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天命の巫女姫  作者: たけのこ
序章 昔日
23/285

0―23 別れ

 夜が明け、辺りが白い光に色めき立つ。


 玉座の階段に座ったまま一夜を過ごした雄臣は、背後にいる二人を見つめた。雄臣の外套を毛布代わりに美楚乃と白雪は、玉座の上で肩を寄せ合いながら眠っている。


 起きたら事情を聞かせてもらうとして、白雪が起きるまでの間、周囲を少し散歩することにした。


 空は青く澄んでいて、吹いた風が気持ちのよい一日の始まりを表しているようだった。


 それから雪原のような白花の大地を一時間近く歩いて神殿に戻った。


「……」


 戻ると白雪は目を覚ましていた。彼女の膝の上ではあの時のように美楚乃が気持ちよさそうに熟睡している。


「おはよう、白雪。調子はどうだ?」

「……。雄臣、なぜ帰っていないのですか」

「あんな疲労困憊した状態で帰れるわけないだろ」

「……私はそんなにか弱く見えますか?」

「ああ。少なくとも昨夜見た君はどんな生き物よりも弱々しかった」


 その言葉は白雪にとって屈辱的なものなのかもしれないが、自分の身体のことを一番よく知っているのは本人だ。その実、彼女は反論してこなかった。


「けどいつもこんなわけじゃないだろ? 魔力が枯渇した原因は何なんだ?」

「損傷の治癒に伴う魔力消費です。今回出くわした相手は二人組。雰囲気からして両名とも今まで会った者たちとは系統が違い、奴らは魔法使いの枠組みには入らないと断定しました」

「……。魔法使いじゃないならそいつらは何なんだ?」

「魔法使いは自身で行使できる魔法を利用する者、一つの魔法を極め抜く専門家です。しかし、私が対峙した敵は魔法使いとは一線を画します。そいつらは武器を使います」

「武器?」

「はい。それもただの武器ではありません」


 白雪は憎悪と悲哀を表情に浮かばせながら話を続ける。


「奴ら――聖遺物使いの魔術師は戦乙女の亡骸を徹底的まで解体し、それらをアーティファクトとして武器に加工したのです」

「どうしてそんなこと……」

「全ては私を殺すために作られた兵器です。おかげで受けた傷はなかなか治らず、治すのに手間がかかりました。……戦乙女に戦乙女をぶつけてくるとは考えたものです」


 美楚乃の頭をさすりながら話す白雪の表情は、当たり前だが浮かない表情をしている。


「……。白雪を襲ってきた奴はどうなったんだ?」

「背後にいる仲間の存在や居場所を力づくで訊き出そうとしましたが、一切口を割ることなく結局は殺すに至りました」

「……そうか。その、魔術師ってのは武器を手にした魔法使いのことを言うのか?」

「いいえ。ロミリア・セレスティアがおっしゃっていた子孫継承の話を覚えていますか?」

「ああ。でもそれは可能性の話だろ。仮に受け継がれても受け継がれる度に力は弱化しそうなものじゃないか」

「確かにそうなれば本当に良いですが、そうもいかないことが今回の一件でよく分かりました。彼ら、子孫に力を託すという工程でそれを可能にさせたのです」

「工程……」

「考えたくもないですけど工程というのは交配です。つまり自我を持つ魔法使いが拉致した一般女性を監禁させ、何度も何度も身籠らせ、優れた配偶子が産まれるまで、それを繰り返したのです。まったく人間の知的好奇心には恐れ入ります」

「感服している場合じゃないだろ」

「いえ、感服するほど恐れ慄いているのです」

「……」


 分からない感情だ。嬉しそうな口調で、けれど肩は微かに震えているように雄臣の目には映った。それを悟られないようにか、白雪は話を続ける。


「先祖の魔法使いが所持する魔力、用いる魔法を受け継ぎ、自身で使えるように行使する者――これを魔術師と命名します。そして今回出くわした魔術師は戦乙女という神聖的な存在を武器として利用し襲撃してきました。整理すると、魔法使いは原初。所持する魔力や用いる魔法は多を寄せ付けないほど強大ではありますが、強大であるが故に力に溺れ、人の知性も理性もない不安定な存在がほとんどです。雄臣やロミリアのように例外は存在しますが……。一方、魔術師は継承者。魔法使いの力を受け継ぎ、使えるようにし行使する者。力に溺れることなく理性を持った人間であり、単独ではなく共同で動くあたり、秘密裏で魔術の研究が行われている。どこから漁ってきたかは知りませんが、戦乙女の人体を細かく部位ごとに分割させ、特別な武器として加工し、自らの魔術と掛け合わせて戦う。……厄介になる前に、この世からすべての魔力を消し去りたかったですが、こうなってしまった以上、致し方ありません」


