0―18 王女①
衝撃耐性の効果でもあるが、稲がクッション代わりになったみたいだ。無事怪我無く地上に着地した雄臣は白雪をそっと下ろした。
「認識できない所作。見ない間に、随分上達したものですね」
白雪は魔法の工程順序を感心しているようだ。
「ああ、この程度の使役なら詠唱なしにさり気ない所作で叶えることができる。願いながら握るんだ」
「命ある生命体であればどんな力でも付着できる天恵魔法は相変わらず汎用性に優れていますね」
天恵魔法。それが雄臣が行使する魔法の名だ。能力的な話で言えば、白雪が言った通り、『天の恩恵を自身のみならず他者に付与』する特異能力。しかし、恩恵対象はこの世すべての物質界……万物に働きかけられるわけではない。対象が死んでいればそもそも働きかけようがないし、それは変化しないものも同義である。つまり、ざっくり言うと恩恵対象は生命があり、絶え間なく成長・進化する物質に限られるということだ。
故に多少の制約はあるものの、雄臣の強みは攻撃強化・耐性強度・支援、三拍子揃ったその万能性にある。
近距離戦では自身の身体を強化させ、自分そのものを武器にして戦う。もしくは、物質界に働きかけて破壊を行わせる。その逆も然り、自身の身体に耐性を付着すれば、身体そのものが防具となり、外界の物質に働きかけて護衛を行わせることも可能である。
だが経験則上、近寄ってからの格闘戦よりかは他者に力を授けさせて戦わせる攻撃手段が雄臣の戦うスタイルであった。
「けど、万能さと言ったら白雪の方が上だろう? だって何も付着しなくてもそもそもが強いわけだし頑丈だし……」
「…………」
何か悪いことでも言っただろうか。白雪は背を向けて稲の中を一人歩き始めた。
「白雪?」
「当たり前なことを聞かないでください。私はどこの誰にも負けることはありません」
振り返った白い顔。秋の色に溶け込んだ白い兎のような少女は堂々とした立ち姿で強気な表情を見せた。
「さあ、いつまでもこんなところに居ないで田んぼから出ましょう。稲を痛めてしまいます」
「そうだな」
収穫真っ只中の稲の中を抜け出し、あぜ道に出た。
それにしてもどこを見渡しても田んぼばかりで、風で靡く稲はまるで海のさざ波を連想させる。とまあ海なんてものは本の中でしか見たことがないが。
夕方前の空の下、左右に連なるカラカラとした稲穂が進行方向とは逆に靡く。
田んぼや畑の農作業はもう済んだのだろうか、水田地帯には人影らしきものは見当たらない。だというのにさっきから魔力の気配がずっとしている。ここは魔力のたまり場で途切れることなく至る箇所に魔力の気配が散見している。おそらくそれはこの田んぼの水から発せられている。微弱ながらわずかに魔力を帯びている。それが複雑に混ざり合っている。
この壁の中にあるものすべてから感じる魔力の流れ。色が付いたように魔力がはっきり分かるのは隣を歩く白雪だけだ。
「白雪、人間じゃないものから、田んぼ全体から魔力の気配を感じるんだが、どうなっているんだ?」
「ここで使われている水がただの水じゃないということです。結果として魔力を含んだ水を栄養素として育った稲穂にも僅かながら魔力を感じるのです」
「じゃあ、なんだ。この水は魔法使いが生み出した水ってことか?」
「その可能性しか考えられないです。この一帯で使われている全ての水……飲み水や炊事、洗濯、浴場、トイレなどの日常生活で使われているほか、農業、工業、など幅広い分野の産業で使われている水すべてが一人の魔法使いから作り出されている。つまり五大元素の一つ『水』を統べる古流魔法の使い手があの城の中にいるのです」
そう答えた白雪の横顔は無表情に見えてどこか複雑そうな表情をしている。その視線ははるか先の彼方――丘の上に屹立する貫禄ある城跡に向けられていた。
「やっぱりここの長が気になるのか?」
「はい。どんな人間か一度確かめておく必要があります」
今にも飛び出してしまいそうな勢いがして雄臣は手で白雪を制する。
「? 何ですか、この手は」
どうやら本人にその気はなかったらしい。
「いや、何でもない」
何事もなかったかのように手を引っ込め、歩くことに専念する。
少ししてちらりと横を見た。
「っ!」
白雪の関心の的はあの城から隣の自分にシフトしたらしく、じっと見つめている。自身の目の前に腕を出したことが彼女にとってはそんなにも不思議なことだったのだろうか。
「……し、白雪。至る場所から魔力を感じるなら、魔法使いが二人や三人いても不思議じゃないと思うんだが」
