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天命の巫女姫  作者: たけのこ
10章 受胎告知
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モノローグ⑤(罪と罰に)

 消えることのない罪と共に息を吹き返す命は淡く脆い角砂糖。ふと何かの拍子で、例えばそう、ひとたび風が吹けば簡単に崩れてしまいそうな、一度水が流れれば呆気なく溶けてしまいそうな、消えかけのそんな命。だけど、柔くて解れそうな命は早さを増していく脈拍と共に深い闇の深層意識に落ちた少女を呼び起こそうとする。



 理作の魔眼は破壊され、生命線である二つの宝珠はものの見事に抜き取られた。再誕した女神に白き戦乙女は成すすべなく完全敗北した。当然の帰結として、敗北者の肉体は消えていく。時間をかけてゆっくりと彼女の肉体はあるべき場所へと還っていくだろう。

 だが形としてある肉体も、その肉体に宿る魂もまだ、ここからの逆転劇を期待していた。

 そう、理作の魔眼は最後に敗北者が嘆いた一縷の望みを受理した。

 女神の指先が少女の左眼に刺し込まれる直前、死を悟った。故に死を覆すためにほとんどの魔力を理作の魔眼に注ぎ込み、魔眼には一筋の亀裂が入った。

 その魔眼が思い描いた理は一度限りの起死回生。だけど生き返るのはたった一つの命のみ。だからどちらか一人は絶対に助からない。一つの肉体に二つの魂が同居する今、彼女の中にいるもう一人の少女はもちろん自分が犠牲になると真っ先に答えただろう。少年が決死の覚悟で戦場へやってくる姿を見るまでは――。



 ここはどこなんだろう。

 目を開けているのかいないのか、呼吸をしているのかしていないのか、そもそも自分というものがあるのかないのかさえ分からない。

 ここはどこも昏くて重くて何もない。

 まるで海に投げ捨てられた小石みたいにあたしの身体が沈んでいく。どれだけ藻掻こうが重りとなったあたしは暗く深い闇の底へと落ちていくことしかできないんだろう。


「……ねえ、雪姫ちゃん。あたしはあなたの代行者としてあなたの期待に副えましたか?」

「はい、見事な活躍ぶりでした」


 その言葉を聞けて少しだけ安堵する。大したことなんてあたし一人じゃ何もできなかったから。


「琥珀……」

「はい」


 おそらくこれが最後の会話になるはずなのに、心残りがあるのはなんでだろう。今更そんなことを抱いたところで何もできやしないのに。でも最後に、お願いだから最後に、思い出して逝きたい。あたしには何があった、何を欲していた、何をそんなに大事にしようとしていた、心に引っかかるものがあるのに、ああ、何も思い出せない。


「ごめんなさい」


 ふと、誰かに謝られて、彼女が謝ったことに気付いた。


「どうして謝るの?」

「少年に言われた通り、私は人間が根本的に畏怖する死を利用して、幼い貴方に契約を結ばせた。半ば強制的に私の一存を貴方に押し付けたのです」

「……。そうだったとしてもあたしは……、幸せだったよ。……誰かに恋をして、誰かを愛せて、幸せな人生だったよ」

「そう言ってもらえると……助かります」


 そう、誰かを愛したのだ。……少年。きっと年下の男の子。名前は……。どんな少年だったかな。彼のどこが好きだったかな。いつから彼を異性として見るようになったのかな。分からない。けど、これだけは分かる。彼に伝えきれないありがとうと大好きを、彼の手を取って、彼の眼を見て、彼の一番近くでそう言いたい。だからまだ、あたしは……まだ……。


