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天命の巫女姫  作者: たけのこ
回帰式―自死介助の儀―
201/285

モノローグ(死に恋焦がれて)

 十一月二十七日。今年も残すところあと一か月。学校から家に帰る僕は今、駅のホームに立っている。時刻表を見た。午後十六時四十四分。あと三分で電車が到着する。電車のアナウンスがゆったりと流れている。

 その時だった。


「まただ。また……」


 まるで天のお告げのように。

 ふと僕は死にたくなった。

 特に理由はないけど、今なんで生きているのか、忽然と不思議に思えた。ゲシュタルトの崩壊みたいな感覚だ。


 タイミングよく飛び降りられればうまく死ねるだろうか。中途半端に死ねなかったらそれはそれでいやだけど、どうしても死にたいと思う気持ちに駆られている。死にたくて死にたくて仕方がない。

 足を前に一歩、二歩。黄色い線を越えて、さらに一歩踏み出すと心臓がふわりと浮き上がった。

 足が荒むのは死に対する恐怖だろうか。

 駅のホームから足を踏み外そうとした時、後ろから強く肩を掴まれた。


「おい、危ないぞっ!」

「あ、はい。すいません」

「どこか具合でも悪いのか? それとも――」

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 適当に言ってやり過ごし、その場を離れる。

 邪魔が入ったせいで、結局、死ねなかった。

 死ねなかった僕は電車内の座席に腰を沈めていた。あまり人は乗っていない。でも前の座席には親子連れが座っている。父親と母親が年長さんぐらいの年の子を挟む形で座っている。その男の子は幸せそうな笑みを浮かべてはしゃいでいる。そんな我が子を見て両親も幸せそうだ。でも僕はその光景を微笑ましいとは微塵も思わなかった。あるのは一つ、疑問だけ。この親はどうしてその子を産み育てるのだろう。


 自分たちの幸せのため?

 自分たちの成長のため?

 それとも自己満足の道具が欲しかったから?


 そうだと言うのなら、その子はその希望に応えられるだろうか。何を思い、何を期待し、その子を産んだのか分からないけれど、僕だったらこんなよく分からない先行き不安しかない世界で、幸せよりも苦しいことの方がずっと多い世界に、わざわざ子どもを作りたいとは思わない。


「……なに、この子、気持ち悪いんだけど」

「気にすんな、ほっとけ。次の駅で降りるんだし」


 子どもに憐みの眼差しを向けていると、不審に思われたのか白い目で見られた。僕は咄嗟に視線を落とした。それから少しして気まずさを運んだ電車が停車駅で止まると、その家族は降りていった。僕は深く息を吸う。車内の淀んだ空気は換気され、新しく入ってきた冷たい空気が自分の喉を通り抜けた。


「……」


 僕を乗せて電車が進む。

 母と父は、僕たちを勝手に産んで中途半端に育てた。

 仲があまり良くなかった父と母は、ある日、怒号が飛び交う大喧嘩をして、母は家を出て行った。それきり帰ってくることはなく、僕と妹を家に残したままどこかへ消えた。


 父も放棄した。家事と育児がめんどくさくなって僕たちを祖父母の家に預けたきり顔を合わせていない。そんな父方の祖母は僕を酷く嫌っている。妹は父の面影があるから好かれているけれど、僕はどちらかというと母親似だから僕の顔を見る度、厭な顔をされる。テストでいい点を取っても褒めては貰えないし、悪口ばかり言われるし、食事だって僕の分は作ってくれない。何かと毛嫌いされている。あの家にいると僕は誰にも必要とされていないんだと強く実感する。


 何より母も父も初めから僕たちには興味がなかったのだ。僕たちより自分たちの幸せの方が大切なのだろう。きっと愛情の欠片も僕にはなかったのだろう。子どもが欲しくて産んだんじゃなく、避妊もせずたまたま性交の延長線上で孕んだから仕方なく産んだんだろう。


「……はぁ、途中で放り投げるくらいならさ、とっととおろしてくれればよかったのに」


 でも別にそれが理由で死にたいと思ったんじゃない。構ってもらったらそれはそれで面倒だし、一人の方が圧倒的に楽だ。一人、独り? 独りになりたいから早く死にたいと思うのかもしれない。何なんだろう、この感じ。死にたい理由はよく分からないけど、すごく死にたくて死にたくてどうしようもない。一種の鬱みたいなものなのだろうか。繰り返し訪れる度に、欲望を抑えられなくなっている気がする。


