9―3 現地調査③
昔の地図に則って、種池市に隣接する橋川市との市境界線付近に目星を付ける。
市境を目指して歩いているが、街の風景は極めて均質的だった。アスファルトと道路。看板、スーパー、チェーン店……。どこにも見慣れた風景が広がっていて、正直、どこからどこが地域の境界線なのか見出すことは難しい。そもそも今と昔で街も移り変わっているため、ほとんど手探り状態である。
「結界の石碑みたいなものが確認できないのに結界を見抜く方法ってあるのか?」
「空間に生じている歪みだったり、ひずみがあればたぶんヨーゲン君でも分かると思うよ。まあでも、結界石がないとなると、寺や神社の門みたいに線引きが見えるわけじゃないから、結界の精度が高いとちょっとお手上げ……かな」琥珀が答える。
「自力で結界を破ることはできないってことか」
「結界を破るに至ってはまず結界を認識できていることが前提条件で、基本的に張られている結界に有される魔力と同等以上の魔力を有した結界を展開させることで消滅させることができるけど、空間そのものを封印する結界は封じる面が多いからその分、魔力も必要になってくる」
「結界って色んな種類があるんだな」
「一番簡易的なのは血液の結界だけど、自分の魔力が込められた武具を地面に張り付けて結界を作り出す方法もあるよ」
「因みに私は針で結界を作り出しますっ」
銀が威勢よく言った。
「でしょうね。あれだけの数があれば強度な結界なんて容易に作れるでしょう」
「ふーん、血液の結界と針の結界だとどっちが強いんだ?」
「それは……」
琥珀は口ごもる。その横で銀は少し勝ち誇ったかのような表情を浮かべていた。
「陽玄さん、結界はですね、点が多いとより強固なものになっていくのです。点と点が線になって、結び付いた線は対象物を拘束する鎖になります。つまりですね、指から出血させて血液で対象物を囲い込む方法よりも数多の飛び道具を投擲させて陣を敷く方が手数がかからない上に強固な結界を簡単に張ることができるのです」
「へえ」
「それにですね、五芒星のように投擲の配置を工夫することでさらに強度な結界を作り出すことだってできるんですよっ」
胸を張りながら誇らしげな表情で銀が熱弁していると琥珀が口を挟んできた。
「でもそれは平面に限ってのことだから立体的な空間結界の方が強力だもん」
「琥珀さま、悔しいからって論点をずらすのはずるいと思いますよ」
「べ、別に悔しくなんかないしっ」
口ではそう言うが、目つきや仕草からは微かな悔しさが滲み出ている。別に勝ち負けなんてこっちは気にしていないのだが、質問の仕方が良くなかったのかもしれない。結果、二人の対抗心を意図しない形で刺激してしまったようで言い争いになり始めている。
「あたしだってね、魔力量が増えればあんたよりもすっごい結界を作ることだってできるんだから」
琥珀が言ったことに銀が反論する。
「魔力量が増えれば、ですよね? 今は私が作り出す結界の方が強いですっ」
「なら試せばいい。そうすればどっちが強いかはっきりする」
「いいですよ。お姉さまの黒針、六十四本が編み出す結界から抜け出せるかどうか試してみましょう。針地獄の刑から自力で抜け出せるか見物ですね」
琥珀の提案に乗かった銀が彼女を煽る。きっと勝てる自信があるからだろう。
「二人とも今はそんなことしている場合じゃないと思うよ」
陽玄は今にでもおっぱじめそうな彼女たちを制止する。
「だって、こいつが――」
「僕からしたら二人ともすごいよ。僕には結界を張る知識も技量もないし、こうして傍にいてくれるだけですごい心強いから、不毛な戦いはよしてほしいな」
そう宥めるように言うと、二人の言い合いはぴたりと治まった。どちらもまんざらでもなさそうな表情を浮かべている。魔術師という者は褒めちぎれば機嫌が良くなるものなのだろうか、それとも彼女たちに限ってのことなのだろうか。何はともあれ、二人の機嫌が元に戻ってくれてよかった。
「結界は初歩だから魔力が流れていれば君にだってできるよ。今度、教えてあげる、練習すればきっとすぐに使いこなせる。まあ、そんな場面訪れない方がいいけど」
そう言って琥珀は歩き始めた。ふと、そう言えば、と思ったことがある。廃墟街での戦闘中、彼女が展開させた正六角柱の結界を。あれを展開させれば、見えない空間の結界を消滅させることができるんじゃないかと。
だが陽玄は言わなかった。またあの時みたいに彼女の意識が戦乙女に乗っ取られるのではないかと不安に感じたからだ。
△
現代の交通事情によって使われなくなった旧街道を歩く。整備された新道とは違って、誰も使わなくなった廃れた道は狭く、古い面影を残す街並みになっている。
「琥珀」
「なに?」
前を歩いていた琥珀が振り向いた。
「教会の魔術師はどんな経緯があって街を消したんだろうか?」
「あたしもずっと考えてたんだけど、真相はよく分からないんだよね」
「そうか。銀も分からないよね?」
