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天命の巫女姫  作者: たけのこ
断章 とある兄妹の命運
188/285

0―38 殺戮劇―渦中―

「十、十一……十二、……あと三つ。殺した数は……あー、もう分からないわね。でもたくさん殺しちゃったわ。怒られる? 怒られるかしら? でも逃げずに歯向かってきたんだし、仕方ないわよね」


 城壁の回廊を歩く一人の女。返り血を大量に浴びた髪は赤く、顔も赤く、手も赤く……眼中に血液が入り込んだせいか、それとも周囲の物体そのものが赤いからか、とにかく視界は赤で埋め尽くされている。


「はぁ、どうしましょ。歯止めが効かなくなってきたわぁ」


 心の奥底から込み上げてくる快感に疼く子宮。

 殺ってしまった背徳感と高揚感に蕩ける脳神経。

 ヤレばヤルほど、どつぼにはまっていく行動原理。

 それを止める術を彼女は持ち得ていない。

 故に何度も迎えるオルガズムの域。

 異性とは違い、何度絶頂を迎えても治まらないこの身体。

 思う存分、抑え込んでいた禁忌的本性を曝け出したローゼは、止めに入る者がいない限り欲望を貪り続ける色欲の獣。


「はあ、この感じ、懐かしいわ」


 破壊し尽くした城を見て、あの頃を思い出す。

 お城。

 女王様。

 殺戮。

 あの時とまるっきり同じ状況に、ローゼの心情はさらに昂ぶり、興奮と恍惚に満ちた表情を浮かべる。


「トゥインクル、トゥインクル」


 呟くそれは王子を呼び寄せる魔法の言葉。

 はるか遠く、この大陸ではない、別の大陸――ニッケル地方の小高い丘には、後に惨劇の舞台となる居城が聳え立っていた。

 ローゼはそこの箱入り娘のお姫様。

 後世に伝わることになるだろう人類史上最も酔狂な殺戮女王――ローゼ・メアリーが、この城に嫁いだのは、御年十三のことである。


 純粋無垢なローゼは、夢見ていた。煌びやかなドレスと神々しい宝石を着飾り、舞踏会で踊る日々を。

 だが憧れていた王宮の暮らしとは程遠い日々だった。

 ローゼは毎日泣いていた。義母とその連れ子である姉たちに日々いじめられていた。各地域の戦で不在中の夫に代わりに、この城を牛耳る義母とその姉たち、義母派の侍女は、躾と称してローゼを説教部屋に監禁した。そんな日々にローゼの心は荒み、義母たちによる陰湿な躾を恐れる日々だった。


 そんな彼女の唯一の楽しみは本から得られる知識だった。

 数ある童話の中で、特に気に入っていた絵本が「シンデレラ」であった。物語に出てくるシンデレラと自分の境遇が似ていたからだろう。この絵本からは、辛いのは自分だけじゃないんだという勇気と、自分もいつか素敵な王子様が迎えに来てくれるという希望をローゼにくれた。


 あるとき、城で舞踏会が開かれた。姉たちは着飾って出ていくが、ドレスを没収されたローゼには着ていく衣装はなく、ボロ雑巾のような服しかなかった。それでも、どうしても舞踏会に行きたいローゼは、義母に何度も何度もおねだりをする。

 だが、義母はローゼの手を掴むといつもの説教部屋に彼女を連れて行った。

 鍵を掛けられ、閉じ込められたローゼは、ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら何度も何度も謝る。けれど、その扉が開けられることはなく、ローゼを放置したまま義母たちは、舞踏会へと赴いた。


 助けて、と叫んでも誰も助けてくれやしない。

 苦しいよ、と思っても誰も慰めてくれやしない。

 あるのは真っ暗な闇。視界が慣れても自分の手の形すら認識できない程の深淵のような闇。それが恐くて苦しくて悲しくて、それが寒くて寂しくて悔しくて、狂いそうだった。


「トゥインクル、トゥインクル」


 絵本で読んだことのあるおまじない。トゥインクル、トゥインクル、と二回魔法の言葉を唱えると、素敵な王子様が助けに来てくれると言う。


「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」

「トゥインクル、トゥインクル」


 けれど何度唱えても、誰も来てくれやしなかった。来るのは真っ暗な闇と凍えるような寒さだけ。日付けが変わっても、この扉が開くことはない。


(……ハハ、ハハハハハ。……童話通りにいけば、舞踏会に行きたがる私を、不可思議な力が助けてくれて、舞踏会に行く準備を整えてくれるはずなのに。そして、魔法が解けてしまう午前零時までに帰ってこられるように頑張るの。それから私は、お城で王子様に見初められて、けれど零時の鐘の音に焦って、急いで帰らないといけなくて、そのせいで階段で靴を落としてしまって……。でも王子様は、靴を手がかりに私を捜してくれて、最終的にその靴のサイズが合うのは私だけで、私は王子様に見出されて、妃として迎えられるはずなのに……)


