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天命の巫女姫  作者: たけのこ
5章 師資相承
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インタールード①(彼方の教え)

 廃れた箱庭で、槍碼一紳は今、契りを交わした欠格者を待っていた。


「鉄、約束の時刻まであと何分だ」


 鉄は自身の腕時計で時刻を確かめる。


「残り、十分と三十二秒です」

「万が一、奴らが言いつけを守らなかった場合は分かっているな」

「承知致しました」


 腕組みをし、門扉が開くその時を待つ。

 槍碼一紳は知らず自身の兄と剣崎の少年を重ねていた。

 槍碼家に生まれた者は死への追求を求められていた。求められることは喜ばしいことである。求められることは心地良いものである。求められたということは必ずそれに応えるということである。


 期待に反する結果? 求められているのに、結果に応えられない者の苦悩が分からない。

 ましてや期待に背くような言動をする人間の心理が分からない。

 弱いままならば、死んだ方がマシだ。

 弱い者はその場しのぎで逃げ回り、肝心な場面で自分すらも守れない。

 精神的な強さ。肉体的な強さ。

 最高峰の武術を操る者にとって、それらの要素は必須だ。両方を兼ね備えて初めて強者の域に足を踏み入れられる。


 その点で言えば、剣崎の少年は肉体の方は仕上がっていたが、心は硝子並みに繊細だった。いくら鋼のような肉体を持ち得ようとも、それを動かすのは意志だ。些細な心のズレが人を弱者たらしめる。


 そして兄はそのどちらも兼ね備えていなかった。いや、自ら切り捨てたんだ。

 男が強さに固執し始めたのはやはり幼少期の頃だ。

 一紳には三つ歳の離れた兄がいた。兄は長男として期待されていた。本当であれば兄が槍碼家の当主を継ぐはずで、一紳は養子に出されるはずだったのだ。

 だが、ある日を境に、兄――槍碼一徹は日々の鍛錬に嫌気を差し、この生き方は間違っていると槍碼家の思想を強く否定した。挙句の果てには、魔術師になんてなりたくないとほざき、槍碼家の血統を根絶させようとしたのだ。父は度し難い異端として兄を処分したが、そうした兄の言動にはきっと自分の中に弱さがあると自覚していたからなのだろう。転じて、素質のあった兄は槍碼家にとって必要のない落伍者へと堕ちた。


 父は汚点である兄を見せしめのために殺した。それは一紳に対する戒めでもあっただろう。お前も一徹のように馬鹿げた思考回路をしているのであれば同じように殺すと。

 結局、兄は槍で頭蓋を打ちぬかれて死んだ。自分に優しく接してくれた兄が血を垂らしながら壁に穿たれ死んでいる。だが悲しさというものはなかった。あったのは、死んでも兄のような弱き人間にはなりたくないという決意だけだった。


 兄に代わって、数多の槍が一紳の肉体を串刺しにする。

 初めは信じられないほどの激痛に悲鳴を上げた。

 だが挫折など一度たりともしなかった。穂が肉を貫通しようが弱音など一切口にはしない。心の内でも思うことはなかった。死への追求は心身に対する強さの証明。強さを求められたのならどんなことさえもやり通す。一ミリたりとも甘えなど生ませやしないし、怠惰は許されない。

 次第に槍を突き刺す箇所も生死に関わる位置へと移っていき、そんな血に塗れた日々が半年近く続いた頃、忽然と痛みが分からなくなった。

 絶叫するほど痛かった串刺しは、死に繋がる箇所以外、どんな箇所を突き刺されても、痛覚がその痛みを許容し無かったことにする。そんな痛覚の無を生み出したのは正しく崇高たる心だった。


 父は言った。

 人間の魂は常に気高く高貴で貴族的でありたいものだと。

 魂の香気はオーラだ。自らを律し、自らを励まし、常時死と隣り合わせにいる緊張感を維持し続けることで、香気を保つことができる。決して自身を、緊張が欠いた位置においてはならないのだ。

 即ち、日々、死を感じなくてはならない。

 人間の「生」は、「死」と渾然一体である。

 生と死は表裏一体なのだ。

 武術や武芸というものは、自分自身を出来るだけ死の方向に近付け、そこで死を疑似体験することなのである。

 死を実感することで、逆に「生」の意味を見つけ出すというのが、武術や武芸に課せられた課題であり、死することにより、再び生に蘇る意味を持たせているのだ。

 即ち、緊張は死を疑似体験できる。だが現代の社会は、ただ生き延びることだけが前提となっている社会だ。「生」だけが日常の課題であり、「死」について思考し、これを疑似体験することが行われなくなった時代である。


 死の実感を知らない者には到底到達できない心の境地。

 死に寄り添った者こそが本当の生を知り、生への有難みを知り、生と死を理解できるのだ。

 痛みを断絶した心はこの修行で得た賜物であり、これこそ心の極地である。そして、肉体が生を渇望する。貫かれた身体の細胞が自ら生きようと何度も再生を繰り返し、鋼のように硬く強靭な肉体を作り出すのだ。


 一紳を育て抜いた父は【聖典教会】の魔術師だ。当然一紳もその組織に仕えることになる。だからこれは正当な儀式だ。別に情が湧くこともなければ、何の躊躇もなかった。強き者は動じないし、惨めに涙を流したりはしない。

 世代交代――一紳は当主であった父に勝負を挑んだ末、父を亡き者とした。

 門が開く。


「来たか」


 目の前にいる少年はかつての兄――一徹なのかもしれない。ならば教えなくてはならない。弱者が強者に歯向かうのは間違っていることを。

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