0―14 要望①
日の光でもなく、悪い夢から覚めたわけでもない。
心地の良い目覚めでもなければ寝付けなかったわけでもないそんな朝の目覚め。
いつものことだ。
時刻は朝の五時過ぎ。
魔法使いであると自覚したその日の翌朝からやけに早く目を覚ますようになった雄臣は、今日もむくりと起き上がった。
隣にいる美楚乃はまだ熟睡中。
自分の手を掴みながらぐっすり眠っている。
美楚乃は朝に弱い。
だから朝早く起きるのが苦手な美楚乃に代わって……ということもあるが、晩御飯やその他もろもろの家事を彼女に任せている代わりに、朝食は自分が作ると決まっている。
にしても起きた瞬間、何の隔たりもなく意識が覚醒するこの身体は人間じゃないみたいだ。もっと寝ていたいとか身体が疲れているとか、そんな感情や感覚は一切なく、まるで電源ケーブルを差し込まれて動き出すロボットのようである。
「ん~ぅ。にぃ、さまぁ……」
「悪い。起こしちゃったね」
「あれぇ、にぃさま、いる。ここわたしのへやぁ……」
ふにゃふにゃ声。夢と現の間をぼんやりと彷徨っている美楚乃は、ぼーっと半開きの目で自分が見えているのか分からない顔をしながら寝ぼけたことを言う。
「違うよ。ここは僕の部屋、昨夜一緒に寝ただろう?」
「……そっかぁ。早起きだねぇ」
「ああ、まだ朝早いから寝ていな」
「……んぅ。でも寝てる間に、どっか行っちゃやだよ?」
「行かないよ。そんなこと今まで一度もなかっただろう」
「うん……」
美楚乃は瞼を重たそうにしながら辛うじて頷く。
「朝ご飯できたら起こしに来るから、それまでおやすみ」
「…………おやすみぃ……」
再び美楚乃は眠りの世界へ舞い戻っていった。
雄臣は自身の手を握っている美楚乃の手を解き、彼女に毛布を掛け直す。とても幸せそうな寝顔をしばらく見た後、部屋を出た。
階段を降り、一階の居間に移動する。
居間は布団の温もりが恋しいと思う程冷え込んでいて、雄臣は天井の灯りを付けた後、すぐさま暖炉に火をつけた。
そのまま外の光を家に取り込もうと窓際に行く。無地のカーテンを開けると眩い太陽の光が差し込んだ。昨日とは打って変わって、雲一つない綺麗な青空だった。
雄臣は目を細めながら昨日の出来事を過去に追いやり、これからのことを考える。
「……この空のように、明るい未来が必ずこの世界には訪れるはずだ」
独白は希望。
何度も現実に打ちのめされようとも、またこうして希望を抱く。
ふと気が付いたら抱いていた。
だからまだ、抱けるうちはまだ、白雪の抱く希望を叶えてやりたいと思う。
「さて、ご飯つくるか」
気持ちを切り替え台所に向き合った。使う食材は家から少し離れたところにある畑で育てた人参やトマトと言った緑黄色野菜と街の人間からおすそ分けで貰ったサツマイモである。そして常備菜として予め水煮された大豆と牛乳の代替品として常備している自家製の豆乳を使う。
キッチンで一人黙々と作業に取り掛かる。と言っても下ごしらえをしてあるから後は煮たり焼いたりするだけなのだが……。
レタスを千切りにし、適当に他の野菜も食べやすいサイズに切って盛り付ければ色合いの良いサラダの完成。
すり潰したトマトや玉ねぎ、人参と豆乳を入れて煮込めばスープの完成。
そしてサツマイモの皮を剥いで中身を潰し、砂糖と豆乳を混ぜて焼けば主食となるパンっぽい何かの完成。
以上、朝食の準備は一先ず終わった。後は美楚乃を起こすだけなのだが、時計の針はまだ六時前。起こすにはまだ早い時間帯だ。
(……っても何もやることないしな。まあ、とりあえず部屋に戻って美楚乃の寝顔でも見るか)
部屋に戻った雄臣は、起こさないようそっとベッドに座って美楚乃の様子を窺った。美楚乃は微かな寝息を立てながら眠っている。
「美楚乃……」
一応、声を掛けたが目を覚ます気配はない。雄臣は美楚乃が起きるまで横寝することにした。
三十分、四十分……妹の寝顔を見る趣味はないけど、飽きることはなくて、気が付いたら一時間を経過していた。壁の掛け時計は七時を回ろうとしている。
「美楚乃ー、そろそろ起きな」
「んーっ」
起きない。それとも起きたくないよ、という意味を含んだ返事だったりするのだろうか。まあ、声を掛けたところで起きないのはいつもの日常だ。
「起きてー、もう起きる時間だよ」
布団をばっと退かして、肩を何度も揺する。
「んーん」
寒いよ、と猫のように身体を丸めた美楚乃は、いつもならこれで起きるのになかなか起きてくれない。
「おーい。美楚乃っー」
「……」
反応なし。
全く起きないので頬っぺたをふにふにとつまんでみたが、これまた起きる気配はない。ならばとその流れで耳をこしょこしょ触ってみた。
「ひゃっ……⁉」
耳たぶに触れた瞬間、無意識に声を出して、触る手を叩かれた。