「ああ、ああっ~、死にたい~~~~っ!」


 心の声が漏れ出た。というよりつい大声でそう叫んでしまった。当然、周囲の乗客者からは変な目で見られてしまったが、死にたいと思う心はどうすることもできないところまで来てしまっている。でもまだかろうじて死に対する恐怖がある。その狭間にいる僕は苦しくて苦しくて苦しくて……ああ、ああ、ああ、どうしよう。

 死の欲望がしらみのように頭皮を這いずりまわっているみたいで、僕は髪の毛をかきむしった。

 降りるはずの駅を乗り過ごして、結局僕は終点の駅まで降りることはしなかった。


 終点の駅を降りてそれからあてもなく知らない街を歩き回った。空を見上げれば、夕暮れはいつの間にか姿を変え、淡い夜空に浮かんでいる満月が僕をずっと見下ろしていた。

 昼間は太陽が、学校では先生が、夜間には月が、そして家では祖母の冷たい視線が、僕を監視するかのように見ている。

 こんな夜をずっと見ていると、一層誰もいない場所に早く行きたいと思えてくる。

 早く月も雲に隠れてしまえば、僕を知っている者は誰もいなくなる。誰も知らないところへ早く行きたい。誰も手の届かない所へ、他人がいるから苦痛だと思う。なら他人がいない世界に行けば僕はきっと苦しくなくなるだろう。けどそれが理由で死にたいのか、やっぱり僕には分からない。分からないけれど、死にたいと思う気持ちは間違いなく本物で、だから僕の心は誰にも理解されないだろう。


「誰か、僕を殺してくれないかな」


 世間を騒がせている通り魔事件のことを思い出した。毎週必ず犯行に及んでいたのに、いつしかその被害を聞くことはなくなった。でもその犯人が捕まったというニュースも報道されていない。


「誰か、僕を殺してくれないかな」


 あえて人気がない路地裏へと足を踏み入れた。自分の精神は多分おかしい。こんなにも死を待ち焦がれている。でも自分から死ねないところは多分、今生きている人たちと同じ精神構造をしている。


「誰か、僕を殺してくれないかな」


 確かアイスピックで心臓を。

 背後からその自慢の凶器で僕の心臓を勢いよく一刺しで絶命させてくれないかな。死にたいがずっと心の中に去来し続けている。その心が強く訴えかけてくる、死が恋しいと。ずばり僕は今、死に恋をしているのだ。


「誰か僕を死に会わせて――」

『そんなに死を切望しているのなら、私が殺してあげようか』


 心臓がドクンと跳ね上がった。振り返ると、そこには黒い外套を着込んだ女性が立っていた。


「……」


 腰のスリットから見える細くて長い脚はストッキングを履いていて、目深に被ったフードから見える漆黒のセミロングは、血のように赤い唇とよく合っていた。


「……だれ、あんた?」


 僕は唇を震わせながら訊ねる。


「死にたいんだろ。ならついてこい」


 不気味な恰好をした女は高圧的な口調で言って、僕の横を通り過ぎる。


「……」


 普通の精神状態だったら絶対について行ったりはしないだろう。でも今の僕は他人が思っているほど、常識的な判断ができる状態ではなかった。

 ストーカーになった気分で少し距離を取りながら、閑散とした街の中を俯き歩く。


「……」


 僕には何もないから、何も残されていないし、何も求められていない。生まれるべきじゃなかった人間、不必要な人間。だから捨てられて愛されない。だからいつ死んだって構わない。それなのに、今まで死ねず、それどころか自傷行為もできなかったのは、単に怖かったから。首を絞めれば苦しい。首を掻っ切れば痛い。苦痛の先にあるのが死。でも死にたい。でも死ねない。この苦悩が分かるだろうか。きっと死にたいと思ったことは誰だってあるだろう。だけど、死にたいと思っても実行には移さず、生まれてきたから仕方なく生きている人間が殆どなのだろう。皆、強い人間だ。生きていられるのが不思議なくらいだ。


