インタールード①(寂しい夜と悼む心)
ニアは自分の膝の上で微睡む春色の髪をした少女の額をさする。眠気が永遠に訪れなくなったニアは今宵もロミリアの寝顔を見守っていた。
無駄に派手で豪華な内装。ロミリアはこのふざけた煌びやかさを気に入っていた。特にこの天蓋付きのベッドは王女として国を統べていたあの頃を思い出すようで、初めて見たときは嬉しそうだったのをよく覚えている。
ここには自分たち以外の来客はいない。このホテルは経営難を理由に放棄され、廃墟という形でそのままの形を残している。それを自分たちで暮らしやすいように加工したのがこの一室だった。
毛布にくるまれたロミリアがもぞもぞと動く。
密閉されたホテルの天蓋ベッドで、自分の膝を枕代わりにしていたロミリアが目を覚ます。時間帯的に覚醒するにはまだ早い、真夜中だ。
「どうした?」
「…………んぅ、なんか、寂しいかんじ……」
寝ぼけているのか。
丸テーブルの上に置きっぱなしになっていたブランデー、その隣にある紅茶のブールドネージュを取ろうと、ロミリアは懸命に腕を伸ばした。
「なんだ、腹が空いたのか? それなら身体を起こせ、はしたないぞ」
「……ん」
彼女は眠そうに頷き、上体を起こす。豊かな桃色の髪がさらりと肩に流れる。黒いネグリジェ姿のロミリアは、戦闘中の彼女と違って、ほっそりと可憐で、さながら羽根のない妖精みたいだ。
ベッドの端に腰を下ろしていたニアはそれが載っている皿をロミリアの手が届くところに持ってくる。
「……ありがと」
ロミリアはブールドネージュを手に取り口にする。背中をぎゅっと丸めながら食べるロミリアの仕草にニアは何となく異変を感じた。
「どうかしたのか?」
「……別にどうもしないけれど、この寂しい感じはお腹からくるものじゃなかったみたい」
もぐもぐと食べながら言うロミリア。
「そんな薄っぺらな恰好でいるからじゃないのか」
「関係ないわ。体温調整は得意だもの。それともなによ、ネグリジェ姿はお気に召さないわけ?」
「いや、そういうわけではなくてだな」
ニアはブールドネージュが載った皿をベッドの端に置く。ベッドの真ん中に座るロミリアの肩に手を回し軽く抱き寄せた。
「な、なによ、急に抱き着いて」
「……身体が冷えているわけではなさそうだな。むしろ俺より温かい」
「だからそう言ってるじゃない」
「そうか。早とちりだったみたいだな」
ニアがロミリアから離れようとすると、彼女の手がニアの腕を掴んできた。
「たぶん、代謝の方じゃなくて、心が寂しいのよ」
すると彼女は猫のようにしなやかにニアの腕の中に崩れ落ちた。首を微かに上げながら頬をすり寄せてくる。魔法による特性かどうかはさておき、上気した頬は陽だまりのように熱かった。
「…………ニア、寂しいわ」
「やけに素直だな。昔はもっとつんけんしていたというのに」
「……う、うるさいわね」
ぼそりとちょっと拗ねつつも、ニアの腕にすっぽり収まったロミリアは彼の首に腕を回して、抱きついてくる。柔らかくも量感のある胸がニアの胸板に強く押し当てられる。しばらくの間、この状態が続いて、甘えてくるロミリアの幼気な姿に、ニアの理性が流石にもたないなと思った時、ロミリアが小さく呟いた。
「本当、何かしらね、これ……」
「いやな夢でも見たんじゃないのか?」
「わからないわ。けど、やっぱりなんか、寂しいのよ……」
「リア」
「?」
抱きついていたロミリアの腕が少し緩んで、彼女はニアの顔を見た。
「んぅ……」
するとニアはロミリアに口付けをした。寂しいと甘えてくる彼女を安心させるように優しく撫でるように彼女の柔らかな唇に自らの唇を押し当てる。
「これでも駄目か?」
「…………もっと」
紅潮した顔を上向いてキスを求めるロミリアにもう一度キスをした。彼女が満足するまで何度も唇を重ねる。それこそ、一時間にも思える口づけを繰り返して、ニアはロミリアから顔を離した。
