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天命の巫女姫  作者: たけのこ
序章 昔日
24/285

0―24 断罪

「……っ、ぁ」


 廃墟の街にて苦痛に悶える声がする。


 湿った空気。


 真夜中の寒気さ。


 凍てつく雪原の感触。


 雪の上に倒れている少女は、肉食獣の餌食となった兎のように、半死半生の堺で彷徨っていた。


「か、はっ」


 臓物を傷つけられた白い少女は、赤い血を口から零す。


 熱い溶岩のような血が破れた内臓の膜から流れ出る。


 酷い眩暈と鮮烈な痛みが彼女の理性と個性を蕩けさせる。


 白と黒の戦闘衣装の耐久性は、あの武器の前では何の役にも立たず、紙切れ同然、布以下であった。


「……はぁ、はぁ」


 白い雪が沸騰した血液で濡れていく。


 少女のカタチは残っているものの、歪な凶器で裂かれた腹部からは夥しい量の血が流れていた。


 内は熱く、外は冷たく、血の熱さと雪の冷たさが相まって何だか心地よく――でも、それは心底からどろりと悍ましいものが溢れ出ていく嫌悪感の間違いだと少女は察した。


「ふ、ぐっ」


 歯を食いしばり、最低限度の魔力を捻り出した。裂かれた傷口に意識を向ける。壊れた臓物は後回しに開いた傷口が少しずつ修復されていく。


「はァ……」


 ゆらりと立ち上がった。


 痛みを堪えるように小さな胸を押さえて、廃れた屋敷の壁に手をつく。指に付着した自分の血を見て、ドクンと、朱の衝動に駆られていく。


 向こうからやってくるのは複数の足跡。


 自分をこうした奴らがやってくる。


 殺傷能力の高い凶器を手にしてやってくる。


 雪を踏むフカフカとした足跡がゆっくりと暗闇の奥から近づいてくる。


「……っ」


 口内に溜まった血液を呑み込み、深呼吸する。


 敗走なんて、これ以上無様な姿は晒せられないと、彼女は自身を奮い立たせた。


 窮地に追い込まれてもなお、彼女の心は屈してなどいなかった。


 死に対する恐怖心は一切なく、たとえ、ここが彼女の死地になろうとも、心はなぜか喜びしか知らない赤子のように希望で満ち溢れていた。


 けれど、本来であればこんな希望は醜悪でしかない。


 戦うことに喜びを感じるだなんて、最後の戦乙女テンシとして何てはしたない……。


 はァ、と白い息を吐く。


 神経が、


 細胞が、


 血を、


 血を、


 血を、欲している。


 はァ、と白い息を吐く。


「……まだ、まだです」


 何度も、何度も深呼吸を繰り返し、衝動を抑え込み、静かに相まみえた。


 ツーマンセルが彼らの基本形態であったが、襲撃した仲間が殺されたことで数を倍に増やしたのだろう。


 事実、薄闇から現れた刺客は五名。


 身なりは喪服のように黒く、三名の顔には鉄仮面。二名の顔にはフェイスヴェール。素顔も声音も正体不明な彼らは、意思疎通を失ったただ殺すために作られた処刑執行人のようである。


 とは言え、連帯を崩さず、隊列を組んで、指先の合図だけで陣形を形成する。


 その司令塔が中央に立つ黒衣を纏いし、フェイスヴェールを被った女性である。


 170センチと女性にしては背が高く、手足が長く……右手に持つモノは罪人の首を刎ねるためだけに作られた処刑器具。ギロチンのような斧をズルズル引きずって歩いてくる。


 その斧の刃には数えきれないほどの、歯、が苔のようにびっしりとこびり付いている。その歯は勿論、骸となった戦乙女の歯であり、裂いた少女の肉をくちゃくちゃと咀嚼しているあたり、巨大な斧には肉を喰う獰猛な口が何個も付いているようなものだ。


