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天命の巫女姫  作者: たけのこ
9章 白の覚醒
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9―14 地下貯水槽

 住宅地の合間に作られた水路。どこにでもあるありふれた街の一角に、陽玄と銀はやってきた。


「国会議事堂から一番近いところにある橋の下……あの下水路に入っていくのか」

「あの女の言葉を信じるならそうですね。川は普通に流れていますけど、あの横穴からなら中に入れそうです」


 言葉には出さないが、流石に一瞬だけ身体が怯んだ。人目もあるが、本当にあんなところを通っていくのかと躊躇う自分がいた。だが、このまま怯んでいても何も始まらない。


「行こう」


 陽玄はフェンスを乗り越え、壁に作られた梯子を使って水路に下りた。陽玄に続いて銀も橋の上から水路まで下りて来る。


「思った以上に暗いな……」


 一寸先も見えない暗闇。昼過ぎだが、水路は太陽の日差しも届かない真っ暗な洞窟である。


「銀、何か明かりになるもの持ってたりする?」

「一応、ペンライトなら常備していますけど……」


 コートの内側から差し出してきたペンライトを陽玄は受け取る。明かりがあるだけありがたい。


「とりあえず前に進まないといけない。この明かりだけが頼りだけど、銀、大丈夫か?」


 明かりがあるのは良かったが、正直言って、あの廃病院よりもこっちの方が暗い。暗いのが苦手な銀にとってはきつい道のりになるだろう。


「だ、大丈夫ですよっ。任せてください」

「本当? 廃病院の時はすごい怖がっていたけど」

「あ、あれはちょっと心の準備ができていなかっただけで今回はまあ……」


 ぼそぼそと頼りなさげに話しているが、要するに今回は心構えができているらしい。


「なら今回は大丈夫そうだね」

「はいっ、そりゃあもうずかずか進んじゃってって感じですよっ」


 何だか投げやりな気もするが、堂々と胸を張っている銀を見て大丈夫だと認識した。まあ、苦手だろうが、無理だろうが、行かないという選択は銀の頭にはないのだろう。


「よし。僕が先に行くから銀は僕から離れないように後ろからついてきて」


 陽玄は気合いを入れて先の見えない暗闇に身を進ませた。ペンライトの明かりは思ったよりも弱かった。せいぜい自分の足元が見えるか程度で……と水路に足を踏み入れた直後、後ろから背中を引っ張られた。


「何かあったのか?」


 陽玄が振り返ると、すぐ近くに銀の顔があって驚く。危うく彼女の唇に触れるところだった。


「やぁ~あっ、離れないでっ」


 さっきの威勢はどこへやら。一瞬でノックアウトだった。


「やっぱり怖いんじゃないか。まったく変に見栄を張らなくてもいいのに」

「そう言うわけじゃないんですけど……そ、その、やっぱりあの時みたいに手を握っていて欲しいです。そうすれば大丈夫ですので、お願いします」

「初めからそう言ってくれればいいんだよ。強がったところで銀は感情が表情にも言動にも出やすいんだから」


 言って陽玄が手を差し出すと銀のしなやかな手が握って来る。


「……すみません。魔術師でありながら年上でもあるというのに、こんなにも情けなくて……。こんなへっぽこな所を琥珀さまやあなたの義姉に見られたら馬鹿にされますね」

「別に気にしなくていいよ。自然体が一番だと思う。肩書きがこうだからこうじゃないといけないなんてないし、年上だろうが年下だろうがこういうのは関係ないよ」

「……そうでしょうか」

「そうだって。それに僕もこういう暗い場所はあんまり得意じゃないから、うん、銀と手を握れて安心する」

「そ、そうですか……」

「うん、だから一緒に行こう」


 銀を連れて水路を進んでいく。足音は二人分、陽玄と銀だけ。後ろを歩く銀との距離が離れないようにできるだけゆっくりと進んでいく。

 近代化された下水路は以外と清潔だった。水路に落ちなければまず濡れることはない。整備された水路の左右には人間が歩けるだけの道が作られている。公共施設のものだからか、臭いもそこまで気にならなかった。それだけで恐怖感や抵抗感は自然となくなっていた。……と、それは陽玄に限ったことで銀の恐怖心が拭い去る理由にはならない。ここは話でもして少しでも恐怖心を和らげたいところだ。


「銀」

「は、はいっ。何でしょうか?」


 少し緊張しているようだった。彼女の握る手に力がこもる。


「国会下付近の水路までどれぐらいかかるかな?」

「そうですね、国会議事堂からこの水路に辿り着くまで二十分ほどでしたから、おそらくそれくらいはかかるんじゃないでしょうか」

「そうか。でも本当に辿り着けるのかな。今のところ道が一つしかないから迷わないけど……」

「その時はその時です。ですがこんなことになるのなら下水地図まで確認しておくべきでしたね」


 都市下水路は広域だ。近代都市に生まれ変わっていくのと引き換えに水の都である、ここ首都圏からも水が消えていったが、水路が作るネットワークはロードマップや鉄道路線図のように枝分かれしている。

