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天命の巫女姫  作者: たけのこ
序章 昔日
20/285

0―20 王女③

 狙いは必然。迷うことなくその強靭な拳が白雪に振り下ろされる。

 だが、あり得ない話だ。

 拳で素手であの刀に挑むだなんて、馬鹿げている。

 白雪は咄嗟に刀を構え、守りの態勢に入っている。

 負けるわけがない。

 あの強度に勝てるわけがない。

 スパッと腕の肉が削ぎ落とされるだけだ。

 それなのに。


「嘘だ――」


 その男は羽虫を振り払うかのようにいともたやすく白雪を壁に吹き飛ばした。


「白雪っ――!」


 勢いよく壁に叩きつけられた白雪は床に膝を付いたまま立ち上がれないでいる。胸を押さえて苦し気に息を吐いている。結んであげたお団子髪はその衝撃で崩れ、手に持っていた刀さえも使い物にならないくらい破損していた。

 190センチほどの長身の男が前に出る。

 白雪の刀さえ受け付けないどころか、打ち砕くほどの屈強さ。

 歩く兵器。

 自身の肉体そのものが最大の凶器になる鋼の手腕を男は持ち合わせていた。


「我が渾身の一撃を喰らって、原型を留めているとは。見かけによらず化け物だな」


 銅像のような男は冷静にそう言って一歩、また一歩と白雪へ足を進ませる。


「お前っ!」


 感情のまま、雄臣は外套の内ポケットに隠し持っていた枝を手に取った。

 掴んだ枝を男に向ける。

 それはスイッチのようにOFFからONへ。


「Enchant――っ」


 掴んだ拍子に成長した一本の枝木から蔦が無限に派生する。緑の道筋は複数の束となって男の手足に絡まり付いた。

 男は力任せに振りほどこうとするが、蔦は成長し続け、途絶えることのない緑の鎖と化した。


「ふーん、やっぱりそっちも人間ではなく魔法使いだったってわけね」


 その後ろで俯瞰していたロミリアは優雅にそう言った。


「だいたいおかしいのよ。貴方みたいな自動人形が人間を連れてくるなんて。今までもこれからもずっと独りぼっちのくせに」

「ロミリア! お前、白雪を騙したな」

「ふん、笑わせないでもらえるかしら。あんな見え透いた罠に引っかかる間抜けが悪いのよ。外見と同じく中身もへなちょこみたいに純粋で、疑うことを知らないんだから」

「けど、お前は裏切ったんだ。白雪の純粋な心を利用して。お前の汚い心が――」

「――下郎。口の聞き方を弁えろ」


 瞬間、ロミリアの双眸が爛々と変色し出す。桃が林檎に様変わりするように薄い桃色の瞳が朱に染まり出す。それはまるでエーテルのような揺らめき。これは何か、見てはいけないものを見たような心の高揚。身体の疼き。その妖しげな瞳に危うく呑まれそうになる。


(――熱い?)


 そう思った時に高熱耐性を付着しておけばよかったと後悔する。

 熱の空気。

 空気の焼ける匂い。

 火の気配。

 瞬間、暴れるように伸びた蔦は木っ端微塵に灰と化した。

 すかさず、ロミリアの真紅の瞳が雄臣に向けられる。


「――⁉」


 異変はすぐに症状となって現れた。

 発汗し出す身体は息苦しい熱帯林にいるみたいだ。

 喉が渇く。

 身体中の水分が持って行かれる。

 水に縋りたくなるような暑さ。

 カラカラに乾燥した砂漠地帯にいるみたいだ。

 酷い眩暈と頭痛で空間が歪む。

 身体は熱く、重く、重度の熱中症みたいに意識が朧げになる。

 体温は50℃をはるかに超えている。

 さらに上昇し続ける体温。術を掛けなければ自分の身体は何処にでもいる普通の人間と変わらない。それを熱を持って思い知らされる。


「ぐっ――」


 皮膚がじりじりと焼ける。

 身体が燃えるように熱い。喉が火傷するみたいに痛い。


 これが、身体が、突然発火する――ことか――。


「……やめてください」


 その発火する気配は白雪の声で治まった。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 どっと溢れ出た額の汗を拭う。

 80℃近くまで上昇した体温は次第に平温へと下がっていく。


「白雪……」


 動けずにいた白雪はゆったり立ち上がり、刀を解除させた。


「いい判断だわ。ここで貴方が本格的に戦おうとするなら、この男は灰となって消えていたでしょうね」


 血のような瞳は薄まり、淡い桃色の瞳に戻ったロミリアから殺気が消える。


「でもどうしてかしらね? この男は随分贔屓されているようですけど」


 意味ありげな笑みを見せるロミリアと依然沈黙を貫く白雪。


「順序が間違っているわ。私たちの魔法を消し去りたいのならまずそこの男をやってから来ることね」

「……」


 白雪は何も言えず食い下がるしかなかった。この女はこのためにわざと身を差し出すようなことをやったのだろう。自分という不透明な人間の正体を炙り出し、弱みを握って反論できない状況を作り出したのだ。



