インタールード⑨(女帝降臨)
陽毬の銃撃は確実に命中していた。
だがローゼの皮膚は異様なほど硬かった。着弾した額から流れ落ちる血液は一滴もあらず、ただひびの入った薄氷のように額の表面が割れて星屑のようにきらきらと輝きを帯びていた。
「無駄ですわ、スナイパー。私にはありとあらゆる宝石が身体中に埋め込まれている。金剛砂の存在を知らなくて?」
「金剛砂、お前まさか、神器を受肉させて生き永らえているのか」
「その通りですけど何か。戦乙女が不老でいられるのは体内に埋め込まれている宝珠のおかげ。なら同じようにすり潰した戦乙女の遺骨を十個、百個とかき集めて埋め込んでしまえば、形は歪であろうと同じようになるくてよ」
ローゼは首だけになった嬉嬉とその首を交互にまじまじと見つめ繰り返し……、次の瞬間、首なしの頭を持ち上げ、自身の顔を近づかせた。
「そんなことより何ですかこの顔は……あはっ! キキちゃんの顔、苦しそうに死んでいった顔っ、良い死に顔っ! 良い、良い、良いですわっ! 眼がないっ、眼が潰されていて、綺麗だった眼が真っ黒ですわ~っ!」
そう発狂しながら穴が開いた両の眼中に両の親指を突っ込み、「あ、ああ、あああっ! 割れちゃうっ、割れちゃうわ~っ!」愉しく叫びながらココナッツを割るかのように未発達の頭部を引き破った。
割った頭から飛び散る血の粒は破裂したスイカのよう。血漿が勢いよくローゼの顔に噴きかかり、顔から顎先へ滴り落ちる血が白のドレスをなまめかしく汚す。
「お前……、実の娘ではなかろうと大事にしていたんじゃないのか」
「大事? 大事なのはどう考えたって自分自身ではなくて? 私は世界の中心で、他人は私の心を満たすためのもの。実の子であろうとそれは変わらなくてよ。産む側の一方的な願いを満たすために産まれてくるのが、小さな命、なのですから」
「……。ああ、そうだった。確かにそうだったな。お前と私は似ていたんだ」
愛されたことのない人間、愛を知らない人間。
『雄臣の骨髄を移植する前は』
骨髄から流れる血液と共に雄臣の思想が陽毬の脳内に駆け巡る。
彼は決して自分のために魔法を使うことはしなかった。妹のためにが前提でありながら、他者を主軸に置いた行動指針であった。天恵魔法による力を付与させるだけなら誰でもよかったはずだが、彼は選別に拘った。結果、魔法を付与させた人間は自身の力ではどうすることもできない問題を抱えていた者ばかりだった。
要するに根底にあったのは利他主義だったのだ。
魔法使いになろうと、どれほど長い年月を生きようとも消えずに残っていた母親の情景があった。
『あら、雄臣も起きちゃったのね』
『うん。美楚乃が元気いっぱいに泣くから』
『ごめんね。寝かしつけてもベッドに戻すとまた泣いちゃって、困った困っただよ』
ギャーギャーと理由も分からず泣き続ける美楚乃をおんぶしながらあやす母親を見て少年は問いかける。
『お母さんはどうして僕と美楚乃を産もうと思ったの?』
『うーん、一緒に幸せを分かち合いたいからかな。一緒におしゃべりして遊んだりして笑っていてくれればそれだけでお母さんは幸せなんだよ』
『でも毎日、つらくならないの?』
『そうだね、泣き止まない時はつらいけど、手がかかる赤ちゃんの頃は今しかないから。赤ちゃんの成長は早いんだよぅ~? 雄臣だってもうとっくに抱っこ卒業したでしょ? 言葉を覚えて、一人で立つようになって、ご飯もお風呂も寝るのも一人でできるようになって、何かができるようになる度にお母さんは幸せを感じるの』
『ふーん』
『雄臣は幸せになりたい?』
『そりゃあもちろん、なれるならなりたいね』
『じゃあこれだけは覚えておいてね。幸せになりたいっていうのは自分以外の誰かに何かをしてあげたいの裏返しなの。幸せは誰かがいないと手に入らないものだから誰かを思う心を忘れないようにね』
「私と似ている。そうかしら? 私は誰よりも強い私以外、認めない」
それが孤高なる女帝の発言であった。
地面が大きく振動し出す。
数多の柱が小刻みに揺れ、天井の一部が崩落し始めた。
「あらあら、人には言っておきながら教祖様も荒々しいことをしますわね」
「何が起きてる」
「ふふ、悪いことをした子が逃げないように?」
