プロローグ(綺麗な花には毒がある)
人捜しに没頭して中心街までやってくると、段々と道行く人の層が変わり、やがて通りには男ばかりが目立つようになった。
ネオン色の街並みは別世界の光景。
過度なほどにピンク色のネオンは眩しくて、女の子のわたしでもすっごく魅惑的で欲情的な気分になってくる。だから、唾液の分泌量も増えて、舌の上で転がしていた飴もよく溶けるし、下着を身に付けていない股の下もすぅーすぅーしてくる。
歩いている男たちの目も、他の通りの人間とはどこか違う。酔っ払いを含め、目がギラギラしている感じがする。
「ぎらぎらだぜぇ」
こんな場所にお目当ての彼女が逃げ込むとは思えないけれど、面白そうだから、とりあえずこのまま探索を続行。
人も道も明かりも全てが退廃のピンク一色に染まっている街の中を歩いていると、大通りにはいかがわしいお店が建ち並んでいた。
「WOW、大きなおっぱい。……うーん、でもあれだなぁ。なかなかの大きさではあるけど、うちのがねちゃんには及ばないかなぁ」
胸の大きな娘が目立つ看板をまじまじと見た。何はともあれここは男性客のみしか利用できないお店なのだろうか。女であるわたしも女の子とウフフな体験ができたりするのだろうか。できるなら、入ってみたいけど……九十分で三万五千円はちょっと高いかなぁ。でもでも対価に見合ったことをしてくれるなら喜んで払いますけども――ってだめだめ、わたしにはがねちゃんという女の子がいるんだから。と思いつつも十分近く看板の娘と見つめ合っていた。
「おっ、良い女だねぇ~」
その場に釘付けになっていると、明らかに酒の入っている足取りのサラリーマンが声をかけてきた。
「え~、わたしのことですかぁ?」
「君以外、どこにいい女がいるんだよ」
「でもお店にはわたしなんかよりこの看板の子みたいなぼいんちゃんがいるんですよ? ここって、そういうところなんでしょ?」
「もちろん、中にはいるよ。でも、外には君しかいないじゃないか。なあなあ、ただで一発やらせてくれよぉ。今月もう金がなくてさぁ、溜まってんだよぉ~」
わたしの腰に腕を回してきたおじさんは鼻息荒くしてせがんでくる。要するにお金がないから払わずにやらせてくれそうなわたしに目をつけたと。
「なあ、いいだろ? ここに来たってことはそういうの期待してたんだろ?」
頭の中はエッチなことで一杯。
家庭はあるのかしら。
子どもはいるのかしら。
大切なものはないのかしら。
ふふふっ。
そんなことはどうでもいいといったような顔。
あれもこれも欲しいと思ったものは手にしたい欲張りな顔。
だって、わたしを見てエッチなことしか考えられなくなってる。
そんな男の必死さがだんだん可愛く思えてきた。それにやっぱり、欲を抑えるのは身体に毒だよね。赴くままに、本能のままに、自由奔放に、そっちの方が人生はよりスリリングでより楽しいっ!
というわけで、ここはおじさんのためにも一肌脱ぐとしましょうか。
「もう、しょうがないなぁ~、特別ですよ?」
「本当かっ。本当にいいのか⁉」
あはっ。
子どもみたいにはしゃいじゃって。
うんうん、分かるよ、その気持ち。
欲しいものが手に入る時はすっごく嬉しいよねっ‼
「冗談で言うわけないじゃないですかぁ」
わざとらしくスカートをたくし上げながら、腰をふりふり捻らせてみる。
「ほらぁ、早くはっするしましょうよ~、おじさぁん♪」
「ああ、もう我慢できんっ」
そのまま人目の付かない路地裏に連れ込まれたわたしは、身体をまさぐられながらおじさんにキスをされる。そこに愛情はない。ただ性欲を満たすための下品な行い。わたしは性処理をするための肉人形と化す。
「嬢ちゃんの唾液、オレンジ味だねぇ」
ハアっー、ハアっー、と荒い息を漏らしながら口付けの感想を零す。
「そうだよー、さっきまで飴舐めてたからね。そういうおじさんはお酒の味がするぅー」
口づけした距離でおじさんの血走った眼と合った。
「それにしても、変わった恰好していると思ったら、ブラもパンツも履いてないなんてスケベだね」
「え~だって、蒸れるし、邪魔じゃないですかぁ。なんならすっぽんぽんの方がわたし的にはいい感じ~、ちゅっ……」
そう誘うように言って、今度はわたしからおじさんにキスをする。
「おほっー、積極的だね~!」
やっぱり積極性は好印象だ。お互いその場のノリに合わせて口を開けて、口内でたっぷり舌と舌を絡め合えば、唇の感覚はだんだん鈍感になって、わたしは物足りなくなる。
もっと情熱的にもっと刺激的に、もっと深く、もっと大胆に。
「んんっー、っ――!」
やがておじさんは息が吸えなくなって女の子みたいな声を上げた。キスに夢中になっていたわたしは、わたしの口の中に押し込まれたおじさんの舌をイカみたいに噛んでいく。
「――っ、んんんんん、あ、ぎ――っ」
アルコールの味はいつの間にか血の味に。唾液と血が混ざりあった粘り気のある液状が、わたしの喉にいやらしく絡みついてくる。
「っ――、あが、ぎ、が、んんんんんんんん――っ」
