0―12 覚悟①
今日、名無し村が一つ消えた。
あっけなく。
忽然と。
そこは雄臣がまず初めに訪れる町。
美楚乃と散歩をしに行った町。
小さな町だからこそ住民のつながりが強い町。
数多くある名無し村の一つに過ぎないけれど、雄臣にとって馴染みの深い町。
そんな町に戻ってきた雄臣は、歩を進む足を止め、辺りを見渡した。
(今日に限って霧が濃かった。使われていない古びた木造家屋が中心街を包囲していて邪魔だった。だから奴が扱った炎も認識できな……いや、そもそも訪れた時はまだ何も分からなかったんだ。焦げた匂いも燃える騒めきも悲鳴も確認できなかった。普通の炎と違ったんだ。辺りは何事もなくて、人だけが飴細工みたいに燃えていたんだ。……今回は助けようがなかったんだ。何もかも僕の目には入らなかったし、僕の耳にも届かなかったんだ。……いや、何で僕はもう終わったことに……助けられなかった事実は変わらないのに、自分を納得させようとしているんだ?)
辺りに散らばったおおよそ二十人の人骨を見た。
「ああ、そうか」
この周囲に立ち込める淀んだ空気と風塵だけが舞うこの焦燥感は、死んだ彼らの怨念となって自分に地獄の責め苦を負わせているようだった。
だから雄臣は自分には非がないことを自分で自分に言い聞かせていないと正気ではいられなかった。過去にだってそんなことたくさんあったはずなのに。訪れた時にはもう手遅れだった戦場もたくさん見てきたはずなのに。
こんなにも違う。
身近で思い出深い町だったから、そこに暮らす住民たちも皆顔見知りだったから、こんなにも負い目を感じ、責任を痛切し、重い哀しみに襲われるのだ。
そういう点で自分は正義でも何でもないことを切に痛感した。見知らぬ街の見知らぬ他者が死んで救えなくてもこんなに悲しかったことはなかったのだから。
そんななり損ないが白雪の正義の在り方に異論を唱えること自体、そもそも間違っていたのかもしれない。
「……間違っていたのは僕かもしれない」
雄臣は救えなかった住民の遺骨をかつて見た少女のように拾い始めた。
(だって僕と違って白雪は見知らぬ人間であろうが、生きている人間全員を自分の家族のように思っている。だから守れなかったらすべて自分の責任であるかのように感情を爆発させるし、人を殺した魔法使いの命を奪わず見逃していたのも、同じく自分の家族だと思っていたから信じたのだろう。いや信じたかったのだろう。でも一度信じた者に裏切られ、二度も家族を殺された事実は彼女の心をひどく傷つけたどころか、自分のせいで殺されずに済んだはずの命を殺してしまったという絶望感は計り知れない)
遺骨を集めながら、雄臣は必死に殺すことへの正当性を求める。
(罪人は罪人。殺したのなら殺されるべき。悪をひたすら根絶すればいずれ平和が訪れるはず。奴らは絶対的な悪だ。悪を殺せば脅威が消える。大勢の命を救うのに、咎人一人の犠牲で済むのなら殺すことに躊躇いなんて生まれないはずだ)
雄臣は必死に殺すことへの正当性を自分自身に訴えかけ、そして鎮魂の祈りを捧げながら決意する。
(僕も変わる。君が変わるように、変わってみせるから、君みたいな正義の在り方に)
祈りを終えた雄臣は立ち上がり、焼かれた遺体を目に焼き付けながら自分が死なせた町を後にした。
△
「……ただいま」
ドアを開けるや否やリビングにいた美楚乃は、真っ先に雄臣の元に駆け寄ってきた。美楚乃は帰ってきてくれたことに少しほっとした表情を見せた後、彼女の顔にじんわりと微笑みが浮かぶのが雄臣にも分かった。
「おかえりなさいっ」
