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天命の巫女姫  作者: たけのこ
断章 とある兄妹の命運
178/285

0―29 深淵の森にて②

「行くぞ。美楚乃」


 雄臣は即座に美楚乃を抱きかかえ、ぬかるんだ大地を全速力で走り出した。

 木立が密生している森の下を疾走する。

 ザアザアと大量の水を撒いているような音を立てて、豪雨が森の上を走る。

 自分が走る音。

 雨が走る音。

 その中に複数の走る音がする。

 不協和音が混在する森の中、雄臣は思考を巡らす。


(身体能力が、異常過ぎる)


 時速五十キロ近くの速さで、歪に入り組んだ森の中を走っているのに、相手の足音が一向に途絶えないのを見るに、雄臣を追っている奴らは間違いなく魔力を有している。それ以外考えられない。魔力反応が感じられなかったのはおそらく、相手を欺くための術策、悟られないようにするための小細工。そして単独ではなく複数で動く行動様式は、理性のない魔法使いの特徴からは外れる。


(魔術師……)


 ただ分からない。面識のない相手がこんなにも執拗に追跡してくる理由が。


(……まさか、いや、あり得ない)


 考えられる限りで雄臣の魔法を知っているのはロミリアと白雪の二人。魔法の能力を包み隠さず教えたのはロミリア、ただ一人だ。けどあり得ない。招かれたならともなく今回一方的に訪れたのはこっち側で、唐突の訪問に応えてくれたのはロミリアなのだから。

 でもそれ以上に有り得ないのは白雪が敗北して情報を抜き取られたという事実。

 それだけはあり得ない。絶対にあり得ない。あり得るわけがない。

 けれど今襲撃されている。追われていること自体が何よりの証。


(じゃあ一体、どこから情報を嗅ぎ取った? 駄目だ、考えるのは後だ)


 走る。あてもなくただ走る。


(くそ、どうする)


 このまま追跡を掻い潜ることができても、奴らの魔の手が消えるわけではない。

 しかし、包囲されれば不利になる。美楚乃を庇いながら六人も相手にできるとは思えない。

 暗闇に乱立する森。

 止む気配のない雨。

 ここが大自然の中であることがせめてもの救いである。

 雄臣は背後を気にしながら右手を伸ばし、樹木に触れる。次々と通り抜ける拍子に大木の樹皮と掌が触れ合った。


「Heavenly Benefit to my slavery!」

 と同時に口遊む。


(Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery! Heavenly Benefit to my slavery!)


 何度も何度も反復する。木と手が触れ合う度に何度も何度も心の中で無言呪文を繰り返す。

 その瞬間、雄臣に触れた木々が追跡者の行方を塞ぎ止めるようにして立ちはだかった。

 雄臣の合図に動き出す大木たち。

 地面を突き破る大蛇のような根。

 上から勢いよく振り下ろされる鎖のような蔦。

 それに加え、雨と共に降り落ちる無数の葉緑体。

 意識を上下に向かわせ、さらに緑の雨と化した葉脈で雄臣の姿を攪乱させる。


(あの連携を崩して、一人ずつ殺す。……殺して……殺してみせる)


 雄臣は唐突に足を止め、木の陰に隠れた。と同時に美楚乃を地面に下ろす。


「美楚乃、十秒間。呼吸、止められるか?」

「む、むりだよ」


 青紫色に変色した唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「……」


 こんなことならロミリアの言う通り、雨宿りしていればよかった。そんな後悔してもどうしようもないことが頭によぎる。


(くそ……)


 雄臣は雑念を瞬き一つで振り払い、美楚乃を見つめながら励ます。


「大丈夫っ。美楚乃のならできる」

「できない。怖くて、数えられない」

「……分かった。じゃあ僕の胸に耳を当てて」


 美楚乃は言われた通り、雄臣の胸に耳を当てた。


「そう、いい子だ。僕の心臓の音、聞こえるか?」

「うん……聞こえる」

「よし。なら目を閉じてその音だけに意識を向けて」

「うん……」

「秒数は数えなくていい。僕が鼓動で教える。僕の呼吸に合わせて、心臓の音が聞こえなくなったら同じように息を止めて、聞こえるようになったら息を吸うんだ。大丈夫。美楚乃ならやれる」