 そんな絵本の中での物語を本気で信じ切っている粋な妄想に、次第にケラケラと馬鹿らしくなって、笑えてくる。

 希望は絶望へ。

 当たり前だが現実はフィクションとは違う。フィクションの登場人物に自分を重ね合わせたところで、自分が自分であることは変わらない。現状は何も変わらない。この城の中で弱い立場であるローゼは、これからも義母の顔色を窺いながらご機嫌取りをし、少しでも気に障ることがあると、こうしてまた説教部屋に押し込まれるのだろう。

 弱者は強者に虐げられるのみである。


「トゥイン、クル、トゥイン、クル、トゥ、インクル、トゥインク、ル、トゥイ、ンクル」


 その魔法の言葉は、いつの間にか王子様の助けを呼ぶものではなく、自分の心を正気に保つための言葉と化していた。

 だがいつまで経ってもこの硬く冷たい鉄の扉が開く気配はない。


「トゥ、インクル、トゥイン、クル、トゥインク、ル、トゥイン、クル、トゥイン、トゥイン、クルクル、トゥ、トゥ、トゥトゥ、トゥトゥトゥ、トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥ……」


 壊れたゼンマイが動き出すかのように、口遊む魔法の言葉の原形がなくなっていく。

 苛烈極めた躾と暗い暗い説教部屋に閉じ込められて、ローゼの幼い心は完全に壊れた。

 ローゼがようやく説教部屋から出られたのは翌朝だった。

 恐くて眠ることのできなかったローゼは、よろよろと自分の部屋で眠ることにした。

 眠った。

 眠った。

 たっぷりと眠った。

 そうして目を覚ますと、すっかり外は真っ暗だった。

 真夜中に目覚めるローゼがやることはただ一つ。


 ローゼによる復讐劇が始まった。

 調理場に向かったローゼが手に取ったのは、果物を切るためのペティナイフ。

 ローゼは物音立てずに義母の部屋に忍び込む。ベッドの上で眠る義母は、グァー、グァーと大きないびきを立てている。ローゼは義母の横顔をじーっと眺める。自分を散々罵倒してきた汚い口がある。ローゼはナイフの切っ先をその口の端に忍ばせた瞬間、躊躇うことなく、切り裂いた。

 何事かと喚き声を上げる義母に、ローゼは容赦なくもう一方の口端を切り裂いた。

 激痛に悶える義母にローゼは愉し気にこう囁いた。


「これでもう助けを呼ぶことはできないね」


 その瞬間、復讐の啖呵を切ったローゼは、問答無用で義母の身体を切り付けた。


「これでもう抵抗することはできないね」


 言うと、ローゼは義母の片足を掴み、引きずる。

 引きずってやって来たのは、灰かぶりよろしく、埃まみれの説教部屋。

 醜く憎い義母への本格的な復讐はここから。


「私、痛かった。すごくすごく痛かった。心も体も……、痛かったんだよっ‼」


 血に塗れた激しい折檻の末、かつてない興奮と恍惚に心と身体が踊り出すように震える。

 そのオルガズムに自分を失い、我を忘れた。


「うざいその口、縫い付けてやる♪ 蔑みで歪む目、くり抜いてやる♪」


 手当たり次第に、ナイフを使って解体していく。

 爪を捲った。

 指を切り落とした。

 目玉を抉った。

 腸を捥ぎ取った。

 下顎を外した。

 皮を剥ぎ取った、

 何かを壊す度に体内に潜む血が嬉しそうに共鳴する。

 それは――根本的に痛い異常行動、本能的に深い殺戮衝動。

 際立って行く危険思想、と、とろけていく三叉神経。


 ――ふと。

 我に返ると足元にはぐちゃぐちゃになったデタラメな肉塊――過去になったモノ、義母であったモノがあった。


「あぁ、どうしましょ、どうしよう、まだ足りない。全然足りないわ。もっとたくさん。もっと大胆に。もっと惨く。もっと愉しく。もっと煌びやかに。もっともっともっともっともっともっともっと……この城にいる人間全員、殺したい」