そしてこの弾んだような笑みを雄臣に向けてきた。
「兄さま、どこか怪我してない?」
「ああ、してないから大丈夫だよ」
その返答に美楚乃はじーっとどこかを見て、眉をひそめた。
「でも、悪い魔法使いと戦ってきたんじゃないの?」
「っ! どうしてそれを、もしかして勝手に外出ていったりしたのか?」
兄と妹の約束。約束と裏切り。順守してきた決まり事を白雪の方から裏切られた雄臣は、過敏になっていた。妹にも裏切られたのだと思い、思わず咎めるような口調になる。
「し、してないよっ!」
「なら、どうして!」
雄臣は声を荒げ、問い詰めた。
「にぃ、兄さま……顔、怖いよ」
美楚乃の怯えた表情を見て、雄臣は我に返る。
「っ! ……わ、悪い。ちょっと余裕なくて。でもどうしてわかるんだ」
「そんなの兄さまを見ていたら分かるよ。ほら、袖とか裾の部分が焦げてるし、血みたいなのもついてる。それに何もなかった時は遅くても夕方頃には帰ってくるから、それで……」
「そうか……四年近くこんな生活を続けていたら嫌でも気が付くよな。……因みに今って何時か分かるか。今日はずっと外が暗くて時間の感覚が狂ってしまったんだ」
「もうすぐ九時になるよ」
「……ごめん。心配かけて」
「本当だよ。毎日心配……。でも絶対帰ってくるって信じているし、兄さまと白雪ちゃんは正義のヒーローだから、今日も人の命を守ったんでしょ?」
「……」
その問いに雄臣は答えられなかった。美楚乃の純粋無垢な顔なんて見られるわけもなく俯いた。
「兄さま?」
美楚乃は下から自分の顔を覗いてくる。
「……」
今まで救えた命より救えなかった命の方が断然多いけど、美楚乃には絶望させたくなくて、この手の質問に嘘をついてやり過ごしてきた。けれど今回壊滅した町はすぐそこだ。美楚乃にとっても身近な町だ。いつものように嘘をついたところですぐ明らかになることだ。けれど誰一人救えなかったなんて言ったら、どんな顔するだろう。失望するだろうか。少なくともショックは受けるだろう。
「ねえねえ兄さま。とりあえず靴脱いで居間に行こ。ここじゃ冷えちゃうよ」
「あ、ああ」
手を引っ張られ、勝負に負けた敗北者のように力なく廊下を渡った。居間は玄関に比べて明るく、何より暖かみがあって、冷えた雄臣の身体を優しく包み込んでいく。
「どうする? お風呂にする? 入ればすっきりさっぱりして冷えた身体も温まるよ。それともご飯にする? たくさん動いて疲れたと思うから、兄さまの大好きなクリームシチュー、本物には程遠いけどたくさん食べて元気になって欲しいな」
美楚乃は前の問いに対してそれ以上聞くことはなく、雄臣の容態を気に掛けているようだった。
何も救えなかった人間に対してこの暖かみはかなり堪える。
暖炉の付いた部屋。
美味しそうなご飯の匂い。
身体の芯から温まるお風呂。
掃除だって部屋の隅々まで行き届いている。
炊事、洗濯、掃除、この家は彼女の温もりだけでできている。
「へへ、わたしにできることはこんなことぐらいしかないけどね……」
こちらの暗い気分を受け取ってか、美楚乃まで落ち込ませてしまった。
「馬鹿言え。僕がこうして帰って来られるのは美楚乃がいるからだ。今までつらいことあっても乗り越えてやってこられたのも全部、美楚乃のおかげだよ」
励ますとか勇気づけるとか関係無しに雄臣の口から言葉が出る。
「えへへ、兄さまにそんなこと言われたら、すごく嬉しい」
引け目を感じていた顔はもうなく、美楚乃は分かりやすくはにかんだ。
「じゃあじゃあ兄さま……その、ご褒美とか欲しいな」
