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天命の巫女姫  作者: たけのこ
9章 白の覚醒
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9―17 魔の議事堂決戦①

 爆発による衝撃で没落した瓦礫から陽玄を守ったのは白く輝く、それは綺麗で圧巻な見惚れてしまうほどの四枚羽だった。

 白いスタンダードな袴を着込んだ琥珀の手から出現したのは白亜の城壁ではなく、純白色の戦乙女テンシの翼。上の二つの羽は瓦礫を跳ね返す盾となり、もう二つの後ろの羽は陽玄を抱擁するかのように優しく包み込んでいた。

 陽玄の安否を確認した琥珀が具現化を解いた。羽化から蛹に戻るかのように手の中に戦乙女の翼は仕舞われる。


「大丈夫なのか?」

「? 何が?」

「魔力の消費とか、相当なものなんじゃないのか?」

「大丈夫よ。今はセブンティーサーティーだから」


 埋もれた瓦礫は戦乙女の翼で押し退けられた。陽玄は上着の袖を使って雪姫を落とさないように自分の背中に縛りつける。琥珀は鉄の梯子を具現化させて、堆積した瓦礫から抜け出す経路を作った。陽玄は雪姫を抱えながら梯子を掴む。琥珀の手を借りて地上へと上がった。


『ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』


 瓦礫の山から地上へ戻ると、そこは地獄絵図だった。恐ろしい悲鳴と絶叫。至る所で驚愕と恐怖の混沌が犇めき合っていた。けれど、カレラ? は生きているのか、断末魔の悲鳴を響かせながらも、出鱈目に踊り狂うかのように壁やら地面に頭部を叩きつけて、藻掻くように絶叫している。


「な、にが、起きて……」


 目の前の残酷な光景に息をするのも忘れた。何が起きたのか分からず陽玄が唖然となっていると、「な、なんで、あり得ない。なんで、どうして、なんで……」隣に立つ琥珀はただ何度も『なんで』と繰り返し、阿鼻叫喚の地獄図を呆然と見つめていた。陽玄よりも錯乱しているのは一目瞭然で、陽玄が何度も琥珀の名を呼びかけても彼女の耳には届いていなかった。


「琥珀っ!」


 陽玄の声が琥珀の耳にやっと届くまでどれだけの間があっただろうか。陽玄の方を振り向いた琥珀の目は泳いでいて、動揺を隠そうとする余裕もないことからアレらが手に付けられないほど異質なものであることは直ぐに分かった。


「アレの正体を知っているのか?」

「あれは、惡の厄災の元凶とされている自然界の脅威……蠱毒。古代の生物兵器として恐れられてきた未知の蟲(病原体)だよ」


 

 時系列は陽玄が地上に戻る前に遡る。

 銀の胸部を貫いた宝石の剣は最下層である貯水槽の天井を突き破り、爆発によって崩落した国会議事堂中央塔の瓦礫をも押し退けた。

 入り組んだコンクリートの硬い瓦礫に打ち付けられた銀は見るも無残な姿になり、瓦礫と衝突を繰り返した身体は人間の原型をしてはいなかった。

 強引に開けた脱出口からローゼは軽やかに外界へ浮上する。


「はぁ、バリアは一体何をしているのかしら、ね」


 溜息を漏らしながらもにやりと青色の紅が塗られた唇が吊り上がる。爆発の影響か、国会議事堂に張られた結界は消滅し、周囲には既に百人以上の住民が事態の深刻さに気付き、群がっていた。それもそうだろう。ここは政治の中心地なのだから。

 自分の被害が及ばない場所で騒然となっている住民にローゼは近づいていく。


「皆さん、寄って集って虫ですね。……教祖様、よろしいですよね? 見られてしまった以上、隠滅するのが道理である。殺すための正当な理由はこれにて整いました。……それにしても難しいものですね、教祖様が作り出そうとしている理想の平和、というものは……、ええ、理想だからこそ叶え難く遠いものなのです。幾多の困難を乗り越え、掴み取るからこそ、理想の価値がより際立つ。ならば、大勢の人間が死んで勝ち取る平和の方が平和の価値は高くなるのではないですか?」


 血で濡れた前髪。血で汚れた白のドレス。カツカツと鳴るヒールの音。危ないからと離れてはいるが、一向にその場から立ち去ることなく騒めき合いながら群がる人間たちにローゼの魔の手が忍び寄る。

