0―32 深淵の森にて⑤
その武器に埋め込まれた歪な白い突起物は、刃の反りに綺麗に整列し、まるで上歯みたいだ。それが唸りを上げている。電動ノコギリのように刃と刃が擦れ合う音を上げている。
これが天性の狂気性とでも言うのか、女は今このためだけに生きている。倒れ込んだまま動かない雄臣の首を切断しに、鬼神のごとく斧を振り下ろした。
女の凶器が雄臣の胴体から首を切断する直前、雄臣は上体を起こし、残った右手でそれを受け止めた。
「あら」
片腕一本に全魔力を注ぎ込んだ結果、強化された腕は鞏固な物質となり魔力を原動力として動き続ける斧の刃を掴み取って離さない。
やがてその斧は雄臣の腕力によって握り潰され、破壊された。
火事場の馬鹿力を見せられた女は、思わず斧から手を離して後退する。
「あ~らら、せっかくの処刑道具が使い物にならなくなっちゃったじゃない。やっぱ正統じゃない武器は駄目ね」
雄臣はゆらりと立ち上がった。
「……本当しつこいわ、貴方。まだ、そんな魔力を残しているなんて」
「お互い様だ……。そんな簡単に死ねるわけないだろ。……絶対にこの手でぶち殺してやる。だからいい加減、大人しくしていろ。そうすればオレの気が済むまで殺してやるからっ!」
そう言いながら取り上げた斧を力の限り地面に叩き捨てた。魔力量が底を尽きそうなのは自分自身が分かっているが、怒りの沸点が振り切れている雄臣には関係のない話だった。
止まっていた血が魔力の解放と共に再び下へ流れ落ちる。
雄臣の異様さを感じ取った女は、後ろ手で背後に立つ二人に合図を送る。
その合図を受けて二つの影が動き出す。
黒面の男が疾走した。
十メートルほどの距離を一秒にも満たない速度で。
槍を持った両腕が跳ね上がる。
雄臣は即座に地面の上に突き出た枝木を手に取って、刀として代用する。
自動的に強化された枝の刀を前に、走り寄った男の槍が振り下ろされた。
木刀と槍が衝突して、バキリと、刀が折れる。
されど地表に生えた木製の刀に取り替え、雄臣は交戦する。
それでも折れるのは刀の方で、戦乙女の背骨を加工して作られた赤い聖槍には歯が立たない。
「――」
ならばと雄臣は樹木を叢生させ、敵の動きを封殺しにかかった。
だが迫りくる男は人の動きをしていなかった。
群がる樹木と樹木の包囲網を、蛇のように素早く擦り抜けてくる。地面を這うような低い体勢で入り組んだ森を疾走する。
雄臣は迫りゆく動きを目で捉えながら、男の攻撃に備えた。その瞬間、雄臣の頬から血が流れる。全く持って意識していなかったわけではないが、横面から弓矢のように跳んできた糸は、雄臣の意識と神経の警戒網を擦り抜けて、頬を掠めた。
(状況を逆手に取られたか――とは言え、遮蔽物が無ければとっくに致命傷を負っている)
「無駄な足掻きだ」
詰め寄った黒い影がそう告げ、立て続けに槍の突撃が猛威を振るう。
激突する度、破壊される刀。
計十六回の接触、十六本の刀を破壊された。
凄まじい槍の猛攻を受けてもなお倒しきれない魔法使いに、槍使いの男が動きを止める。
「魔力の貯蔵はまだ尽きないか。何度やっても所詮は同じことだというのに、なぜ諦めない」
「逆に問うがお前は諦められるのか? 諦めることは自決と変わらない。殺される前に自ら死にに行く莫迦が何処にいるんだよ」
「ふん」
その言葉を男はあしらうように鼻で笑った。
「一向に治らない破損した左腕。血液を体内に留めることさえできなくなった身体。理性をも失いつつある不安定なその精神。誰が見ても終着点は目に見えている」
「その一人相手に六人が寄って集って、未だに倒せずにいるお前らは何なんだろうな。この腐ったハイエナ共が」
雄臣は冷たい口調であしらう。
「人海戦術を用いてでも目的を遂行させることが我々に課せられた最優先事項。矜持は自身の心に押し留めて置けばよい話……さっさと死んで楽になるといい」
トドメだ、と言わんばかりに赫い槍の穂先が大地に向けられた。
「地異・赤華槍」
槍の穂先を勢いよく地面に突き刺した。
煌めく赫い槍。男を中心に大地が震動し、大地が赤く染まっていく。
(あの構えと所作、さっきと同じ手法か。だが――)
一度、この眼で見た雄臣はそれがどんな方法で攻撃してくるのか把握している。
(攻撃範囲は半径二十五。咲き誇る槍の高さは僕の身長のおよそ二倍。大丈夫だ。これらを多く見積もっても、木の上に飛び移れば問題ない)
その思考通り、雄臣は樹の幹に飛び跳ね、地表に咲いた赤い槍の群生を間一髪で回避した。だが一つ、雄臣はこの魔術の仕組みを看破できていなかった。
「な、に――」
自身が生み出した樹木が赤の槍に浸食されていく。木の根元から次々と槍が出現し、大樹の上にいる雄臣を追うようにして這い上ってくる。