 外は薄暗かった。

 日は既に沈んでいてここは月が綺麗に見えるほど空気が澄んでいた。冷たい風が頬に触れる。発汗していた身体から汗が引いていく。焼けるくらい熱かった身体もひんやり冷えていく。


「ごめん、白雪。僕が魔法を見せたばっかりに……」

「良いのです。それよりあなたが無事でよかったです」


 そんなこと大したことない、とは言えなかった。

 いかに優れた自然治癒力を持ってしても死んでしまえば無意味だ。灰になって実体がなくなればついになる。目を見たからか身体は魅了されたかのように動かなかった。そもそもあの時、ロミリアの視界に入った時点で摘んでいたのかもしれない。


「……白雪は大丈夫か? 怪我とか」

「はい。あばらが三本、折れた程度ですから」

「っ! いやそれ重症だろっ!」

「タケオミは大袈裟ですね。もう治っています」

「本当か……強がりじゃないんだな」

「はい」


 頑丈だし強いけど、身体は小さいし、華奢だからどうしても心配になる。

 城を出た白雪は壁に向かって歩き出した。

 家々の軒下からこぼれるわずかな光が道と建物を照らし出す。食事時だからか、街中にはほとんど人がいなかった。


 無言のまま生活圏を抜けると、一寸先は闇に沈んだ水田。等間隔の街灯が放つ光は田んぼの割合に対して数が圧倒的に足りていないというか、そもそも稲仕事は昼の仕事であるためか、立ち入る人間がいないため、道はほとんど真っ暗だ。


「なあ、白雪。あいつ――ロミリアは水を操る魔法使いじゃないのか」


 あれは『水』ではなくその真逆。間違いなく古流『炎』を得意とする魔法使いだ。


「……あれは反転です。瞳が切換の役割を果たしています。この田んぼの水からも、発火した蔦の燃えカスからも、彼女と同じ魔力を感じました」

「ってことはあいつは二元素使いってわけか」

「……そういうことになりますね」

「それとあの巨漢。白雪を不意打ちでぶん殴った奴……あいつはどうして白雪の刀を受け付けないんだ。魔法らしきものは確認できなかったけど、刃物を寄せ付けない身体なんてどうかしている」

「……あれは不思議ですね。タケオミのように一時的に魔法の効果を帯びさせるというよりは個体そのものが既にそうなっているような感じです。魔力消費を度外視した定められた永続的な運命の中で生きているような」


 よく分からないが、男の打撃を受けたことで何か感じ取ったものがあるのだろう。


「……白雪、これからどうするんだ」

「それはこの町の行く末についてですか?」

「ああ」

「ロミリアが告げた通り、筋を通さない限り魔力の切断はできません。私の理念に反しますが、こればっかりはどうしようもありません」

「でも力を行使すれば」

「いえ、止めときます。相手の正論を力でねじ伏せるほど、私の矜持は低くありません。それに他の魔法使いがどんな能力を有しているかは分かりませんが、正直今まで会ったどの魔法使いよりも手強いです。おそらく今の私では勝機は薄いでしょう」


 とりあえずは現状維持ということか。楽観的にならない所はいいけど、何だか白雪らしくなくて本人からそんな言葉が出るなんて思わなかった。


「ですが悪事を働かせた場合は容赦なく潰します」

「……その時は僕も加勢するよ」

「……」


 白雪は見落としてしまうぐらい微かに頭を縦に振って、その後立ち止まった。


「白雪?」


 ぼんやりと頼りなさげに灯る街灯の下、白雪は物欲しそうな目を向けた。


「……タケオミ。もう一度、髪を結んでもらうことは可能でしょうか? お団子髪に、して欲しいです」


 ほんの若干、照れくさそうに言った白雪を見て、雄臣は何だか嬉しくなった。自分から自分のために何かをして欲しいだなんてそんなことほとんど口にしないやつだったから、なんかすごくよかった。