 掌に現れるは模様一つない装飾なき小さな漆黒の筥。だが筥の表面には幾重にも折り重なった鎖で厳重な処置が施されていた。


黒筥ブラックボックス――開錠」


 ローゼの声に呼応して編み込まれたチェーンが勢いよく外れ出した。


「おいあんた、大丈夫かっ! 身体中、血塗れじゃないか――って、え? あれ?」


 大勢の人間がいる中、一人の男がローゼの身を案じて駆け寄ってきた時、「ええ、大丈夫ですわよ?」ローゼは優しく微笑み返しながら無防備に晒された男の胸に黒の宝石筥をずぶりと押し込んだ。

 男は吐血する。ローゼは平然とした表情で男の胸に突っ込んだ腕を引っこ抜き、勢いよく蹴り飛ばした。


「さあ、後の祭りです。思う存分、侵略する時間ですわよっ!」


 悲劇は一瞬で起こった。地面に倒れ込んだまま動かなくなった男を心配して駆け寄ってくる数人が男に触れた瞬間、初めての感染体となった男の全身の毛穴から飛び出したソレらが数人の体内に入り込んだ。


「あ? ああ? ええええええ?」


 蠕虫のような形状をしたソレら。黒い筥に入っていたのは煌びやかな宝石ではなく、醜悪で不気味な一匹の虫だった。その虫の特徴を三つ挙げるなら、一つ目は蠕虫独特な粘液質の細長い形状をしていること、二つ目は発達した口回りには人間のような白い歯がびっしり生えていて、頭部と思われる場所には毒を注入する器官が生えていること、そして最後の三つ目がこの未知なる虫の最大の特徴であった。それは驚異的な増殖力である。一度、体内に入り込めば、内で分裂し、細胞を破壊し尽くすまで無限に増殖を繰り返す。一気に増殖するその繁殖スピードは一匹につき一秒間で999匹。これらを人間に置き換えた場合、身も心も完全に乗っ取られるのは時間の問題であり、人間の脳を収奪した蟲は効率的な増殖手段を学習して、人に人を喰わせるのだ。


「ぐちいやややyびゃああやうあbyばあはああいあいはああyか」


 言葉とも呼べない気味の悪い濁音が発せられて、見境なき共喰いが始まった。



 すり潰された顔の断面からうねうねとミミズのような蟲が飛び出して、陽玄は目を背ける。そんな醜態な姿に変わり果てた人間の口から大量の虫が溢れかえる。その蟲は人間のようにぎっしりと尖った歯と平らな歯を持ち合わせていて、逃げ惑う人間の身体に飛び移りヒルのようにへばりつくや否や、皮膚を嚙み千切り食い破り、体内へ次々と侵入していく。


「た、助けないと……」


 陽玄は琥珀が助けようと動く手を必死に制止した。


「駄目だ、あれをどうやって助けるっていうんだよっ」


 単体ではどうということはないだろう。だが、群れで動かれれば脅威になる。


「でもっ、まだ助けられる人がいる。助けを求めている。私が、助けないと――」

『あはは、はははははははははははははははははははっ!』


 周囲の悲鳴も絶叫もお構いなしに笑い声をあげる女が、瓦礫の上で足を組みながらこの惨劇を見下ろしていた。その女の背後に聳える水晶体のような柱を見て、陽玄は度肝を抜かれた。琥珀の腕を掴むのも忘れるくらいに。


 瓦礫の下――国会議事堂の地下深くから高々と突き上がっている一柱。タワーのように気高く伸び出た柱の先端に見覚えのあるヒトのようなものが串刺しになっている。人のようなもの。しなやかさのあった身体はりんご飴みたいに丸くなっている。けれど、特徴的な鈴色の髪が靡いて、そうだと確信した。だらだらと流れる女の血液が氷山のように白く透明な柱を赤く染め上げる。まるでかき氷にかけられたイチゴシロップのように。


 血に塗れたドレスを着た女。それは同時に銀を殺した奴がこの女であることを無意識に知らしめていた。


「おい、お前がやったのか?」


 腹の底から噴きこぼれる憤怒のままに陽玄は口を開いた。


「あら坊や、何をそんなに怒っているのかしら?」

「ローゼ・メアリー……」


 琥珀は憎たらし気にその女の名前を吐いた。


「知っているのか?」

「忘れもしない。戦乙女の首を切り落とした忌々しい女。どういうわけだか知らないけど、しぶとく生きやがって。殺してやる」

「人生、何をするにもしぶとさが肝心ですわよ? おかげで素敵な光景が見られて私、大満足ですわ。ほら、ご覧なさい。皆、良い声で鳴いているじゃないっ!」


 誰も望まない人間同士の共喰いが地上で展開される中、ローゼは積み重なった瓦礫の上で高みの見物をする。自分は殺されるはずもないという安全圏で。


「ふざけないで……。この光景の何処に素敵だと思える要素があるっていうの? とうてい理解できない最低最悪の感性だ。あんたの心はこの世に生きる誰よりも劣悪で醜いっ!」


