9―13 悲願
陽玄は陽毬の返答を待っていた。
「産まれの母の名前は知らんが、月城家の子で間違いない」
「どうしてそう言い切れる」
「復讐を決行した夜、お前が屋敷に来る前に、親父から聞き出した」
「じゃあ月城家はどこに、皆はどこにいるんだ。どうして僕は剣崎家の子として育てられているんだよ」
「出身地は知らない。どのみち故郷に舞い戻ったところで誰も居ないよ。何故なら月城家は教会の襲撃に遭い消滅しているのだから。お前はその生き残りで、親父は孤児院からお前を養子として引き取った」
「……嘘、だ。じゃああれは、夢じゃなくて記憶、なのか……?」
陽玄はぼそりと呟き、頭を抱えた。
「剣崎家の魔術は剣術であり、妖刀でなければその真価は発揮されない。私は母親を殺したことによって剣術継承の権利を剥奪された。剣崎家の悲願は、特定の流派武術の第一人者であること、最高水準の秘術を持つこと、その秘術を用いて威厳を示すことを別の話にならないようにしたいということだ。つまりだね、武器を一番熟知している刀鍛冶と武器を一番巧く使いこなせる武士を統合させ、武の極致を目指すことが剣崎家の悲願なんだ。武器として使いやすいように加工した戦乙女の遺骨に、溶かした鋼と共に剣崎家の魔力を練り込み刀を完成させた初代、その刀を使って最高峰の剣術を生み出し後世に託していった歴代の先代者たち。分かりやすく言うと、剣崎の者が作り出した妖刀【心道】を剣崎の者が手に取り最高水準の剣術を兼ね備え、武力を周囲に知らしめたいという何とも幼稚な話ってわけさ。……そこでだ、剣崎家がつまずいていたのが剣術『真心ノ一心流、斬空滅鐵(さなのいっしんりゅう、ざんくうめってつ)』による五次元空間の過負荷だったんだ。歴代の魔術師が剣術の記録を残さないのは外部の人間に情報を漏らさないこともそうだが、この過負荷に耐えられる技術が見つからないため、皆記録を残さないんだ。だから歴代の後継者は当主の動きを見よう見まねで覚え、最終的に自分独自の構えや呼吸、間を習得していく。……だが異次元の負荷を克服する人間は現れなかった。とは言え、君にこれらを託してしまっている時点で悲願は叶えられないものになっていると思うんだけど、ね。……ここからは、私の推測となるが、母体を殺され私を破門したことで後継者を失い窮地に立たされた陰仕は、やむを得ず剣崎家ではない人間に刀を持たせることで悲願の条件である第一人者を諦める代わりに異空間による過負荷克服に希望を見出そうと思ったんだ。その希望が君であり、時の魔術によって、剣術による過負荷を克服しようとした。だが、魔術の常識的にその魔術を継承するにはその家系の血筋でなければならない。だから剣崎家の剣術を部外者がモノにできるわけがないんだよ。……そこで陰仕は考えたんだ。どうしたら双方の魔術を上手いように行使できるかどうかをね」
刀を膝に置いたまま呆然と聞く陽玄を置き去りに陽毬の話は続く。
「幼い君は親父に何をされたか覚えていないだろうが、剣崎家には人体実験の記憶が残されている。概要だけ言うと、陰仕は君の身体に流れる月城の魔力(血液)と剣崎の魔力(血液)を混合させるために自身の骨髄を君に移植させたんだ。拒絶反応がなかったのは、幸い白血球の型が親父のそれと一致していたからだろう。そして骨髄移植はドナーから患者に骨髄の移植を実施した場合、患者の血液型はドナー由来の血液型に変わるんだ。その法則を利用することで君は月城家の人間でありながら剣崎家の血筋を引く混血児となったわけだ。だからと言って、両方の魔術を使えるようになるわけではない。あくまで可能性を繋げることができただけで、成功例となるかどうかは本人の素質次第だ。地盤にある月城家の時空魔術は感覚でどうにかなる、というより剣術しか知らない剣崎家にとっては専門外であるため手の施しようがない。せいぜいできることと言ったら剣崎家の魔術師として真心ノ一心流を習得させることだった。親父は躍起になっただろう、後継者がいなければ剣崎の家系はこの代で途絶えてしまうと。何が何でも習得させるために辛抱強く覚醒するのを待ちながら君の貧弱そうな肉体を戦う武士のように鍛え直し、真剣による稽古を取り入れることで常に緊張状態を維持させ、精神的耐性の向上を試みた。……とまあ、君はその苦痛に耐えきれず一度は逃げ出してしまったわけだが、代行者の娘のおかげで結果的には剣術の習得に至ったわけだ。ああ、君が剣術を繰り出した時は流石に痺れたよ。君の適応能力は本物だったというわけだ」