「うん」


 美楚乃の声に少しばかりの覇気が宿る。

 その勇気に雄臣も覚悟を決める。

 やれる。殺れる。やれる。殺れる。やれる。殺れる。殺る。殺る。殺る。殺る。殺る。


(失うぐらいなら人間なんて捨ててやる)


 雄臣は深呼吸をした後、


「――――」


 息を殺し、心を殺した。

 妹と意志の疎通を合わせ、呼吸を停止した魔法使いは夜の森に潜伏する。

 殺すことには慣れていなくても、戦地に踏み込むことには慣れている。そして、雄臣の中にあるものは守るという使命であり、そこに矜持はさらさらない。

 自分の思考は人間であり、白雪のように正面から突入するなど、ましてや正々堂々と戦いに挑むなど、それこそ妹を守りながらなんて正気を疑う行動である。

 木の影に、夜の闇に、身を溶け込ませる。

 物音は風と雨と枝葉が擦れ合う音、そして行く手を阻む樹木を何かで切り落とすような音、奴らの足音。


 雄臣に触れた木々は一心同体。

 雄臣の意志で木々が動く。

 故に敵を攪乱させ、敵の陣形を大きく崩した今だからこそ、奴らの一人をこちらへ誘導させることに成功した。


(足音からして単独……)


 雄臣はさらに美楚乃よりも数段自分というものを消す。自らの気配、匂い、体温、鼓動を一切外界から漏らさず、脳の思考回路を極限状態まで停止させた。

 それは息を止めて五秒の出来事。

 左手は美楚乃を抱擁し、右手は大木にピタリと触れる。

 そのまま雨に打たれ続けながら感知されないよう息を潜める。

 確実に殺す。

 そのために、雄臣は自身を石像と化した。何も考えず、何にも動じず、死角となる地点で意図的に招いた一人の魔導師を奇襲にかかる。


 掌を大木に重ねて二秒が立つ。

 計七秒の時が過ぎた。

 残り三秒。

 その時をただ待ち構えて。

 3……2……1……。

 死のカウントダウンがゼロとなった途端、グドンと雄臣は触れた木に右手をねじ込むように強く押しこんだ。


「ミチミチミチミチ、グぅあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーんッ」


 命を葬る自然の咆哮。

 敵の悲鳴すらかき消し、ぬかるんだ大地を削りながらうねる緑の集合体。

 凄まじい破壊音を立てながら進行する何百本の枝は、急激な成長の末、一つの木から唐突に発生したもの。その長さ五十メートル。雄臣が力を入れた方向に、とてもない速さで無数の枝の先端が敵の腹部を貫き、瞬く間に内側から両断し、木端微塵にそのまま自然の餌食となった。


「ふっ――ふっ――」


 雄臣の生命活動が再開される。

 巨大樹に呑み込まれた魔術師は跡形もなく消え去り、雄臣は一人の人間を容赦なく殺した事実に心が震えた。

 殺した。

 殺した。

 殺した。

 殺した現実を目の前にして、それでもなお――。


「オレはまだ正気でいられるか」


 ドクン、ドクン、と跳ねる鼓動。震える全身。


「兄さま……。大丈夫?」


 美楚乃の心配そうな顔を見て、雄臣の身体から震えが止まる。


「ああ、大丈夫。よく我慢できたね、えらいな、美楚乃」


 雄臣は再び美楚乃を抱きかかえ、急いでこの場から離れた。


「……」


 手による接触の下、自然の戦力を増やしながら、雄臣は森の中を駆け回る。縦横無尽に暴れる巨大樹を尻目に雄臣は脳味噌をフル回転させた。


(残り五人。奇襲はあの一回限り、おそらく同じ手に二度も掛かるとは思えない。闇雲に走っていても駄目なことは分かっているが、生憎、敵全員を仕留めるまではこの森から抜け出すことはできない。この森から家まで、どのくらいの距離があるか定かではないけど、白雪が張ってくれた結界がバレてしまうことだけは避けなくてはならない。そのためにも何が何でも盤上を征しているこの場で、仕留め、なく――)