 静かに沸々と、これまでに見たことのない怒りの表情で琥珀は軽蔑の言葉を送った。


「ふふ、この程度の自然淘汰で死ぬくらいの人間に救う価値はあるのかしら? 私からすればあなたの価値基準こそよく分からないわ。生きるということは自身の幸を満たすこと。その実現のためなら他者の幸を踏みにじる。生きるってそういうことではなくて? それとも何でしょう、あなたは自分よりも劣る他者を救うことで、幸せを感じる特異な存在なのかしら? ならば急いで助けてあげないと、あなたの幸せ、取りこぼしちゃうわよ?」

「話にならない。助けるのに他人かどうかなんて関係ないっ」


 そう言って、助けに出る琥珀だったが、その手を陽玄が再度食い止める。


「離してっ!」

「ふふ、坊やは蟲の餌食になる住民よりも彼女が大切なのね。坊やにとって彼女はもはや他人として見ることができない特別な存在。ねえ坊や、本当は他の人間がどうなろうとどうでもいいのでしょう?」

「黙れ、分かったような口を叩くな。僕は……」


 陽玄は琥珀の手を離さない。その間に、被害は尋常ではない速さで進行する。地面はうじゃうじゃと蠢く蟲で覆い尽くされ、街を呑み込むかの勢いで被害が拡大されていく。人間は死に体となって、人間の脳は蟲の脳に成り果てた。


「あらあら、早く助けないから新たな被害者がうまれているわよ? あははっ、折角駆けつけてきたのに速攻で蟲の餌食になったわ」

「ヨーゲン君っ、いいからこの手を離してっ! 早くしないと手遅れになるっ!」

「駄目だって言ってるだろっ。まだ周りが見えていないのか? 辺り一面蟲の海なんだぞ、巻き添えを食らうだけだ」

「じゃあ何? 私に見捨てろって言うの? 何もせずに蟲の餌食になる瞬間をこのまま見ていろって言うの?」

「ああ、そうだよっ。何か策があるならいい。けど何もないのに突っ込めばどうなるか、考えてみれば分かることだろっ」

「その時はその時、今は考える時間もないっ!」

「どうして分からないんだよっ。危険だと分かり切っていることなのに、自分を犠牲にして身を滅ぼすのは愚の骨頂だ」

「何で、何でそんな酷いこと言うの?」

「琥珀のことが好きだからだよ!」


 陽玄はさらにもう片方の琥珀の腕を掴んで向き合った。


「君は春の日だまりのような優しさを持っている。けど僕は違う。川で溺れている人間がいても、救助道具は持っていくけど、自分の身が危ないと持ったら飛び込んで助けようとはしない」

「はっきり言えばいいじゃない。坊やはそこらの他人よりも自分を選んでほしいのよね?」ローゼが愉しそうに口を挟む。

「ほんとうるさいなお前……、あとで殺してやるからしゃしゃり出るなよ」


 陽玄はローゼに無慈悲な殺意を向ける。


「あははははっ」それにケラケラとローゼは嘲笑して刹那、顔からその微笑は消え去った。

「空々しい虚勢だこと、殺せるものなら殺してみろよ」


 そのローゼの言葉はもう陽玄の耳には入っていなかった。すでに陽玄は琥珀の顔を見つめながら啖呵を切っていた。


「でも僕は君のためだったら全てを犠牲にできるくらいの覚悟と勇気が湧いてくるんだ。だから、君の望みは僕が叶える。僕の望みは君が生きていることだ」

「かははははははっ、健気な坊や。誰も助けられずに殺される運命だってわかり切っていることなのに」


『ふん、その傲慢不遜が綻びを生ませるんだ、メアリー』


 ローゼの真上。男の厳かな低い声が投げかけられた直後、隕石のような鉄槌がローゼに直撃した。宝石で肉体を硬化させる間もなく、混沌渦巻く大地へとローゼは叩きのめされた。


「心底、どうしようもない性根だ。彼らと同じ痛みを知ってもなお、笑っていられるか?」


 瓦礫の粉塵が舞う中、容貌魁偉な男が姿を現した。

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