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天命の巫女姫  作者: たけのこ
5章 師資相承
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インタールード③(急襲)

 地面に臥した左の腕。

 それを部品のように拾い上げた幼子が、腹のチャックを開けて、中、へとしまい込んだ。槍碼一紳を完全に取り込んだ赤毛の幼子が鉄の元へと歩み出す。


「くろがねー、うごきますデス」


 呆然と立ち尽くした鉄の指を血みどろの幼子の手が握る。


「どうしたデスカ? 早くあいつらおうデスヨ」

「……はい」


 幼子に引っ張られる形で、鉄は歩を進める。


「あいつらのいばしょ、わかるデスカ?」

「いえ……」鉄の返答に、幼子の足がぴたりと止まる。

「ほんとうデスカ?」


 真っ黒の大きな瞳が鉄を見上げた。容姿は可愛らしいのに、その瑠璃色の眼玉だけが飛び出して見える凄まじい眼付が露骨に不気味だった。だが、この問いかけで鉄は察する。身体そのものを取り込まれたとしても、他者の記憶は共有されないことに。


「……戦乙女とその代行者、双方を連れ帰れば、事は終わるのですね?」

「カミさまうむには、カミのせいぶん、ひつよう、ママ、いってたデス。けいかくに、くるいはないデス」

「成就すれば戦いは終わるのですね?」

「くろがね、戦いたくないデスカ?」

「この戦いに意味がないのであれば」

「いみはあるデスヨ。かみさま、うまれれば、みんな、しあわせになりますデス」


 人差し指の骨に痛みが走る。幼子の握る手が圧縮機のように鉄の指を圧し潰していく。


「たくさんほめてもらうんデス。けど、これじゃ、ほめてもらえないデス。ほめてほしいデス。あたまなでなでしてもらいたいデス」


 槍碼一紳がいなくなっただけで、行動への指針は変わらない。長く連れ添った者がいなくなり、過去に抹消したはずの別の心が、困惑しているだけであると、鉄は落としどころをつける。


「……承知致しました。頭、撫でてもらうために、戦乙女の捕獲に、尽力いたしましょう」


 鉄は、鉄として心情を押し殺した。

 槍碼の死は無いものとして、鉄が活動を再開させる時――。

 新手の刺客が屋敷の門を叩くかのように、敷地に足を踏み入れた。

 只人ではないと、魔術師として生きてきた身体が、鉄にそう告示する。

 黒い外套を着込んだ長身の男に鉄は面識があった。それは隣に立つ幼子も同様であり、親指をしゃぶりながら静かに見つめている。

 あれが組織の魔術師を次々と葬ったとされる災厄の魔法使い――閻椰雄臣。

 そしてその男の隣に立つ女性にも心当たりがある。

 相まみえるのは初めてだが、永劫回帰者の伝聞通り、容姿は当てはまる。

 臙脂色のコート。

 実弟にあたる剣崎の少年よりも濃い黒の髪。

 齢は二十歳半。鉄と同じぐらいの背丈である。

 そして――、どこか淀みのある黒眼の奥には、殺意とはまた別の狂気に膨れた何かを感じた。

 間違いない。

 魔眼覚醒者。

 剣崎家の親族関係全てを根絶やしにした赤眼の女狐である。


「まさか、そこらへんに居そうな園児が【聖典教会】の術者だったとは、思いもしなかったな」

「じゃまデス」

「邪魔も何も私らはお前に用があって来たんだ」

「きき(嬉嬉)にようがあるデスカ?」


 初めて聞いた幼子の名前。はむはむしていた指先を口から外した嬉嬉が自分を指差した。


「ああ、お前の名が嬉嬉と言うなら、お前に用がある」


 陽毬は雄臣に代わって、話を進める。


「親玉はどこにいる。側近であるお前なら【聖典教会】の在り処を知っているはずだろう」

「おしえられないデス。ママにだめっていわれているデス」

「そのママは何て名だ。まさか、ローゼ・メアリー、ではないだろうな」


 その名前に嬉嬉は無垢な目を見開いて、過敏に反応した。


「どうして、ローゼのなまえ、しっているデスカ?」


 その問い返しは数百年を経てもなお生きているという真実。陽毬はその事実に驚嘆の声を上げ、瞠目する。


「雄臣、よかっ――」


 背後に屹立する男の顔を、陽毬は初めて見た。正確にはその表情に。苦悩に満ちた常時の表情が、憂いを通り越して少年のような無邪気な笑顔へと変わっていた。

 その笑みは何を意味するのか、復讐を果たせる喜びか。


「ころしますデス」


 嬉嬉は鬼気迫った形相で判決を下した。


「たかが名前を口にしただけで、沸点の低い女児が。強制的に居場所を吐かしてやるよ」


 嬉嬉の狂気的な殺意を押し返すかのように、陽毬の瞳が、爛、と光った。

 淀みがかった黒い瞳が、紅い月の光よりも強く、大地を濡らした赤い血よりも濃くなっていく。


「嬉嬉様っ、その瞳を見てはなりません!」


 鉄の警告は手遅れ。既に嬉嬉は陽毬の視線を一直線に受け止めていた。だが嬉嬉に鉄の忠告は不要だった。


「なにがどうしたデスカ?」


 何事もなかったかのように、嬉嬉の言葉が返って来る。


「い、いえ……」

「なに……」


 困惑の色を声に出したのは鉄だけではない。それは魔眼による精神支配を得意としてきた陽毬もそうだった。繰り返し行使してきた瞳力に圧倒的な信頼を得ていたからこそ、その衝撃は大きかった。