(平面だけでなく、側面――)
つまり槍の花が咲く範囲にあるものは全てそれに浸食されるということ。
今雄臣が飛び移った大木にもその無数の赤い槍が一瞬にして萌ゆり始めた。雄臣は串刺しにされる前に大木の天辺を目指し、全てが槍で埋め尽くされる寸前にその身を空中へ投げ出した。
(一か八か、成長できるなら、その逆もできるはずだ)
雄臣は命じた。
それは言わば時間遡行。雄臣の命令で急速に収縮し出す樹木たち。雄臣は男が繰り出した槍術の攻撃範囲内の木々を全て退化させ、木そのものをなかったものにする。
「往生際の悪い男だ。だが終いだ――」
木々が消滅し視界が明けると、槍の男の後ろには、あの女と少年が空中へ跳んだ雄臣を待ち構えていた。
少年の右腕が上げられる。
雄臣は事態の危機的状況を感じ取って、傷だらけになった片腕を咄嗟に突き出した。
槍の魔術は自分を上空へ押し上げるための意図的な誘導。そして今まさに空中へ跳んだ雄臣の頭部に狙いを定めているのは、糸を用いる子どもの魔術師。
雄臣の口元が微かに吊り上がる。
命を弔う母なる大地。地面の下は沢山の動植物の生きた証を蓄積している。その逆も然り。母なる大地は命を生み出す。死んだ生命も居れば生きている生命も存在するのが大地というもの。故に生死を内包した大地そのものに働きかけることは不可能な話ではない。
雄臣は突き上げられた右腕の拳をさらに力強く握りしめたと思いきや、咄嗟に肩の力を抜き、圧縮された掌からも力を抜いた。手の筋肉は弛緩し、折り曲げた五本の指が広げられる。誰かをせき止めるような仕草で雄臣は掌を大きく解放させた。
「その地に足を乗せて立っていられることの、ありがたみを思い知れ」
三者が今立っている地点は、あろうことか地盤沈下した。
それによって少年が弓矢のように指から放った糸の軌道は、雄臣の頭部からわずかに外れる。
手を握って広げる。
そんな単純な動作だけで、地面に干渉できるだなんて誰が想像できたか、否、できるはずがない。
三者は雄臣の思惑通り地面に作り出された巨大な穴に落下した。雄臣は埋没した大地に落ちて行った三人を空中で確認すると、開いていた掌をぐっと握る。
地獄の門を閉めるかのようにぽっかり空いた地表を巨大樹が埋めていく。
逃げ場を完全に封じたそれはまさしく罪人を拘禁するための監獄。
雄臣は地面に着地すると最後に死という罰を課す。
「逃げ場のない檻の中で惨めに死ぬがいい」
握り潰した指の骨がミキミキと軋み出し、指の爪が皮膚に食い込んで血が滲み出る。白雪の無念を晴らすように、雄臣は掌に力を込め続けた。
その怒りを含んだ動作によって土中の檻は無数の樹木に敷き詰められた。
土中の檻に囚われたであろう三人の魔術師は真っ暗な密閉空間の中、巨大な樹木によって身体をミンチ状にされながら圧し潰されたに違いない。
「はぁ、はぁ、はぁ、あ、あぁ」
勝利を確信した雄臣は、地面に膝をついた。
身体はもう限界を超えていて、歩けそうにない。けれど休んでいる暇はなかった。
長いこと待たせた美楚乃に早く会わなければ、と立ち上がる。彼女を匿った場所へ、ふらつく脚を懸命に動かしながら、ゆっくりとその場所へ移動する。
その時だった。
地下深くから何かが爆発する音が響き渡り、地面が大きくぐらりと上下左右に震動した。
「自爆でも、したのか?」
雄臣は足を止め、振り返った。
陥落した地盤……大木の杭で埋め尽くされた穿孔からは、大煙筒から吐き出される煤煙のような黒煙が樹脂臭い匂いを漂わせながら立ち昇っている。
「まさか、あり得ない」
土の内部の空洞に落とし込み、身体全身を鋭く尖った大樹の杭で串刺しにした。生存空間は一切残されていない。それを悟った爆弾魔の少年が仲間を巻き込む形で自爆する選択を選んだんだ。
「どちらにせよ死んだ、はず、だ――」
串刺しは免れたとしても爆発から逃れることはできない。身体はぐちゃぐちゃに空中分解し、原形なんか残っていない。奇跡的に生き残ったとしても灼熱の炎が全身を燃や尽くし、檻の内部に充溢した熱の空気が肺に入り込んで窒息死だ。
「なのに、こんな馬鹿げたことがあって、言い訳が、ない――」
雄臣は驚愕した。
立ち込める煙から現れた一本の腕。左腕は炭のように黒く焦げている。
女は地獄の底から舞い戻ってきた悪魔のように地上へと這い登ってきた。
そんな女の黒衣は殆ど焼け焦げ、露わになった皮膚の一部は爛れている。
しかし焼損はなく、女はのそりと身体を起こした。
そして驚くことに、もう片方の腕……女の左手には男の頭が握られていた。爆破の衝撃で下半身と左腕は吹き飛び、素顔を隠すために覆っていた仮面は熱でドロドロに溶けていて素顔は確認できない。ただ右手には自身の武器である槍をしっかりと握りしめていた。




