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天命の巫女姫  作者: たけのこ
7章 邪知暴虐Ⅰ<ゴーストタウン血戦>
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7―17 殺

 陽玄の左肩に乗った琥珀の手に力がこもる。八相の構えで相手を牽制しながら、彼女の言葉を待つ。


「君に無理をさせる上でお願いする」

「うん」


 敵を見つめながら頷いた。


「でも君の剣術で倒す必要はない」

「じゃあ、僕は何をすれば」

「君にしてほしいことはただ一つ……」


 琥珀に言われたことを確認して、背後に立つ彼女の呼吸に合わせて口を開く。


「行くぞ」


 八相構えの刃を横に寝かせ、左足を前に大きく踏み込んだ。前傾姿勢になりながら半身を切り、刀を肩口へと水平に寝かせ、柄を握りしめる左手に力を込めた。

 剣術を繰り出すための一段階は整った。

 後は目蓋を閉じて、無の境地へ入り込み、第五次元への心構えをするだけだ。

 目蓋をゆっくり閉じながら、ふと、彼女に言われたことが脳裏に蘇る。


『君にしてほしいことはただ一つ、五次元への入り口を作ってほしい』

『入り口?』

『そっか。無意識内の所作だから分からないんだね。君の斬空滅鐵は敵を斬りつける前に一度空を斬って五次元への入り口を作り出している。その空間の割れ目に入ることで君は時間のアドバンテージを得てるの。だから倒すんじゃなくてあたしがあいつの魔力を奪えるように願ってて欲しい』


 剣禅一如――無心になる前に切に願う。

 ――心臓に突き刺され、奴の心臓を射貫くのは彼女の刃だ。


「―――――――――――――――――」


 体感にして五秒の虚無空間。

 目蓋を開いて双眸を見開けば、肉体と魂、精神、三位一体が自身に還ってくる。

 急激に鋭敏化する五感。

 張り詰めた精神集中と隆起していく肉体構造。


 刹那、黒い刀を振り抜いた。

 周囲の闇よりも暗い常闇の刀が、周囲の闇を吸い取るような異空間を切り開く。

 それは到達することのできない前人未到の高次元。

 カラの世界への傷口。

 第五次元の扉が開いた時、陽玄の左肩に彼女の腕が乗せられて、我に返る。

 ライフルを支えるかのように陽玄の肩を借りた琥珀が剣先を解き放った。

 直進する星の一矢。

 奇跡のように輝かしい――、涙の雫のような白くて優美な刀の末端が、未知なる空間の歪みに入り込む。


 第五次空間への介入。

 アセンションに対する反発や抵抗がないのは、戦乙女の剱が想いの世界に由縁があるからだ、と彼女は言っていた。

 第三密度から第四密度に移転した彼女の刺突が五秒間のアドバンテージと凄まじい加速度を得て、男の胸元へと差し迫る。突き刺さる。


 反応は愚か、そもそもの話、動くこともできず、五秒後には何もかも終わっている。

 だが、少年と少女の連携技を待ち構えていた男は間合いを見定め予め心臓を守る防護をセットしていた。


 五秒間のアドバンテージが金属板による多層防衛によって削られていく。

 一枚、二枚、三枚、と金属の障壁を撃ち破っていく光芒の一閃。

 このままいけば間違いなく銃弾のような切っ先がその壁を粉砕し、男の心臓に到達、貫通するだろう。だがそれは五秒以上、あったらの話だ。この時間内では間一髪で避け切られる。出し惜しみのない一撃は一度限りの秘策であり奇策だ。


 次はない。

 それを誰よりも分かっていたのは撃ち放った琥珀自身だった。

 現に彼女の身体は爆ぜていた。

 視界から消失するほど速く、身体を地面に擦る寸前まで傾けた低い姿勢で、琥珀が男の目の前に迫る。

 間に合わないと見越してか、ファーストショットの刀は既にキャンセルされており、ちょうど五秒後、男の身体活動が再開する前に再度具現化させた刀を男の心臓に突き刺した。


「ぐふっ」


 口から血を拭き出す男と舌打ちを鳴らす少女。

 その事実を察して陽玄は疾走した。心悸はない。身体に弊害はない。今あるのは体内を駆け巡る血流の音と燃えるように熱いこの身体だけだ。

 あの一撃で奴の魔力を消せていれば流血はしないはずだ。

 だが現に奴の心臓部分には彼女の刀が突き刺さっている。

 彼女が心臓の位置を間違えるはずがない、にも関わらず仕留め損ねたのならその矛盾は紛れもなく男の妙技にあり、既に陽玄は看破している。


 奴は貫かれる瞬間、驚異的な思考と判断で、次なる手段に移行した。彼女が何を考えていて、次どこを狙ってくるのかすべて明白だったが故に、咄嗟に反応することができたのだろう。


