0―26 あれから②
辺りを見渡す。アラベスク文様の紅い絨毯に手触りの良さそうな赤のドレープカーテン。頭上に並ぶシャンデリアは、飾り窓からの光を受けて輝いている。荘厳にして華麗な造りをした空間は来客者を落ち着かせるどころかかえって緊張感が拭えない。
それだというのにこの子は……。
美楚乃はソファの上に腰を下ろすや否や、ごろんと寝転がり、ふかふかのクッションと戯れていた。
「美楚乃! 行儀が悪いから、ちゃんと座れ」
「え~」
確かにこの奥行きの深いソファは身体が沈み込むぐらい座り心地がいい。背もたれにもたれ掛かれば最後、立ち上がるのが億劫になりそうだ。
「ほら。ちゃんとしなさい」
「はーい」
間延びした返事でシャキッと行儀よく座り直したが、一分も保たずにだらんと身体が崩れていく。ここ五年、甘やかしすぎたことを少し後悔する。
「美楚乃、もうすぐで来るから」
口で駄目なら実力行使。身体を起こさせようと美楚乃の首と腰に手をかけた。
「きゃっ、兄さま、くすぐったい。やめて、あはは」
「こっちは遊んでるわけじゃないんだっ! こんなところ、あの女に見られたら――」
重い音を立ててドアが開いた。
「……」
淡い桃色の瞳と目が合った。ロミリア・セレスティアは、固まったまま怪訝な表情をして雄臣を見つめていた。身なりはあの時と変わらず黒と赤を基調とした軍服を着ていて、ドレスを着込む王女というよりは軍を束ねる長みたいだ。容姿は五年前立ち会った時に比べてより一層大人っぽくなり、美しく気高い女性として成長していた。
「何を猫みたく、いちゃこらじゃれあっているのかしら? 閻椰雄臣」
ロミリアの問いかけには最大級の侮蔑が含まれていた。
「別にじゃれあってなんかないっ! 行儀が悪いからそれを正そうとしてただけだっ!」
名前を覚えてくれていたのは嬉しいが、誰が応接室でそんないかがわしいことをすると思っているんだ。
「ふふ、冗談なのにそんなムキになっちゃって」
口元に手を当て、人を小馬鹿にしながら笑うこの城の主。性格はあの時と変わらず「私はこの城の王女だから何でも許されの」的なスタンスである。
深緑のソファに深々と腰を下ろしたロミリアは腕を組み、脚を組む。
「で、その寝転がっている子は何かしら?」
「何って、僕の妹だけど……」
「ふーん、随分歳の離れた妹ね」
テーブル越しのロミリアは目を細め、眉を顰める。じっーと雄臣の顔を見て要らぬ邪推でもしているかのようだ。
「笑えない。娘ならまだしも孤児の子を自分の妹に仕立てるなんて、貴方、ペドフィリアなの?」
案の定、ロミリアは蔑んだ目でドっ直球な質問をしてきた。
「っ、そんなわけ――」
「わたしは兄さまの妹だよ」
否定しようと思ったら、美楚乃が口を開いていた。
「驚いた。……様だなんて。貴方、この子にそう呼ぶよう躾けているの?」
ロミリアの侮蔑した態度は変わらず、未だに誤解は解かれない。
「違うよ。兄さまは兄さまだよ。父さまがいて母さまがいて、兄さまがいるの」
「……」
いつからそう呼ばれるようになったのか、きっと成り行きで兄である自分にも様が付いたのだろう。
「……そう。貴方、お名前は?」
「わたしの名前は、閻椰美楚乃です」
座り直した美楚乃は礼儀正しく膝に手を置いて、少し緊張気味に自分の名前を口にした。
「美楚乃ちゃん、貴方は隣にいる人のこと、好き?」
「うんっ。大、大、大好きっ!」
聞いているこっちが恥ずかしくなるくらい美楚乃は、恥ずかしげもなく愛情表現を前面に振り撒いた。でもその言葉のおかげでロミリアの誤解は解けたらしい。
「……悪かったわね。私の勘違いみたいだったわ」
「まあ、分かってくれたならいい」
自分に非があれば謝れる柔軟さは持ち得ているらしい。
「それで五年越しの要件とは何かしら?」
「ああ、そのことなんだけど、白雪と会わなかったか? 彼女について何か知っていることがあれば教えて欲しいんだが」
「従者である貴方が知らないことを私が知っているとでも思っているの?」
「いや、もうとっくに僕は彼女の従者じゃなくなっているんだ。魔法使いとしての閻椰雄臣は白雪の契約と共に消えたんだ」