 泥遊びをしたかのように義母の血液で真っ赤になったローゼの顔が微笑んだ。

 それに呼応するかのように体内に流れる血液が喝采を上げる。

 溢れ出る、痺れるようなドーパミン。

 沸き立つ血液がローゼをより美しく、より冷酷にさせる。

 真っ暗な夜。静寂なる城内で悲鳴の声がこだまする。その中で一人の少女の狂った笑い声がする。

 悦びに目覚めたローゼは、寝込みを襲って次々と殺していく。

 殺していく度、ローゼの加虐の火に油が注がれていく。


 たった一人の少女による血の粛清。

 前代未聞の殺戮劇が終わったのは、朝だった。


 迎えた朝は清々しく。

 ローゼは汚れた服を可愛らしいドレスに着替えて、手や首、耳に美しい宝石を身に着けておめかしをした。

 玉座の間で座るローゼは、眩い朝日に照らされながら辺り一面に転がった肉塊を眺める。微睡の中で見るそれは、まるでショートケーキの上に乗っている大きな苺みたいだった。


 それが彼女が今まで生きてきた中で最も綺麗な光景だった。


「あぁ、そんな光景がまた見られるなんて、私、嬉しくてよ」


 大人の女性になっても何も変わらないローゼ。処女喪失の痛みを知らぬまま成熟したような女性は、ロミリア城の玉座の間で殺し尽くした人間の肉塊を嬉しそうに眺める。


「ああ、なんて素晴らしき光景なのかしら。離れるのが心惜しくてよ」


 鉄が錆びた匂いを鼻から吸って、死に立てほやほやの血の化粧水に身を浸す。自分の毛穴に血液が染み込んでいく感触は気持ちがいい。爪に入り込んだ血液は赤い爪化粧のようで可愛らしい。染み込んだこの衣服は赤いドレスのようで美しい。

 毛先から血の雫が滴り落ちる。

 瞬きをすると涙のように睫毛に付いた血が流れ落ちる。

 ローゼの膝には、数ある宝石筥の一つ、彼女の魔術で形成された回収用の筥がある。鉄格子のような色彩で、細かく美しい花のモチーフが装飾されたその中は、物理的時間が存在しない魔法のような空間。その空間には十五個の生きた心臓が敷き詰められていた。


 宝石筥の中身を確認し、蓋を閉じたローゼはそれを掌サイズに縮小させ、自身の胸にしまった。


「さてと、心臓もしっかりと回収できたところですし、私の殺戮劇はここらでお開きにいたしましょうかね」


 口元に垂れた血をぺろりと舌で舐め、玉座から立ち上がった。その瞬間、この部屋につながる扉がゆっくりと開いた。


「……あら、誰かと思ったら貴方でしたか」

「女ァ……ぶち殺してやる――っ!」


 ローゼの目の前に現れた青年は、凄まじい表情で激昂した。



 有象無象の死を眺めながら卑猥な笑みを零す女に、生理的な嫌悪感を掻き立てられた雄臣は、喉を潰す勢いで抑えきれない感情を吐き捨てた。


 雄臣はここに来るまで見るに堪えないものばかりを見てきた。

 どこもかしこも酷い光景だった。

 城は――以前、訪れた城跡の風景すら思い出せなかった。

 絢爛豪華な広間は一変、床はひび割れ、壁は穿たれ、階段は陥没し、空間そのものが破壊し尽くされていた。

 何より目に映ったのは、あまりの惨さに吐き気を催すほどの狂った殺され方をした人間たちだった。

 原型を留めていない人であるかも分からない肉の破片。

 壁に叩き潰された血肉は散らばり、中庭には、バラバラにされた手や脚や胴体が植物のように土から生えていた。

 異様な臭気が城内を包み込む中、壁が崩れれば大量に出てくる死体死体死体死体死体、城は死体の巣窟だった。

 そして歩けば、また別の死体――玉座の間に辿り着くまでに心臓だけがくり抜かれた死体が確認できる範囲で計十二体。

 全ては目の前に立つこの女の仕業である。


「女って……そんな陳腐な呼び名で叫ばれても反応に困りますわね。いいでしょう、この際素顔はとっくに露呈されている身、特別に私の名を明かしましょう。私の名はローゼ・メアリー。貴方が殺したくて殺したくて、たっまらな~い憎き女の名前よ」