 そして。


 斧の女を中心に右には糸を扱う鉄仮面の少年と刀を持った鉄仮面の男。


 左には槍を扱う鉄仮面の男と刀を握ったフェイスヴェールの少女が一歩後ろを歩いている。


 白い少女は胸を押さえながら、破壊された刀を再度具現化させた。


 両者の間――距離にして10メートル。


 ピタリと最前列の女の足が止まった。


「白くて長い髪は、糸、に。綺麗な瞳は、宝石、に。歯は、アクセサリー、に。血管は、鞭、に。脊髄は、槍、に。その他、骨はすべて、刀、に。目玉を抉って、頭をかち割って、臓物を引っ張り出して、さあ、喝采をあげましょう」


 冷血さはなく、それは高揚したような、サディズムとして生きてきた女の言葉だった。


「……殺戮の魔女、武器にするのは最優先事項を終えてからだ」


 隣に立つ槍の男の声が暴走気味の司令塔に冷静さを吹き込んだ。


「あら、失敬。少し興奮してしまいまして。そうでした。そうでしたね。この世でたった一匹生存する戦乙女ですから、まずは丁重に細部まで触診して、それから腹を切り開いて、脳をかち割って、死なない程度に解剖を繰り返し、たっぷり体液を摘出した後、保存用と観賞用と実用用に身体の部位ごとホルマリン漬けにして、子どもだってちゃんと産めるようにありとあらゆる実験を施して、たっぷり調教してあげるから……待っててね」


 たらりと。黒のフェイスヴェール越しに、女は恍惚の涎を垂らしながら、妄想の悦に浸る。


「ローゼ……」


 呆れたように槍の男が女の名を口にした。


「……とまあ、それはわたくしの趣味なので、報酬は任務を全うしてから……即ち、その魔眼、宝珠諸共、私たちが貰い受けます」


 顎まで垂れた唾液を袖で拭うと欲情は一瞬に冷めて、女は課された任務に意識を向けた。ヴェール越しでも伝わる、モノに対して異様に執着する視線。けれど脚を動かさず、手を静止させ、ただじっとこちらの様子を伺っている。それは先頭に立つ女だけでなく、後方の四人も同様微動だにしない。


