カボチャの炎
早く終わって。
ユウがそんなことを思いながらクロフルを見ると、不思議なことにそれまでいやらしく笑っていたクロフルの顔が眉根を寄せたまま固まっていた。
「・・・・・・あ?」
クロフルは怪訝そうに言った。
それに気づき始めた他の客は、なにか様子が変だぞ、と野次を飛ばすのをやめた。
「・・・おい、お嬢ちゃんの体・・・ちっとばかし熱すぎねえか・・・?」
クロフルはそう言って、コートで包んでいた少女を解放し、わずかに後ずさった。
「おい、どうした。クロフル」
囃し立てていた客の一人が言った。
「・・・なんかこう、こいつの体、やけに熱いんだよ。まるで風邪ひいた時みてえに・・・いやそれ以上に熱いかもしんねえ・・・」
クロフルがそう言うと、それまで無反応だった少女が、ゆっくりと振り向いて背後のクロフルを見た。
じろりと。
その顔に表情はなかった。そして少しだけ口を開く。
「当たり前。・・・・・・私はカボチャの炎」
「・・・・・・はあ?」
「平熱は、44度くらいに抑えてるけど、これでも人間には熱いか」
クロフルが、こいつは何を言ってるんだ、と困惑気味な顔を浮かべる。
「・・・バカなことを言ってんじゃねえ!体温が44度もある人間がいるかよ!大人をからかうもんじゃねえぞオイ!」
少女はクロフルを無視して、どういうわけか彼の筋張った指ばかりを、じいっと見つめていた。
「・・・ねえ、その指」
藪から棒に言う。少女は指から視線を動かさない。
「何だ・・・?お前この指輪の価値がわかるのか?」
そういうクロフルの指にはみすぼらしい身なりに似つかわしくないダイヤの指輪があった。
「なかなかお目が高いな、嬢ちゃん。これはこの街で取れたダイヤだ。値打ちもんだぞ」
少女はその言葉の前に、すでにその手を取っていた。
手繰り寄せたクロフルの手を、その小さくかわいらしい両手で慈しむかのように持ち、じいと見つめる。
「・・・これ、どんな味がする?」
少女は呟く。
皆その光景に釘付けになっていた。そして少女は口をわずかに開けた。
桜色の唇が柔らかく広がり、白い吐息が洩れた。
そしてゆっくりとした動作で手に取ったクロフルの人差し指に向かって顔を寄せていき、はむと口に含んだ。
少女は、口の中で指に舌を絡めているのか、口をもごもごと動かす。
一瞬の空白。
その後に、全てのテーブル席から、うおおおおおおおおおおおお!と興奮した歓声が上がった。
「すげえ!いきなり何をしてんだ!あの女!」「意味わかんねえけど羨ましいぞ!」「やっべえ、興奮してきた!」「次おれだ!おれの指も舐めてくれよう!」
鼻息を荒くした男たちの拍手喝采で店内は盛り上がる。
しかし、当のクロフルの顔は、その興奮した雰囲気とは裏腹に、不吉に歪んで強張っていた。
いきなり指を口に入れられて動揺するような初心な男ではない。
しかしまるで石になったように固まって動かない。
シャオはそんなクロフルに近いところにいるからその様子を仔細に観察することができた。
そして気づく。
クロフルの顔から尋常とも言える大量の汗が噴き出ていることに。
「うううあああがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
突如クロフルがのけ反りながら、張り裂けんばかりに絶叫した。
「離せええええええええええええええええええええええええええええ!!」
そう言って、少女に咥えられていた人差し指を、勢いよく引き抜き、手をかばうようにして倒れた。
「がああああああああああああ!ゆびがああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
床で暴れ苦しむクロフル。
「お、おい、大丈夫かよ!」
周りで見ていた他の客が、悶えるクロフルのもとに駆け寄る。そして「うわひゃあ!」と驚いた声を上げた。
「・・・ひッ人差し指が、無え!!」