 雄臣の感情を逆なでにするような自己紹介。


「名前なんかどうでもいい。答えろ! どうして関係のない人間を殺した。私欲を満たすためか? 何の道理があってこの城を襲撃したっ!」

「貴方が溺愛している妹を手にした今、貴方に興味はもうないの」

「どういう意味だ」

「ウフフ、貴方じゃなくても理想は叶えられるってこと。けれどそのためには大量の魔力が必要不可欠。だからね、格好の餌食が棲み着くここを襲撃したってワケ」

「美楚乃に、何をする気だ!」


 唇に触れる赤い指。ローゼは青い口紅の上から血を塗ると、その口から信じられない目的を告げる。


「彼女は神を産み落とす母胎となってもらいます。魔力がたっぷりと詰まった心臓をたんまりと食べてね」

「……」


 雄臣は狂いそうになる心を押し留め、血塗れになった女にこの上ない殺意を向ける。


「美楚乃を何処にやった」

「さあ?」


 手を上げ、わざとらしく惚ける女。


「美楚乃を返せ!」

「ウフフ、フフフフフ。返すわけがないでしょう、お馬鹿さん」


 そう嘲笑うと、ローゼは囁いた。


「ボワットアビジュ(宝石筥:発散)」


 ローゼの手中に顕現するのは何かを詰め込んだ銀灰色をした立方体。

 その複雑なうねり文様を施した立方体を、ローゼは死体塗れの床に投げ落とした。


「っ⁉」


 落ちゆく箱状の物質が床と接触した瞬間、それは飛び交った。まるで虹を蹴散らして、ばら撒いたような宝石の奔流。

 無数に散らばった多色の宝石は、金、蒼、黒、朱、翠の五原色。

 壁や天井にぶつかり反射するそれらは、目にも止まらぬ速さで雄臣を強襲する。

 だが雄臣は、五色の宝石群を超越的な動体視力と身体機能で躱していく。

 その様をローゼは見下ろす。


(宝石の最高移動速度は筥から飛び出した瞬間と決まっている。それを容易に凌駕するこの身体性。あの時みたく宝石の観念を作用させて、足手纏いのいない最高峰の魔法使いに何処まで通用するかやってみたい……ところではあるけれど、流石にもう酔いは醒めているわ)


 ローゼは玉座から離れ、割れた窓へと歩を進める。


「⁉ 待てっ! 逃げる気か?」

「ええ、生憎、そこらの魔法使いと戯れ過ぎて魔力も殆ど残っていないし、全力を持ってしても貴方に勝てるイメージが湧かないもの」


 のこのこと窓枠に足を掛け、そこから飛び降りようと考えるローゼを食い止めようとする雄臣だが、周りに散らばった宝石が雄臣の行く手を阻み思うように動けない。


「卑怯な敗走者が!」


 雄臣は飛んでくる宝石を躱す間際に自身の胸に手を当て詠唱する。


(Heavenly Benefit to my slavery)


 その願いの成就は、万物に対する適応変化及びあらゆる事象に対する耐性の付与。その刹那、数えきれない程の宝石群が雄臣の全身にぶち当たった。だが物理的干渉を殆ど受けない状態の雄臣にとってそんなものは砂粒のようなものであり、避ける素振りも見せずにそれらをすべて蹴散らした。


「フフフ、私は敗走者ではなくてよ? 勝ち目がないとわかっている者は聡明で、強い者は勝者ではなく生き残った者を指すのよ」


 城壁の最上階から飛び降りたローゼは優雅に持論を述べる。雄臣が窓を見下ろすと、その姿は何処にもなかった。


「……っああああああああああああああぁぁぁぁぁ!」


 雄臣は窓枠を握り潰し、敗者のような叫び声を上げ、項垂れる。


「殺してやる殺してやる殺してヤル。どんな手を使ってでも必ずお前を!」


 残ったものは残骸と変わり果てた街並みと怒り狂った自分だけ。

 かつて世界の平和を守ると誓った青年は、たった一人の大切な存在を失って、心変わりする。

 今度はこの世界を利用してでも妹を救い出すと――。

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