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天命の巫女姫  作者: たけのこ
7章 邪知暴虐Ⅰ<ゴーストタウン血戦>
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7―20 交渉②

 ベビーカーに乗っている何かは日よけカバーで隠されている。


「お前、殺すデス」


 怒りの矛先がすべて陽毬に向けられた。殺気立った赤い髪はごうごうと逆立ち、ツギハギからヒトのような手足が次々と飛び出す。


「はて、殺せるだろうか?」


 問いかけると、陽毬は見せつけるように勢いよく日よけカバーを引っ張り上げた。

 まるで蝶が羽ばたくかのように、白く長い髪が舞う。

 ベビーカーに乗っていたのは雪姫だった。

 それには赤い悪魔も度肝を抜かれたようでその場を微動だにしない。


「偽物デス。戦乙女は代行者の手にあるデス」

「どうだか。でもどうする? ここで眠っている子が本物だったら」

「……どういうつもりデスカ?」

「取引をしに来た。ここにいる戦乙女を差し出す代わりに私を聖典教会とやらに入れてもらいたいんだ」


 女からの提案は予想外のものだった。それは敵対していた相手に寝返ることを意味し、ここにいない閻椰雄臣を裏切るものである。


「駄目デス」

「ああ、餓鬼の意見は聞いてない。お前はただの下と上を繋ぐ管理職だ。餓鬼に決定権がないように、お前の役柄に意思決定権はない」


 赤い悪魔は逡巡した末、赤い槍の神器を陽毬に差し向けた。


「いいのか、こいつが本物だった場合、おそらくお前が仕える主の願いは夢物語に終わるだろう。たった餓鬼一人の一時の感情でな」


 そう窘めるように言った陽毬は雪姫の首を掴んで盾にする。

 そして。

 迷いなく雪姫の腹部に短刀を突き刺した。溢れ出る鮮血が雪姫の白い下半身を濡らす。結んだ口の隙間からも自然と血が流れ落ちる。


「なんだ、ちゃんと血が通ってるじゃないか」

「やめろっ!」


 陽玄は咄嗟に声を荒げた。


「威勢のいい声、元気で何よりだよ、陽玄。安心しろ、戦乙女は体内の宝珠が破壊されない限り不死身なんだ。でもそれもこの餓鬼次第では殺す羽目になるんだがね」


 陽毬の瞳孔が陽玄から赤い悪魔に向けられる。


「さあ、立場を弁える気になったのならさっさと上の指示を仰げ、赤毛の側近」

「……」


 全身のツギハギが次第に塞がっていく。逆立つ髪のうねりが徐々に静まっていく。


「少しは話が通じるようだな」


 陽毬が陽玄の方を見た。


「となれば、さっさと立ち去ることだな、陽玄」

「ふざけるな。雪姫を返せっ! 琥珀はそのためにここに来たんだ」


 刀を陽毬に向ける。この発言で陽毬のもとにいる少女が正真正銘の戦乙女であると、赤い悪魔に知らせてしまうことになるが仕方がない。


「そんな彼女はのうのうと女の背中で眠っているようだが?」

「いいから返せっ」

「ふん、悪いがそれは無理な話だ。でもお前たちには感謝している。おかげでスムーズにコンタクトの機会を得ることができた。だからというわけではないが、ここで一つ私から助言をしておこう」

「は?」

「……陽玄、早くここから立ち去った方が身のためだと思うぞ」

「だから何を言って、このまま立ち去れるわけないだろっ」

「そうか。だが、どうする? 仮にここらで利害関係が一致し、私とこことで交渉が成立すれば、立場的にお前らは圧倒的劣勢を強いられるわけだ。そうなる前に逃げるのが賢しい選択だと、私は思うんだがね」

「……っ」

「結末は見えている。今度ばかりは本当に失うことになるぞ。それとも、もう一度その絶望を味わいたいのか。彼女が恋しいのなら迷う余地もないと思うが」


 陽玄は刀を鞘に納めた。


「……ごめん、雪姫。僕が大事なのは琥珀だから、ごめん」


 鉄に預けていた琥珀を陽玄は背負い直す。この温もりを失いたくない気持ちがじんわりと背中に伝わる体温と重なって大きくなっていく。絶対に渡せない。


「……鉄、行こう」

「……はい」


 陽玄は小径を通って、大通りから姿を消した。迂回しながら街中の三叉路を抜けると、広い道路に停まっている黒い車が見えた。


「鉄、大丈夫か?」

「……はい。早く先を、急ぎましょう」


 額には大量の汗をかいていて、吐く息は苦しそうだが、彼女はそのまま車のドアを開けて運転席に座った。陽玄は琥珀を寝かせて後部座席に座った。横臥した彼女の額や頬についた血をハンカチで拭う。身体についた血も綺麗にしてあげたかったが、着替えも何もない状況では手の施しようがない。