 意識が切れる感覚。

 思考を途絶えさせる一矢の赤き閃光。

 雄臣は間一髪、身を捩り、敵から放たれた投擲を回避した。

 無数の根と蔦を軽々しく突き破って飛んできたのは長くて歪な赫い槍。


「っ――」


 その槍は急速反転し、予測不能な動き方をしながら追尾する。遠隔操作の魔術を施した特別な聖槍。

 緩急自在に自由自在に。

 槍は空中で曲がるワケのない方向に屈折し、雄臣の懐に鋭く入り込んだ。雄臣は即座に木の枝を折り、そのまま強化させた木の棒を打ち付ける。

 だがそんなもので相殺できる代物ではなかった。枝木を強化させたと言っても硬度は鉄並み。対してこの槍は触れた瞬間、何もかも別格だった。

 重みが違う。血よりも濃い赫い槍の穂先は、魂と武勇、時の重みと最大の強度を一つに結んでいて、鉄と化した木の枝諸共、雄臣の右肩を骨ごと穿った。


「ちっ――」


 足が止まる。

 雄臣の肩関節を切り裂いた槍は、すぐ横の大地に突き刺さっている。


「兄さまっ、いや、やだっ。死んじゃやだ!」


 夥しく流れる血を見た美楚乃は雄臣の背中の上で酷く狼狽する。


「落ち着けっ、美楚乃。こんなことで死ねるなら、今僕はここにいない!」


 しかし恐れ入る。衝撃耐性を付着させていた自身の身体でさえ、このざまだ。戦乙女の骨で作られた聖遺物の前では、魔法で強化させた身体なんて壁みたいに脆い。

 ぶらんと繋がっているのが不思議な片腕。

 そんな痛みの余韻さえも敵は与えなかった。


「――っ!」


 肌が焦げるような危機感を下半身から感じ取った雄臣は、瞬時に槍から背を向けその場から離れる。規模範囲が判断できない恐怖に脳が痺れる。落ちた枝を拾おうとしたが、左手は美楚乃を抱えており、負傷した右腕は使い物にならず掴めない。


「くそっ。早く治れっ!」


 槍が真っ赤に輝き出し、大地が小刻みに揺れ出す。槍の赤が伝染するみたいに大地が赤々と色めき出した。


「(規模範囲が広いっ。脚では間に合わないか、なら……」


 衝撃耐性を意志で解除した雄臣は、ブーツごと右の足裏にぐぶりと地面から生えた根を深々と突き刺した。


「う、ぐっ」


 腕が使えない雄臣は意図的に足の裏に根を貫通させた。そして迷わず足に刺さった根を持ち上げるように引き抜き、できるだけ遠くの樹木に足の裏を向け――。


「伸びろっ」


 雄臣の意志に従事した根が急速に伸び、遠くの樹木に突き刺さった。


「っぐ――縮、めっ!」


 そして一気に収縮し出す枝。次の瞬間、地面から半径十五メートルを範囲にして赤い槍が一斉に飛び出した。


「……これが、槍の魔術、か――」


 無数の赤い槍はまるで彼岸花みたいに大地一面中に咲き誇っていた。その中心には一際赫い槍……薔薇のように歪なカタチをした本体が突き刺さっている。


「ぐっ」


 美楚乃を地面に下ろし、足の裏に刺さった根を左手で引き抜いた。


「怖い、怖いよっ」

「大丈夫、大丈夫だから」


 美楚乃の思考は恐怖と不安に塗り固められ、夜の寒さに顔は青ざめ、唇は血行の悪い色をしている。


(心身的にもう限界か……)


 そんな心を少しでも落ち着かせるためには抱きしめる他なかった。


「大丈夫、大丈夫だから」

「……ぅう」


 美楚乃の抱きしめる手が強くなる。


(くそ、足の傷はもう治っているのに、右腕の治りが異様に遅い。神秘的な武器は殺傷能力がそこらの武器より群を抜いて高いということか。……体感からしてあと五分といったところか?)


 雄臣の片腕の中で次第に美楚乃が落ち着いていくのが分かる。

 ――けれどそれも。


『ば、ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっばばばっばばっばっばばばっばばばばばっばばばっばばばばっばばばば』


 嗤ったような爆発。夜明けだと錯覚するほどの無限の明け星がこの森一帯に生誕した。

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