 そんなことを危惧していると早速分かれた道に突き当たった。


「と思ったら分岐点に差し掛かりましたね」

「だね。どうしようか、どっちがいいのか、僕には分からないんだけど……」


 立ち止まった陽玄の手を銀は引っ張る。暗さに目も慣れてきているとは思うが、まだ怖いみたいだ。陽玄を連れて行きながら左右の道を少し歩いて何かを確認しているようだった。


「空気の流れ的に左道の方が綺麗というか、何だかこっちな気がします」

「分かった。適当に進むよりも根拠がある方がいい」


 そう言って陽玄は左の水路を進んだ。敵の本拠地が本当に国会の地下にあるのならそれなりの空洞があるはずだ。だからこの水路を辿ればいずれは教会の拠点に辿り着く。

 寒気がするほどの静寂さの中、水路を歩いて二十分以上が経った。

 景色は変わらない。あるのは暗闇の中に敷かれた水路だけである。道は一本しかないので信じて進むしかないのだが……。


「――ん?」


 陽玄はピリッと微かに電気のようなものが首筋に流れて立ち止まった。その異変をより強く感じているのは背後にいる銀だった。


「魔力の流れを感じますね」


 少し進むと、陽玄が歩いてきた水路はもう一つの大きな水路に繋がっていて、銀によるとこの水路に流れる魔力の気配に引き寄せられたと言う。それは確かに正しくて、魔力をうまく感じ取れない陽玄でも今まで吸ってきた空気とは明らかに異なると断言できるほどだった。

 前の道が次第に拓けていくと同時に白い光の反射で黒い靄がかかったような空間が徐々に明るくなっていく。

 そのまま一方通行の道を抜けると通路は扇のように広がった。奥の奥まで広がった空洞。そこには治水施設のような地下神殿が広がっていた。

 あまりのスケールの大きさに立ち尽くしたまま言葉を失う。

 高さ二十メートルに及ぶ巨大なコンクリートの柱が数十本、建ち並んでいる。広大な地下空間に屹立する様は非日常的で、美しくも感じられた。


「巨大な貯水槽……ですね。おそらく彼女の言う拠点はここで間違いないでしょう」

「ここに教会の魔術師がいる、のか」


 気を引き締めて周囲を見渡した。人の気配はないが、肌がぴりつく感覚はあるため、魔力濃度は高いと個人的には思う。一体、この魔力の源泉は何なんだろうか。まるで配管から漏れ出ているガスみたいだ。

 その時、地響きのような衝撃に襲われた。地下の天井は暗くて見えないが、揺れは地上から来ている。ここが国会議事堂の地下付近ならば上では剣崎陽毬が何者かと交戦中ということなのだろうか。


「銀、急ごう」

「はい」


 だがすぐに思考はそれとは逆に回った。

 歩き始めるや否や、陽玄は足を止める。

 十五メートル先、巨大な柱の陰から動く人影があったからだ。

 女性らしいくびれのある身体のライン。

 華奢な身体に巻かれた巻物は赤く滲んでいて、女が歩くと布地の端がひらひらと揺れる。衣服は着込んでおらず、代わりに纏った布地は所々解れており、そこから女性の秘部が見え隠れしている。異性の視線を気にすることのない壊れた羞恥心。栗色のショートボブ。バッサリと切り揃えられた前髪から覗かせる翠の瞳が零れるように歪み出す。


「にひひぁはひゃはひゃははははっ――」


 臆面もなく癖のある下品な笑い声が冷たく静かな大空洞に反響する。

 陽玄の手を握る銀の手に力がこもる。


「待ちくたびれちゃったよ、がねちゃん。でも来ると思ってたよ」

「……お姉さまは、どこですか」

「さぁ? どこでしょう? お姉ちゃん思いのがねちゃんならすぐ助けに来ると思ったんだけどね、うふふふふふ」


 こちらの感情を揺さぶるように、茶髪の女は意地悪く笑って、「こっちに来たら教えてあ・げ・る」そう言って、姿を消した。

 知らず、握っていた銀の手が陽玄から離れる。


「銀」

「陽玄さん、私のことは気にせず、琥珀さまを連れ帰ってきてください」


 そう言って銀は歩き出すが陽玄は彼女の手を掴み直した。鉄を取り戻したら銀はどうなるのか、そんなことはどうでもよくて、ただ送り出す前に言っておきたかった。


「陽玄さん?」

「銀でも鉄でも君は君だから。君が何を望むのか、そして望んだ結果、君が誰になろうが、僕にとっては今ある君が君だから。地上で待ってる。お互い、大事なモノを取り戻すぞ」


 発破をかける陽玄の言葉に銀は優しく微笑んで頷いた後、陽玄の手をぐっと握り返した。


「ありがとうございます。短かったけど、すごい楽しかったです」


 これまで一緒に過ごしてきた現実に感謝を伝える素直な言葉は、銀の別れを意味するものなのだろう。

 いつしか銀の手はもう陽玄の手を繋いではいなくて、その姿もどこにもなかった。あれが銀との最後の会話だった。

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