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天命の巫女姫  作者: たけのこ
8章 邪知暴虐Ⅱ<アクアリウム血戦>
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8―2 前世の記憶

 思い出す記憶は、苦痛に泣き叫ぶ少女の悲鳴だった。

 もしかしたら腹から生まれた時に泣き叫んだ産声は、彼女のものではなく、その少女の悲鳴だったのかもしれない。

 生まれた時にはすでに誰かの記憶があって、生まれた時点で既にやらなくてはいけないことは決まっていた。痛みや寂しさは愚か、喜怒哀楽の感情すらもまだ持ち得ていないのに、彼女の記憶には泣きながら冀い続ける少女の声がある。


 ■■■に会いたいと

 ■■■と話がしたいと

 ■■■と一緒にいたいと


 ずっと頭の中で呼びかけてくる見知らぬ少女の魂を生まれながらにして彼女は持っていた。今となってはこれが前世の記憶というものなのだろう。


 ずっと何かを探していて

 ずっと何かを求めていて

 ずっと何かを恨んでいて

 ずっと何かの役に立ちたいと思っていた。


 十四歳の時。『あなたは私の娘じゃないっ!』と、激情した女がナイフを持ちだして殺しにかかったので、真剣を使ってズタズタに切り崩してやった。


 必死だった。この命はもはや彼女のものではなく、もう一人の少女のものだったから。今持つ技量を用いて邪魔な女の手足を、煩わしく喚く女の顎を切断して、完膚なきまでに殺した。我に返ると剣道場では細かく解体された母親だった肉片が横たわっていた。


 結果として彼女は当主である父親に破門され、魔術の継承権を剥奪されてしまった。命があるだけよかったと思えればよかったが、彼女は怒りを覚えた。だが決して理不尽な処遇に対して怒っていたのではない。ただ単に、■■■を守れるような力が欲しいという少女の願いを奪われた気がして憎んだのだ。


 それから飲まず食わずであちらこちらを歩き回って三日間が経った。その日はとても寒く、みぞれ交じりの雨だった。寒空の下、凍える足を彷徨わせていると、薄闇の街中で一人の男と会った。


 今思うと母を殺し、父に追放されたのは、このためにあったのかもしれない。その男は彷徨い続ける亡霊のような顔をして、ずっと何かを探しているようだった。会うのはこれが初めてだが、記憶の中にある男の面影とどこか似ていて、男の声音を聞いた途端、前世の記憶はより明瞭となった。


『私の名前は閻椰雄臣だ』


 言われなくてもその男の名前を知っていた。念願の再会だった。

 破門した剣崎家の復讐を口実にその男に魔術を開花してもらい、その結果、彼女は魔術師にとって大切な要素である血液を原点とした魔術を付与してもらった。その見返りとして彼と一緒にいることを約束した。


 それから月日は流れ、十六歳。剣崎家の屋敷を遠くから偵察していると、見知らぬ少年が庭で刀を振るう姿があった。身籠らせる道具も受け継がせる人形も失ったというのに、剣崎陰仕という男は執念深く、新たな素材を育て上げていたのだ。別の女に身籠らせたにしては年齢がそぐ合わないその少年。少年の背丈からして孤児院の子どもを養子として引き受けたことはすぐに分かった。

 この時はなぜ魔術を引き継ぐことが不可能な子どもをわざわざ引き取ったのだろうと疑問に思ったが、あの夜、あの広場で、あの剣術を見た瞬間、その疑問は解消された。陽玄というその少年もまた、生まれながらにして特別で、普通の子じゃないからあの男は引き取ったのだと。


 この時抱いた怒りの感情は紛れもなく彼女本人のものだったに違いない。

 そうして日々、自身の魔術を熟練させるための鍛錬を繰り返し、魔法使いの男と会って五年の年月が経った。

 その時にはもう霧がかかった前世の記憶はほとんど蘇っていた。

 名前も顔もどんな少女だったかも知っている。

 少女の名前は閻椰美楚乃。ラムネ色をした大きな瞳と青みがかった黒髪をしていて、兄のことが大好きな可愛らしい女の子である。


 だがその少女に対する仕打ちは悲惨なものだった。組織に拘束された彼女は、口の開きが小さいからという理由で口の端をナイフで大きく切り裂かれ、嵌められた開口具でさらに無理矢理こじ開けられた。その口の中に心臓やら臓器やらを詰め込まれて、露出したへそに指を突っ込まれて、強制的に魔法を展開させられた。そして何度も何度も孕まされ何度も何度も出産を繰り返した。尿の出るところと、便の出るところの間にあるもう一つの通り穴から、赤ん坊が、時には成人並みの人間が、またある時は得体の知れない生き物が、そのせいで少女の股穴は醜いほど広がり、しまいには破けて、もう一生閉じることはないまま、上から下へと産むための肉人形と化した。そして死ぬまでずっと……、最期にはもう何がどうなっているのか、分からないくらいに、惨たらしく……。