「お前は中途半端な人間だな」

「中途半端……」

「そうだ、生き死にに対して葛藤するということはまだ人でありたいと思っている証拠だ。本当に死にたいと思っている人間は葛藤する段階にはもういない」


 死ねば人ではなくなる……。死を自ら選べる生き物にとって死は……。


『死んじゃだめだ』

『逃げてもいいから死んじゃだめだ』

『とにかく生きていればいいことがある。だから死んじゃだめだ』


 人は人であろうとする。

 その反対も多分、そう。

 どんな理由があっても人殺しはいけないことだと。


「じゃあ、僕を殺そうと思うあんたも中途半端な人間だ」

「いいや、私はとうに人を辞めている」


 その言葉を聞いて察した。ということはこの人は既に人を殺している。……いや、ただの発足だろう。


「嘘だ、僕を怖がらせようとしているだけだろ」

「あはは、そんな嘘をついて何の意味があるんだよ?」

「……。そう、確かに、何の意味があったんだろう」


 じゃあ、僕も本当にこの女に殺されるんだ。


「……あんた、いつもこんなことしているのか? こんな勧誘の仕方、普通だったら通報されるぞ」

「誘ってきたのはお前の方だろ。殺してくれって何度も心の声が漏れ出ていたぞ」

「聞かれてたのか……」

「まあ、自死介助は期間限定でもう終わっていたんだが、今回は特別だ」


 この女にとって人殺しは短期バイトでもしているかのような感覚なのだろう。死を見慣れているから、死に対する受け止め方が違うんだろう。


「……自殺をする人間って、実際どうやって死ぬのかな?」


 だから、少し聞いてみたかった。


「死に方は人それぞれだが、自殺する奴の行動パターンは大きく分けて二つだ。一つは他人に迷惑を掛けないよう一人見知らぬ場所で自殺する者。もう一つは人目のつくところで死ぬ奴だ。この世に未練があるのか、将又一人寂しく死ぬのが嫌なのか知らんが、よく駅のホームで人身事故のアナウンスが流れているだろう? まあ、部外者は見知らぬ他者一人死んだところで何とも思わない顔しているんだが」

「自殺って悪いことかな……」

「自殺も他殺も病死も事故も、結局行き着くのは同じ死だ。どんな死に方をしようがそいつの勝手だろう。だが、社会的にはそうはいかない。高い場所から飛び降りれば、地面に肉片が飛び散るだろうし、車輌に轢かれれば、血肉が散らばるだろう。問題はそれを見たもの、それを清掃するもの、それで人の行動、予定が狂う。最悪、心が潰れた人間は道連れもするからな」


 人殺しのくせにすいぶんとまともな意見だった。


「だが私的に言えば、死を願う者ほど生きることに対して真剣に考えている者はいないと思うんだ。死と生の狭間でずっと苦悩し続けてきた人間の結論が死だというのならその答えを私は尊重する。なに、死にたいと思った時点で死は憧れに変わるものだ。死に魅入られた者を何となく生きてきた生者が止めることはできないよ」

「憧れ……」


 言われて見れば、憧れに近いのかもしれない。誰も経験したことのない未知なるものが死であり、死だけが僕をこの世界から解放させてくれる唯一の希望にも見える。


「なぁ、どうやって殺すんだ? 痛いのは嫌だ」

「安心しろ、痛みなど一切与えない。鎮静剤を打ったら後は無だ」

「……ならよかった」


 女がちらりと一瞥する。僕の顔色を観察しているようにも見えた。


「……本来、生と死は等価値だったんだ。欲のない人間はこの世に一人もいないからね。腹が減ったから食べる。眠いから眠る。欲情したからセックスをする。どれも生きるための行為だ。そして、死にたいと思うのもまた、一つの欲求だ。そして殺したいと思う衝動もまた、一つの欲求だ。だが人はそれを悪しきものだと区分し、抑止した。叶えてはならない欲望の誕生だ。その欲望を満たすことができない人間はとてつもなく苦しいだろうな。……面白い生き物だよ、不安や苦痛の方が断然多い世の中だと言うのに、それを分かった上で生者は無垢なる生命を産み落とす。まさしくエゴと本能の権化だね、人というモノは」