 お互いの視線は正面から衝突していた。

 視界にも小さな像がこの二つの赤き眼に収まっていた。

 魔眼による精神拘束の条件は整っていたはずだが、嬉嬉には瞳力による陣形を物ともしない。


「まさか克服したのか。いや、あり得えない。あんな未熟な心にこの魔眼が看破されるはずがない」

「ならばそういうことだろう」


 雄臣が陽毬の隣に歩み寄る。


「どういうことだ」

「真の心というものがないに等しいということだ。奴の心は虚偽に等しい」

「ならば、物理的に壊すしかないな」


 陽毬は鎧のように纏っていた臙脂色のコートを脱いだ。

 その姿はまるで女帝である。濃紺の絹地に金糸で牡丹と蝶があしらわれたチャイナドレス。

 そんな魅惑的なチャイナドレスの袖から陽毬の腿の下半身までを繋ぐように無数の武具が彼女の身体を装飾していた。

 大胆なスリットから伸びる長い脚につけられたレッグホルスターから異彩を放つ金光の回転式拳銃が抜かれる。

 銃器の口が嬉嬉に向けられたその時、空気を割るような重音が轟いた。

 既に銃弾は放たれていた。重い敵意を含んだ魔の銃弾。その弾丸は確実に幼児の心臓に命中したが、嬉嬉の心臓には撃ち込まれた穴ではない別の虚空がぽかりと開いていた。即ち、弾丸はその虚空に吸い込まれ、幼児の腹の足しへとなったのだ。

 憎らし気に舌打ちする陽毬に、嬉嬉が肉薄する。真紅のロリータを脱ぎ捨て、狂喜乱舞させながら抱き着きに行く。


 ギギ、ギギギギギと。


 皮膚と皮膚を繋ぎ合わせている無数のチャックが開く。接近する全身ツギハギの彼女を前に、雄臣の右手が大地に触れた。

 詠唱なしに大地に働きかければ、地面の奥底に眠る自然が応える。

 鎖のような蔦が嬉嬉の脚に絡みつき、動きを封殺する。さらに畳み掛けるように陽毬が三発の銃弾を地面に撃ち込んだ。嬉嬉を取り囲む大三角形。地面を穿いた銃弾の跡が点となって、三つの点が線となって、結ばれていく。

 摘みだとばかりに、再度、陽毬の眼が開いた。

 瞳の奥による熱視線と重圧。

 魔眼がトリガーとなって、自身の血を練り込んだ銃弾が、作用する。


「――、――っ」


 魔眼と魔弾が織り成す結界によって、嬉嬉は意識を拘束された。腕をあげようとしたが、身体は指一本も動かない。行動は蔓によって封じられ、意識は魔眼によって制圧され、許されているのは心臓の活動くらい。


「おい、女。立ち去るなら、今のうちだぞ」


 陽毬が鉄に呼びかけた。


「何故ですか」

「敵意がまるでないからだ。現にお前は拘束されたこいつを傍観しているだけだ。逃げるならさっさと失せろ。お前に興味はない。興味があるのはこいつだけだ」


 鉄は結界に閉じ込められた嬉嬉を一瞥する。

 嬉嬉の、黒い純朴の瞳が、泣きそうになっている。裏切れば、この幼い心を酷く傷つけさせることになるのは、周知の事実である。だが、鉄の精神構造は鉄ではなくなり始めていた。戦いはもううんざりだと、脳が告示している。


「申し訳ございません、嬉嬉様。只今を持ちまして、私は聖典教会を退かさせていただきます」

「……くろがね、すべてを、うらぎるのデスネ」


 鉄の耳には届かない。何故なら既に鉄は踵を返していた。

 屋敷には剣崎陽毬と閻椰雄臣、嬉嬉の三人だけになった。そこにもう一匹、陽毬の指先に蠅が止まる。


「ベスティー、周囲に異変は見られたか?」


 蠅のカタチをしたベスティーは、小さい頭部を左右に回転させる。


「そうか。引き続き、周囲を観測しろ」


 そう言うと、蠅は飛び去っていく。


「雄臣、本当に奴は来るのか?」

「ローゼ・メアリーが実母ならば愛児をみすみす切り捨てるとは思えない。それは身なりからでも読み取れる。この女児は彼女からの寵愛を受けている」

「ぎゃぁぁぁああああああんっ!」


 抵抗の間も無く問答無用で拘束された嬉嬉は、鉄にも裏切られたこともあってか、大粒の涙を零しながら慟哭する。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!」