 何かを決意した白雪は顔を上げ、雄臣と真正面に向かい合った。その右目はずっと雄臣の方を見ていて、一切目を逸らすことはない。


「タケオミに伝えなくてはならないことがあります」

「……なんだ? 僕にできることなら――」

「いいえ。それはもう良いです」

「――え」

「町の巡回はもうしなくてよいです。今日から貴方は私の従者ではなく普通の人間としてミソノと一緒に暮らしてください」

「どうしてそんないきなり」


 あまりに唐突すぎて頭がついていかない。


「私と行動を共にしている貴方も標的になるからです。それはミソノも例外ではないでしょう。ですからミソノを守るためにも傍から離れず一緒に仲良く元気に余生を過ごしてください」

「でも、街を脅かしている魔法使いはどうするんだ?」

「貴方も実感していると思いますが、昔に比べて力に溺れた魔法使い(隠修士)はほとんど見かけなくなってきています。それにより、微かですが各街に変化が起こりました。異なる町の住民同士が手を取り始めたのです。やがて彼らは未開拓の大地を切り開き、新たな世界を構築するでしょう。それは住民の心底に不安と恐怖が和らいでいる証です」

「それでもまだ」

「いいえ。無差別に住民を殺されるより、私を殺すという明確な目的を持って襲撃してくる方がよっぽど良いです」

「…………」

「なぜそんな神妙な面持ちをしているのですか? ミソノと一緒に暮らせる日を待ち焦がれていたのは貴方でしょう? それとも私の力量を信じていないと、私が殺されるとでも思っているのですか?」


 いや、そんなことは思っていない。思いたくもない。けれど自分を騙せるかと言われたら、無理な話だ。こんな人間もどきに心配されても癪だと思うけど心配なのは本当だ。だって住民の平和を守ってくれる奴は今目の前にいるけど、こいつにはいない。誰もいなくて当たり前なのかもしれないけど……気にかかることがある。その気にかかりが見過ごせるものであるのなら、納得できる、かもしれない。


「……なら僕の質問に答えてくれ」

「? 何でしょう」

「端的に言う。白雪は体内に貯蓄している魔力量が少ないのか、それとも回復するにも魔法を発動するにも魔力消費量が激しいのか?」


 自分の身体は精神的に疲れることはあっても、生理的消耗はほとんど感じなくなっている。けれど白雪は表面上に魔力枯渇という疲労が色濃く出ている気がしてならない。


「……それを聞いてどうするのですか?」

「いいから答えてくれ。答えないと納得できない」

「……」


 白雪は視線を美楚乃に逸らし、答えない。


「分かった。答えにくいなら質問を変える。僕の魔力量と白雪の魔力量、どちらが多い?」

「……」


 なおも白雪は返事一つしない。


「白雪、答えてくれ。答えない限り、ずっと居座り続けるぞ」


 白雪はこちらを一瞥した後、ゆっくり俯きか細い声で答えた。


「…………わ、私です」


 それが本当なら心配することはないだろう。けどそれが嘘だということはすぐに分かった。嘘を付いたことがないのだろう、白雪は嘘が下手過ぎる。言葉に覇気はないし、今だって視線は下を向いたままだし、そんなそわそわして、自分も騙せやしないのに、他人を騙せると思ったら大間違いだ。


「そんな見え透いた嘘を付いたって騙されてなんかやらないからな」

「……っ」


 白雪は一瞬ムッとした顔を見せたが、すぐに表情から反発心は消え去り、諦めの溜息を付いた。


「……タケオミには劣ります」


 分かっていたことだが、観念した白雪は本当のことを口にした。


「体内の魔力生成量からして燃費の悪い身体なんだな」

「……はい。刀を通して魔法使いから魔力を回収してはいるものの、回収量はごく少量です」

「それで白雪の実力に支障はないのか?」

「……いいえ。魔眼が開眼できないは疎か、戦闘装備である袴も具現化できず剣術すらろくに使えません。ですがそんなものを使わなくとも刀さえ具現化できれば十分戦うことはできますから、心配しなくても結構です」