(うーん、なぜだ。これでも目を覚まさない。……いや、よくよく考えてみたら、ひゃっ、て何だよ。絶対、起きてるだろ)
怪しいと思った雄臣はベッドから立ち上がった。
「あ~、もういいや~。起きないなら、兄ちゃん出掛けてくるよ。バイバイ、美楚乃」
わざとらしく大きな声でそう言うと、美楚乃はがばっと身体を起こした。
「だめっ。そんなのっ! あっ……」
しまった、と言わなくても分かるような表情を美楚乃は顔に浮かばせた。
「……はあ、起きてるじゃないか。どうして寝たふりなんかしてたんだ?」
「うっ……」
「何か言いにくい理由でもあるのか? 別に怒ったりなんかしないぞ、こんなことで」
それは彼女なりの小さな抵抗だったんだろう。
「……ずっと眠っていたら、兄さまどこにもいかずに、長い間、一緒に居られると思ったから……」
若干俯き地味で、パジャマの端を掴みながら発した言葉は寝起きだからか、いや寂しいからだろう。覇気はなく元気もない。
「……ごめん、でもこれは白雪との約束だから」
「うん……」
美楚乃は本心とは裏腹に聞き分けよく返事する。
「ご飯できてるから、一緒に食べよう」
「……うん」
夜は一緒に居られる時間だから、気が抜けてべったり甘えてくる。逆に朝起きたばかりは気を張る準備、我慢する準備が整っていないから、素直な気持ちが全面的に溢れ出るのだろう。
美楚乃は憂鬱な朝を迎えた子どものように自分の後ろをとぼとぼついてくる。
(そろそろ我慢の限界なのは分かっている。それでも人の命には変えられない)
「顔、洗ってくる」
階段を降りると美楚乃はそう言って洗面所へ向かった。
「ああ……」
美楚乃が洗面所で顔を洗っている間に、さっき作っておいたスープやパンもどき、サラダを皿に乗せ、テーブルに運んだ。
その後はいつも通りの朝だ。
洗面所から戻ってきた美楚乃は、何事もなかったかのように席に着き、元気な声で「いただきますっ!」と言い、朝ご飯を食べる。
そして食べ終わると、「わたしが洗うから任せてっ!」と言って、そこにはもう甘えん坊の美楚乃は鳴りを潜めていた。
九時頃。
昨日のこともあって、食後すぐに黒い外套を纏った雄臣は玄関口に向かった。その後ろをついてくる美楚乃は「今日はいつもより早いんだね……」と名残惜しそうに言った。
「ああ。もしかしたら帰りも遅くなるかもだから、その時は先ご飯食べて、先に寝てるんだよ?」
「え、そんなのやだ。帰ってくるまで絶対寝ないもんっ!」
「寝ないもんって、眠気には勝てないだろう? 昨夜だって寝ないって言っていたのに、すぐ寝ていたし」
「っ。ならお昼寝たくさんするから大丈夫だし……」
「駄目だよ。変な時間に寝たら夜眠れなくなる」
「そのためのお昼寝だもん。だって夜寝たら、会えるの朝になって……またすぐ行っちゃう……」
「美楚乃……お願いだから言うこと聞いてくれ」
出掛ける手前、雄臣は優しく美楚乃の頭を撫でた。
「ぅう……それ、つらい。なでなでされると余計に行って欲しくなくなる……」
「……美楚乃……」
「……ぅ、ぅう」
「離してくれないと行けないよ」
美楚乃は外套の裾を縋るように掴んで離さない。
「……兄さま……」
「ん? どうした?」
「やっぱり、行っちゃやだよ……」
掴む手に力が入った。それは彼女が見せる最大級の駄々だった。
「美楚乃……」
俯いた顔を上げた美楚乃は今にも泣き出しそうな顔をしていて、雄臣はどうしたものかと叱ることもできないし、とは言え我儘を聞いてやることもできなくて……でも身体は一歩も動けなかった。そんな寂しそうな顔で言われたらどこにも行けない。
「どうして帰り遅くなるの?」
「それはいつもの町じゃなくて、まだ行ったことがない遠い町にも立ち寄ってみようと思って」
「……兄さまはどこへでも行けるんだね……」
それは羨望と嫉妬が混ざり合ったような呟きで、そんなことを言われたら何も言えない。
「……。一日中、一緒に居られる日はもうこないの?」
そんなことはない。
白雪が了承してくれれば。
けれど、昨日あんな失態をしておきながら……いや、この話は美楚乃にとって関係のないことだ。彼女に落ち度はないし、むしろ我儘に付き合わせているのは自分の方だ。
「……分かった。明日はどこにも行かない。美楚乃とずっと一緒に居るから」
「……本当? 嘘ついちゃやだよ?」
「ああ。……だから美楚乃も寂しいとは思うけど、頑張って」
「うん、頑張るっ。嬉しいっ! 兄さま、大好き!」
ぱっと満面の笑みを見せて。
こんな言葉で元気を取り戻して。
いや、元気になってくれないと困るけど、こんなことで嬉しそうにしているのも何だかおかしな話だ。
幸せはもっと他に。当たり前のようにあるものではないといけないのに。
「それじゃあ、行って来る」
「うん。気を付けてね、兄さま」
「ああ」
けれど幸せを求めるにあたって、この世界は些か悪が多過ぎる。