 白い少女は凝視し続けるヒトの形をした五匹のハイエナに最大限の注意を向け、出方を窺った。


 空は黒く、


 地面は白く、


 振り付ける雪は雫に変わり、緊迫感と危機感が混じり合うこと、三十秒。


 彼女の内臓の傷が丁度癒えたその時――。


「傷が癒えたのなら結構。……できればこれ以上、戦いたくはないのですが――」


 開口。その言葉に少女は刀を構えた。


「いいですよ、魔力が底を尽きて手も足も出せない状態になるまで何度も何度も嬲りつけてあげますから」


 ぐあんと巨大な斧が白い大地に置かれ――それが再戦の嚆矢こうしとなった。


 女の左右の指が鳴る。


 右の指が鳴れば、刀を持った右の男が、左の指を鳴らせば刀を握った左の少女が、交互に交差し白い少女を追撃する。


 声掛けをせず息の合った連撃。


 しなやかに伸びる二つの刀剣。


 急所を避けつつ、傷を負わせる戦闘スタイルは、執拗に手足や腹部を狙ってくる。

 白い少女は二枚刃、異なる方向に振るわれる剣筋をあえて刀を使わず、俊敏な脚運びだけで躱していく。


 だが、決して余裕があってこの動作をしているわけではない。


 まだ他に敵がいる中、二人相手に刀を打ち合っていれば、すぐさまこの戦いに終止符が打たれるのは明白であり、既に少女の背後には音もなく槍を持ち構えた男が立っていた。


「っ――」


 撃鉄が響く。

 鉄と鉄が火花をあげる。

 穿つ穂先が刀と激突する。その束の間、がら空きになった背後に容赦なく刀の切っ先が振り落とされた。


「――っ!」


 二者が振るった刀は空を切った。


 繊細で生真面目。見透かすように少女の危機回避能力が作用した。


 少女は人間離れした動きで刀の斬撃を危なげなく回避する。肩に羽が生えたかのような身のこなしで、手に届きそうで届かないような距離感で、斬撃と斬撃の隙間を掻い潜る。


 だが三者は瞬時に距離を取ろうとする少女を取り囲んだ。


 武器を操る者から逃れることは許されず、再び容赦ない攻撃が展開される。


 三方向からの一方的な攻撃。反撃の余地などあろうことか、嵐のような猛撃。なおも、少女は掠り傷をもらいながらも三者との攻防戦を繰り広げる。


 だが敵はまだ本領を発揮していなかった。魔術をこの眼で見ていない。それだけが彼女の脳裏にちらつき、それがやたらと気にかかる。それが見せてはならない隙だった。


「っぁ――」


 痛覚あるこの身体。

 さきにもらった傷の痛みを蒸し返すかのように右脇腹を貫かれた。

 辺りを一瞥する。攻撃を受けたのは三者からではない。まったく違う、外部からの攻撃。それは鋭く、細く、繊細で、素早く、言ってしまえばそれは長くて伸びる弾丸のようなもの――即ち、糸《髪》、だった。


 しかめた視線を敵後方に向けた。

 女の司令塔は、監視役。

 そして隣の少年は援護射撃。

 伸びた右腕の人差し指からは視認するのも難しい一本の糸《髪》が、だらんと垂れることなくピンと張り詰めていて、長く伸びた糸は少女の腹部を刺したまま、二十メートル先の壁に突き刺さっていた。


 一直線上の糸《髪》で繋がった少女は、苦痛に悶えながらも多方向に攻め続ける相手に対応するしかない。


 ぴしゃり。

 ぷしゃりと。


 身体をむやみに動かすことで体内に突き刺さった糸が内臓と擦れ、傷つき――。


「――ぐっ」


 さらにもう一本、左脇腹に硬く鋭利な糸《髪》がつぷりと突き刺さった。


 そしてここぞとばかりに三者三様の攻撃が畳みかけてくる。それでもなお、傷を負いながら少女は諦めない。


 明滅する意識を痛みで覚ます。

 枯渇していく魔力を温存するためあえて魔力消費を抑えて、とりあえず今はこの糸《髪》から脱却しなくてはならない。少女は思考する。


 それから――――ズドンッ。


 それは隕石でも落ちたかと思うくらいの衝撃で、それが少女の頭の上に落ちてくるだなんて誰も思いもしなかった。


 事実、少女の首は、勢いよく落下してきた鉄斧によって、斬り落とされた。


 いかに敏感な危機回避能力を持ち得ようとも動きを制限されてしまえば、発揮しようがない。即ち、糸《髪》で繋がった少女の身体は、女が得意とする断頭落としの餌食となった。


