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天命の巫女姫  作者: たけのこ
9章 白の覚醒
222/285

モノローグ(双子の姉妹)

 小鍼銀こばりしろがねとして思い起こされるのはあの頃の日常――。


 朗らかな晴れの下、お姉さまの後を追いかける。


「待てっ! お姉さまっ!」

「銀。ここまでおいで。つかまえてみろ~、あははは」


 静かで長閑な庭の中でかけっこをする。じゃんけんで負けた私はお姉さまを必死に追いかけるが、お姉さまは私よりも足が速くて、捕まえたと思っても軽やかな身のこなしで簡単にあしらわれてしまう。

 そのうち、だんだん疲れてきて、息を吸うのも苦しくなるのに、お姉さまは疲れ知らずでどんどん遠くへ行ってしまう。

 だから私は懸命に腕を振って、お姉さまの背中を追う。

 自分と同じ背丈の背中。

 けれどどんどん小さく遠のいていく。

 このままじゃ、ずっと近づけないまま。そんな気がした。

 その時、何かが足にぶつかってつまずいた。

 お姉さまの背中しか見ていなかった私は足下にあった段差に気が付かなかった。

 膝を擦りむいて血が滲む。

 焼けるように痛い。

 痛くて泣きそうになる。


「銀っ!」


 膝を擦りむき呻いている私に、お姉さまはすぐさま駆け付けてくれた。


「まったく、おてんばなんだから。傷口にばい菌入るといけないから綺麗にして消毒しないといけないね」


 その言葉に痛みで滲ませていた涙も引いていく。


「え、い、いいよ。絆創膏だけで」

「駄目よ。消毒がしみるからって、汚いまま貼ったら大変なことになるんだよ」

「大変なこと?」

「そう。ばい菌の入った傷口がみるみるうちに膿んでいってぐじゅぐじゅになって、取り返しがつかないことになって、そしたら足を切り落とさないといけなくなっちゃうの」

「や、やだっ。そんなのやだ、やだよぅ」

「じゃあほら、お家に帰って消毒するよ」

「……うん」


 差し伸べられた手を掴んで立ち上がった。

 お姉さまはしっかり者で面倒見がいいから、屋敷に戻ると怪我した私の膝を手際よく丁寧に手当てしてくれた。おかげで思っていたよりも痛くなかった。少し泣いちゃったけど。


「ねえねえお姉さま、次はおはじきで遊ぼうよ」

「駄目よ。もうお稽古の時間なんだから。使用人に見られたらお母さまに言いつけられるよ」

「ちぇ、やだな。ずっと遊んでたいのに」


 小鍼家では良妻賢母の一環として掃除、洗濯、炊事を教わるのだが、中でも特に私が嫌いだったのは日課である針仕事だった。

 針と糸を使って布を縫い、着物を製作する裁縫は、手先が不器用な私には向いていなくて、何度も針が指先に刺さって、私の手は絆創膏だらけだ。

 それに比べて、お姉さまは手先も器用でてきぱきと作業をこなしていく。怪我するところなんて一度も見たことがない。


「……はあ、こんなのなんの役に立つの」


 愚痴を漏らす私の唇にお姉さまの人差し指が押し当てられた。


「しっー、誰かに聞かれたら叱られるよ。心では思っていてもいいけど、言葉にしてはいけないの」

「だって、つまんないんだもんっ!」

「こら、静かに」


 確かに縫い物や編み物、刺繍は何かの役に立つかもしれないけど、どうしてズタズタに裂かれて死んでいるねずみや猫を弔うために、傷口を縫わなきゃいけないんだろう。気持ち悪いし、血生臭い。

 お姉さまだって口に出さないだけで本当は疑問に思っているはずなのに……。

 こんなことをしているより、お姉さまとままごとやトランプ、おはじきで遊んでいる方がよっぽど楽しい。それとも、そう思っているのは私だけなのだろうか。


「じゃあお姉さまは? お姉さまは心の中ではどう思ってる? めんどくさいとか思ってる?」

「ふふ、思ってるよ。将来、役には立つかもだけど、銀と遊んでいる方が何百倍も楽しい」

「へへへ、えへへ」


 同じことを思っていてくれたことがすごい嬉しくて、何にも手がつかない。

 結局、針仕事に身が入らず、心の中で浮かれていた私は、一人残って一からやり直しをさせられた。夜なべ仕事である。終わった頃にはもう消灯の時間である二十一時は過ぎていた。