「そうか……なら殺されるのは悪いことをした奴だな」
「?」
自覚なしの殺戮者。その隙をつくかのように陽毬の左目が爛然と輝いた。
「っ――――」
ローゼが苦悶の吐息を漏らす。煽動の魔眼が行動の停止を起こすよう誘導させる。潜在意識に停止を刷り込まれたローゼの思考回路は停止へと直結し、指先一つも動かせない。動かさない。さらにその暗示は強まり、行動の停止は生命活動の停止へ移行する。魔眼が、心臓の活動を止めるよう、ローゼに自決を言い渡す。――が、ローゼの口は軽やかに開いた。ローゼの行動を促していた魔眼の強制力はなぜか無力化されていた。
「窒息死だなんて、風情のない。言わなかったかしら? 私の身体には宝珠の欠片が宝石となって埋め込まれていると」
ローゼの双眸に一瞬だけ鮮やかな色彩が差す。
宝珠の欠片が埋め込まれているのは皮膚だけじゃなく、瞳も例外ではなかった。宝石の瞳が魔眼の効果を自動的に打ち消した。即ち、ローゼは自身の眼に宝珠の欠片を移植させることで、魔眼と同等の働きを持つ瞳を手に入れていた。
「贋作が」
不快だと、鬱屈の心情ごと捻りつぶすかのように陽毬は伸ばした右手を閉じ込めた。
ズドゥン。
見えないプレス機が駆動する。
目の前の景色に格納されたローゼは粉砕された。
無いはずの力を手にしているのは剣崎陽毬も同じであった。
閻椰雄臣の天恵魔法を継承した陽毬は彼がそうしたように空間魔術を自身に付与させていた。だが起動させた代償は大きかった。血液を担保できない半身から血液が湧き水のように飛び出していく。抑制剤の効力は左半身の損失と共に途切れていた。出血が激しい重症な身体で、そもそも大半の臓器を失っている惨憺たる状態で、慣れない魔法および魔術を使えば、どうなるか――。
だが、それも承知の上で、陽毬は握った拳を捏ねるように捻り上げた。重力のプレス。対象物を打ちぬいたなら、次は折り曲げ、絞り上げる。元に戻らないくらいに加工(破壊)する。
「がっ――」
激しい出血を口と鼻から吐いて、陽毬は膝から崩れ落ちた。もはや立つこともままならず、それが今の彼女が出せる全力だった。
魔力同士がバッティングして、虹のような干渉模様が宝石の壁に顕れる。
「あら、もうおしまい? 張り合いがないですわね」
ぜえぜえと肩で息をする陽毬をローゼは悦楽に浸るような表情で見下ろしていた。
無傷のローゼは全身を強固な宝石体で覆っていた。陽毬が振り絞って出した一連の攻撃は、宝石の表面を傷つけるに留まった。
「重力の負荷に、耐え抜く、硬度……、宝石の硬度を魔力で底上げしたか」
宝石体が割れて、その破片が砕け飛び散った。宝石の中から姿を現したローゼは動けずにいる陽毬を凝視する。
「天恵魔法はあなたに継承されましたか。あの男も哀れですわね。結局、妹さんは助けられずじまい、それで私に殺されずにこの女に殺される、閻椰を殺したっていうからさぞかし殺しがいがあると思って期待していたのに、つまらないわね」
陽毬は何も答えない。
殺されるのを待っているかのように俯いたまま動かない。
そこで、ローゼは奇妙な声を耳にした。
ローゼは眉を潜めて訝しむ。
ふふふ、くくく……。
陽毬が声を漏らしていた。
笑っているのだ。
「くふふ、あはははははは」
額に手をへばりつけ、顔を上げた陽毬は困ったように目尻を下げ、けらけらと笑う。笑い続ける。こちらの動揺を誘っているのか、とローゼは窮地に立たされてもなお余裕あり気に笑って見せる陽毬に微笑み返して、その瞬間、身を屈めたまま動けない陽毬の頭を宝石の鉄槌で殴りつけた。
地下の異界に響く女の嬌声はローゼだけ。何度も何度も床に血が飛び散る。かち割れば丸い頭蓋骨が見え、その骨も割り叩き、頭が頭だと認識できなくなるまで完膚なきまでに打ち殺した。
「はああああああああああああああああああああああああっ! 熱い、熱い、熱いわっ! そうよこの感じ、子宮が熱く疼くこの感じ、細胞が歓喜の悲鳴を上げている。狂おしいほど今私、愉しいわっ!」
殺しがいがないと言っておきながら、久しぶりに命を奪う感覚はやっぱり気持ちがいいものだと再認識。「もっとよ、もっとっ! もっと私を愉しませて頂戴っ!」骨の髄まで行き渡る感情のままに、ローゼは次なる殺害を求め、闊歩する。
殺戮女王の降臨であった。




