インタールード⑳(世に生まれし異物②)
目の前に立つ異物の正体が何なのか。何を以てこの怪物が生まれ落ちたのか。雪姫には分からない。ただ分かっていることはこの女神の方針に人類の救済はないということ。女神アスタリアの行動原理にあったものとは真逆のものを、この女神は掲げている。
「どう、して……、人類の、破滅を望む……」
苦し気に喘ぎながら雪姫は殺される前に疑問を紡ぎ出した。
「人類が要らないものだと判断する害虫と同じように、私は人類を害獣と見なしている。それもこれもすべては女神アスタリアの救済を無下にした貴様が悪いのだ。アスタリアは誰よりも人間の醜さを理解している。醜さこそが人類の価値だと知っている。人類の行動が他の生物や生態系全体にとって益よりも害の方が大きいのは自明であろう? 貴様の方針も人類が破滅の道に向かうのであれば、それが人類の運命だと最終的には放任する上で人類が自分たちの力のみで恒久的な平和を実現できると信じた。だが、人類にその能力はない。この世界は罪と罰で成り立っている。人類種全体の罪は暴虐だ。人類は破壊でしか物事を平等化できない救いようのない生き物だ。彼らは戦争と革命なしに平等化を実現できない。無駄に努力し、無駄に争い、無駄に欲深く、何もかも欲しがりながら何にも値せず、愚かな罪だけを残して死んでいく。存在自体が害であるならば産まれてくることが罪であり、産まれてこないことが人類にとってもこの星にとっても善だということだ」
世界を存続させたいなら人間は害でしかない。この世界が無事であるならば人間の世などどうでもいいという結論を孕むソレは、地球上の人間すべての存在を否定する星側の存在であった。人間を触媒とし、人間の胎内から産まれておきながら人間の存在を否定する黒の女神は、矛盾した存在ではあるが、人間の醜さを理解しているアスタリアの意識とこれまで母胎の養分として使われてきた人間の醜い魂の凝集体の結びつきによって生まれた経緯を鑑みれば、その誕生は必然だったのか。
無論、産まれるべくして産まれた女神は人類が仕出かした罪に対する罰を宣言する。
「故に人類の罰はこの世界から消えてもらうことだ。これから私が行うのはその罪の裁きの結果としての死に過ぎない。その証明として貴様の瞳から零れ出た魔力の粒子を授かった人間はどれもろくでもない者ばかりだった」
忌々しげに語る女神に雪姫はまるで人類代表のように人間の存続を望んだ。そこにいるのはもはや戦乙女ではなくただ人類の平和を望む一人の少女であった。
「違います。それは私のせいであって、彼ら人間が悪いのではありません。魔力をこの世から無くせばきっと、人類はきっと平和を築けるはずな――」
「それは思い上がりというものだ」女神はその妄言の一切を否定するように掃射した。
シュパッと弓から放たれた一矢のように太極図の剱が雪姫の腹部を射貫いた。射出の勢いそのままに柱に打ちのめされた雪姫の腹部は陥没し、急上昇していた次元が今度は降下させられていく。自身の胸を貫通している太極図の剱は白から黒に反転し、その刃に埋め込まれた太極の紋様である陽が陰に塗り替えられたことを示していた。
ヒュー、ヒューと掠れた呼吸をする。口も満足に動かせないくらい雪姫の肉体はそのほとんどが機能していない。
魔力残量はあの時に尽きていて、傷は治らない。隠匿していた宝珠もいつの間にか綺麗に抜き取られている。
次元階級が一つずつ下がっていく度、脳回路は正常に戻っていくが、三次元から二次元に成り下がった時、急激に意識が下がっていくのを感じた。
「自覚している通り、罪を犯した戦乙女にはそれ相応の罰が必要だ」
くり抜かれた左眼も斬り裂かれた肩口も貫かれた胸の痛みもないくらい、憔悴しきっていた。それもそうか、と他人事のように雪姫は思った。命が消えていくんだと。
「君が人類を過大評価するのはそれほど人類に思い入れがあり、人類に肩入れするのは貴様が依り代にした少女がそれを望んでいるからだろう。その少女も少なからず君の影響を受けているはずだ。相互に補完し合うとは、二人揃ってどうしようもない愚か者だ」
睥睨する女神が何を言っているのか分からないが、断罪の罵詈雑言を浴びせられているのは分かる。
