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天命の巫女姫  作者: たけのこ
7章 邪知暴虐Ⅰ<ゴーストタウン血戦>
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7―5 錫色の魔術師①

 黒羽を見送った後、陽玄は負傷しているであろう女性の後を追っていた。怪我をしているのならそう遠くには行ってないはずだが、三、四十分かけて住宅街を歩き回ってみたものの、その姿は見つからない。こんなに捜してもいないんだったらおそらく大丈夫だろう、と区切りを付け始めていた。


 はあ、と陽玄は大きく欠伸をする。

 黒羽が元気そうで安心したからか、急に眠気が襲ってきた。

 陽玄はゆらりと歩きながらぼんやりと周囲を見渡す。きっとお酒の飲み過ぎで朦朧となった意識のまま帰ってきたが、道の途中で倒れたんだろう。それがたまたまあの駐輪場だったというだけで。

 そんな推測を立てながら歩いていると、すでに住宅街から遠ざかっていた。

 黒いドレスの装いからして目につきやすいと思うが、そんな格好をした女性は見た限りいない。仮に見落としていても人が出勤する時間帯だ。怪我を負っているなら黒羽のように周囲の人間が気に掛けるだろう。


「そろそろ帰るか……」


 住宅街でもなければ人通りの多い駅前でもない大通りの外れを歩いて、これ以上捜しても見つからない、そう判断した時、寂れた路地裏から大きな物音がした。

 建物と建物の隙間――道とも呼びない路地裏には朝の晴れやかな光も届かない鬱屈な闇が蔓延っている。


「……」


 陽玄は躊躇いながらも暗がりの細い道の入り口に足を踏み入れた。暗部の奥。暗い通路を進んでいくと、廃液のように黒ずんだ壁に女性がもたれ掛かっていた。

 パーティードレスを連想させる優美なデザインの衣装。

 シャランと微かな音を立てる鼈甲色の簪。

 その簪によって髪結いされている色素の薄い錫色の髪。

 陽玄はこの女性に見覚えがあった。


「く――」


 彼女の名前である頭文字を口にした時、髪結いのための簪は一瞬にして抜かれ、暗器として陽玄に差し向けられた。


「なぜ貴方がここに……」


 発する言葉に驚きは含まれているものの、見上げてきた女性の顔は初めて会った時と同じで感情の見えない静かな表情を浮かべている。


「それはこっちの台詞だ。どうしてこんなところにあんたが、たしか、鉄とか言っていたよな、それにその傷……何があったんだ」


 泥で汚れた頬。

 所々破けた黒のボディコンシャスドレス。特に大きく破けた腹部の布地の隙間からは晒のようなものが覗けていて、それが痛々しい朱で滲んでいる。

 美しくお淑やかだった身なりはこの上なくみすぼらしい姿になっている。

 陽玄の記憶が正しければ、彼女は反逆を起こした槍碼一紳と折り合いをつけ、宗教組織側についたはずだ。

 そんな彼女がどうしてこんな無残な姿を晒しているのだろう。簪を握っていた右腕が力なく地面に臥す。敵ではないと判断したのか定かではないが、彼女から殺気や敵意は感じられない。


「貴方に話すことはありません。とっとと立ち去ってください」

「……あの夜あの場に立ち会っていたんだ。理由くらい聞いてもいいはずだ。……けど今は傷の手当てが先だ」


 と言ってみたが陽玄が所持しているものは定期券だけで、小銭は数えられる程度しか持っていない。


「不必要です。私一人で何とかなりますから」

「なんでこうなったか理由は分からないけど、状況はだいたい理解しているつもりだ。魔術師に追われているんだろ?」


 それ以外に彼女をこんな目に遭わせられる存在を陽玄は知らない。おそらく追っ手との交戦で深手を負い、どうにかして撒いたが、魔力が枯渇しているのか怪我の完治に手間取っているのだろう。それもそうだ。魔力は眠ることで回復するが、こんな外で無防備に眠ることなんてできやしなかっただろう。だが、彼女の腕があれば、外傷くらい自力で治すことは容易なはずだが。


