インタールード③(自殺考察)
〇自殺考察①(相沢晃 29歳 身長176㎝ 体重61㎏ かに座 A型)
肩まで伸びた青みがかった黒髪が特徴的な男だった。とにかく暗い雰囲気で仕事も一か月前に退職したらしい。伸ばしきった髪や髭、ひどく痩せこけた頬から生きる気力のなさを窺わせる。
「愛する者を亡くした哀しみ。その死から学んだことは、哀しみは一生拭えないということだ」
彼がそうなってしまった理由を聞くと彼はそう答えた。
どんな励ましも、どんな誠実さも、どんな優しさも、どんな強さも、その哀しみを癒すことはできないし、生きている以上、苦しいままなんだと。
続けて彼は言う。
「つらい思いを経験したからと言って、その哀しみはこれから訪れる予期せぬ哀しみには何の役にも立たないのだろう。そんな治療薬も予防薬もない哀しみに絶望し、心を擦り減らして生きていくことに何の意味があるんだろうか」
例えばこう考える人間もいるだろう。同じ境遇の者がいる、自分の身近な人間がそうした苦しみを抱えているかもしれない。そんな時に、寄り添える力になれるかもしれないと。
「……でもなってどうするんだろう」と彼は疑問を投げかける。生きることに対する苦悩に満ちた表情が印象的だった。
「苦しみを分かち合ったつもりか? 他人もそうだと憐れんで、同情して……なんかそれってすごく惨めじゃないか。多分、俺のこうした考えは誰に説得されようが永久に変わらない。昔からそういう風にしか生きてこなかった。それは今もこれからも変わらない。だからこの心の傷が癒えることは絶対にないし、俺が愛した、俺を愛してくれた彼女の代わりになる人間なんてどこにもいないんだよ」
だから彼が生きていく理由はどこにもなく、生きていても空しいだけで、悲しいだけ。だから死ぬと言う。
〇自殺考察②(成瀬美奈 16歳 身長154㎝ 体重46㎏ おとめ座 AB型)
オレンジ色に近い茶髪の少女。何かに怯えたような目が印象的で、話す最中、顔はずっと下を向いていて、爪をいじるのが癖になっている。動物で例えるなら飼い主に捨てられ、何も信じられなくなった猫だろう。
「人間は怖いか?」
彼女の仕草と雰囲気から単刀直入に訊ねた。すると彼女はこう答えた。
「私は人間が嫌いです」
好きという感情を抱いたことは今までなく、初対面の人や慣れ慣れしく挨拶してくる近所のおばさんが嫌いらしい。学校でも嫌いな子が多く、女子男子関係なく生理的に無理で、愛嬌も振り撒けない状態。本人曰く社会不適合者だと自己分析をしているらしいが、何とか繕わないと相手が嫌な気分を抱いてしまうからと理由で頑張って演じている。それを踏まえると他人には嫌われたくないらしい。
「めんどくさい性格だな、自分でも嫌になることはないのか」
「でも私も人の子ですから元からこんな性格だったわけではないんです。小さい頃は近所の子と仲良く遊んだりしていました。その時は多分、人間みんな親切で優しいものなんだと思っていました。でも、違いました。嫌なことは日常茶飯事です。学校では大人しくしていても大人しいだけで悪口のネタにされるんです。何もしてないのに、気持ち悪い。ネタにするってことは私のことを見ているってことで人の目が嫌いになりました。そんな悪口を言って散々他人を馬鹿にしていたくせに、都合が良いときだけ猫撫で声で『ノート見せてよ』ってどんな神経しているのでしょうか、腹が立つ」
相当溜め込んでいたのだろう、愚痴をこぼす度に声量が大きくなっていった。以下、しょうもないエピソード。
「ある時、私は観察していました。すると友達同士で仲良くお喋りしていたのに、一人の友達がいなくなると、その子を馬鹿にするんですよ、本当失望しました。こんな小さな世界でもこんなことが起こるんです。きっと、学校の外でも同じようなことが繰り広げられていて、案の定、全く見ず知らずの他人同士でそんなことをしているところを見ると幻滅しました。そんな私もこの人たちと同じ人間なんだと思って、私も嫌いになりました。要するに優しい人間は私が思っているほど数少なかったんです。人が嫌がることはするくせに、されると怒る。我儘で自己中心的で自分本位に世界が回っていると思っている人間たちばかり。そんな人たちと向き合っていくのは大変で、上手く接しないといけないんだと思って生きていけないと思いました。だから死にたいです」