 大量の血が切断面から吹き溢れる。


 赤い水溜まりが形成される中、自分の身体があっけなく崩れ落ちる様を、もう片方から呆然と見つめる。


 容赦なく。

 あっけなく。

 切断された生首。

 白くて綺麗だと言われた身体が真っ赤に染まっていく。


 血、血、血、血、血血血。


 身体は血に溺れ、心は朱の衝動に駆られていく。


 その光景を頭だけになった少女は眺めていた。


 右の視界が血の涙で見えなくなる。


 彼と彼女と過ごした記憶が色褪せていく。


 顔が、声が、色が、分からなくなる。

 名前が、

 想いが、

 彼のくれた言葉が、消えていく。

 意識が遠ざかっていく。

 視界が朧げになっていく。

 瞳に光が失われていく。


「タケ、オミ……」


 断罪した女が確かな足取りを持って歩いてくる。


「貴方方がちまちましているからこうなるのよ。……スィ。もう良いわ」


 微かに聞こえる女の指示の下、貫かれた二本の糸が少女の身体からするりと抜かれていく。


 ドクンと。


 心臓が共鳴し、理性が狂乱し、タカが外れていく。


 朱の衝動に解き放たれるナニカ。


 本能的に深い破壊衝動。


 蕩けそうな三叉神経。


 女が膝を付き、少女の胸に耳を当てて、生を確認する。


「素晴らしいわ。やはり頭部を失ってもなお心臓の鼓動は健在と。……スィ、脳が再生されるまでに手足の拘束を」

「……」


 糸使いは無言で頷き、首なしになった身体の方へ歩いてくる。


槍碼そうまは向こうに飛んでいった頭を回収なさい。本命はあくまでそちらの方なのだから」

「承知した」


 槍を背中に背負った男がやってくる。頭を運びに、この眼を奪いに、やってくる。


 ――ぶち壊したれよ、この身もこの心も。


 誰かが言った。


 脳に直接、そんな煽情的な言葉を。


 その言葉に呼応し、急激に稼働する姿態。


 首なしになった身体が突拍子に動く。


 女の手を振りほどいて、手と足を使って、不格好な四足歩行で雪の上を這いつくばるように走る。


 頭もないのに、

 耳もないのに、

 鼻もないのに、

 眼もないのに、


 それは飛ばされた頭の位置を完全に把握していて、槍の男よりもさきに既に死んだ自身の頭から魔眼である左目を引き抜いた。


 蘇生ならぬ新生――。


 息を吹き返した少女は、見知らぬ誰かの忠告だけ、心の片隅に残していた。殺されると分かっていたからこそ、どう足掻いても見るも無残な行き先しか残っていないからこそ、痛みに堪えながら魔力を蓄え続けていた。


 結果、膨大な魔力が失われていく代わりに、瞬時に再生される頭蓋。敵の追撃を受ける間も無く、ものの二秒で完全に頭部を復元させた。


 それだけでなく、白と黒の戦闘衣装は、不完全ではあるものの鎧を纏った白の袴――戦闘武装に変貌する。


 それ即ち、白い少女の最盛期の姿である。


 それを見た司令塔の女性はあまりの興奮にフェイスヴェールを自ら取り払った。女の素顔に少女は右目を細める。それは何とも醜悪過ぎるほど美しく、白い少女の心に残ったのは殺意だけ。


 その宝石のように輝く瞳もまた、今は亡き戦乙女のものだったのだから――。


「フフフっ。これは壊しがいがありますわねっ!」


 女性は再度、ギロチンのような斧を肩に担ぎ、肉薄した。

 けれど、そんな女より精神的に狂い始めているのは紛れもなく少女自身であり、半狂乱の意識の中、右手に持った魔眼を、自身の左目にはめ込み、何が愉しくて微笑んだのか、口角が吊り上がっていくのが、頬の張り具合から分かった。


 跳ねるように疾走する女の表情が曇る。

 女が見たそれは常軌を逸した行為。

 根本的に狂った異常行動。

 こちらに向かっていた女性さえ足を止めるぐらいの奇怪さ。異様さ。驚愕さ。

 少女は刀を具現化させたと思いきや、そのまま勢いよく自身の小さな胸に突き刺した。


 自刃――それは明らかな自傷行為。


 だが痛みはなく、出血はなく、深く突き刺した刀は、胸の中心にある宝珠からわずかに逸れていた。


「■■――」


 聞き取れない言葉を発音し、反転し出す。


 自分の内に潜んでいるものを呼び起こすかのように、少女は勢いよく突き刺した刃を引き抜いた。


 その瞬間、朱が白を塗りつぶしていく。

 白いさらりとした髪は、煌めく朱へと豹変し、

 透き通った右の瞳は、朱い目をした兎のように、


 そして――、

 飛沫を上げることなく、心臓の血は刀に纏わりつき、刀身は彼女の血液で禍々しい朱となった。


 容赦のない眼が、悪を滅する揺るぎのないその眼が、迎え撃つ敵を認識する。


「血呪ノ虚血ちじゅのきょけつ


 そして、殺すための剣術が今、少女の口から発せられた。

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