「琥珀、彼の身が危ないです」

「え、彼が、来てるの?」

「はい。ですから後のことは私に任せて貴方はゆっくりお眠りになってください」

「――っ」


 ねえ、なんで、どうして来ちゃうの。そんなのあたしはこれっぽっちも望んでなんかいないのに。これじゃあ、あたしは……、あたしはもう、こうなるって決めたのに。

 水の中では声も届かない。うまく物を見ることもできない。

 ああ、どうしよう、彼の声、彼の顔、彼との記憶さえもあたしから薄れていく。あたしがあたしじゃなくなるみたいにどこか遠くへ消えていく。

 その中で、鮮明に聞こえる彼女の声と、明瞭に映る彼女の姿。あたしとは反対方向にこの不自由な空間から脱却するかのように彼女の身体は浮上していく。


「い、やだ」


 思わず口にした言葉と一緒に、あたしから遠ざかっていく彼女の腕を掴んだ。


「大丈夫です。約束通り、彼のことは私の命に代えてでも助け出します」

「違う、の。あたし……、あたしが、助けたいの」

「……。琥珀、それがどういうことを意味するか、理解していますか?」


 目先のことしか考えていないあたしに彼女は真剣な表情で忠告する。


「貴方は代行者ではなく私として生きることになるのですよ? この世に魔力をばら撒いた私の罪を背負い、この世に残存する魔力をすべく無くしたとしても、貴方は戦乙女として死ぬことなくこの世にずっと留まり続けることになる」

「それでも……生きたい。彼に会いたい」


 彼女には悪いけど、彼女が背負う罪に対する罰がどれだけ重くても、彼に会えない罰の方がよっぽどきつい。きつくてきつくて泣くのも我慢できないくらいに。


「ですが、貴方の私情を受け入れるわけにはいかないのです。これ以上、私は罪を負いたくないのです」


 罪。そういったらあたしだって罪だらけだ。罪を犯した者を罰しておきながら同じような心境に陥ったら死にたくないとせがみ、守らないといけない正しい道義を逸脱している。ここはどんなにいやでも死を受け入れるべきなんだろう。自己矛盾。二律背反。まるで人間みたい。いや、そうか、手に入らないものを、手に入るとは思わなかったものを手にいれて、あたしは代行者からただの少女に戻ったんだ。彼があたしをそうさせたといったら原因を押し付けているみたいでなんだかいやだけど、今のあたしの言動は間違いなく戦乙女が掲げる思想とは相反している。


 もしかしたら目の前で己の罪に苦しみ続けている少女もまた同じなのかもしれない。


「雪姫ちゃんは人間みたいだね」

「それは、どういう意味ですか」

「十数年繋がっていたから分かるよ。あなたはずっと罪に苦しんでいた。誰かを守るために誰かを殺したこと、二人の兄妹が迎える悲しい結末を覆すために彼らの行いを看過したこと、罪の重さに耐えかねてあたしに頼ったこと、数えあげたらきりがないかもしれない。だけどそれはたくさんの人と関わったことであなたの自我が人間寄りになったんだと思う。それはあたしもそう、さまざまな因縁が巡り合ってあたしという存在が成り立って、生かされていた。世の中のあらゆる要素が奇跡的に集まり合った結果、あなたとあたしはこうして出会った」

「……存在自体は違いますけど、我というもので言えばそうかもしれないですね」


 だけど彼女は彼女という人間の我を認めようとはしないんだろう。彼女が自覚しているかどうかは分からないが、彼女はたぶん魔法使いだった彼に恋をしている。だが、それが恋だと知っても彼女は自分の幸せを念頭に置いて生きていくことは絶対にしない。けれどあたしは自分の幸せのために罪を犯す。彼女に罪を犯させる。


「幸せになりたいって気持ちは悪いことかな?」

「……いいえ、つつがなく羨ましいものです」

「ごめんなさい」


 彼女の腕を掴んだ手に力を込める。


「もし叶うのならどうか、その罪その罰、あたしに背負わせてください。一緒に、共犯者になってください」


 彼女はたぶんあたしが何をしようとしているのか、分かっている。それを汲み取った上で、彼女はあたしの左腕を掴んだ。


「もう既に私とあなたは共犯者です。出会った時から、そう仕向けたのは私で、何より願いを押し付けた側が押し付けられた側の願いを断るなんて道理はないのですから」


 沈み落ちていくあたしは彼女を引き摺り降ろす。浮き上がっていく彼女はあたしを引っ張り上げる。やがてあたしたちの立場は逆転し、お互いに掴んでいた手と手が離れる。彼女は沈んでいく。あたしは浮かんでいく。


「大丈夫ですよ、琥珀」「頑張ってください、琥珀」「ありがとう、琥珀」


 こんな昏い場所でも綺麗に咲き誇る白百合のような彼女は沈みながらもあたしに言葉をかけ続けて、最後に口にしたその言葉はうまく聞き取れなかったが、『どうか、私の分まで幸せになってください』たぶんそれは誰よりも誰かの幸せを望んでいた彼女が一生涯に一度垣間見せただろう自身の欲求だった。

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