朧げな視界。薄れていく意識。右眼の淵に溜まった涙と摘出された左眼の跡に溜まった血が滝のように頬を流れ落ちる中、目前の闇に立つ女神の手には雪姫の宝珠が二つ握られていた。雪姫の分と巫琥珀の分。その二つの宝珠をガラクタのように地に捨てた女神は話を再開させる。
「そもそもこの世からすべての魔力を消し去ったところで世界が元に戻ることはない。とりわけヨハン・ココナッタが置き土産としてこの世界に残していった不完全な規定がそうだ。この規定は未来永劫彼女が死んでなお残り続けている。世界がそれを受理してしまったからだ。自害と他殺を禁忌として定め、前世でその罪を犯した者の魂を来世で生まれる新たな命に回帰させ、罰として人として致命的な欠陥を背負わせるという歪な原則だ。その原則がこの世界に確立されて千年近くが経つ。もはやこの世界には何かが致命的に欠けている欠落者でごった返している。このまま人類を生かしておいて何になるというか? 生かしておいても災いを生み出すだけだろう。苦心惨憺の末、破滅していく人類がこの星を破滅させるならば、それを阻止するのはこの世の管理者として道理なことではないか?」
「――……」
その問いに雪姫は答えない。彼女の生命活動は既に停止していた。仮にその問いに対する回答があろうが結末は決まっている。彼女を止められる者は誰もいない。この世界そのものと言っても過言ではない彼女がそうと決めたらそうであるように。
黒の女神が瞼を開閉し、告げる。
「Diaspora(離散)――」壊滅的な事象に伴い、殺戮対象を限定させる戒律言語。その対象を人類にした上で、「Es gibt eine Welt, die jenseits des menschlichen Verständnisses, jenseits der Vorstellungskraft liegt, eine Dimension, in der alle Möglichkeiten zugelassen sind:zehn Dimensionen(そこは人智を超え、想像を超えた、あらゆる可能性が許される次元の世界:十の次元)」
観測できない異次元で作り出す立証されない仮想平面世界が現実世界の表層に覆い被さる。それはやがて六十億人に及ぶ人間を手っ取り早く一まとめにするバルーンのような球体に変化するものである。この星に暮らす人類を確実に捕獲する巨大なバルーンは魔力を持たない凡人には認識できない。狭まる。狭まる。狭まる。夜に沈む地と共に眠りに落ちている人類には何が起きているのか分からぬまま、風船の空気が抜けていくようにバルーン状の空間は徐々に萎んでいく。その現象は第三惑星の最北と最南、最高点と最低点である地点から始まり、やがては人工物を巻き込みながらすべての人間が収集される運びとなる。
六十億人に近い人類が一つに凝縮されれば、大抵の人間は圧死するだろうが、人間という種を完全に葬り去るための準備を女神は抜かりなく行った。
「これにて終焉の時だ」
人類を一気に淘汰させるために女神は腕を伸ばした。その指先に様々な色の光が集められていく。その色は虹と同じ朱・橙・黄・翠・蒼・藍・紫の計七色。つまるところ、三次元よりも上の次元である四・五・六・七・八・九・十の次元を色覚できる女神にしか見えない光景であり、――四の次元はアストラル・ライト。五の次元はライト・ワンネス。六の次元はシンボル・アーキタイプ。七の次元はヴォルテックス。八の次元はグループソウル。九の次元はマルチバース。十の次元はマイティ・エントロピー。これら異なる次元という架空の運動を魔力に変換したことで、虹色の渦巻く弦のようなエネルギーは交わり暗黒となり、理解不能な円状の多様体という熱量となって、女神の指先に集光する。異なる次元を一つにまとめて撃ち出す神の一撃を真っ向から止められる者はいようはずもない。神は神の本能の赴くままに、止められるとすればそれは神自身であり、その攻撃を止ませるには神の気を引くことぐらいだろう。
「――ほう。よく生きる」
冷徹無比の声で、けれど心の底から感心するように微笑を含ませた女神の口元。事実、七色の光によって照らされていた指先を女神は振り払った。並大抵のことでは気にも留めない女神の関心を引かせるような出来事があったのだ。