そんなことで人生を辞めるの? そんなちっぽけなことで死にたいって思うの? っていうのが顔に出ていたのだろう。彼女は「貴方には分からないです。貴方は他人だから。私の心はそれを強く望んでいるから、誰が何を言おうと私は死にますよ。さようなら」
最終的には自暴自棄。どんな言葉を投げかけても彼女の心には響かないのだろう。
〇自殺考察③(柊琴乃 25歳 身長160㎝ 体重50㎏ おうし座 B型)
ここで紹介する五人の中では最も穏やかで口数が少ないタイプ。綺麗な容姿をしているのにその自覚はなく、外見を褒めても謙遜する様子が見て取れる。自分に自信がないタイプ。
「そもそも私は生まれたくなかった。だから母親のように我が子を産み落とすことなんてできるわけもない。とは言え私も人並みに幸せなことを経験してきた。家族関係も悪くない。信頼できる友人だっている。恋人に愛される喜びも知っているし、自分の好きなことだって見つけた。それでもそれらの喜びや幸せを足しても「生まれたかった?」と問われると、正直生まれたくなかったに尽きます」
順風満帆な人生を送っているように見受けられるが、彼女の人間としての本質が生きることに苦痛を抱いているようだった。
「それでも生まれてきてしまったからにはそんなこと言ってられない。周りの多くはきっとそう答えるだろう。でも、私は根本的にその考え自体がもううんざりなんです。ここまで生きてこられた。それだけでもう十分。私なりによく今まで頑張ってきたと思う。だからもういいんじゃないかなと思います。私は多分、人より虫とか花とか……猫とか、小動物に産まれていたらどうだったかな、人の生き方は何か私には合わないんですよね、だからごめんなさい、私死にます。私を死なせてください」
×自殺考察④(宮本葵 14歳 身長164㎝ 体重55㎏ うお座 B型)*臓器移植には不向き。
学ランを着ていなかったらおそらく女性だと勘違いするほどの美少年。外見もそうだが、中身もそうだったらしく、それが悩みの種らしい。
「僕はいろいろ抱え込んで耐えてきた」
身体は男、心は女。性別の違和感。
「生きていくことは僕にとっては辛いことばかり。なりたい自分にはなれなくて、男として生きていかなければならないストレス。その度に自分にも嘘をついてきた。自分のなりたい自分をありのまま曝け出せば、親はどんな顔するだろう。厳しい家庭だからきっと否定されるだろう。こんな自分を恥だと軽蔑するかもしれない。欠陥者だと失敗作だと出来た人間と比べるだろう。どうして生まれてきた身体と心が違うだけでこんなにも生きにくいと感じるのだろう。すごくつらい。そんな日々を送っていくうちに死にたいと思う瞬間が増えていって、生きている理由が分からなくなって、自分が何なのかも分からなくなって、生きるのが嫌いになった。だから死んで消えます」
何とも勿体ない死の願望。死んだ後で後悔するタイプだろう。
◎自殺考察⑤(九条葉月 男性19歳 身長162㎝ 体重47㎏ てんびん座 O型)
五人の中で彼女だけは例外。見ただけですぐに違うと思った。この歳になっても前世の自我に上書きされていないことに驚嘆する。
詩的な言い回しが特徴的。
「無。
不安は付きまとい、苦痛は私を傷つけ、恐怖が私を怯えさせる。
生きることを肯定する自分と否定する自分が内包されている一人の自分。
何も頑張っていない私。ダメ人間な私。
あぁ、何も頑張らずに生きられる世界へ行きたい。
何も生まれない楽なところに。
無。
無。
無。
真っ白な世界、それとも真っ黒な世界。でもどっちも同じでしょう。
そこはきっと無価値で無意味で無感情で終わりも始まりもない優しい世界だと思うから。
ああ。
不安でしかない。
不安でしかない。
何が不安なのってそんなこと聞かれたって自分にももう分からない。
ただ言葉では言い表せないけど不安で不安で仕方がないの。
きっとそんな私は人として生まれてくるべきじゃなかったんだと思う。
人が嫌いな私は人を好きになることなんてできない。
もちろん人である私も大嫌い。
ああ、分からない。
なんでこんな生き物に生まれてきたんだろう。
こんな気持ちの悪い。
何もかも死んじゃえばいいのに。
じゃあ、お前が死ねばいいって?