「もうこんな時間、お姉さまももう寝ちゃったかなぁ」


 長時間の正座で痺れた足を引きずりながら廊下を歩く。自分の部屋の前に戻ってきた時、隣の部屋のドアがそっと開いた。


「銀、お疲れ様」

「お姉さまっ!」

「しっー」


 お姉さまは自分の唇に人差し指を押し当てた後、手招きをする。


「え、なになにっ?」

「銀、一緒に眠る?」

「え、うんっうんっ眠るっ!」


 いつもなら私からだけど、お姉さまから誘ってくれたのがすごい嬉しくて疲れもどこかに吹き飛んだ。

 私はお姉さまの部屋に入るや否や布団の中に潜り込む。暖かくていい匂いがする。お姉さまの布団は大好き。お姉さまはもっと大好き。


「こら、銀。もう眠るんだから布団の中で暴れないの。眠れなくなるよ」

「えへへ」


 ぴょこんと布団から頭を出して一つの枕を半分個する。


「銀、指怪我しなかった?」

「うん、今日はしなかったよ」

「本当? 針の扱い方が上手になったんだね」

「そうかな」

「そうだよ。毎日やっているんだから上達するよ。花柄の刺繍だって上手にできていたじゃない」

「うん、まだまだ時間はかかるけどね」

「そのうち一分もかからないでできるようになるよ」


 向かい合いながら眠くなるまでこそこそお喋りする。何だか隠れて悪いことをしている気分になる。でもそれが好きで眠る時はほとんどお姉さまと一緒だった。


「銀、知ってる? 明日、お母さまが戻ってくるらしいよ」

「え、そうなの?」

「うん。だから明日は私たちの針のお手前をお母さまがご覧になるらしい。さっき使用人が電話で話してたのが聞こえた」

「そ、そうなんだ……」

「そんな心配しなくても大丈夫だよ」

「でも……わたし、お姉さまみたいにうまくできない」

「そんなことないよ」


 お姉さまはそう言うけど、どうして顔立ちも背丈も歳だって同じなのに、瓜二つの双子なのに、私はお姉さまのようにはなれないのだろう。私がお姉さまより先に生まれていたら、なにか変わっていたのだろうか。

 才に恵まれなかった自分にがっかりはするけど、才に恵まれたお姉さまを恨んだり、妬んだりはしなかった。だってお姉さまは私だけのお姉さまで、いつも傍にいてくれるし、とっても優しいから、湧いてくる感情は憧れや尊敬、感謝しかなかった。でもちょっぴり羨ましいところはある。


「黒髪いいなぁ、なんで私だけ髪の毛の色、変わっちゃったんだろう……」


 ほとんど同じ毛色だった髪や瞳も十歳になると、徐々にその色も変化し、色素が薄くなった私の髪や瞳は、純黒から銀のような青白色になった。

 それに比べてお姉さまの髪や瞳は、黒曜石のように不純物のない黒一色で、光沢のある艶々とした髪と虹彩がとても羨ましかった。


「でも私は銀の髪、好きよ。お月様みたいでとても綺麗だもの」


 私の髪をくしけずるお姉さまは、そんなことを言ってくれた。だからあんまり好きじゃなかったけど、少しだけ自分の髪色もいいかもと思えた。

 でもやっぱり本当はお姉さまのようになりたくて、丁寧な言葉遣いや立ち振る舞いも真似てみたけど難しい。性格が違うからどんなに真似をしたって、近づくことはできても本物にはなれない。


「銀、あなたはあなたよ。私の真似なんかしなくていいの。そんなことをしてたらあなたの素敵な部分がきっとなくなっちゃう。私はあなたのわんぱくで純粋なところ、欠けて欲しくないな。だからそのままでいてね」


 そう言ってくれるのはやっぱりお姉さまだけで、褒められるほど素敵なレディではないと思うけど、こんな私を好きでいてくれるのもお姉さまだけだ。

 そんなお姉さまが私は大好きで、そしてやっぱりお姉さまには敵わない。きっとこれからもこの関係は変わらず、ずっと仲良しのまま、大人になっても同じベッドで横になりながらお話できたら嬉しいなぁと思った。