 それを聞いて愕然とする。それはつまり実力の半分も引き出せていないということじゃないか。


「……白雪から魔力を奪っているのは僕じゃないのか……」 

「いいえ、それは違います。貴方だけは特別です。唯一私が罪を赦し、最大限の依怙贔屓で契約した最初で最後の人間です。それに対価は貰っています。貴方のおかげで死なずに済んだ人間がたくさんいます。見えないだけで見えないところで救われているのです。結果、住民は笑うことを。愉しいことを。繋がりを。発展を。悪を滅した先には人間の秩序と進歩と何より社会の安寧があります。……動乱の時代、つらいことの方が圧倒的に多かったですが、貴方と過ごした時間は私にとって掛けがえのないものでした。貴方と一緒に居られたこと、心の底から感謝の念に絶えません。アリガトウ、タケオミ」


 心臓がどくんと跳ね上がった。今までの人生の中で、いやこれから先も、これほどまでに貴重な体験はないだろう。微笑むことはあっても、しっかりと見ることはできなかった白雪の満面の笑みは、美しく、清々しく、そして胸の奥が熱くなるような、今まで目にしたものの中で一番尊いものだった。


「……」


 普段の無表情顔が笑うと、目元は垂れて口角は上がって、一瞬自分は何を危惧していたのかさえ忘れるくらいの破壊力で。でもそれはおそらく本当で、何の不安も心配もいらないから大丈夫だよ、という風に白雪は笑って見せた。


 けどそんなのは逆効果だ。そんな笑顔を見せられたら放っておけなくなる。


「――卑怯だ。白雪は怖くないのか。自分が殺されたらって、やられたら跡形もなく細かく解体されて武器にされるかもしれないんだぞ」

「なら何ですか。無様に逃げ回れとでも言うのですか?」

「……」

「戦場に気概のない心は不要だと初めに教えたはずです。戦うと決めたら最後、勝つことだけを考えます」


 だから殺される恐怖心はないと。


 確かに戦いにおいて勝つ意欲は誰もが持ち合わせているものだ。けれどそれは命を賭けた戦いじゃないからだ。どんなに取り繕っていても心の奥底には殺される恐怖心を宿すものだ。そうじゃないと死に急ぐだけだ。そういうところが酷く心配なのだ。


「嘘偽りなく私は答えました。ミソノがそろそろ起きそうなので話はこれくらいにして――」

「まだ、まだ聞きたいことがある。……白雪は愉しいとか幸せだとか感じたことはあるか? 常に一人、身を削りながら戦って、けれど助けても誰にも感謝されずに、それでも戦い抜いて……何か見返りがないとやっていけないだろ?」

「見返りならあります。住民が平和に暮らしていれば、元気そうに生きていれば、幸せそうに笑っていれば、それだけで私は幸せです。愉しいと思えたこともあります。貴方たち兄妹と一緒に過ごせたことです。……それとタケオミが言ったことには語弊があります。確かに私は生まれてこの方、数千年独り、生き永らえ戦ってきましたが、今は違います。タケオミがこうして話を聞いてくれて、私のことを気にかけてくれます。尚又、誰にも感謝されたことはないと言いましたが、タケオミは私に面と向かってアリガトウと言ってくれました。だから良いのです」

「……」


 雄臣は何とも言えない感情をどこにもぶつけられず、掌を握りしめた。そんなものは見返りなんかじゃない。数千年だなんて今初めて聞いて驚くことを通り越して絶句している。なら尚更、気が遠くなるほどの時間、人間のために戦い尽くしてくれたのなら、誰よりも幸せにならなくちゃならない。全く釣り合っていない。それどころか他者の喜びだけで十分だなんて、そんなの……あまりにも利他的過ぎて理解できない。


「タケオミ」


 差し出されたのは白くて滑らかな細い腕。これがありがとうとさよならの握手であることぐらいすぐに分かった。


「……っ」


 もう何を言っても白雪には通用しないと分かってしまった。だから、その揺るぎない本人の思いを尊重する他なかった。


「……分かったよ」


 指の一本一本を確かめるように握った。小さくて柔らかな指。その手の感触を自身の手に刻みながら握り続ける。


 離すタイミングも分からずただ繋がっていたくて、この関係をなぜか続けていたくて、ただの協力関係ではなく普通の親しい友人関係として接してみたくて、あの笑った顔をもう一度見たくなっていて、ずっと握り続けていると、振り解かれた。


