9―2 現地調査②
車を走らせて三時間。ようやく一か所目の夏江市に到着した。銀が駐車場に車を停める。車を降りて街を歩く。人がいる。車が通っている。インフラが整っている。至って普通の街並みだ。
「琥珀さま、本当にここは夏江市なのでしょうか」
後ろを歩く銀が訝しむような声で訊く。
「今と昔で多少地図が変化しているけど、地理的にここが夏江市で間違いない」
黒のジャケットのフードを被った琥珀が観光客のように地図を広げて言うが、街の景色を見ているその目は疑念的だ。
「……いや、おかしい。どういうことだろう、ここ夏江市じゃない」
支離滅裂なことを言う琥珀に陽玄は首を傾げた。
「ほら、あそこ。駅名は今も昔も変わらないのに、駅の看板に書かれている都市名は夏江市じゃなくて上倉市になっている。上倉市は隣街なのに」
「待って、そんな看板どこにあるんだ?」
駅があるのは分かるのだが看板が見当たらない。それは後ろに立つ銀も同じらしく、目を細めながらチョロチョロと探している。
「……来て、案内する」
大通りの道を通って、横断歩道を渡るとその看板はあった。ここに来るまで距離にして五十メートル。仮に看板の位置が分かっても文字まではとうてい読めない。
「すごいな、視力そんなによかったのか?」
陽玄は琥珀の驚異的な視力に驚く。
「え、あ、うん、なんか最近よく見えるんだよね」
「へぇ、そうなのか」
「それより案内板を見て、市の名前が上倉市になっているでしょ?」
「本当だ」
琥珀の言う通り、この街は夏江市ではなく上倉市になっている。
「どういうことだ?」
「夏江市が街から消えたのは十五年前ですよね。もしかしたら夏江市が上倉市に合併されたという可能性は考えられないのでしょうか?」
銀が言うと、琥珀は即座に通行人に話かける。年配の女性で、おそらく地元の方だろう。
「あの、突然申し訳ないんですけど、夏江市は上倉市に合併されたんですか?」
「夏江市? えーっと、たしか、昭和六十年に合併されたんじゃなかったかしら」
「ほ、本当に合併されたんですか?」
「だからそう言ってるじゃない。人をぼけた婆さんみたいに言わないでもらえる?」
「ご、ごめんなさい……ありがとうございました」
陽玄は琥珀が持っていた昔の地図を見る。昭和五十九年、西暦にして1984年。まだ夏江市が存在している時代だ。
「……合ってるよ、翌年の地図から夏江市はなくなっているから」
琥珀はそう言うが、彼女の表情は懐疑的だった。
その後もいろんな人に話かけてみたが、皆口を揃えて同じ回答で、街は消滅なんかしていなかった。
「とりあえず次の街を目指そう」
あてが外れたと切り替え、街を離れる。
だが、その次の街もそこで暮らしている住民たちはみな声を揃えて自分たちの街は合併されたと口にするだけだった。
△
西日が車窓に差し込んでくる。日が沈むまであと五時間弱といったところだろうか。六地点のうち『夏江市』『稲村市』『いつみ市』の三か所を回ったが、いずれも隣街に吸収される形になっていた。流石に同じ流れが三回続くと違和感を覚える。
陽玄はコンビニで買ったおにぎりを食べながら前方座席に目をやる。銀はこれなら運転中でも食べやすいと太巻きを口に咥えている。フランクフルトを食していた時はうまいように食べていたが、流石に太さが違うため、食べることに手こずっているようだ。そうなるなら普通に片手でおにぎりを食べた方が良かったんじゃないかと思えてくる。
「う、うぅぅぅ」
苦しそうに唸る彼女を見かねて琥珀はため息を吐く。
「何してんの、ばかなの?」
そう言って、咥えられている太巻きを手に取った。
「ほら、噛みちぎって」
琥珀に促されて太巻きを噛みちぎる銀。もぐもぐと飲みこんだ後、ようやく満足に息を吸えたようだ。
「危ないところでした、窒息するところでした」
「もう気を付けてよ」
「はい……。琥珀さま、私の食べかけですけど、太巻き食べますか?」
「た、食べないよっ。あたしが何でも食べると思ったら大間違いだから。これはあなたが責任もって食べなさい」
信号が赤になる。その合間に銀は急いで食べかけの太巻きを食べ終えた。
「琥珀はお腹空いてないのか? 飲み物だけだけど」
陽玄は彼女が何も食べていないことに心配になる。
「うん。あたしはいいの、お腹空いてないから」
今はその気が湧かないのだろうか。それとも今朝、銀が言っていた通り、本当にダイエットでもしているのだろうか。別に太ってなんかないけど、言うと怒られそうだ。
昼食を済ませてしばらくすると、前方の車窓から街並みを見ていた琥珀が寺野宮駅という駅名を見て口を開く。
「停めて。昔の地図だとここはもう種池市の区域だ、降りよう」
琥珀の指示で銀が駅の近くにあった駐車場に車を停める。さっそく駅の看板に書かれていた都市名を確認するが、これまでと同じく、ここは種池市ではなく、橋川市になっている。
琥珀は案内板を見ながらぶつぶつ呟く。
「政府と教会が裏で手を組んでいることは確か……。種池市と隣町の橋川市、政府はあるはずの都市を教会の力を借りてないものに隠蔽していて……」
む、と考え込む琥珀。
「結界と……やっぱりそういうこと?」
地図をしばらく見つめていた琥珀がそこで何かに気付いた。
「何か分かったのか?」
「あくまで推察だけどおそらく教会は地図を使って住民に暗示をかけている。もうそうとしか考えられない」
「地図による暗示?」
「うん。地図は情報の指標だから一目見ただけでは疑う人はほとんどいない。むしろ初めからそこにあるよう提示されている地図は正しいものだと認識しやすい。暗示をかけるには有効的なものなんだと思う」
「じゃあなんだ、本来あるはずの街は不可視の結界によって消滅していて、それがバレないよう合併しているように暗示をかけているということか?」
「うん、だからここは種池市じゃなくて橋川市。暗示しやすいよう街も改変されているんだろう」
「ということは一つの都市を消したら、その度に地図を新しく更新させて記憶を改竄させているのですか?」銀が訊ねる。
「ある年には一年間に三回も地図が改訂されているから、おそらくそうなる」
銀が腕を組んで考え込む。
「なかなか厄介ですね。仮に地図がそのように仕向けられていたとして、暗示を解くことができても、本来あるはずの街は不可視の結界で辿り着けないようになっていますから確かめようがないです」
「結界を解かない限り暗示も解けないよう結び付けがされているんでしょう」
琥珀は気に食わなそうに言葉を投げる。
「……にしても街一つ分並みの規模を結界で取り囲むなんてルール違反でしょ。それも五十六か所も」
「ですがどんなに結界の練度が高くても、結界は時間が経つにつれてその効果も徐々に低下していくものです。結界の貼り直しをしない以上、いずれはどこかに抜け目が出てくるはずです」
人混みの多い駅前から離れて街を散策する。だが街には結界を敷く石碑のようなものは見つからなかった。銀が歩きながら口を開く。
「街を消すということはそこに住んでいたはずの何万人もの人々はどうなったのでしょうか?」
「……見られたくないものがあるから結界で隠す。存在ごと消されている可能性が高いんじゃないの」
琥珀はあまり答えたくなさそうに言った。
「とりあえず結界の裂け目を探そう。もしかしたら効果が薄れて裂け目が見えるかもしれない」




