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天命の巫女姫  作者: たけのこ
7章 邪知暴虐Ⅰ<ゴーストタウン血戦>
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7―14 廃墟街

 日付が変わる深夜零時。

 雑木林を抜け、小高くなった丘の上を歩く。張り詰めた寒さに首筋が凍った。夜空には奇妙で非現実的な月が浮かんでいる。その月の光に照らされた道を辿って、陽玄は剣崎家の屋敷に向かっていた。隣には琥珀がいて、背後には鉄がいる。


 今日は昼過ぎからみぞれ交じりの酷い雨だった。その雨も陽玄らが家を出る一時間ほど前には止んでいたが、その名残は色濃く残っており、路面はビショビショに濡れている。


 風は吹いておらずアスファルトを踏む水音だけが聞こえる。普段なら時折小さな虫の音や、野良猫が喧嘩をする鳴き声が、草むらの方から聞こえてくるのだが、雨上がり後ではそんな夜の動物たちも息を殺してじっと身を潜めているようだった。


 霊園内を抜けた陽玄は住宅街を歩く。家屋が立ち並ぶ住宅地には電柱も自販機も健在しており、灯りは確保されているのだが、それでもここは駅周辺の住宅地に比べると物寂しい雰囲気があった。

 とりわけ会話もなく、黙々と屋敷に向かうため歩を進めた。


 鉄曰く敵本拠地の一つである舎屋敷はここから数十キロ離れた場所に位置しているため、交通機関の利用は不可欠である。そのため電車やバスが使える時間帯に行動しなくてはならないのだが、できるだけ人目は避けたかったので、車で移動することになった。というのも鉄は車の免許を持っているらしく、ならばと剣崎家の車を運転してもらうことにした。


 三十分ほどかかって屋敷に着いた。屋敷は酷い有様だった。荒れ果てた大地には家屋の破片が散乱していて、ここだけ空気が異様に重い。血が地表に染み込んだ様子は歪に潰された苺の表面を連想させる。


「鉄」


 彼女の名前を呼ぶが、反応はない。

 陽玄は鉄の顔を一瞥する。鉄は神妙な面持ちで、荒廃した屋敷の残骸を見つめていた。当たり前だが、あの時守ってくれた槍碼一紳の姿はない。鉄から彼が死んだことを聞いていたが、そう告げた本人は、彼の死地を見て、さももしかしたらまだ生きているのではないかと、思っていそうな、そんな希望がその沈黙には含まれている気がしてならなかった。無理もない。四年の付き合いだ。きっと鉄にしか分からない彼との思い出があるのだろう。


「陽玄さん、お車はどちらにおありでしょうか?」


 戦いの惨状をしばらく見つめた後、鉄がいつも通り機械じみた声で訊ねた。


「車は屋敷裏の駐車場にある」


 陽玄はそう言って、琥珀と鉄を無駄に広い駐車場に案内した。そこには陽玄が小学生から中学生の間に送迎用として使われていた黒い車がある。幸い誰の手にも渡っておらず、見た限り損傷もなかった。


「良かった、これなら問題なく乗れそうだな。あ、そうだ、車の鍵、持ってこないと。でも何処にあるんだろう。清信の部屋にでもあるのかな。ごめん、すぐ取って来るから二人とも少し待ってて」

「いえ、その必要はありません」

「え」


 鉄はトレンチコートのようなドレスの下に備えている黒針を持ち出して、運転席のドアを難なく解錠させた。鍵穴に差し込んだ針を引き抜くと、鍵の形状に変形していた黒針は元通り直進状態に戻っている。


「エンジンキーもその針で代用できるのか?」

「はい。問題ありません」

「便利だな……」陽玄は感心する。おかげで探す手間が省けた。

「琥珀、どうする? 助手席座る?」


 屋敷に向かう間、一言も喋らなかった琥珀はずっと車を見つめていて、陽玄の言葉は耳に入っていない様子だった。


「琥珀?」

「……あ、ごめん。何?」

「助手席座るかどうか聞いたんだけど」

「あ~いいや、あたし、後部座席座るからヨーゲン君、助手席どうぞ」

「? 分かった」


 何だか様子がおかしい気もしたが気のせいか。陽玄は助手席のドアを開けて、背中に背負った刀を抱えながら中の椅子に腰を下ろした。運転席に座っている鉄は車のドアを開けたように、黒針をエンジンキーの形状に変化させ、車のエンジンを吹かした。