そうだね。
徐々に色あせていくのなら、さっさと死んだほうがいいのかもしれない。
けれどできないの。怖くて怖くて仕方がないの。自分からは絶対死ねないの。
だから嫌いなの、死ねない心が備わっている人の身体が。だってその心が私を人たら占めるのだから。
そもそも私は生まれてきたくなかった。
生きる意味も生きる価値も生きる喜びも
生きるために必要な行為も
生きるために備わっている身体機能も何もかも私には必要ない。
何もない空っぽ。
私は無でありたかった。
だから――私は無へ還りたいと思う。
それは不安も恐怖も何も感じない優しい世界。
それは真実の痛みを知らない世界。
それは希望も未来も存在しない平和な世界。
幸福も祝福もいらないからさ、誰か無へ還らせてよ。
私を辞めるから、私を捨てるから、何もない無へと還らせて……」
天性の伽藍洞であるからこそ何者にでもなれる才覚の持ち主。器の可能性。閻椰雄臣と閻椰美楚乃を一つに束ねる肉体の後継者としては申し分ないだろう。
…
「どうだ? 共感できる事例はあったか?」
「……僕は、なんで死にたいのか、明確な理由が分からなかったけど、最後に聞いた女性の話は共感できる」
「ほう」
女は関心を示すような相槌を打つ。
「な、なに?」
「言い忘れていたが、最後に紹介した男性は他の四人と違って相談窓口で知り合った人間じゃないんだ」
「だからなに?」
「要するに死に場所を求めてさまよい続けていた生きる屍はどうしようもなく死に恋焦がれていていたというわけだよ」
「他の四人とは違うの?」
「違う。彼らは死にたくなかったが生きていくことの方が死ぬことよりもつらくなって死を選んだんだ。だが最後の女性は何がきっかけかは知らんが、初めから生きることに疑問を抱き、初めから生きることは意味がないことだと気付いている人間なんだ。そういう人間を私は生命不適合者と呼んでいる。あくまで私の見解だが、生命不適合者は生まれながらにして生を非とするため生きる意味に対して生きる価値に対して何ら何も持ち得ない。それでも生きてこられたのは周囲の人間に揉まれることでそれに気づかないからだ。その逆も然り。周囲の人間関係や社会情勢によって生の無意味と無価値に気づき、忽然と死に憧れを抱くようになる。やがて彼らはこの世に生きる人間の愚かさを笑い、この世の倫理を否定し、人類が生きるこの惑星をも冷笑する。そうして彼ら、生命不適合者は周囲の人間を死に追いやっていくんだ」
「……」
「君はどちらなんだろうね」
「僕は……」
言いかけて僕は口を噤んだ。
「ここだ、入れ」
地下の奥部屋に辿り着いた女は、鉄の扉をギギギと開けた。
「……」
危うく消えてしまいそうな天井の照明がいくつかちらついている。案内された地下の一室は解剖室だった。




