはただの地毛だよ。いいでしょ~、ってやばっ!」


 急に挙動不審になった彼女は恥ずかしそうにフードを被り直した。


「? どうかしたんですか?」

「ううん、何でもない。けど、君みたいな子、珍しいよ」


 何のことを言っているのだろうか。彼女の言葉の意図が分からなかった。


「それはどういう?」

「だって自分の命より小さい命を優先するなんて、そんな人あんま見たことなかったから」

「……命に大きいも小さいもないと思う。生きている以上、みんな平等だから」


 陽玄は反射的に口から言葉が出ていた。でもその言葉は彼女に対する否定ではない。自分を肯定するための建前だった。正直、陽玄はあの時死ねると心の内では思っていた。自分で死ぬ勇気もない陽玄にとってあれ程都合のいい条件はなかった。もしあのまま死ねれば自殺ではなく事故扱いされて、誰にも咎められることなく今おかれている状況から解放されると思っていたからだ。


「ふーん。でも命は一つしかないんだ。大事な命は自分のために取っておくべきだよ。……じゃあね! あたし、用あるから行くね」


 とても明るい笑顔で、見ているこっちが眩しくなるくらいの笑顔で、陽玄の心情を置き去りにするかのように彼女は手を振り、緑の葉っぱを付けた桜並木を歩いて行った。

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