「リア……」
「はぁ、もしかして、したくなったの?」
「まあ、なんだ、お前は何度抱いても抱き足りないしな」
「ふ……ぞっこんじゃない」
「ああ、お前が思っている以上に俺はお前を愛してる」
「そ、そう……」
ロミリアは照れくさそうにニアから微かに視線を逸らすが、ニアはロミリアの肩を掴んで離さない。
「それで寂しいのはなくなったか?」
「……そうね、あなたのキスは好きだけど――」
そう言いかけた途端、ニアはロミリアをそっとベッドに押し倒して覆い被さった。その拍子にベッドに置いていた皿が落ちてブールドネージュが床に転がる。
「あ――」
「すまない。今、片付ける」
「もう、なんてとこに置いてるのよ」
ベッドから降りてニアは床に転がったブールドネージュを一つ一つ拾い集めた。そうして最後の一粒を拾って立ち上がると、ロミリアと目が合った。彼女はなぜか瞳から涙を流していた。
「リア?」
ニアは呆然と立ち尽くした。何があったのか少し戸惑った後、その涙が何を意味するのか、ニア自身もすぐに理解した。ぽっかりと心に穴が開いたような寂寥感、喪失感。もう一生埋まることはないだろう。
「…………雄臣が何者かに殺された……あなたも感じてるわね」
「……ああ」
そう微かに呟き、ニアは拾ったブールドネージュを一粒自身の口へと運んだ。少しパサついた食感がするだけで味は全くもって分からない。
「汚い、わよ……」
ロミリアは涙を拭いながら言う。
「捨てるために作られたんじゃない、食べるために作られたんだ。と言っても、何を食べても無味無臭な俺なんかよりお前に食われた方がこいつも幸せだったと思うがな」
「……そうかも、しれないわね」
ニアは皿をテーブルに戻して、ベッドの端に腰を下ろした。
しばらくの間、沈黙が続く。――と、ロミリアが背中合わせに寄り添ってきた。
「時間の誤差はあるかもしれないけれど……魔法による不老の効果が消えないことを考えると、雄臣を倒した者が意図的にその効果を破棄しないでいるのかしら?」
「魔力の核となる心臓が潰されていないのならそうだろうな」
「雄臣は組織の魔術師に……敗北したの?」
「さあな」
「……だとしたら信じられないわ」
背中越しに話すその声音には隠しきれない驚きと怒りのようなものが滲み出ていた。
「リア、お前今何を考えている? まさか復讐をするつもりじゃないだろうな」
「……。復讐なんかじゃないわ。これはけじめよ。力持つ者としての責任、雄臣の友人として、思うだけでは駄目だわ、戦うことで意志を示さなければ、組織の悪行を認めていることと変わらないもの」
そう言うとロミリアの背中が離れて、再びニアの膝に頭を乗せてきた。決意を秘めた白い顔がレースのカーテンの隙間から差し込まれる月の光を浴びて鮮明に浮かび上がる。何が何でも賛同を得たいらしい。
「友人ならばあの時、何が何でも奴の悪行を正すべきだった。……とは言え、お前の言う通り、関わりある以上、旗色は出すべきなのだろう」
「じゃあ……」
「はぁ、俺が否定したところで考えを改めるつもりもないんだろう?」
「それは、そうだけど、あなただって私が間違ったこと言ってないから賛同してくれるのでしょう?」
「賛同はしていない。ただ、お前がそう判断したのなら俺はお前の力になれるよう尽力するだけだ」
それを聞いたロミリアは嬉しそうに頬を弛ませ、ニアの頬に手を添えた。
「ありがとう、ニア。私もあなたのことすっごく愛しているわ」
感謝と敬意にこもった笑顔で言ってキスをした。
少しするとロミリアは眠りについた。膝枕から腕枕に体勢を崩したニアは腕を伸ばして毛布を手に取り、ロミリアに被せる。右腕に乗せた彼女を守るように引き寄せ、もう片方の手を彼女の背中に回し、優しく抱きかかえる。――寂しげな夜はそんな風に過ぎて行った。




