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天命の巫女姫  作者: たけのこ
6章 天と剣の選別式
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6―4 優柔

 琥珀との散歩は終わりを迎えた。

 洋館に戻れば、ドア越しから鈴虫のような音が微かに漏れ出ていた。

 闇に沈んだ館のドアに手を掛けると、虫の音にも似たそれは無機質なコール音。陽玄はこの家の宿主よりも早く玄関の明かりをつけて、寒々と響き渡る玄関ホールへと急ぐ。

 電話=少女のホットライン。

 陽玄は泣いているように鳴り続ける電話の受話器を手に取った。


「美咲ちゃん?」


 呼び出されたのはこちらだが、発呼側の言葉を待つことなく、陽玄は呼びかけた。黒羽の返答を待っている間、横目に見ながら琥珀と視線を合わせると、彼女は陽玄の肩にそっと軽く手を添えた。


「?」


 その行為が何を意味しているのか分からず眉をひそめると、彼女は微かに笑って玄関ホールを後にした。

 琥珀を呼び止めようと思ったが、音沙汰のなかった黒羽が心配で、耳を受話器に強く押し当てて彼女の言葉を待つ。


「あの、ね、あの……」


 しばらくして蚊の鳴くような声がした。声は間違いなく黒羽のものだが、萎んだ声はか細く震えている。


「うん、大丈夫だよ、ゆっくりで」


 陽玄は相槌を打ってその後の話に耳を傾けたが、彼女は一向に話そうとしない。


「どうしたかな?」

「っ……、――」


 受話器越しに黒羽が何か言おうとしているのは伝わってくるのだが、声を詰まらせる間が続く。受話器の向こう側にいる彼女が今どんな表情をしているのか分からないが、なんだか焦りに近い不安に満ちた息遣いだけが聞こえて、只事ではない雰囲気は伝わってくる。何か言いにくい話なのだろうか。でもわざわざ電話をかけてくるくらいだし、急用で大事な話であることに間違いはなさそうだが……。


「剣崎、さん……」

「うん。なに?」

「来て、ほしい……」


 琥珀に窘められて言い出せずにいたのか、彼女は声を震わせて我儘を言った。


「……電話越しじゃ駄目かな?」

「…………さび、しい」


 遠回しに君の願いに今は答えられないと言う覚悟だったが、彼女は身を引くことなく、自分の気持ちを押し通してきた。内気な彼女がこんなにも気持ちを前面に伝えてくるのは珍しい。いや、彼女をそうさせたのは少なくとも自分の言葉が影響しているんだろう。だが、陽玄はすぐに答えることができなかった。


『もう帰ってこないで』


 今朝、琥珀の口から言われた言葉が耳の中で木霊する。黒羽のところに行くと決めれば、琥珀と二度と会えなくなる気がした。それがいやで、ずっと傍に居たいと思う私情が邪魔をしている。でも彼女の傍に居たいと思う私情を優先して、不安定な状態の彼女を適当な言葉でおざなりにするのはもっと違うと思う。


「……分かった。今からそっちに向かうから待ってて」

「……ごめん、なさい」


 電話は向こうから切れて、陽玄は受話器を戻す。

 そうと決まれば、早くここから出て行かないといけないのだが、身体から気力は湧いてこない。どの道、翌朝には決めなくてはならなかったことで、決断が前倒しになっただけだが、翌朝の自分は今の自分と同じような選択を取っただろうか。

 立ち尽くしていると、階段から下りてくる足音がした。玄関ホールに戻ってきた琥珀の手には、鞘に収められた妖刀が握り締められている。


「はい、これ」

「……」


 伸ばされる手。差し出される刀。琥珀は陽玄がそう判断すると分かっていた。というよりはそうすべきだと、その胡桃色の瞳が陽玄に強く語り掛けていた。


「ほら、持って」


 胸に刀を押し付けられれば、握る他ない。陽玄が刀を握れば、琥珀は納得するように頷いて、今度は陽玄の胸に自身の拳を押し当ててきた。


「初めて会った時よりも、ちょっとだけ逞しくなったね。背も同じくらいだったのに、いつの間にか抜かされちゃった」

「……」

「君は伸びしろだらけだ。自分の弱い部分を打ち明けられる勇気があって、他人の心に寄り添えられる思いやりがあって、何事にも一生懸命で、ちょっと頑固なところもあるけれど、いっぱい良い所がある。どうかこれからも、そのままの君で生きていってね。悔いのない人生を歩んでいってね」


 柔らかな微笑みを携える琥珀に、陽玄は喉を詰まらせた。何も言えないまま立ち尽くす陽玄を琥珀は軽く抱き寄せて、思いの籠った言葉を紡ぐ。


「君との生活はすっごく楽しかった。あたしの人生の一ページに君と過ごした記憶を残せて嬉しかった。ありがとう」


 言い終えると彼女の温もりは離れていく。そんなことを言うなんて卑怯だ。そんなことを言われたらなおさら動けなくなってしまうじゃないか。


「……君は、ずるい。突き離してくれれば、決心がつくのに……」

「ごめんね……」


 ほんの一瞬、哀しそうに笑って。


「……でも、ばいばい」

「っ――」


 大きく息を吸い込んだ。震え立つ心を必死に抑える。陽玄は何も言わない。言いたくないから背を向けて、玄関のドアノブに手を掛けた。

 感謝の言葉なんて言わない。

 別れの挨拶なんて言いたくない。

 首に掛けた御守りも、合鍵だって、絶対に返さない。

 これが彼女との最後の記憶になるなんて絶対に御免だ。

 だから振り返らずに、館を飛び出した。



 陽玄は走りながら腕時計を確認する。時刻は二十時十五分。

 美咲黒羽のアパートがある堤駅は最寄り駅から四駅離れている。館を出て最寄り駅に着くまで十分ちょっと。電車に乗って堤駅に着いた頃には、三十分近く経っているだろう。美咲家は駅から歩いて二十分くらいだから、だいたい計一時間は掛かることになる。まあ、走れば一時間も掛からない距離だ。

 早くて二十一時。遅くて二十一時半には彼女の家に辿り着いていることだろう。

 握り締めていた刀を背負い直して、秋の宵に満ちたアスファルトを駆ける。

 電話の最後、ごめんなさいと彼女は言葉を詰まらせながら泣いていたようにも聞こえた。

 何が彼女を不安にさせているのか、きちんと聞き出して、彼女に取り巻く不安を少しでも和らげてあげたい。

 今だけは琥珀に対する想いを振り払って、ただひたすらに駅の改札を目指した。

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