「それにしてもすごいな、車の運転もできるなんて。車の免許って教習所に通わないと取れないんじゃないのか?」


 陽玄は鉄が自動車学校で勉強している姿を想像してみた。うーん、何か場違いな気もするけど、きっと教わったこと、すぐ覚えられるんだろうな……なんてことを思っていると、鉄はふるふると首を振った。


「通わなくとも免許は取れます。どんな形であれ最終的に学科試験と実技試験で合格できればいいとのことでしたので、ぶっつけ本番で挑み、無事免許を交付することができました」


 陽玄の想像を容易に超える衝撃だった。学科試験ならまだしも、実技試験をその日、初めて車に乗って……信じられない。

 後部座席で座っている琥珀もこの話を聞いて驚いているはずだと、陽玄は振り返った、が琥珀はその話には耳を傾けておらず一人目蓋を閉じて深呼吸をしていた。白いパーカーの胸元を両手でぎゅっと握りしめながら。

 敵の本拠地へ向かう緊張か、それとも車に乗ることに緊張しているのか、どの道、心を落ち着かせていることは分かる。


「……大丈夫?」


 声を掛けると長い睫毛が反応し、目蓋が上下に開いた。


「うん。ちょっと嫌な記憶を思い出しただけだから心配しないで、すぐ慣れる」

「あ……、そうか」


 嫌な記憶と言うのは交通事故で両親を亡くしたことだろう。

 そう思ったら自分も後部座席に座り直そうとも思ったが、その提案を口にする前に、琥珀は身体を横にして背を向けた。


「鉄、今言うのもあれだけど、あんた運転免許証なんて持ってないでしょ。一応、あんたの所持品は全部見させてもらったけどそんなものはなかったよ」


 こちらの心配を案じてか、琥珀は背を向けたまま指摘する。


「え、そうなのか、鉄」

「……お見苦しい限りです。琥珀さまのおっしゃる通り、おそらくは戦闘中に免許証を紛失してしまったようで、今現在所持していない状態です。ですが、免許を交付したのは真実ですから運転能力に支障はありません」


 と言ってもこれでは無免許運転になってしまうのだが、この際致し方ない状況でもある。


「だから鉄、安全運転でお願いね。警察に目を付けられたら本末転倒だから」

「畏まりました。十分注意しつつ運転に臨むのでご心配なさらずお眠りになられてください」

「そう、頼んだわ」


 それきり琥珀が口を挟むことはなかった。アリステ(鉄に教えてもらった)とかいう黒の車に乗って、街の中心街から離れること一時間。車窓から見えるのは平凡でつまらない情景。広大な平野には同じ造りをしたマンションとビルが乱立していた。車内は静まり返っていて、鉄は安全運転を心掛けている。視線を後ろに向けると、金髪の後頭部と白い背中が見えるだけで、起きているのか分からないが、彼女は横になったまま動かない。


 それからさらに三十分ほど車を走らせていると、落雷による停電にでもなったのかと思うほど、車窓から見える景色は視認できないくらい闇一色に染まった。モノが発する光は一つもなくて、光っているのはこの車のヘッドライトくらい。

 夜の只中ということもあるが、まるでゴーストタウンみたいに生活感のない街並みは、灯りも人の気配もない。真夜中だからと見過ごすことができない異変が窓の向こうに広がっている気がした。自販機の明かりも、街灯の明かりも、信号機の明かりも、ない。時間に取り残された街に光は愚か、人が生きている跡もない。


「もしかして、ここは廃墟街なのか」

「はい。そしてこの街一帯はもう結界の範囲内です。舎屋敷はこの区域内ですが、結界の中に結界を張っているのでここからは徒歩の方がよろしいかもしれません」

「分かった」


 鉄が車を路上に駐車させた。陽玄はシートベルトを外して琥珀を起こそうと後方にふりかえったが、彼女はすでに上体を起こしていた。


「何だ、起きてたのか」

「起きたのは今さっき結界内に入った時だよ」


 その声はいつも通りだが、表情は不快感を示していた。

 陽玄は刀を背に未曾有の土地に足をつける。周囲には何の変哲もない長方形のマンションが幾つにも不気味に聳え立っていた。だがどの建物も廃れていて、ビルの窓ガラスは割れ、家屋の表層にはびっしりと緑が覆われていた。人間がいなくなってずいぶん時間が経ってるのだろうか、にしてもこんな大規模な街がどんな理由で廃都になるのか。それこそ、大災害にでも遭わない限り、この国の人間が自分たちの街を放棄なんてしないと思うんだが。