 男は硬直させた筋肉で、刺し込まれた刀の勢いを僅かに遅らせ――、そして、刀が心臓に到達するまでにその位置をずらしたのだ。


 逃げようとする男を必死に琥珀が食い止める。刀を差し込みながら至近距離で彼女が声を上げる。


「生まれて来なければよかった、生まれてきてよかったかを決めるのは、他の誰でもない個人だ。他人が決めることじゃない。だから、あんたが『生まれる前の世界のほうがマシだ』って言うんならその考えも正しいんでしょう」

「……そう、だ。生まれてきたこの世界は、苦しみや悲しみに満ち溢れている。生まれる前の世界は、無であり、生の苦しみよりは幾分良い状態であろうっ。……だがっ、誕生からはじまる人生全体、存在そのものを、宇宙から跡形もなく消し去ることはできないっ! であればすべてを神に委ねるべきなのだ――っ!」


 口を開けば血を零し、それでもなお男は激昂した。


「確かにあんたの理論は正しい。けどその在り方は間違ってる。あたしの命は、あたし以外の誰かに支配されるものじゃないっ。仮にそれが神からの願いだったとしても、絶対に譲ることはできないっ!」

「所詮は個、個、個、個、個、種は個。いい、それでいい、それ故にお前という個が犠牲になれば済む話なのだ。神さえ生まれれば世の中は善くなるのだっ! 聞け、代行者っ! 愛他の精神があるのなら、お前含め戦乙女さえ身を捧げればすべては善くなるのだっ!」

「…………」

「聞いているかっ! お前が死ねばいいのだっ! お前一人の犠牲で大勢の人間が神によって救われるっ! 戦乙女の代弁者であるならば、大勢の平和を望むのが道理だろうっ! それが分からぬのなら――」


 鷹揚だった態度の面影はなく、怨嗟の声をあげながら如意棒を空に浮かばせ、固まった彼女の後頭部へと差し向け――


「黙れっ! 理性をドブに捨てた下等なサルが。これ以上、大切なものを奪われて堪るかっ!」


 彼女の頭部が粉砕される直前。

 陽玄は男の腕を斬り落とし、そのまま奴の両脚も切断させた。


「琥珀っ、今だっ! こいつが死ぬ前に魔力を取り戻せっ!」

「■■■■■■■■■っ‼」


 苦悶の叫びが血とともに口から飛び出した。そんな獣じみた声が奴の口から勢いよく吐き出て、彼女が刀を抜き差すと腹部から大量のどす黒い血を溢れ流す。


「き、さまら――っ!」

「悪いけど、彼女は神が大嫌いなの」


 地面に倒れ込んだ奴の心の臓を目掛けて、血染めで赤く濡れた彼女の刀が、男が完全に事切れる前に、突き刺さる。

 荒い呼吸音に苦悶の吐息が交じる。徐々に色褪せていく男の瞳孔、男の生命。だが、後悔も罪悪感もない。彼女を奪われるくらいなら誰であろうと躊躇わず殺してやると、この心はもうそうできている。


「……叛逆者が、奪われるのは……お前らだ。じき、増援が、来る……」


 男は神託を告げるように嗄れた不吉な声で言い残すと、周囲は既に十数名の魔術師に包囲されていた。


「琥珀……」

「……君の見解は正しかったよ。魔力は無くなるんじゃなくて、還ってくるんだ」


 突き刺した剣を抜いて彼女が立ち上がった。


「そんなことより今は……」


 複数の敵の駒がこちらに向かって押し寄せてくる。

 この男を倒すのにも一苦労したのだ。魔力を取り戻したとは言え、それはごくわずかなものだろう。とてもじゃないが複数の敵駒を相手にできるとは思えない。今は生きるためにも敵駒に完全に包囲される前にどうにかして逃げるべきだ。


「……大丈夫」

「え――」


 凛然とした声でそう言った琥珀の横顔を見た。

 彼女の顔の上半分はちょうど影になっていて、目の表情を読み取ることはできなかった。だが、その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいて、その笑みは魔力を取り戻せる喜びに見て取れた。

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