すり寄ってきた美楚乃は指をいじりながら、少し遠慮するかのようにねだってきた。
「ああ、いいよ。モノによっては叶えてやれないかもしれないけど、僕の力が及ぶ範囲なら何だって。なに? 美楚乃が欲しい褒美ってのは」
「兄さまっ! 兄さまが欲しい」
「え、は? 僕? 僕か。僕ならここにいるけど」
単純にクッキーとか飴玉とかアイスとか、食べたくても手に入らないものを覚悟していたが、予想外の言葉が飛び出て戸惑う。
「違うの、今日は兄さまと同じ布団の中で眠りたいなぁ……って意味。……だめ?」
「……」
同じ血の、同じ腹から生まれた、兄妹だというのに、まるで恋する乙女のように頬を赤くして……。どうしてそんな顔。照れることでもないだろうに。
「そういうことなら別に構わないけど、本当にそんなんでいいのか? 一緒に寝たことなんて何度もあるだろう。この前だって雷が怖くて僕の布団に潜り込んできて、結局そのまま寝てたじゃないか」
「むぅ。それとこれとは違うの。だからいいのっ!」
「はいはい、分かった、分かったよ」
「ふふふ~ん、やった!」
(たかが添い寝ごときでそんな幸せそうな顔をして、幸せは他にもたくさんあるはずだろうに)
美楚乃は数少ない幸せしか知らない。その責任はこの狭くも広くもない鳥籠のような家に閉じ込めて、自分の帰りを待たせている自分にある。
(……でも外は危険だし。外出するときは必ず付き添いじゃないと。いや、そもそも身勝手な理由で美楚乃の命を永久に延命したのは僕にあって美楚乃が望んだことではない。そのツケがこれだ。ほとんど毎日、美楚乃を置き去りにして命のやり取りをする戦場に己の命を差し出す。幸せにしたいと言っておきながら、結局、美楚乃には心配ばかり、気遣いばかりかけて、寂しい思いばかりさせている。このままじゃ、美楚乃は僕の命が尽きるまでずっとこの家の中だ。そんなの死んだ方が楽なくらい、このままこんなことを十年、二十年と続けていたら生き地獄だ。……白雪の言う通り、わざわざ罪人を運び届けている時間があるのなら、即その場で断罪した方が、多くの悪を潰せる。多くの命を助けられる。怯えながら暮らすこともなくなる)
「……ま。……さま。……いさま……兄さまっ!」
自閉した心に囀るような美楚乃の声が聞こえて、雄臣は現実世界に戻った。
「あ、ああ」
「もうっ。何度も声かけてるのに……頭、ぼーっとするの?」
「いや違う。ちょっと考え事していただけだから……」
「ならいいけど……無理しちゃ、めっ! だよ?」
なにさっきまで甘えてきた奴がお姉さんぶったような言い方をして。
「なにが、めっ! だ。そんな言い方をする奴の方が、めっ! だ」
雄臣はこつんと中指で美楚乃の額を弾いた。
「む。真似するなーっ」
不服そうな顔して美楚乃は弾かれた額を両手で押さえた。
「いいじゃん別に。身体は幼いままだけど、心なら少しくらい成長してるってことだよっ」
「成長した子は兄貴と一緒に寝たいだなんて言わないと思うけどな」
クスリと笑いながら少し意地悪なことを言うと、美楚乃は紅潮した頬を膨らませた。
「ううぅ。笑うなっー、兄さまのいじわるっ!」
「冗談、冗談だよ。毎日、家のことやってくれてありがとう。美楚乃は何だかんだしっかり者だからな。僕も美楚乃がいないとだめだめだから。ここはお互い様ってことで許してくれ」
叩いた代わりに頭を撫でると、美楚乃はすぐに機嫌を直して上機嫌になる。
「へへへぇ」
罪深い人間。
嘘塗れの人間。
これから手を汚して人を辞めるのだけれど、彼女に対する慈愛に満ちた心だけは忘れたくないと、本当に心の底から思うのだった。