「じゃあなぜ貴方は今こうしてあの戦乙女を気に掛けているの?」
「それは……」
隣に座る美楚乃に視線を向けた。
「兄さま?」
首を傾げる美楚乃の頭を撫でた。美楚乃とこうして仲良く笑い合いながら穏やかに流れる日々に不満なんて何一つない。実際こんな生活を望んでいたし、血生臭い生き方はうんざりだ。だけど……。
「やり残したことがあるんだ」
納得できる終わり方ではなかった。一方的に白雪の方から契約破棄を言い渡しておいて、自分のことは覚えておいて欲しいだなんて、卑怯だ。何度も忘れようとしても、惨たらしい死体の情景と共に、白く輝く彼女の姿が脳裏に浮かび上がる。そして後悔するんだ。なんであの時もっと食い下がらなかったのかって。白雪を狙う者たちが現れたっていうのにどうして自分たちの幸せしか考えなかったのかって。
本当はあの時、守る側の彼女を、守ってやるべきだったんだ。
それがずっと心残りでならない。
「契約を交わし、それを彼女から解消されたのなら貴方の役目はもう済んでいるのではないの?」
「済んでない。契約を解消するのならやっぱり白雪は僕たちから記憶を消去するべきだったんだ」
「……。なぜ彼女は消去しなかったの?」
「自分のこと、覚えておいて欲しいって」
「……呆れた。それじゃあ、人形じゃなくて人間じゃない」
「白雪は人形なんかじゃない」
「いいえ、彼女は戦乙女、生まれた時点で宿命は決まっている。誰かを守ることに至福を感じ、自分が死んで世界が平和になるのなら自分の命を投げ出すことも厭わない……そういう風に作られているの。だから、彼女は誰かに守られる器じゃないの」
きっぱりと断言するロミリアに雄臣は若干の苛立ちを覚えた。
「……どうでもいい、そんなこと。僕が守りたいから守るんだ。だから何か知っているなら教えてくれ」
「……はぁ、貴方も貴方で呆れるわ。でも知らない。ただこの国を頼みますって一方的にお願いされた。それ以来、彼女とは会っていないし、魔力の気配も感じられない。……まあ、頼まれても困るのだけど」
「そうか……」
「それにもう五年前の話よ。今更彼女を守るって言っても何もかも遅いのよ。きっと、彼女はこの島国にはいないわよ」
五年という時の流れが重くのしかかる。白雪と行動を共にした時間よりも長い時間だ。
「……な、なあ。ロミリア」
雄臣はテーブルに手を置いて前のめりになった。
「な、何よ。そんな焦って」
「ロミリア……」
「ち、近いわよ」
「悪い。けど、美楚乃も白雪とは面識があってあまり聞かせたくないんだ」
美楚乃には聞こえないように小声で呟く。
「分かったから離れなさい」
「ねえねね、二人でなにこそこそ話してるの?」
雄臣とロミリアの間に美楚乃が訝しむように割り込んでくる。
「美楚乃ちゃん、ちょっとお兄さんと二人でお話したいから、ここで待っててくれる?」
そのお願いに美楚乃はむぅと考え込んだ後――。
「……でも兄さまはわたしのものだからね」
そう言って許してくれた。
「ええ、少しの間お借りするわね」
ロミリアはにこりと笑顔を振りまき、雄臣は彼女に引っ張られる形で部屋を出た。
「貴方、気持ちの悪いほど好かれているわね」
「気持ち悪いは余計だ」
ドアがロミリアの手で開けられるとそこには見覚えのある男が立っていた。あの時白雪をぶん殴った巨漢が護衛として部屋に立ち塞がっていた。
「ロミリア、その男を連れて何処に行くつもりだ」
「安心なさい。隣の部屋に移るだけよ。……それと悪いけど、この部屋にいる女の子に飲み物とお茶菓子でも用意してあげて」
「……なぜ私が」
「仕方ないでしょ。今ここには貴方しかいないのだから」
「……仕方あるまい。了解だ」
厳格な表情をした男はちらりと雄臣の方を見た後、ロミリアの呼びかけに答え、この場を後にした。
「すまない。色々と」
「別に構わないわ。なんせ私は王女だから、誰よりも寛大でいなくちゃならないの」
「そうか」
隣の部屋に移った。さっきいた応接室と内装は変わらず、家具の配置も装飾もほとんど同じだった。
ソファに腰を下ろし、話を再開する。
「で、何かしら」
「その、白雪は殺されたりなんかしないよなっ」