 ――けど、そんな日が訪れることはなかった。


 どうしてだろう。

 どうして足元にも及ばない私がお姉さまと殺し合いをしなくちゃならないのだろう。

 目の前にいるのはお姉さま。目の前にあるのは二本の長針である凶器。

 お母さまを含め、内の者は双子である私たちを生まれた時から今まで大切に育ててきた。私がお姉さまであるかのように、お姉さまが私であるかのように、片方に愛情が偏らないよう、公平に育てた。その理由がようやくわかった。

 肝心なことは何も聞かされず、良妻賢母を口実に針の使い方を覚えさせ、十歳の冬、お母さまは八畳の和室に私たちを呼び寄せた。


「お母さま、これは一体どういうことですか?」


 立ち会いとして現れたお母さまに、お姉さまが深刻な表情で問い詰めた。


「鉄、銀……よく聞きなさい。今、貴方方に差し出した腕一つ分の針は、目の前の自分を殺すための武器です」


 お母さまの口から告げられた説明が、今何を言っているのか理解できず、頭が真っ白になった。


「理解できません。目の前にいるのは私の大切な妹です」

「いいえ、違います。自身を越える糧となるもう一人の自分です。この戦いに勝った者は小鍼家の当主として教会の魔術師になってもらいます」


 初めて聞いた言葉――魔術師。そんなお伽噺に出てくるような言葉を私は呆然と聞いていた。


「魔術師?」

「そうです。私も貴方方と同じ年に、もう一人の自分を殺して今に至ります。小鍼家では必ず双子の児女が生まれます。そして十年間なに不自由なく育てた双子のどちらか一人を魔術師にさせるべく、殺し合いをしてもらうのです」


 そう――今まで平等に教え込まれてきたものはすべて、この戦いに公平を期するためだったのだ。


「私は、そんな訳の分からない者にはなりたくありません。何より銀を殺すことなんてできませんっ」

「わ、私も、お姉さまと戦いたくない」


 お姉さまに続き、私も初めてお母さまに反抗した。


「そうですか。であれば二人仲良く死になさい」


 冷徹な口調に私は身体をびくつかせた。


「それが嫌ならもう一人の自分を殺しなさい。殺すまでここから出ることは一切許しません。万が一そのようなことがあれば、前述の通り、私が代わりに貴方方を殺します。話は以上です」


 お母さまは戸惑う私たちを前に、悠然と立ち上がった。


「貴方方どちらか一方がもう片方を殺し、この部屋から出てくることを切に願っています」


 最後にそう告げると、お母さまは襖を引いて部屋を出て行った。



 しんと静まり返った和室の中、お姉さまと私だけになった。昨晩ベッドの中で楽しくお喋りしていたはずなのに、突然突きつけられた残酷な仕来りに思考は回らず、正座したまま空白の間がしばらく続いた。


「銀、こっちおいで」

「……うん」


 しゅるると着物を畳に擦りながら、お姉さまの隣にピタリとくっついた。


「怖い?」

「うん、すごく怖い」


 こんな時でもお姉さまは、震えている私の手を握り、恐怖を和らげようとする。


「…………お姉さま、わたし……」


 既知の事実である以上、逃げれば内の者に捕らえられ、お母さまに殺される。でもお姉さまと殺し合うことなんてできない。殺したくもないし、死にたくもない。ううん、殺されるのはわたしの方だ。出来損ないのわたしがお姉さまに勝てるわけがない。でもそれが一番いいかもしれない。死にたくはないけど、お姉さまに殺されるならそれはそれでいい死に方なのかもしれない。