 鉄が急いで車のエンジンをかけて走らせること四、五十分。廃都の中を猛烈なスピードで駆け抜けていた車の運転も現在では法定速度を守っている。窓から見える景色には人が生活していると分かる灯りと温度があった。


「あの、陽玄さん」


 運転をしながら鉄が話しかけてきた。


「なに?」

「この先の曲り角に私と槍碼さまが利用していた工房があるのですが、立ち寄りますか? で、できれば、その、立ち寄らせて、い、いただけると、その、あ、ありがたいです」


 なんか様子がおかしい。本当にあの鉄なのだろうか。陽玄の知る鉄は無機質で女性らしい声質だったのだが、今の鉄はどうも人間的で少女っぽさがある気がしてならない。


「あ、あのっ、道、過ぎちゃう」


 焦ったように言う。


「あ、ああ、もちろん。そっちの方が助かる。お願いします」

「はい」


 そうこうして道を右折して車を進めること十分弱。車を道に停めて外に出るとそこは街の外れだった。工房というものがどういうものかよくわからなかったが、およそ家ではないことは見てわかる。

 廃工場である。ブロック塀に囲まれた広い敷地に入っていく。おそらく営業破綻から数年前に閉鎖され、そのまま放置されたのだろう。電灯のない事務所はまさしく廃墟みたいに真っ暗だった。鉄がペンライトで辺りを照らす。内装は無味乾燥で、壁や床はコンクリートでできていた。


「良かった。誰かが立ち入った痕跡も反応もなさそうです」


 一階は作業場で、二階に位置する場所にはいくつか部屋があり、簡易的な生活部屋の隣には台所らしい部屋があった。事務所を併設できるのも、広い敷地がある分、自由な発想で設計し直すことができるからだろう。


 陽玄は部屋の外に出る。幸い、着替えやタオルは常備されているようなので身体中についた血の汚れを拭うためにも琥珀の世話は同じ女性である鉄に任せることにした。

 陽玄は座り込む。部屋の扉にもたれかかって疲れた頭で考え込む。


「一体、なにを……」


 姉が何を考えているのか分からない。

 どうすることもできなかった。

 姉は本当に雪姫を組織に差し出すつもりなのだろうか。

 そうなった場合、雪姫の救出はより困難なものになる。

 でも逃げる他なかった。

 あのままあそこにいても勝てる見込みはなかった。


 ……。

 ……。

 ……。


 結局、考えても何も分からなかった。

 そもそも姉の目的が分からない陽玄にとって、あの一連の掛け合いが何を意味するのか分かるわけがなかった。



 話は陽玄らが立ち去った後に遡る。


「教祖さまに報告するために屋敷に戻りますデス。オマエはここで待つデ――」

『その必要はないよ、嬉嬉』


 赤毛の幼子が言った声に何者かの声が被る。

 上空から透き通った清らかな声がして、黒い人影が地面に降り立った。


「教祖さま、教祖さまデスカ?」

「うん。伝達ありがとう、嬉嬉」


 白いシャツに黒いネクタイ。素顔はロングコートのフードで隠れているが、それも素裸になっていた嬉嬉に羽織わせたことで露わになる。

 ブルーとベージュを合わせたような長い髪と、糸のように細く長い目が相手に落ち着いた印象をもたらす。そんな容姿からして女性と言われても不思議ではないが、声からして若い男性で間違いないだろう。