「追われていたら何ですか? 貴方には関係のない話です」

「関係ないって……なら早く槍碼や僕の傷口を縫合してくれたみたいに自分の傷も縫合すればいいじゃないか」

「……生憎、縫合用の糸は槍碼さまと貴方の処置でそのほとんどを使い果たしてしまいましたので、私には何も……」


 話している間にも晒は真っ赤に濡れていて、彼女の表情に変化はないが、腹部を押さえている手は血液がべたりと付着している。


「ならなおさら放っておけない。僕の命は君のおかげで助けられた。あの時は敵対関係だったけど、助けられた恩がある。だから僕はこのまま君を見過ごすことはできない」

「……」


 沈黙は好機。彼女が口を開く前に、陽玄は腰を下ろし、彼女の腕を掴んだ。肩を貸して立ち上がるのを手伝うと、傷が痛むのか、鉄は微かに吐息を漏らした。

 とは言え、こんな手負いの状態で日の下に出れば、恰好の的だ。


「ごめん、ちょっと上着脱ぐから、肩外す」


 そう言って素早くダウンジャケットを脱いで彼女に上着を羽織わせた。とりあえずこれで少しは人の目を気にしなくて済むはずだ。


「……よし、行こう」


 再度肩を貸して彼女を連れていく。


「お待ちください。一体、どこに行くおつもりですか……」

「とりあえず館に行く。休むならそこが一番安全だ。……薬局かどこかで縫合用の糸を買ってこようかと思ったけど、買っている間に姿を消されそうだし、睡眠を取るには安心できる場所が必要だろ。外じゃろくに眠れないはずだ」

「……ですが、館には代行者の女がいるはずです。私を容認してくれるとは思えないのですが」

「いいから、話は館についてからだ」


 ここから館まで駅四つ分離れている。人目は気になるが、流石に怪我を負っている人間に数十キロの距離を歩かせるわけにはいかない。

 とりあえず陽玄は駅の改札を目指した。

 幸い、出勤時間のピークは過ぎたようで駅前はそこまで人は多くなかった。

 彼女の分の切符を買って、改札を通る。

 電車が来るまでの間、ベンチに腰を下ろした。


(まさか、美咲ちゃんが言っていた女性が教会側の魔術師だったとは思わなかったが……)


 陽玄は一瞥する。

 どこか怜悧なものを感じさせる横顔。

 見たところ日本人のようだが、人形のような華奢な体つきで、白人の血が混じっているのか青みがかった灰色の瞳をしている。


「大丈夫?」

「差し支えありません」


 無機質な声で言うが、片手はずっと横腹を押さえている。服装が漆黒なので血の赤さはあまり目立たないが、想像以上に衣服が血で濡れているのは肩を貸した時にわかった。そもそもあんなところで蹲っていたのだ。内心、大丈夫ではないのだろう。だからといって陽玄にできることはほとんどないため、今は無理に喋らせないためにも聞きたいことはぐっと堪えた。


 少しして待っていると、電車が到着した。

 手を貸して立ち上がるのを手伝う。

 自動ドアが開き、電車内に乗り込んだ。

 電車内にはほとんど乗客はいないが、念のため陽玄は隅の椅子に腰を下ろした鉄の前に立ち、つり革につかまった。車内を見渡した後、見下ろす。鉄は微動だにせず深く俯いている。表情は長い髪で完全に覆い隠され、ただ左巻きのつむじが陽玄には見えるだけだった。


 車内は静寂で混雑とは無縁だった。だが、人がいないといないで目立つ。こんな場所で追跡中の魔術師に鉢合わせたら、勝ち目はない。刀を所持していない陽玄も、深手を負い魔力を消耗している彼女も今はそこらにいる一般人と変わらない。

 電車が停車駅に着く度に、陽玄は乗り降りしてくる人間を確認する。警戒心を張り巡らしながら彼女の存在を自分の身体で隠す。そうして無事最寄り駅に着いた陽玄は、三度鉄に肩を貸して琥珀が暮らす館へ歩を進めた。


「休まなくて大丈夫?」


 晒はもはや止血の役割を成しておらず、喪服のようなドレスだけでなく寄り添いながら歩いていた陽玄の甚平をも赤く濡らしている。


「お気になさらず進んでください」


 表情には出ないが、苦痛の吐息が呼吸と共に吐き出される。無理をしているのは誰がどう見てもそうだが、一度足を止めれば歩き始めるのに必要以上のエネルギーを要するのも分かっていた。

 墓地に続く坂を上り、霊園の道を歩く。普段ならどうってことないその道のりは果てしなく続く峠に感じた。長く感じる道のりを二人三脚で歩いて、ようやく墓地風景が一望できる高台まで辿り着いた。


「あともう少しだから」


 ……って一度彼女は槍碼と共に来たことがあったか。

 日の光が差し込む緑の入り口に足を踏み入れる。鉄が段差を踏み外さないように最大限の介助をする。最後の段差を下りれば、館はすぐそこだ。分かれた二つの道のうち、一つは道だと認識する者はいないだろう。そんな人が通らないであろう道を通り、やっとの思いで琥珀の家に戻ることができた。

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