どよめく店内。ユウとシャオも急いで駆け寄ってみると、少女に咥えられていたクロフルの人差し指の第二関節より上の部分が無くなっていた。そして切断面がぶすぶすと煙を上げている。
「てめええええ、何しやがったクソガキいいいいい!」
クロフルが絶叫すると、少女は口をわずかにもごもごさせ、下顎だけを使ってべえと口の中にあったものを吐き出した。
吐き出されたものがぼとりと床に落ちて転がる。
黒い固形物。
目を凝らして見ると、その正体は焼け焦げた指だった。
ジュウウと音を立て、肉が焦げる臭いと、白い煙を発しながら地面に転がっている。ユウたちは絶句してそれを眺める。
「・・・無理やり抜くから・・・取れちゃった」
少女は口を拭いながら言った。
「・・・何だこいつ!?何でクロフルの指が焼焦げて落ちてんだよ!」
誰かが代表して、この場全員の疑問を声にする。
「てめえ、クロフルに何しやがった!」別の客が少女に向かって掴みかかろうとすると、それまで傍観していた少年が、少女に向かって伸ばされる手を素早く掴み、制止させた。
「・・・チャムを殴るのか?それは良くないな」
少年は相変わらず無表情だが、緑色の瞳には鋭い光を浮かべている。それは今まで見せていた輝きとは全く違っていた。掴みかかろうとした男は、少年の得も言われね迫力に気圧され、うっと狼狽えた。
「アンタたち!早く外にある雪をかき集めてきな!」
シャオがそう言うと、客の何人かが、酔いも冷めた確かな動きで、店の外に駆け出して行った。
店のロックアイスと集めてきた雪で指を冷やし、ややあってクロフルが息も絶え絶えで起き上がり、鋭い眼光で少女を睨みつけた。
「・・・てめえ、このままで済むと思うなよ・・・!」
少女はそんなクロフルを見ながら表情一つ変えずに「指、不味かった」と言った。
「なんっ・・・!」
クロフルは衝動的に少女に掴みかかろうとするが、少年がそれをまた制した。
「やめろ。お前の指がまずいのも悪いんだ」
感情の波は平坦だが、不思議と強く響く声で少年は言う。
「んだとクソがァァ!」
クロフルが拳をふるうが、少年はそれを躱し、代わりに綺麗な足払いでクロフルを床に倒した。
「ぐわッ!」
クロフルが派手な音を立てて倒れるが、すぐさま少年を睨みながら起き上がる。突進するように少年に向かうクロフルだったが、寸でのところで周りの客が数人がかりでそれを止めた。
「クロフル待てッ!その指を治療しに行くのが先だ!」
「離せてめえら!このガキども殺してやるッ!」
「落ち着け!いったん今日は出直すんだ!」
「そうだ、クロフル!やめろ!」
暴れるクロフルを抑えながら何人かが店を出て行くと、それにつられて一人またひとりと客は減っていった。
飲む気分じゃなくなったのだろうか。何となく帰るべきだと察したのだろうか。
ものの数分もすれば、店内はシャオとユウと、少年と少女だけしかいなくなった。
思いがけない展開にシャオとユウは呆気に取られていると、少女が「シチュー」と呟いた。
そこでユウはようやく火にかけていたシチューがボコボコと煮立っていることに気づいた。
少年は、黙って座り直し、また頬杖をついて少女の方を見た。
「・・・チャム、お腹が空いてても少しは我慢しなくちゃだめだ。人間を食べちゃいけない。ジャックに言われただろう」
チャムと呼ばれた少女は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。そしてまた「シチュー」と催促するかのように言う。
ユウは慌てて、皿にシチューをよそった。シチューが置かれるや否や、少女は掻き込むようにして食べ始める。
「アンタたち・・・」
シャオが恐る恐ると言った感じで口を開く。
「・・・一体、ナニモノなの・・・?」
その言葉を聞き、少年は深緑色の奥深い眼差しをシャオに向けた。
「俺たちは、カボチャの怪物だ」
少年はつまらなそうにそう言った。