「ああ! 白雪がして欲しいなら何度だってやってあげるよ」


 街灯と月の光が交差する中、白く輝く髪をお団子状に結び直した。


「……できたぞ。お団子二つにしてみた」


 髪が長いから余裕で二つできた。


「本当ですか?」


 白雪はくるりと振り返ると、両手で二つのお団子髪を確かめるように触った。


「ありがとうございます。……似合いますか?」

「ああ。かわいいよ」

「……」


 微笑んだように見えた白雪の顔を見て、雄臣は少し残念に思った。もっと空が明るければ彼女の笑った顔がはっきり見えたのにと。

 帰りも一苦労して壁をよじ登った後、同じように衝撃耐性を付着させ、白雪を抱きかかえたまま壁の外へ――見えない暗闇の地上に降りた。


「タケオミとはここでお別れです」

「ああ。そうみたいだな」


 白雪と一緒に他の街も訪れてみたかったけど、これ以上遠くに行くと帰りが何時になるか分からない。名残惜しいが切り上げることにした。


「ではサヨナラです」


 白雪の背中が遠ざかっていく。


「白雪……その、心配なんかしてないけど、気を付けろよ」

「? よくわかりませんが心配は無用です。それよりタケオミ、くれぐれも道に迷わないように。今日は星がまばらです」

「ああ」


 白雪は振り向くことなく行ってしまった。

 闇に白い身体が覆われていく。

 白が黒に溶け込んでいく。

 雄臣は白雪の小さな背中が見えなくなるまで見届けた。



 真っ暗な家の中。

 灯りは一つも点いていないが、目は暗闇に慣れていた。

 あれから道なき道を走って、森の中を走って、数時間。

 居間の時計を見ると時刻は午前三時少し前。

 雄臣はそのまま二階へ――自分の部屋のドアに手を掛けた。とその前に美楚乃の寝顔を確認しておこうと思って、彼女の部屋をそっと開けた。


「ただいま、みそ――」


 起こさない程度に発した声はそこで途絶えた。


「美楚乃?」


 呆然とベッドを眺めた。

 ベッドの上に美楚乃はいない。

 美楚乃の姿はどこにもいなかった。

 机に置いてある常夜灯の灯りを試しに付けたが、やっぱりいない。


「――」


 咄嗟に居間に戻って、探し回ったがどこにも見当たらなかった。


「美楚乃、美楚乃っ。どうして――」


 こめかみを押さえる。

 今日はやけに動いたからか、何だか頭がよく回らなくて、冷静な判断ができない。

 頭はいないことで完結してしまってパニック状態だ。


(連れ去られたのか? いや、結界がある。そんなことはないはずだ。なら出歩いたきり、帰れなくなったか? だったら何処かで泣いているかもしれない。こんな夜遅い時間、こんな夜寒い時間、森の中で迷子になって……いや、早まるな。もしかしたら……)


 許容を越えた不安と焦りを何とか抑え込んで、階段を上った。

 自分の部屋の前に立つ。

 もうここにいなかったら探しに行くしかない覚悟で、部屋のドアを開けた。


「……」


 膝から崩れ落ちる。どっと疲れて脱力感が身体中に押し寄せた。


「ああ、良かった……」


 先走って一人勝手に焦った自分が馬鹿だった。でも本当に良かった。

 雄臣のベッドの上で美楚乃は眠っていた。

 美楚乃は布団に顔を埋めながらぐっすり眠っている。

 鉛のように重くなった身体を起こす。雄臣は脱いだコートをハンガーラックに掛けた後、そのままベッドに横たわった。


(本当、心配したんだから、なっ)


 自分が悪いんだけど、ちょっと軽く八つ当たり程度に頬をむにっとつまんでやった。


「んーっ」と声を漏らした美楚乃は、ごろんと寝返りを打つ。

「おっと……」


 そのまま、美楚乃は雄臣の懐に入り込んできた。まるで猫のように暖かいところを見つけ出したかのように。

 安心感のある温かい抱き枕。

 美楚乃の体温と心音が身体に伝わる。

 美楚乃は陽だまりのように暖かかった。

 今日は何をして過ごしていたのだろう。夜は何を食べたかな。楽しいことはあったかな。


「……」


 そんな一日の出来事もすべて、一つの状況に直結する。

 何をするにも一人である情景が思い浮かぶ。


「……僕の寂しさに付き合わせてごめん」


 思わず寄り添う手に力が入った。


「……ん、にぃさま?」

「悪い。起こしちゃって」

「あれぇ、これってまだ夢の中?」


 どうやら夢と現実の区別がついていないようだ。


「いや、現実だよ。今帰ってきたんだ」

「そうなんだ。あのね、今ね夢の中でもこうやって一緒に寝てたんだよ」

「何か、照れくさいな」

「でも起きた今でもこうやって一緒に寝てるんだよ?」

「それは、美楚乃が僕のベッドで寝ているからだろ?」


 雄臣は急に恥ずかしくなって、美楚乃に抱き着いていた手を離した。


「やだ、離れないで、ぎゅってしてて。布団より兄さまに包まれたい。ねえ、お願い」


 縋るような目つきで寝起きだからかとろんとした表情を浮かべる。


「……お互いさまか」


 夜はまだ深い。

 美楚乃を起こしたのは自分で、自分も今日はやけに眠い。

 雄臣は無言のまま美楚乃を抱き寄せる。


「えへへ、幸せ」


 それは実の兄に言うべき言葉じゃない気がする。けど、心が満たされているのは自分も同じだ。

 美楚乃はやっぱり猫のように頭をスリスリして、思う存分密着する。


「兄さま兄さま、ん~、ん~、ん~」


 本当、猫だ。喉を鳴らす猫みたいに感情が駄々洩れだ。

 でもそれは寂しさから来る反動だろう。求めていたからこんなに甘えてくる。それは美楚乃に限ったことではない。

 本当はそう、自分だって、いや美楚乃よりも、ずっと孤独に弱い人間なんだ。


「おやすみ、美楚乃」

「うん、おやすみ。兄さま」


 寄り合いながら瞼を閉じて。

 独りの心細さを、親のいない寂しさを、失うことの恐怖を、お互い埋め合うかのように。

 眠りに落ちた。

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