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天命の巫女姫  作者: たけのこ
6章 天と剣の選別式
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インタールード②(窮追)

 黒羽は耳に押し当てた受話器を震わせながら戻した。


「どうして、ここに……」


 玄関の壁際に寄りかかりながら立っている女は、電話の会話を静かに聞いていた。鎧のような赤い外套の隙間から見えた体躯には、これから人を殺すための凶器が備え付けられている。そして肩にはなぜか、人畜無害な小動物が乗かっていた。即ち、リスである。


「いやなに、翌朝目を覚ましてあれは夢だったと何もかも忘れていたら困ると思ってね」


 他人を信じない赤布の女性――剣崎陽毬は、にこやかな笑みと親しみの籠った声で答えた。


「でもこれで安心だ。君がお利口さんで良かったよ」

「……別に、わたしは良い子じゃありません」


 顔を背け、空気を裂くような口調で否定した。


「ああ、そうだったな。弟側からしたらお前は私と同じ、悪い女、になるワケだ」

「っ――」


 虐めるために計算された台詞。そうに決まっているんだから真に受けてちゃ駄目なのに、黒羽は苛立ちに表情を歪ませる。その言葉を振り払おうと髪を振り乱しても、呪いのように言葉は頭の中にこびりついて離れない。


「だって、二人殺されるなら一人でも助かる方を選ぶしか、ない、じゃんっ!」

「それは意外だな。大切だと思っているのなら、両方とも自分の家に誘い出すか、この際全部をぶちまけるか。それくらいのこと、しでかすかと思ったんだけどね」

「……ため、したの?」

「さあ、どうだろうね。でも、これではっきりわかったよ。少なくとも君の心中には、金髪の女を消して、弟を自分のモノにしたいという独占欲があることをね」

「そんなんじゃ、ない……」


 刃物のように嫌な言葉を突き出してくる女に、黒羽は苦悶の表情で否定を繰り返す。


「真っ当な人間はね、切り捨てることができないんだよ」

「もう、やめて……」

「まあ、人も動物も殺しているから命の重みが希薄化しているのは否めないし、全く見ず知らずの人間だったら自分の命を優先する者もいるだろう。いや、大概そうだ。それでも、君にとっては数少ない命の恩人であり、親しい間柄でもある二人だ。だからね、どちらも殺せないと思ったんだよ」


 昨夜とは打って変わって趣向を変えてきた女は、明るい口調で淡々と話す。


「だ、だから――選ばないとどっちも死んじゃうし、どっちを選んでも琥珀さんが死ぬ道しかなかったじゃんっ!」


 黒羽は苛立ち、声を上げた。


「そうだね。じゃあ、もう一つ、選択肢を君に与えようか」

「え――」

「両方とも助かる選択肢だ。簡単なことさ、自分が死ぬ代わりに、どちらも殺さないでくださいって懇願すればいいんだよ」

「な、なんで、そんな選択……」

「確かに、死はこの世で一番恐ろしいものだ。だが君は幾度も本気で死のうと考えてきたんだから、今更君が自分以外の人間を切り捨ててまで生きようとは思わないんじゃないかってね。人一人の命を自分が握っていると考えれば、選ばないのではなく選べないはずだ。それは後味が悪いし、自分が殺したという罪悪感に押しつぶされてしまうから選べないんだ。そして、自分にとって都合の悪いことが起こると分かっているから、人は殺せないんだよ。でも君は選び、私に殺しの権利を与えてくれた。この意味が分かるかい? つまりね、君は弟を独占できる代わりに生まれる金髪女の死を前にしても、その罪悪感で心がマイナスになることはないってことなんだよ」

「ち、違う、わ、わたしは……」


 気付きたくない感情。女の愉楽に揺れる瞳と目が合った瞬間、黒羽は俯いた。


「ふふ、図星だったかな」


 もう答えたくない。だから顔を見たくない。早く立ち去って欲しい。何も見たくない。


「……もう、やめて、やめて、よぅ」


 黒羽は涙を滲ませながらだんだんと声が萎んでいく。


「分かったよ、そろそろ行かなければ、弟と出くわすかもしれないしね。このぐらいにしといてあげよう」


 ヒールの足が動いて、ドアが開かれる。


「じゃあ、お望み通り、殺してくるね」

「……っ」


 殺したいのは彼女のはずなのに……もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。肌寒い空気を室内に送り込みながらドアがゆっくりと閉じていく。


 女の気配は消えた。

 自分の心を抉ってくる魔女はもういない。

 黒羽は廊下の壁に背中を預けた。リビングに戻れる気力はなく、うなだれながら蹲る。

 頭の中は醜い自分で埋め尽くされる。

 散々侮蔑された言葉が頭の中に氾濫する。

 この命は不幸になるために産まれてきたのだろうか。

 平凡で平均の普通の人生さえ与えられなかった不運への恨み。

 取り返しのつかない過ちを犯してしまった後悔。

 それら理不尽と罪に耐えられる人間が大勢いる中、耐えられなかった自分への不甲斐なさ。

 こんなことなら救いの手なんかいらなかった。

 あのまま好き勝手虐められて、皆のストレスのはけ口になったまま死んでしまえばよかった。まるで晴れを望まれて殺される、てるてる坊主みたいに首を絞めて死んでいればよかった。

 自分の内側を覗き込まれる嫌悪感と無力感はもう嫌だ。

 父に無理やり処女を奪われた時の憔悴感にも似た悲嘆と悲哀。

 死にも等しい喪失感。

 もう死にたい。

 死んで楽になりたい――。

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