「組織に属していた身として心苦しいですが、私も存じ上げません」
銀が申し訳なさそうに言う。
「過程が分かれば政府と教会が手を組んだ理由も分かってくると思うんだけど、まあどうせ教会は政府をいいように利用しているだけだと思うし……何とも言えないね」
「政府と教会……」
仮の話、政府と教会が対等な立場にあったとして、教会の要望を呑む代わりに政府はどんな条件を提示するだろうか。政府だからこの国が良くなるようなことを条件に出すと思うんだが、その要望を教会が叶えられるかは別として、現状、この国の至る箇所で街が結界によってないものになっている。それがよく分からない。政府がこんなことを容認するとは思えないし、仮に政府がそう指示しているのならば、これの何処が国のためにつながるのかもよくわからない。やはり教会の魔術師によって洗脳なり支配なりを受けているのだろうか。
考えても分からないことを考え続けても核心には迫らない。
これ以上の詮索は無意味だと無駄な思考はやめて、この旧街道に佇む古い街並みに目を向ける。解体されずに残っている木造建築物。駅の周辺にも古い住宅や商店が雑然としていたが、ここ一帯は人が暮らしている気配がまったくないほど、廃れている。
この街にある唯一の境界線と言ってもいいだろう。
新たに作られた道とともに建てられた新しい住宅/古びて使われなくなった道とともに廃れていったあの頃の民家。
結界の綻びが現れるとしたらこういう邪気が区分されやすい場所なのだろうか。
霊園の出入り口に張った結界を琥珀が何度も貼り直していたように、誰にも維持管理されずに放置されたこの廃墟街もまた邪気が溜まりやすく、結界を張っているならば、定期的に貼り直しが必要になるはずだ。それは漂う空気からも分かる。明らかにこの周囲一帯は空気が澱んでいる。
琥珀の足が止まった。
「ここの古い病院、入ってみようか。廃墟の中でも人の生き死にに関わる場所は悪い気が溜まりやすいから、結界の解れが視えるかもしれない」
琥珀の提案に陽玄は頷き、病院と思われる建物の敷地内に入った。病院というよりは診療所に近い。完成当時は白衣のように白かったであろう診療所の壁は黒く霞んでいて、若干の不気味さがある。
階段を上って、琥珀が診療所の扉を開ける。異様な空気感が立ち込める中、彼女は躊躇いなく歩を進める。
陽玄はドアを押さえて銀が入るのを待つが、彼女は階段の前でたじろぐばかりか指をもじもじさせながら一向に入ろうとしない。
「二人とも何してんの? 早くこっち来て」
先に中へ入っていった琥珀から声を掛けられた。
「銀、どうしたんだ? もしかしてトイレにでも――」
「違います。ただ、恥ずかしながら、こういう場所はちょっと苦手でして……」
「あ、怖いの?」
「……は、はい、怖いです」
確かに怖いと思うのも無理はない。自分も一人だったらまずこんな場所に来たりはしない。そもそも暗い場所は少しトラウマがある。
「でも巫さんも僕もいるから大丈夫だよ。一緒に行こう」
ほら、と手を差し伸べた。と同時にすぐ背後から琥珀の気配がして陽玄はびくりと驚いた。どうやら痺れを切らして戻ってきたようだ。
「何をしてんのと思ったらそういうこと、さっきはあたしと張り合ってたくせに何が怖いですーっだ。いい歳して子どもみたいに怖がっちゃってさ」
「そこまで言わなくても」
「だって、そうじゃん。こんな身体しといてこういう時だけ子どもみたいになるんだよ?」
身体は関係ないと思うのだが……。
「でもほら、今までずっと主人格が鉄だったんだから、銀の精神年齢は幼いままだろ?」
「……じゃあ、あなたはそこで待ってなさい。あたしとヨーゲン君二人で行ってくるから」
「い、いやです。私も行きます、行けますから」
琥珀に焚きつけられたのか、銀は気合いの入った顔で階段を上ってくる。でもそれは表情だけで身体は微かに震えている。
「無理しなくてもいいんだよ?」
「いいえ、大丈夫です。だって私は心強い女ですから」
「なら手をつなごう」
陽玄は五、六歳の子どもを扱うような感じで銀の手を握った。そう言えば、千幸の手を握った時もこんな感じだった。何より自分自身が琥珀に握られた時の安心感を覚えている。
「こうすれば少しは怖くなくなるはず、なんだけど……どうかな?」
「はいっ! ぜんぜん怖くなくなりました」
顔に張り付いていた強張りが抜けて、銀は自然とあどけない笑みを浮かばせた。その瞬間、ぐいっと片方の手を引っ張られた。振り向くと陽玄の右腕は琥珀の左手に捕まれていて、掴んできた本人は無言のままぐいぐい引っ張ってくる。
「ちょっ、琥珀――」
「……いいから行くよ」
「う、うん」
何だろう、コレ……。結果的に二人と手を繋ぐことになったのだが、構図的にこれだと自分が子どもみたいな感じになってしまっている。確かに銀は精神年齢で言えば陽玄より幼い。だけど身体は大人なわけで、まるで二人の姉に手を繋いでもらっている弟の気分になってくる。こうなるともう何も怖くない。