その疑問を断ち切るように雄臣はこの場に来て思ったことを口にした。
「可能性の話であればあり得るかもしれませんが、表層は今のところ一人の魔法使いしか確認できないです」
白雪の思考は再びこの域内にいる魔法使いに向けられた。
「でももし複数でこの城を再築したって言うんなら、魔法使いたちが協力関係にあるってことで、話しが通じる人間だとは思うけどな」
仮の話。
ただ本当に仮にそうだとしたら白雪はどうするのか。いや、でも例外なく魔法を消滅させるとは言っていたし、そこの理念は揺るがないのだろうけど。
「私が知る魔法使いは血に飢えた獣とさして変わらず、単独行動で動く強者統一主義の精神に生きる者たちですが、この城に潜む魔法使いは少なくとも人を思いやる理性は弁えていると、タケオミは言いたいのですね。俗に言う為政者だと」
「まあ、間違ってはないが」
「タケオミはこの世に魔法があっても良いと思うのですか?」
パタリと、疲れた子どものように立ち止まった白雪の目は自分に向けられていた。ただ懐疑的な目ではなく純粋に一人の人間として聞いているようだった。
「白雪が言っていたように魔法が人の進化の過程で生まれたものではなく、外的要因で生まれた以上、その力は僕らのものではない気がするし、下手に使っていいものじゃないとは思う。……けど魔法は使い方次第で人を救うこともできる。希望の道標にもなれるはずだ。だから白雪がそこまで魔力消滅に躍起になる必要もないんじゃないかとも思う。もちろん、人間を脅かすような魔法使いは別だけどさ」
「ですが魔力は諸悪の根源を内包しています。であるならば初めからない方が良いのです。悪が生まれる可能性が限りなくゼロになるのですから」
「……けど白雪。もしここにいる魔法使いが話し合いで解決できない場合、どうする気なんだ?」
白雪は雄臣の意図を汲み取るように目を合わせた。
「……詰まるところ、あなたは戦って欲しくないのでしょう?」
「ああ、戦って欲しくない」
「分かっています。この平穏な社会を見れば悪い魔法使いではないことぐらい。武力行使はなるべく避けるつもりです」
それを聞いて雄臣は少しホッとした。信じてないつもりじゃないけど、こいつは横暴な奴なんかじゃない。無礼な相手、敵と認識した奴には容赦がないが、理が通った礼儀ある相手に対しては一先ず聞き入れてくれる度量を持ち合わせている。
「ということでタケオミ、真正面から行きましょう」
「真正面って。あの城にか?」
「それ以外どこに恰好の的があるのですか。長を魔法使いとするならば標的は自ずとそこにしか向かないでしょう」
ならば何を迷うと言った勢いで白雪は走っていた。
「ちょっ、待て――、城にはたくさんの護衛兵がいるんだぞ」
黄金色の野原と野原の間に続く一本道を白い兎が跳躍するように走る。
雄臣は一、二メートル遅れてその後に続く。
目指すは丘の上に身構えている外敵から身を守るための防御施設。それ以外は興味なしと言いたげに区画ごとに並ぶ稲穂を置き去りにする。正面突破とはまさに絶対的超越者所以の思考回路。戦略の一つも立てずに真正面からぶつかるあたり、自分の右に出る者を知らないという表れか。
十キロに渡る田園を数秒で駆け抜けた白兎の白雪は、住民が暮らす都市部に足を踏み入れた。
とたん。
そのまま建物の屋根に飛び移った白雪は最短ルートで目的地を目指す。屋根から屋根へ。地上にいる住民や衛兵に悟られないよう死角を突きながら、無駄のない動きで夕焼けの空を駆け巡る。その姿は兎というよりかは猫か。
美しく放たれた弓矢のような俊敏性で屋根から屋根を渡っていく。
白雪の脚力ならあと数秒で城に到達するだろう。
「タケオミ、行きます」
城壁前に到達した白雪は一度足を止め、
「待て、これじゃあ、襲撃と変わら――」
雄臣の制止を聞きもせず、白雪は城門に立つ衛兵らの抵抗を掻い潜っていく。白雪の進行を止めることのできない雄臣もまた堪らず付いていく他ない。
城の中に突入した侵入者――白雪は迷うことなく突撃する。目線は上しか向いていない。階段がなくなるまでひたすら駆け上がる。城に駐在する人間には目もくれない。制止する声も聞きやしない。捕らえようとする人間を躱し、小柄な身体がすり抜ける。その動きは触れることも叶わない妖精のような。その手が後方にいる雄臣に差し伸べられる。雄臣はその手を掴み、無駄に長い階段を駆け上った。
ばこんと。
白雪は臆することなく勢いそのまま玉座に続く大扉を押し開いた。