「安心して。私は銀を殺しも死なせもしないから。こんな可愛い妹を殺す姉がどこにいるっていうの」


 不安が顔に出ていたのか、私の心は完全に読み取られていた。


「でも、それじゃあ二人とも……」

「うん、だから簡単なこと。私が私を殺せば済む話ってこと」

「え――」


 お姉さまは決闘のために渡された針を手に持ち、自分の心臓に突きつけた。針を握る手が小刻みに震えている。


「だ、駄目っ、駄目だよっ! お姉さまっ‼」

「怖くなんかないの。心臓を一刺しすれば銀は助かるんだから」


 その先端が胸元へ押し当てられる。


「やだっ‼ やだやだっ、お姉さま! それならわたしも一緒に死ぬ! 一人になるのはいやだ。ずっと一緒、一緒がいいっ!」


 泣きながらお姉さまが握る針を必死に押しとどめて訴えかけた。


「私は、あなたに、生きていてほしい」

「それはわたしも同じだよっ。お姉さまが死ぬ必要なんてないっ」

「それでも……どうか、生きてほしいの」


 涙を堪えながら、お姉さまは私を説得する。


「どうして、どうしてわたしよりお姉さまが死ぬの⁉ お姉さまの方が優秀で、わたしよりも生きる価値があるのに!」

「ならなおさら生きる価値は銀にあるよ。銀が私をお姉さまって慕い、敵わないと自負するのなら、私は慕われた身として銀を生かす責務がある」

「じゃ、じゃあ、慕いませんっ」

「……あははは、そう来たか。でも構わないの。慕われなくても、私は銀のお姉ちゃんだから。双子であろうと銀のお姉さまだから。姉は妹を守らないといけないの」


 私の手を振り払うようにお姉さまの手に力がこもる。


「……やだ、よっ、そんなのってやだ、やだやだやだっ」


 止める方法がない。お姉さまは自分の手で自分の命を絶てるというのだ。


「う、うぅうううううううっ」


 口では一緒に死ぬって言っておきながら、そんなこと、わたしにはできない。死は怖い。けれどお姉さまといたい。でもお姉さまは私を生かすために命を絶とうとする。わたしはどうしたらいい。こうして泣き叫んで、思いとどまらせるくらいしかできない。

 喧嘩だって一度もしたことないのに一つの凶器を取り合って生き死にの押し問答を繰り返す。これが最初で最後の姉妹喧嘩なんて、そんなのは嫌だ。


 わたしの顔をしたお姉さま、わたしにはない強さを持ったもう一人のわたし。弱いわたし、弱いもう一人の自分を見たお姉さまは、今何を思っているんだろう。


「銀は弱くなんかないよっ。他人の死、自分の死、死の重みを感じて、怖いと感じるその心は清く正しいものだから。……いいんだよ、そのままで、そのままでいいの」

「お姉、さま?」

「……あはは、なんで泣いてるんだろ、私。うん、銀とさよならするのが寂しいんだ」


 その言葉に気を取られたわたしの隙をついてお姉さまは命を絶つための針を取り上げた。


「や、やだ、いかないで、置いていかないで」

「……大丈夫、銀ならきっと」

「いやっ、無理っ、一人はいや、お姉さまっ!」

「無理なんかじゃない。あなたの姉が、あなたであるわたしがそう信じているのだから」

「おねえ、さまっ!」

「頑張る銀、お姉ちゃんは大好きだよ」

「………………………」


 心臓を刺し貫いた長針を伝って、お姉さまの血が畳に滴り落ちた。

 お姉さまは静かに命を絶った。

 わたしはその姿を呆然と見つめる。

 慰めてくれるお姉さまはもういない。

 けれどお姉さまはわたしの中にいた。

 わたしがお姉さまになる。なればいい。

 弱いわたしである銀が死に、鉄がわたしの中で息を吹き返した時――。


 ふと我に返ると、私はお母さまを針で滅多刺しに殺していた。


「なんだ、初めから二人でこうしていれば良かったんじゃないか……」


 今思えば馬鹿らしく思えてくる。組織の魔術師家系で行われる現当主を後継者が殺す習わし。圧倒的な存在を殺すことで死に対する抵抗感をなくす通過儀礼。けれどわたしにとって圧倒的な存在はお姉さまで、お母さまは単に自分が死ぬのがいやだからという理由で私たち姉妹を殺し合わせた、腑抜け者だった。小鍼家は腑抜けた家系だった。


 あの時とは違う。

 二度も大切な家族を失いたくない。

 今度は私がお姉さまを救うんだ。


「お姉さま、待っていてください。今私が助け出しますから」

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