「……あー、魔術師のこと?」
「知っているのか?」
「まあ、彼女が教えてくれたから少し知っているだけよ。……そうね、私の見解からしたらいかに戦乙女特攻型の武器を所持しようとも、根底が人間である以上、彼女が敗北するとは思えないけど。……何より、彼女の実力は貴方が一番知っていることでしょ?」
「けどあいつ、自分の実力の半分も出せていないんだ」
「でしょうね。私たちが所持している魔力は元々彼女のものだったのだから。でも私はこの力を還すことはしないし、貴方だってそれを選んだんでしょ」
雄臣は視線を落とし、呟く。
「……今更だけど、やっぱり全部僕の我儘さ」
「我儘、ね。でも我儘の方を選んだのならそのまま我を通すことね。私たちは少なからず人間なのだから、どちらも切り捨てられない人間にあるのは破滅だけよ。……妹さんが大切なのでしょう?」
「ああ。僕は美楚乃のために魔法を使って、美楚乃のために戦ってきた」
その発言にロミリアは少し沈黙した後、命令口調で言う。
「…………教えなさい。貴方のこと、雪姫のこと、妹さんのこと」
上から目線だが、口に出して伝えられるのもこの女ぐらいしかいないと、雄臣はこれまでの経緯を包み隠さず話すことにした。
ロミリアは思案するように顎に手を添え、雄臣の話を聞いた。
「……なるほど、そういうことね。早く言ってくれれば誤解なんてしなかったのに」
「言うタイミングが見つからなかったんだ」
「そう。でもふーん、天恵魔法による不老の成就とはね。あの子、ニアの対になるわけか」
「ニア?」
「あの大柄な男よ。それより貴方、気を付けなさい。不老すら叶えてしまう魔法なんて、世に知れ渡ったら何処からともなく襲ってくるわよ」
「……襲ってくるって、少なくともこの世界は平和になったんだ」
その発言にロミリアの目が鋭くなる。
「それでもこの世は不完全で不安定な世界よ。魔法使いが子孫を残した時点で、彼女が掲げる魔力排斥には限界がある。平和なんてものはすぐに綻びるのよ」
「でもそんなことを言ったら、ロミリアの方が立場上危険だろ」
ロミリアは目を丸くした。
「あら、心配してくれてどうもありがとう。けど、この場は魔法使いの巣窟。私の命(力)を狙う者、この場に訪れるならば圧倒的な力をもって捻り潰してやるわよ」
「……。この城にいる魔法使いをどうやって手玉に取ったんだよ」
五年前、断られた質問をする。
「いいわ、戦乙女のいない今なら教えられる」
ロミリアは自身の目元に指を指す。
促されるように見ていると、ロミリアの双眸が蒼へと微かに色めき出した。それはまるで瞳の中に海を内包したような壮大な蒼さだった。
「古代魔法の発動と共に、私の瞳は元素の影響を強く受けて変色するの。因みに今色濃く受けているのは『水』ね」
ロミリアの素肌から浮き出た朝露のような雫が手元一か所に集まり出し、やがて水晶ほどの大きさとなった。
「この水は特別性で私の意志を持っている。水銀のように自由自在に変形するし、相手の体内に水を飲ませれば精神支配だって難しくはない」
「……じゃあ、ここにいる魔法使いはお前の能力で強制的に支配されているってわけか」
「ええ、殺すにはどれも惜しい力だもの。こういうのは利用するに限るってわけ。この城の再築もモノづくりが得意な魔法使いに造らせたの」
「他人を信じない、信じられる者は自分だけってことか」
「失礼ね。私だって、信じられる人間の一人くらいいるわよ」
「そうか」
「話はもういいかしら」
「……ああ」
だが、これで目星はなくなった。白雪が行きそうな場所は分からないし、一縷の望みで尋ねて見たものの、白雪に関する情報は何一つ掴めなかった。綺麗さっぱり跡形もなく途絶えた。
「……」
ロミリアの言う通り、五年経って何を今更って話だ。大体心残りがある人間はもっと早く行動に移しているはずだ。
でも美楚乃をこれ以上、苦しませたくはなかったし、危険に晒すことはできないと身を引いたんだ。
だからもういいだろう。
もうこれで諦めが付いた。だろう。
この気持ちに幕を下ろすことができた。だろう。
それなのに、何でまだ、胸にぽっかり穴が開いたままなのだろう。