つらつらと長たらしく話しているが、陽玄の耳にはそのほとんどが入っていなかった。別に記憶が戻ったわけでもない。まだ何も受け止められていないけど、冷静に考えればどうでもいい話だった。
「要するに時の魔術を展開させることができれば、五次元空間の過負荷に耐えられるかもしれないってことだろ」
「ああ、そういうことだ」
「ならそれでいい。過去の記憶なんかどうでもいい。僕にとっては今が大事なんだ。巫さんと一緒にいられる今が。だからこれからもずっと傍にいられるように異空間の克服は果たさなくちゃならない壁だった。克服の鍵があるのなら、僕は喜んで轡を並べるよ。言っておくが、決して剣崎家の悲願を成就させるためじゃないからな」
「今更そんなものに興味はないよ。願いを成就させるのは他人からの押し付けではない、私利私欲に塗れた人間の原動力だ。君の奮起に期待しよう」
やがて前方座席の車窓から見える都会の景色はビルと高層マンション群が目立ち、人工物が醸し出す灰色の景色は冬のぱっとしない寒空と相まって、嵐の前の静けさを感じた。
すると陽毬は勢いよくアクセルを踏み込んだ。窓から見える景色が一瞬にして流れる。陽毬の運転はひどく荒々しい。普通に交通違反だ。スピードも異常に速いし、信号無視も当たり前。次々と前方車輌を追い抜いていく。
「おい、どういうつもりだっ。人には言っておいて事故るような運転をしているのはお前の方じゃないか」
「こっちは急いでいるんだ。話が終わったらこうするつもりだったんだよ。そもそもな、無免許運転の時点で違反扱いならどんな運転をしようが構わないだろう」
唸り声を上げながら車が加速していく。隣に座る銀は前屈みになりながら絶叫していた。
いつ事故っても不思議じゃないというのに陽毬は一切ブレーキを踏まず、直進突破する。そんな中で次第に見えてくるのは朽ち果てたような葉のない並木通り。その先には国の城塞――国会議事堂が聳え立っていた。
議事堂に続く大通りを暴走した車が走る。
警備員のいない門扉。
議事堂の敷地内に侵入する直前、陽毬は外套裏に隠し持っていた拳銃を取り出し、前方車窓越しに撃ち込んだ。
躊躇いなく窓ガラスに向かって発砲される鉄塊。
割れる窓ガラス。
銃弾は車窓を撃ち破り、敷地内に張られた魔力の膜に孔を開けた。
「誰の結界だ」
「代行者のモノだろう。外界から中の様子を遮断するために議事堂周辺をドーム状の結界で囲い込んだんだ。被害を最小限に食い止めつつ、戦乙女を救い出す気だ。……戦乙女によってそう促されているのかもしれないな」
陽毬が車を停めて敷地内に降り立った。
敵の拠点と化した国の要塞は不気味に陽玄を見下ろしている。神殿のように何本にも連なった柱を通り抜け、中へ入ろうとした時、「止まれ」陽毬に呼び止められた。
「やけに静かだ。さしずめ、待ち構えているんだろう。欲しいものは迎え入れ、いらないものは徹底的に排除する。代行者は難なく迎え入れられたと見るべきか」
「巫さんはどこに」
「奴らの領域は地下の巣穴から始まる。私の推測が正しければ誘い込まれたと見るべきだろう」
「じゃあ早く助けに行かないと」
「真正面から行く必要はない。無駄な戦闘を避けたいのなら無難に下水路から辿って行った方が早い」
「下水路? そんなのどこに」
「ここから一番近い橋を目指せ。橋の下にある下水路を辿って地下に向かうといい」
「銀、行こう」
「はいっ」
陽玄はすぐさま行こうとして足を止めた。陽毬はその場に佇んだまま動かない。
「……お前は、どうする気だ?」
「私はこのまま洗いざらいすべてを鏖殺しようと思う。一つ一つ着実に、立ちはだかる敵すべてを薙ぎ倒して地下深くにいるあの子に逢いに」
陽毬がどうしてその子に会いたいのかは知らないが、彼女がここに来た理由は陽玄と同じように極めて単純なものだった。
陽玄と銀が国会の地下への最短ルートを目指すべく敷地内を出た時、銃撃戦の火蓋が切られた。この国を統括する城の中から聞こえる勇ましい銃撃音の数々は一つの束となって落雷のような怒号を轟かせる。何となく分かっていたが知らないふりをしていた。教会が政府と手を組んでいるのなら相手は魔術師だけじゃない。この国を守るという大義の名の下に、正義の洗礼が一人の女に下された。