 あまりに激しい絶叫に、魔眼と魔弾によって組み立てられた陣形が歪んでいく。だが雄臣による蔦の拘束に、陽毬による強固な結界。この重積の陣形を崩すことは不可能に近い。


「念には念をだ」


 雄臣は外套の懐から護符を取り出した。活動と意識に加えて魔力も完全に封じる気だ。だが、それを施す前に均衡は崩れ去った。

 身体の機能となる要素を一つ一つ潰し、魔法と魔術で行動をねじ伏せていった雄臣と陽毬の陣形を、嬉嬉は底なしの圧倒的な魔力量で捻じ曲げていく。


「何だ、あれは――」


 鬼が出るか蛇が出るか。

 全身ツギハギの身体からヒトの手やら脚やらが覗かせている。これが蒐集者たる所以か。幼児は自身の身体の中に夥しい数の子どもらを飼い慣らしていたのだ。


「ギャアアアアアアアアアアア――っ‼」


 嬉嬉は泣き喚く。この時にも腕や腹、脚に刻まれたチャックからは数えきれない程の手足が飛び出している。

 それらは、外界に出られるのを、今か今かと待ち望んでいるかのように。

 そうして、赤毛の幼子は、大声で積年の恨みを叫んた。


「エイジゴロシィィィィィィィィイイイイイイ(嬰児殺し)――っ‼」


 その絶叫は腹に眠る子らを呼び起こすもの。陽毬らが次なる手を打つ間も無く、嬉嬉のツギハギ部分から大量の子どもらが溢れかえるように湧き出した。蔦は引き千切られ、結界は突き破られる。陽毬の結界は対象物を一個、ないしは一体に設定し、これを封じ込めるものであったが、この現象下では何の効力も発揮しない。


 飛び出してきた子らはヒトとは呼べない姿で。それらは異質で異形で。ヒトになりたかった何かがヒトになるために形態異常を果たしたかのようだった。

 能面の頭は明後日の方向を向いている。腕や脚は事故にでもあったかのようにひしゃげた状態だ。そんな子らが、腕を振り回しながら凄まじいスピードで向かってくる。


 陽毬は黄金色の回転式拳銃に残った二弾を瞬時に取り外す。腰に巻かれたホルスターから別途の銃弾を補填させ、発射させた。


 一つの弾が分散される。肉弾戦で来るならば、銃撃戦だとばかりに、陽毬は犇めき合う雑魚を、無慈悲な表情で撃ち殺していく。

 脳漿をまき散らしながら、バタバタと倒れていくが、全てを撲滅させるには至らない。

 身体の一部を破損させながらも、立ち上がり、他者の温もりを求めるように走り寄ってくる。


「下がれ、陽毬」


 雄臣は祈りのように掌を合わせ、守護に特化した渾身の術式を組む。

 包むように手の平の間に空間を作り、ぴたりと指の先を貼り合わせた。十二合掌――、堅実心は虚心の合掌へと切り替わる。


「無欠護御式」


 周囲に叢生させた草木を何十層にも重ね合わせ、内側から覆うように何百枚もの護符を貼り付けた。自身を封印させることで外敵からの攻撃を遮断させる完全無欠の防御魔法にして今現在彼が持ちうる最強の防衛術。

 自分のモノにする点では似通っていた。嬉嬉が槍碼を体内へと取り込んだように、雄臣も過去に葬った魔術師が得意とする魔術を、自身が使いやすいように転用させていたのだ。

 内側から封印した防衛術は、当然の帰結として内側からでしか解くことはできない。故に子どもの軍勢はこの牙城を崩すことはできない愚か、寄り縋ってきた奇形種の子どもらを円蓋状の草木が刺し殺した。


 だが、終わってみれば、作戦としては爪が甘かった。

 外界はしんと静まり、子どもの咽び泣く声は聞こえない。

 雄臣が術式を解除すると、嬉嬉の姿はどこにもなかった。最高級の餌を泳がせ、ようやく釣れた大物をみすみす見逃す形となってしまったことに、陽毬は大きなため息を吐く。


「なんてザマだ」


 言って、陽毬は腿に装着しているホルスターに拳銃を納めた。


「生存確認ができただけでも十分な収穫だ。きっと美楚乃も生きている」


 臙脂色のコートを拾い上げた雄臣はそう告げて、陽毬に手渡した。それを受け取った陽毬はコートを着込む。


「だが、奴らは臆病で慎重だ。しばらく表に顔を出すことはないだろうよ」


 一つ息を吐いて、陽毬は言葉を続ける。


「初めから私のプランを実行していればよかったんだ。奴らが喉から手が出るほど欲しいのは依り代である代行者ではなく、戦乙女だ。神の娘を私らが貰い受ければ、自ずと敵は私らに寄って来る」


 飛んできた蠅は空中で栗鼠となり、無事陽毬の肩に着地した。


「雄臣――、お前の計画は破綻した。次は私の番だ。戦乙女を明け渡す他ない状況を私が作り出してやるよ」

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