インタールード⑧(魔の議事堂決戦 第二幕⑧)
半端者の神獣(真神)にとって人間の力は魔術に引けを取らないほど絶大だった。
シチュエーションはあの時とほとんど変わらない。
これは真神を仕留めた時の再現である。
山林襲撃時、真神に取り付いたスィーが自爆する寸前、彼女は結界の範囲を急速に縮小させ、対象を自分自身に制限させた。解析の目を用いなくとも爆発の影響がどれ程のものなのか、察したのだろう。まさしく、その兵器の破壊力たるや、太陽よりも熱い巨大な火の玉に山はバターのように溶け、その衝撃波は爆破した場所から円を描いて広がり、数秒後には街の人間は砂埃のように舞い散り、家屋はドミノで作られたかのように崩壊するはずだっただろう。のちにやり過ぎだと教祖様のお叱りを受けたのを覚えている。
その時に比べれば爆発の威力は最小限に抑えているが生命体を根絶やしにするには十分の殺傷能力である。獣の小僧だけを殺すために結界にも閉じ込めた。そして、結界の外には回帰体となる身体の一部分――あらかじめ切り離した洞様の毛細血管がある。
その血管が蒸発しきった灼熱の地面を水蛇のようにうねり動く。特殊な血管の復元能力によって赤い水蛇に吹き込まれた命が再生を開始する。
「だから、言っただろう。僕は死んでも生き返るって」
ものの五分で少年の形を取り戻したスィーは万全の態勢を整えた。核爆弾のエネルギーは通常の爆弾の数百万倍にも及ぶ。人類の文明、さらには地球上の生命そのものを破滅させる圧倒的な破壊力を前に少年の肉体は成すすべなく消滅したことだろう。かの真神もその攻撃に肉体の大半を欠損させた。
だが、スィーは見た。
五種の獣と人間が融合した奇怪な姿を。
「なにが、神獣殺しだ。それはお前の力じゃねえ、それはオレが大嫌いな人間が作り出したろくでもないものの力だ」
「なぜ、生きていられる? 神でもない人間如きの獣が」
「お前だって教祖の力と人間の力を掛け合わせただけの存在だ。お前自身の力じゃねえ」
「それは君もだろう。借り物の力をぶつけているだけだ」
「ああ、そうだ。この力を与えてくれたのも、その使い方を教えてくれたのも、大嫌いな人間だ。だが、真神(母さん)はオマエなんかとは違う。母さんはオマエよりも強い。オレを守った。森の生き物を守った。人間を守った。大好きなものはすべて守り抜いたんだ。何かを破壊するだけで何も守るものがないオレやオマエなんか比べ物にならないほど強いんだ。……だからオマエは弱い。人間の後ろ盾を失った今のオマエはすごく弱くて、オマエの代わりはいくらでもいる。生憎オレは母さんみたいに温厚じゃねえんだ。母さんが大好きなものを死ぬ気で守ったのなら、オレは大嫌いなものを徹底的に嬲り殺すだけだ」
栗鼠、虎、蠅、豚、鰐、そして人間。一連の時間帯で、すべてに化けた。ずっとカンチガイしていた。六種目の獣は人間だった。他者の犠牲がなければ生きていられないくせして、獣に分類されない方がオカシイ話だったのだ。
六種の獣の特性が異形の生物に呑み込まれて、一つの怪物に変貌していく。
そいつは、血走った眼と、黒く脂ぎった体毛と、はち切れそうな胴と、鋭い牙と爪がある怪物で、胸にはサメに似た頭部が、両肩の部分には二つに分裂した犬に酷似した隻眼の頭部が、憎しみに満ちた顔で鼻面に皺を寄せている。
先刻ご承知の通り、犬の頭部三つに蛇の尾が五つ、冥府の番犬と称される獰猛な異形の怪物――三頭猛戌の現界である。
異界の怪物の誕生によって忽ちその場の空間はその獣がいるとされる環境に侵食される。
コンクリートの床が別の風景に塗り潰されていく。
スィーは見上げた。
暗黒の大気から流れ込む薄汚れた大粒の雹と雪。大地に降り落ちるそれでいつしか大地は黒く淀み、悪臭立ち込める泥水に浸かったスィーは下から足を引っ張られる感覚に身動きが取れないでいた。
泥水に浸かった有象無象の亡者の上で、ケルベロスが立っている。
「冥界……さしずめ、地獄による次元空間か」
「ソウダ。ココは無間地獄の冥界。一次元の世界」
人間が生存している三次元を水に例えるなら、一次元は氷。次元が上がると分子の動きはより活発になり、その分自由になる。逆もまた然り、低次元になればなるほど自由は失われていく。
機械のように固定されてほとんど動けない世界。それが無間地獄の環境下であり、その中で自由を赦されるのは冥界を自分のテリトリーとする者だけである。
「ダンザイの時ダッ!」
三つの口をガッと開け、三つの喉から狼のような声で吠えたてる。
「可笑しいと思わないの? 罪を犯した者が罰を下すだなんてさ、人間がやることじゃん」
冷静沈着に言うスィーは最期まで平然としていて、瞬間、何が起きたか分からずにその上半身はケルベロスの爪によって真っ二つに切り裂かれた。
下半身は泥の地に固定されたまま、引き離された上半身だけが地面に転がり落ちる。口から血を零しながらスィーは異変を察知する。
「やっぱり、切断された部分が復元しないな。僕には魂なんてものは存在しないけど、死の概念が付与されている君の攻撃はすこぶる分が悪いようだ」
一次元の空間が元の世界に戻りつつある中、ピクリピクリと再起し始めた上半身が喋り出す。それを異界の怪物は躊躇なく踏み潰した。
ダメになった身体の上半分から命は下半分に転移する。その証拠に今度は下半身の膝頭から現れたヒトの口が喋り出した。
「いや、生きている者はみんなそうか、って僕という人間はとうの昔に死んでいるんだからその前例から外れるべきじゃないのかな。まあでも、この血管は僕のものじゃないし、血管によって生かされているのは僕だから関係な――」
その下半身もベスティーはズタズタに八つ裂きにする。
なおも、ミンチみたいに潰れた上半身の血肉から湧いた蛆虫のような血管が、細かく切り刻まれた下半身の肉片から飛び出した蚯蚓のような血管が、散らばった肉片を繋ぎ合わせて一つになろうとしていた。
「しつこくくどい。醜い奴ほどしぶとく生きやがるが、その状態になってもまだ生きようとする様は惨めでしかない」
「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」「うるさいな」
地を這う数えきれないほどの血管が口をそろえて発する不協和音。鳴りを潜めないその雑音を断ち切ったのはそれらを喰らう獣の咀嚼音だった。
「死んでも死にきれねえならオレがすべて喰ってやるよぅ。オマエはオレの腹の中で死と蘇生を繰り返すんだァ」
一つ残さず貪り食う獣の少年。獣化を解いた少年は手と口を血塗れにしながら啜るようにして最後の血管を喰い尽くした。