「結界内に異物が入り込めば何かしらの術式が発動すると思ったけど、この結界は単なる人除けか」


 琥珀が歩きながら言う。


「はい。大規模な結界ですから、偶然立ち入る一般人がいなくもありません。そのため物理的干渉ではなく心理的干渉によって立ち退いてもらえるようになっています。貴方方がその干渉を受けないのは明確な目的があること、と組織である私が傍にいるからでしょう」


 こんな容易く入り込めるとは思わなかったが、それも鉄の存在があるからだろう。


「にしても街一つを結界に落とし込むなんて。この街の住民はどこに行ったのよ」


 そうだ。誰がどう見てもこの街は人で栄えた形跡があるのに一体何があったらこんな廃れた街に変わり果てるのだろう。


「申し訳ありません。私は切り落とされた廃墟の街を利用したとしか言われていないので、詳細については分かりかねます」

「利用した? じゃあなに、この街はあんたらの仕業で廃墟化させたんじゃないって言うの……」


 琥珀は信じられないといった表情で廃れた街並みを見つめる。


「いいや、今はそれよりもやることがある。鉄、舎屋敷はあとどのぐらいの距離にある?」

「五百メートルほどでしょうか。この先をまっすぐ進めば――」

「待って!」


 琥珀の声に緊張が走る。

 何かを感じ取ったかのように琥珀は眉を顰め、その顔には敵意が滲み出ている。


「ちょうどあたしたちが来た道からやってきてる。このままじゃ鉢合わせになる」

「では北側に迂回してやり過ごしましょう。おそらくは舎屋敷に用がある魔術師ですから血の巡りを抑圧させて気配を悟られないようにしていれば問題ないと思います」


 陽玄は言われた通り、極力呼吸を抑えながら立ち去る。走っている足が止まるのは唯一魔力を感じ取った琥珀の足が止まった時だが、前方を走る彼女の足が止まることはない。


「ちっ、どうやら用があるのはあたしたちの方らしい。通った道を辿って追って来てる」

「出し抜くことは難しいのか?」

「結界を張って動きを封じられれば」

「承知」


 背後で会話を聞いていた鉄が左右の指と指の間に挟むようにして黒針を投げつけた。建物という側面に、地面という底面に、目で認識することもできないだろう仕掛けが次々とセットされる。

 だが、驚いたことに追走者はそれを掻い潜る節を見せている。その証拠に琥珀の走りが止まることはないし、鉄にも罠がかかった手ごたえはないようだ。

 それでも戦闘は極力避けるべきだ。ここは魔術師が集まる巣窟の外だが侮ってはいけない。騒ぎになれば、新手が駆け付けてくるという最悪な展開が待っている。


 ふと、虫のような羽音が耳朶を撫でるように掠めた。その音は次第に大きく、その音はだんだんと騒がしくなっていく。

 それはまるで魔力(血)の臭いに集る蚊のように。

 どこからともなく集まってきた蚊柱のような何かによって騒騒しい饗宴が始まっていた。


 諦めるように琥珀の足が止まって、煩わしいとばかりに鉄が無数の針によって飛び回りながら音を鳴らす虫を撃退していく。

 その一匹が陽玄の手のひらに墜落する。

 蚊ではなかった。

 見たことのない新種の生き物とでもいうのか、形容しがたい形をしているそれは、目を表したような◎(二重丸)の眼中に、芋虫のような胴体と前肢、蝶のような翅と触覚を持ち合わせた五ミリサイズの羽虫である。

 その羽虫は風に攫われるように、将又砂鉄のように霧散した。


 それで理解した。この蟲が発する音は居場所を知らせるためのものであり、魔術師によって作られた特別製の蟲であることを。

 暗闇に慣れた目が魔術師の輪郭を捉える。


「熟れた女のいい匂いがする」


 二つ前の曲がり角から現れた女性の魔術師は、片手で輪っかを作ってこちらを覗き見ていた。


「あはっ、やっぱり、がねちゃんだぁ~」


 焦げ茶色のショートボブ。髪を揺らしながら近づいてくるその様は恋する乙女のようで、水平に切られた前髪から覗かせる翠玉色の双眸だけがぎらぎらと光り、口元には笑みがあった。

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