「……握り過ぎです」

「……ごめん」

「ミソノが起きた時がお別れです。……ですが、記憶としては繋がっています。本当であれば、貴方たちの脳内にある私の記憶は跡形もなく消し去るのが無難ですが……こんな感情は初めてです。私のこと、覚えておいてほしいだなんて。些か、人間と関わり過ぎましたね」

「……誰だって思うことだよ、そんなことは。だって自分以外自分のことを知らないだなんてそんな寂しいことはないんだから。僕は知っている。白雪の声も、色も、形も、匂いも、もちろん人間のために頑張ってきたことも。ずっと忘れないから」


 白雪は微かに視線を逸らして、言いにくそうに尋ねた。


「……タケオミは、私といて愉しかったですか?」

「ああ、非現実的なことばっかだったけど、白雪といると飽きない、すごく愉しかったよ」


 痛みを知らない赤子のように白雪は穏やかに微笑んだ。


 と、膝の上で眠っていた美楚乃が身動ぎする。そろそろお目覚めの様子だ。その前に一つだけ知りたいことが雄臣の中にはまだあった。


「最後に一つだけ。白雪の本当の名前を教えて欲しい」

「……特別、ですよ」


 少しの空白があった後、あの時教えてくれなかった本当の名前を、白雪は仕方ないと答えてくれた。


「私の名はサミエルです」

「サミエル……」

「何でそんな名前なんだ?」

「……名前の由来は知りません。ただ名付け親である女神アステリアの一方的な希望と願望を押し付けられた私は少しばかり朱いのです」


 自分そのものを皮肉するみたいに朱いと形容した白雪の心情は計りかねるが、白雪のこと最後に少し知れた気がした。



 美楚乃が目を覚ました後は別れのことなど関係無しに愉しんだ。


 夜に食べるはずだった美楚乃特製のお弁当を食べる白雪は美味しそうに、白雪のために作った花冠を美楚乃が渡すと嬉しそうに受け取り、頭に乗せた。


 それから愉しく和気あいあいとお喋りした後、別れの時間になった。


「また会える?」


 美楚乃は別れ際、再会を尋ねた。それに白雪は迷うことなく頭を横に振った。


「え、もう会えないの?」


 それを聞いて分かりやすく美楚乃は落ち込んだ。


「はい。これでお別れです。これからはタケオミと一緒です」

「……嬉しいけど、どうして会えないの?」

「この街が平和になりつつあるからです。平和な街に私の存在価値はなく、私は遠い国で悪さをしている人間を倒すためにここを去ります」

「じゃあ、その国が平和になったらまた戻ってくる?」

「いいえ。そうなったとき、私は役目を終えて深い眠りにつきます」

「眠るの?」

「はい。かき集めたものをもう手放したくありませんから」


 白雪は穏やかな表情でそう言った。


 美楚乃は首を傾げるが、雄臣は何となくその言葉の意味が分かった。諸悪の根源であり、未知なる力の源泉である魔力を回収した後、白雪は命を絶つのだろう。悪にも善にもなるのなら、そんなものは無い方がいいと、それが一番善い選択だと孤高にして至高な彼女はそう結論付ける。


 美楚乃は悲しそうに納得はしていないだろうけど、雄臣ももちろん心から納得できてはいないけど、彼女には彼女の生き方がある。それを否定するのなら、彼女の進む道が少しでも穏やかであることをただ祈るだけだ。


「美楚乃、帰ろうか」

「……」


 沈黙する美楚乃の頭を白雪が触れる。


「……離れ離れになってもずっと友達だからね」

「はい。私も貴方のお友達になれて嬉しかったです。サヨナラ、ミソノ」

「うん、ばいばい」


 美楚乃に涙はなく最後まで笑顔だった。


 雄臣は白雪に一礼し、美楚乃の手を取る。


 朝の光の中へ歩き出す。


 白雪が暮らす天界殿を後にする。


 白い花道を歩く。


 空想世界と現実世界の境界線である橋を渡る。


 渡り終えれば夢の世界はもう終わり。あるのは不完全で不安定な現実世界。


 振り向いた時にはもう遅く、目の前に広がる幻想的で美しかった光景は、鬱蒼とした緑の森に書き換えられていて、あれが雄臣の目に映る白雪との最後の記憶になった。

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