「……」

「見切りをつけるには些か早い気もするが、お前はもう見限ったんだろう。この世界は産まれるには値しないと」

「……うん。もっと優しい世界だったらこうはならなかったかも……」

「優しいと思えるのはそいつ次第だろ。世界は変わらない」

「じゃあ、産まれてこない方がいいね……」

「ああ、この世界は、暴力と支配、欲望と虚偽、自尊心の比べ合いが内包された世界だ。そんなくだらなくしょうもない世界に産まれる価値はないだろう。心があるから自慢し、他者を蔑み、囃し立て、悦楽に浸る。そして他者から批判されれば、頭ごなしに否定を繰り返し、都合の悪い人間を攻撃し、感情のままに行動をする。それが何の役に立つかと言われれば、何の役にも立たない、せいぜい自我が満たされるくらいで、自分の欲に忠実で従順な生き物はそれを基準に行動選択をする。その行動によって淘汰される弱者――自分以外の人間が目に涙を浮かべ、苦しみ、どこかで命を断とうが、気にも留めないだろう。かくいう私もそうだ。……原初的な意思はすべての人間に孕み、抑制が利かなくなった人間に揉まれることで、善良な人間は感化され、心に闇を芽生えさせるんだ。私はね、人殺しでありながら相談窓口でカウンセラーもしていたから、人が抱く苦悩には多少理解を示しているつもりなんだよ」

「……もしかして、あんたが殺してきた人間って相談窓口に訪れた人?」

「鋭いね、大半はそうだよ」

「どうしてそんなこと……」

「そうだね、主観的な理由で言うならば、死にたいと思っている人間に安い希望を抱かせるくらいなら死んで楽になった方がいいと思ってね。もちろん、彼らの同意があってのものだが」

「……そう。じゃあ、あんたは? そう言うあんたは死にたいとは思わないの?」

「生きるには値するが、始めるには値しない。これに尽きる。私たちは生まれてきてしまった。だから私は生まれてきてしまった以上、この際楽しむことにしたんだ」


 そう言って女は立ち止まり、僕の方をもう一度見た。


「さあ着いたぞ。ここがお前の死に場所だ」


 有刺鉄線に囲まれた建物は廃墟となった病院館。よほど大きな病院だったのだろう、正門からでも院内の広さが窺える。錆びた鉄の門を抜ける。剥がれたアスファルトは草に浸食されていて、老朽化した病棟は一部分、崩壊している。取り壊しを待っている廃病院は大きなコンクリートの霊堂のようだった。



 ライターの灯りは命の燈火のようにゆらりと揺蕩い、薄暗い病院内を小さく照らす。僕は彼女を見失わないようにぴたりと後ろについていく。この女性は殺人犯なのに、不思議と怖くはない。きっと僕の話も質問も聞いて答えてくれるから普通の人より優しいと感じるのだろう。怖いのはむしろこの廃れた病棟の方だ。確実に人間が亡くなった場所、ここはおそらく精神病棟だろう。怨霊が憑依したような染みだらけの階段を無言で下る。地下の廊下を死ぬために歩く。地下には重症患者用の個室がいくつも並んでいて、コンクリートが剥きだしになっている壁には血のような排泄物のような褐色のシミがへばりついていた。ここは悍ましいほどの負の空気に満ち溢れている。この院内に入ってわずかな時間しか経っていないのに、過去に起こったであろう悲惨な出来事を想像してしまう。だって、ここは普通の病院ではない。こんな刑務所みたいな劣悪な環境で患者を隔離している時点でおかしい。きっと、人体実験とか、不必要な手術が横行されていたに違いない。ここにいると僕の精神までおかしくなりそうだ。そう思った僕は前を先導する女に声を掛けていた。


「なぁ、ここに来た人はどんな悩みを抱えていたんだ?」

「聞いてどうする?」

「僕と同じような人もいるのかなって。少し思っただけ」

「何かと質問が多いが、良いだろう。自ら死を選んだ人間にプライバシーもあるまい。聞かせてやる」


 女は今まで自死介助をした五人の自殺願望者がいかにして死を選んだのか、包み隠さず考察する形で話し始めた。

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