逃げようとする頭を両手でがっしり押さえ込んでキスを続行。
激しい出血をぎゅるると吸い上げながら八重歯で分厚い舌の肉を噛み切っていく。
「ぐ、が、ひ、ぎいgmっみggmgggg」
うんうんうんうんっ。わたし、うまく感じさせられてるぅー。
そのままブチリッと毒々しい舌を嚙み千切れば、おじさんは昇天して地べたに倒れ込んでしまった。小太りな身体をびくびく痙攣させ、悶え苦しんでいる。
「あぁ、ごめんね。刺激強かったっぽい?」
口の中で鉄味の蛞蝓が蠢いている。
飴は溶けてなくなってしまったので、わたしは代わりに蛞蝓のような舌をガムみたいにむちゃむちゃと咀嚼する。ガムというよりは噛んでも噛んでもなくならない牛のタンに近いか。ってどっちも舌=タンでした。あっはははははははははは。
「ってあれ? おじさん?」
つんつんつん。
つついても呻くだけ。
倒れてしまったおじさんは額にだらだらと汗を流している。口の中は血がだらだら。
「おじさぁーん、もう終わりですかぁ~。もっと楽しいことしましょうよ。ってもう、こんなところで寝たら風邪引きますよぉー」
おーいおいおい。
「あれれぇ。わたしの声、全然聞こえてない感じ?」
あ、もしかしたら耳が聞こえなくなっちゃったのかも。
わたしは舌の味や食感を口の中で堪能しながら、おじさんの耳に指先を突っ込んでいく。
「ぐmjんfhhんmじふぃふぃff」
なんか呻いてるけどよくわかんない。今度は指先に唾液を垂らして滑りをよくさせながら触診する。
「うんしょ、よいしょっと。なんか、あんだよなぁ」
耳の奥に突起物を発見。きっとこれがいけないんだ。
「ブチッ――」
根気強く耳の中をこねくり回していたら、大きな音が鳴った。
「お、にゃんか取れた。出血が酷いけど……ってなんじゃこりゃっ!」
プツンと何かが切れた音がして、そのまま勢いよく引きずり出せば、今度は蝸牛みたいな管が耳から出てきた。
「何だろう、これ?」
分からないものは一度口に入れて確かめてみよう。
ぱくりと口の中に入れてみたが、味は良く分からない。
でも食感はいい。
口の中では千切り取った舌と耳の変なやつがごっちゃごっちゃしてる。
そのうち、耳から出てきた蝸牛みたいな管はホロホロ崩れて――、その時、初歩的なことに気が付いた。
「……って聞こえてないのは耳に問題があるんじゃなくて、舌がないとろくに喋れないからだった。もう、わたしのばかばか~」
……。
……。
……。
さて、これ、どうしようか。
急にめんどくさくなった。
壊れちゃったものを治すことは難しい。まあ、このまま放っておいても死にはしないだろうし、悪いのはこのおじさんだから処遇は別にどうでもいいのだけど。
「おじさん、死にたい?」
問いかけにふるふると首を横に振る。
「分かった、じゃあやめとくね。ごめんね、おじさん。ついヒートアップしちゃった。でもお金を払わずにキスしてあげたんだからこのくらいは許してくれてもいいよね。よねよねよね?」
こくこくと朦朧としながら首を縦に振る。
「ありがとっ! ってことでばいにゃら、おじさん。楽しかったよ」
むちゃむちゃ。
むちゃむちゃ。
むちゃむちゃ。
「う~ん、やっぱり、タンは焼いて塩とレモン掛けた方がおいしいかなぁ、おじたん、タンタンタタン」
舌の食感を嗜みながら黒一色の世界からピンクの幻想的な世界に舞い戻ると、向こうから伊達眼鏡をかけた色男が訝しむような視線を向けてやってきた。
「こんなところで何をしている。あと少しで造反者となった女を捕えられたというのに」
「慌ちぇない慌ちぇない。もぐもぐ。がねちゃんは見かけに寄らず素早かったけど、致命傷は負わせたんだから、きっとどっかでへばってるよ」
「はぁ。だといいんだがな」
「大丈夫だって、もぐもぐ、だってあんなおっぱい大きいんだよ? 重たくて走れないって」
「趣味嗜好はどうでもいいのだ。そんな情報はいらないし、あてにならない」
「ええ~、そうかな。もぐもぐ。ニシキが単に男だから分かんないだけじゃないの? まあ、わたしもちっぱいだからよくわかんないけど。あっははは!」
「つまらん話をしてないで、さっさと追うぞ」
「あーい。気を取り直して、レッツラゴーっ! ゴーっ‼」
愛しのがねちゃんの、あの大きなおっぱいを揉むためにも、もうひと頑張りするとしましょうか。
「ところでお前、さっきから何をペチャクチャ食ってる」
「え、あぁ、人のタン肉食べてるんだけど……ニシキもお腹減ったの? あげようか?」
べろん、と口を開けて、咀嚼物を見せる。
「ちっ。口を閉じろっ! この糞食い女が。誰がそんな糞便を食いたいと思うんだ」
あは、怒られた。
「ひどいなぁ。うんこじゃなくて正真正銘舌の肉なのに」
「どちらも口にするものではない。糞食い女」
「やめてよ、それ。これでもわたし、いい女って言われたんだよ? あはは、あっははははははははは!」
何が面白くて笑っているのか、分からないけど、面白いから、笑った。