 教祖さまと慕う嬉嬉の頭を男が優しく撫でる。すると悪鬼のような形相は子猫のように年相応の未熟な顔つきになる。


「随分派手にやられたようだけど、嬉嬉、これは誰の仕業かな」

「代行者の女デス。けど、あの女来て逃げたデス。でもあの女戦乙女持ってるデス」

「うん、そのようだね。ありがとう、もういいよ。後の話は本人から直接聞こうと思うから、嬉嬉は遺体の回収をしてきて」

「分かったデス」


 凶暴な狂犬は可愛い子犬と成り果て、飼い主の命令に忠実に従う。そうして嬉嬉は丈の長いコートの裾を引きずりながらこの場を後にした。


「さて、それで何のつもりかな、剣崎陽毬くん」


 嬉嬉を見送った後、その我が子と同じ接し方で陽毬に声を掛けた。


「先導者と教祖ってのは同一人物か」

「おっと、自己紹介がまだだったね。お察しの通り、いかにも、どちらも私の呼称だ。本名は初めから存在しないから皆には好きなように呼ばせているんだよ」

「つまりお前が教団のトップってわけか」

「まあ、私にはそんな自覚はないんだけどね。……うん、君とは初めて顔を合わせることになるけど、君の素行はよく耳にしているよ。伝聞によれば、一人の魔法使いと行動を共にしていて、何の因果か私の子たちを悉く殺し回っているようじゃないか。おかげで組織は壊滅的な打撃を受けている。まったく君たちにはつくづく頭を悩まされるよ」

「その割には苛立ちというものが感じられないな」

「うん、これでも大人だからね。そんなことでいちいち腹を立てていたら務まるものも務まらないだろう?」


 変わらない穏やかな声音と閉じた瞳。会話からでは男の真意は読み取れない。


「そろそろ本題に移ろうかな、剣崎陽毬くん。君が閻椰雄臣に手を貸す理由はよく分からないけど、君が私を敵視していることは十分伝わった。そんな君が戦乙女なんかを手にぶら下げて、、、いったい私になんの用かな?」

「シンプルさ。こいつを差し出す代わりに私を組織に入れてほしいんだ」

「ふぅん、確かに彼女は喉から手が出るほど欲しいものだけど、閻椰雄臣を裏切ってまで入る理由が私にはよく分からないんだよね。同じように裏切られるかもしれないし、内部抗争はできるだけ避けたいんだ」


 陽毬は白い少女の頸をさらに絞め上げ、突き刺した刀を胸の中心へと押し上げていく。噴き出す血を冷血な目で眺めながら陽毬は口を開く。


「あいつと私の間柄は魔力譲渡による薄っぺらな口頭契約でしかない。破棄したところで呪詛が発動することもない、本当にただの口約束だ。ただ、裏切った場合、私はあいつの手で殺される。正直なところ、別に私はこのままの関係を維持していても構わないのだが、あいつの復讐譚には飽き飽きもしている。だからこの際、殺すか殺されるか神とやらに託してみようと思ってな」

「……その口ぶりだと君には閻椰雄臣を殺す手があると言うんだね」

「まあ、十年以上の付き合いになれば相手を出し抜く手ぐらい見えてくるものさ。だが、私だけではどうも、微妙なラインでね」

「ふぅん、それで手を貸してほしいと」

「ああ、手を貸してくれたならこの戦乙女はお前らの好きに使えばいいさ」


 深く長い沈黙が過ぎて、男が口を開く。さも沈黙などなかったかのように清々しく。


「なんだ、そういうことなら初めからそう言ってくれればいいのに。いいよ、その条件を呑むとしよう。戦乙女は閻椰雄臣を殺した後に私たち聖典教会が貰い受けるとする。意義はないね?」

「ああ」

「殺害後の入会の可否は君に委ねるよ。まあ、今の関係から抜け出そうとしている君が心新たに関係を結ぶことはないと思うけど、人の心は気分次第でコロコロ変わるものだからね。入会する気になったら喜んで君をホームへ迎え入れよう。……まあ、そうなるかは君が生きていたらの話だけどね」

「ああ、死なないよう最善を尽くすよ」

「それは心強い発言だ。期待しているよ、剣崎陽毬くん」


 陽毬は戦乙女の腹部に突き刺した短刀を引き抜くと、そのままベビーカーに白き戦乙女を荷物のように乗せた。


「交渉は成立した。決戦は一週間後の十一月二十四日、午前零時。場所は……言わなくても分かるか、街の外れにある古びた海洋博物館だ。一番邪魔な障害をここで潰しておきたいならせいぜいまともな手駒を寄越すことだな、先覚者」


 そう言って陽毬はベビーカーを切り返して踵を返す。


「ふぅん、君は蔑んだ目で私をそう呼ぶんだね。驕慢者」


 男は目蓋を微かに開いた。その双眸の模様は左右非対称だが、その虹彩はまるで瞳の中に景色を閉じ込めたような虹色の輝きだった。

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