モノローグ①(センチメンタル)
日が積み重なるにつれて、浮き袋のような心に溜まっていく思いがどんどん重たいものになっていく。その重さを痛いほど感じるのは、静謐とした夜の空間で一人、孤独に耐えている時。
誰も彼も寝静まる夜半。
良い子はもうとっくに眠っている時間。
子どもの心を持った子は、夜に閉じ込められて、大人しく夢を見る時間。
それなのに、眠れないわたしは悪い子だからだろうか。
白と黒と群青、寂しげな三色によって完璧に調律された美しくも儚い無機質で幻想的な世界。窓から斜めに差し込む淡い月明りがわたしを照らす。
思いは重い。
その重みによって、寂しい夜の世界に深く堕ちたわたしは、畳の部屋から持ってきたお気に入りのブランケットにくるまり、猫さんのように丸まっている。
「ぅ――」
窓の隙間から見える月の光に誘われて、カメさんの甲羅のように覆い被さっていたブランケットから顔を出した。
「……」
外を臨む。
この窓から星海の世界へと羽ばたくことができれば、自由な世界が待っているのだろうか。
鳥さんになれたら自由になれる?
それは思い違いだろう。
現実は非情。弱肉強食の世界で生きている鳥さんに失礼だ。でも、他の生き物に羨みの思いが生まれるのは、どうしてなのだろう。
人間としての生き方はわたしには合っていないから?
うん。きっとそうだ。
人間社会で生き残るのは弱肉強食の強者ではなく、適者生存である。人間という個体は環境に適応するように心も身体もそう出来ているって誰かが言っていた。
なのに、わたしの心はうまく順応することができない。
「――っ」
馬鹿馬鹿しい。思春期の少女にありがちな逃避的感傷に溺れているだけ。わたしは、卑怯過ぎて、幼稚過ぎて、勝手過ぎて、どうしようもない悪い子。
彼が怪我を負っているところを見て、急にいなくなったらどうしようって、胸がざわついた。
そう――、わたしは剣崎さんの怪我を心配しているのではなく、自分の居場所がなくなってしまうことが怖かったのだ。
彼がいなくなるのが怖くて、彼をそうさせた琥珀さんに怒って、彼が離れていくのが寂しくて堪らなく悲しい。
知っている。
分かっている。
頼ることは人に何かをしてくださいとねだること。迷惑をかける、忌むべき、卑しい行為だってことくらい。
でも耐えなくていいんだって、甘えてもいいんだって、自分のことは自分で、頼らず一人で耐え抜いていかないといけないと思っていたわたしに、彼は口だけのおためごかしの言葉ではなく、わたしという人間を真正面から見てくれた。
孤独に生きていこうと思っても、人間は皆一人じゃ生きていけないんだって、教えてくれた。だから、耐える殻を破ってしまったわたしは、どうしようもなく、弱いのだ。
わたしはこれからどうやって生きていったらいいのか分からない。
親のいない生活に対する不安感。家庭。世間。社会的立場。お金。将来。
中学を卒業した後、わたしの進む道は用意されているのだろうか。
不安定で誰かの悪意一つで簡単に壊れてしまいそうな社会で、一人生きていくのは怖い。
だから。
誰かに切り開いてほしい。
こっちだよって導いて欲しい。
もし彼が作ってくれた道があるなら、どんな道でもわたしはついていけると思った。真っ直ぐな道は真っ直ぐと、曲り道だってうまく曲がって、彼の歩く歩調に合わせて、速めたり緩めたり、彼の後ろを、彼の足跡を踏みながら歩いていければどんなに幸せか。
でも、彼は普通の人間じゃなかった。
人の道から外れた存在。
人を殺した社会不適合者であるわたしとはまた違う別の――。
「――ぅうっ」
そこで理解した。
何もかも理解した。
仮に彼が普通の人間だったとしても。
人を殺した人間が同じ土俵に立つ資格なんて許されないことを。
汚い人間が何をもって綺麗なものに縋りつく。
でも傍にいたいの。綺麗だからこそ手を伸ばしたくなるの。
でも離れていく。遠ざかっていく。
わたしはこんなにも会いたいのに、声が聞きたいのに、肌に触れたいのに、抱きしめてもらいたいのに……。
どうしてこんなに辛い目に、って思うのは傲慢なのかな?
もう辛いのは苦しいのは嫌だって、自棄になって全てを投げ捨ててしまうことは簡単なことなのかな?
それは卑怯なこと?
怠惰なこと?
無責任なこと?
ただの気遣いを拒絶だと大袈裟に騒ぎ立てて、いつまでも子どもでいたがる幼稚な自分には分からない。
淡い月の光でさえ眩しくて、わたしはブランケットに顔をうずめる。どうしようもなく子どもだ。
ブランケットに顔を半分隠すのは、枕に顔を半分埋めるのと同じくらい、弱い子どもがする逃避行動だと思う。
ああ、もうだめだ。
胸が苦しくて息が詰まる。
苦境はわたしの本性をあぶり出す。
ざわざわ、ざわざわ。
心の中でさざ波の音がする。
助けて欲しい、安らぎが欲しい。
「寂しい、よ……」
小さな胸の中で、小さな虫が何十匹、何百匹も蠢いて、暗い感情が次から次に湧き上がってくる。
そんな蟲の中にいるのはもう一人のわたし。
わたしがわたしに支配される感覚。
お父さんの虐待の果てに、いつの間にかお腹に孕んだ別のわたし。
つらい現実から目を背けて拒んで逃避すれば、代わりに出てくるのはわたしの受け皿。
その受け皿がわたしを依り代にする時――。
薄い壁のドアから、ノックするみたいに、にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ、って聞こえる。
にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ、って……。