 だが少女は死ぬ瞬間までずっと兄のことを想っていた。自身の身体が母胎としてのカタチに遂げられようとも願い続けていた記憶。苦痛に藻掻きながらも兄のことを好きでいた記憶。事切れる最後まで狂うことなくずっと冀った記憶がある。


 今度は自分が兄を助ける番だと。

 兄の力になって兄の笑った顔がみたいと。

 強ければ兄の傍にずっといられると。

 

 それだけをただ願って、それ以外は何もいらなくて、兄が幸せになるなら他の人間なんかどうでもよくて世界の平和なんかどうでもよくて、だから生まれ変わったら兄を守れる強い妹になりたいと。それだけをずっとずっと願っていた――。



「……」


 夜の公園の入り口前で物思いにふけた剣崎陽毬は煙草を吸っていた。

 前世の記憶が脳の中に訴えかけてくるのは、これから記憶の少女の願いとは相反することをしようとしているからだろうか。


 十一月二十四日。


 公園内に突き刺さった墓標のような時計の針が午前零時に差し掛かろうとしている。

 陽毬は口に咥えた煙草を捨てて、靴底で踏み潰す。


「そろそろ行こうか」


 彼女はベビーカーの中で眠り姫と化した白髪の戦乙女に言葉をかけた。

 当然だがその言葉が聞こえているわけがなく、返って来るのは口から漏れた自分の白い息だけである。

 はぁ、ともう一度白い吐息を零す。


「どうやら破瓜の痛みが疼くみたいだ。だがこの痛みももう知っている。痛みに関して知らないものがないのは残念だよな、美楚乃」


 記憶の少女に語り掛けるように一人呟いて乳母車を転がしていく。

 陽毬は霧に包まれた森の中を歩く。人がわんさかいた夜の町とは違い、ここには人の匂いは愚か木々や土の匂いも一切ない、冬独特の無臭と冷たい外気がきりりと肌を刺すだけである。


 何かを口に咥えたくなって再び煙草をふかした。

 今から数週間ぶりに閻椰雄臣と会う。

 会って、この手で彼を殺す。

 その覚悟は組織の連中に告げる前からできていて、剣崎陽毬として彼と会うのはおそらくこれが最後となるだろう。


 心霊スポットのように廃れたアクアリウムが目に映る。その跡地に辿り着いた陽毬は正門前でベビーカーから戦乙女を赤ん坊のように抱き上げた。

 煙草を吐き捨て、そのまま腰を下ろして我が子を愛でるように抱き寄せる。


「欲しいものを何でも一つあげるから、必ず私のもとに戻ってこい。本格的な復讐はその後だ」


 抱き寄せた戦乙女の口元で伝えるべきことを囁いた後、三、四十メートル後ろに立ち尽くす気配を感じて鼻で笑う。


「寄越した駒はたったの二人か。いいよ、初めから当てになどしていない」


 陽毬は赤銅色の外套のポケットから取り出した紐で戦乙女を背負った。

 荒地に成り果てた敷地内にある二十五メートルプールに沿って、水族館の入り口に足を踏み入れた。

 水のテーマパーク内には観賞用の濁った水槽が乱立していて、辺り一面、ガラスの破片が散らばっている。中でも一際大きな水槽には防腐液に浸された状態で放置された巨大ホホジロザメの姿があった。他にもクジラの臓器が標本されている。後は暗くて何だか分からないが、濁った水槽にはきっと観賞魚の死骸やゴミが浮遊しているのだろう。


 観賞施設の奥に行けば行くほど、人を寄せ付けない怨念のような負の空気はより濃くなっていく。普通の人間であれば、この異様な空気感に耐えきれず発狂するレベルだろう。それが結果的に結界のような役割を果たしているが、そもそも来るもの拒まず殺してきた強者にそんなものは不要であるため、陽毬は早々と男が待つ二階へと、古びた階段に足を掛けた。


 二階は一階よりも広く感じた。

 四十メートル先には黒い外套を羽織った男が、部屋の隅に追いやられた瓦礫の上に座っている――魔法使い、閻椰雄臣の姿だ。彼がいるこのフロアと一階は丸っきり世界が違うように感じた。極端に言えば、生と死、天国と地獄のような構図。現にここは男を中心に沢山の植物に囲まれていて、男の背後には高さ七、八メートル、幅十五、六メートルのアクリルパネルに隔てられた巨大な水槽があった。だが天国と形容したここも、もしかしたら地獄絵図の一部なのかもしれない。赤く濁った大水槽の中には巨大な何かが泳いでいた。

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