幼なじみの親友と入れ替わっちゃったんだけど、彼女の様子がなんか変です
諸事情により、今回は短編とさせていただきました。
少し長めになりましたが、どうぞよろしくお願いします。
「そういえば美南ちゃん、また男子に告られたんだって?」
「しかも今回は隣のクラスのイケメンサッカー部だって聞いたんだけど!」
「えっ、何でもう知ってるの!?」
季節はもう春だってのに、まだまだ寒さが厳しい3月のある日。
学校からの帰り道。いつものメンバーで他愛無いおしゃべりをしながら歩いていると、ゴシップ大好きな奈々と茜が唐突にとんでもないことを言いだした。
美南は本当に驚いたようで、あわあわしきりだ。……って、
「ちょっと、それって本当なの!? ま、まさか、OKしたわけじゃないよね!?」
「わわ……あ、あずちゃん!?」
私が動揺のあまり思わず美南の肩を強く揺さぶると、美南は文字通り目をぐるぐるさせて、私にされるがままにガクンガクンと体を揺らせている。
藤代美南。私にされるがままになっているこの少女こそ、私の唯一無二の親友で、人生のほとんどを共にしてきた幼馴染なのだ。
私たちは生まれが僅か1週間違いで、しかも親同士が元々友達だったから、気が付いた時にはお互いが側にいたというレベルの間柄だ。しかも幼稚園から中学3年生の今まで、クラスが離れたことは一度もない。
そんな彼女は、まぁモテる。ウェーブのかかったロングヘア―がトレードマークの彼女は、その美少女っぷりもさることながら、おっとり穏やかでいつも優しく、スタイルも抜群。それだけでなく成績優秀、スポーツ万能と、まるで非の打ちどころのない完璧超人なのだ。
彼女に憧れる人は男女問わずかなりいて、現に男子から告白されたのもこれで6回目を数える。
「おのれ……どこのどいつだ、美南に手を出そうとする不届き者は」
恨みたっぷりに、虚ろなまなざしで虚空に視線をさまよわせながらそう言うと。
「落ち着け」
「あ、痛!?」
見かねた奈々に頭をチョップされて、ようやく美南を解放する。「きゅー」と満身創痍の美南が茜に介抱されるのを見て、ついやりすぎてしまったことにようやく気付いた。
「ご、ごめん、美南」
「い、いいよぉ。大丈夫……」
ふらふらでどう見ても大丈夫そうには見えないが、私を気遣ってそう言ってくれた。
この優しさよ。これだから男子にモテるんだろうなぁ……
「ったく、梓ってば、美南ちゃんのことになるとすぐ暴走するんだから」
だって、しょうがないじゃん。ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染なんだから。奈々にそう言い返すと、にしても限度ってものがあるでしょ、とあきれられてしまった。うーん、そうなのかなぁ?
「で、みなみん、結局どうしたの! 今度こそ付き合うことにした!?」
ようやく美南が落ち着いた頃合いを見て、茜が美南に再び問いかける。そうそう、そこが気になるのよ。事と次第によっては、例の男には地獄を見てもらうかもしれない。
「いや、今回もお断りさせてもらったよ」
苦笑いしながらそう答える美南に、二人はえー、またぁ? と不服そうに声を上げる。一方の私はと言えば、
「よ、良かったぁ……」
いつもの通り、胸を撫でおろすばかりだ。
「えー、何で? 今回は女子人気も高い松坂君でしょ? 優しくてイケメンって評判なのに、それでもだめなの?」
「いやぁ、私松坂君のことよく知らないし、それに恋愛自体にそこまで興味ないっていうか……」
「えー!? みなみん贅沢過ぎない!?」
ミーハー女子二人がブーブー言ってるのをよそに、私は段々安堵から嬉しさへと気持ちがシフトしてくる。美南がどこぞの男と付き合うなんて、想像するだけで最悪だ。
「ま、私は最初っからそうだろうとは思ってたけどね♪」
「嘘つけ! 『まさか、OKしたわけじゃないわよね!?』とかテンパってたのはどこのどいつよ!」
「梓、男子に全然モテないからって、美南ちゃんの恋路を邪魔するのはやめなよ」
「う、うるさいわね! っていうか、美南の恋路を邪魔って何!?」
確かに私、二宮梓は、全くと言っていいほど男子人気がない。ミディアムショートの髪にこじんまりした体形、果てはこのガサツな性格のおかげで、生まれてこの方告白なんて言葉とは無縁の人生を歩んでいる。ま、別に男子にモテたいとか、好きな男子がいるとかってわけじゃないからどうでもいいんだけどね。
「私には美南がいるからそれでいいんですぅ」
そう言って美南に思いっきり抱き着くと、美南は「あ、あずちゃん……」と頬を赤く染め、すぐに花が咲きほころんだかのような笑顔を零した。
「はぁ。梓がこんなだから、美南ちゃんいつまでたっても青春出来ないんだよ」
「みなみんも、早く梓離れしないとだめだよ」
外野二人がなんか言ってるけど、まぁ気にする必要もないだろう。私は今日も今日とて、美南とのイチャイチャを堪能するのだった。
奈々と茜と別れて、家までの道を美南と二人で歩く。私たちは家も近所なので、一緒にいる時間は結構長い。
『美南ちゃんの恋路を邪魔するのはやめなよ』
ふと、さっき茜に言われたこの言葉が脳裏をよぎる。言われてみれば確かに、私がいつまでも美南にべったりだから、優しい美南は私を気遣って恋人を作ろうとしていないのかもしれない。
結果的に美南の幸せを私が邪魔していることになるのなら、そんなの絶対あってはならないことだ。私の親友がどこぞの男のものになるのは悔しいけど、本人の幸せを考えれば私が一歩引くべきなのだろうか。いや、でも、うーん……
「あのさ、美南……」
「? どうしたの、あずちゃん?」
私の苦悶が思わず声に出てしまったのだろうか。美南はいつものほんわか優しい声に、少し心配そうなトーンを乗せて尋ねてきた。
「私ってやっぱり……」
おずおずとそう言いかけた、その瞬間だった。
「! あずちゃん、前!」
私が言いかけるのを遮って、美南が突然、血相を変えてそう叫ぶ。
おっとりした美南らしからぬ必死な声色に私も一気に気持ちを引き締める。ばっと前を見ると、前から居眠り運転のトラックが猛スピードでこちらに迫ってきているのが見えた。
「ちょ、ヤバいヤバい!」
アクセルを踏みながら寝ているのか、トラックはどんどん加速して私たちの方に向かってくる。あんなのに轢かれたらひとたまりもない。
(ギリギリ避けられないか? ……いや、だめだ、美南が助からない!)
私の側で、美南が真っ青な顔のまま固まってしまっている。私一人なら何とかなるかもしれないが、さすがに二人一緒に助かるのは厳しそう。
(くっ……何か手立ては!?」)
そう思ってる間にも、どんどん迫る音が大きくなっていく。
もう時間がない。
(……しょうがないか)
「! あずちゃん!?」
私は梓の前に立ちはだかると、迫り来るトラックから庇うように、前からぎゅーっと強く抱きしめた。
「美南、今までずっとありがとう。どうか美南だけでも生きて、幸せになって……」
「何言ってるのあずちゃん!? 私、あずちゃんがいなくなったら……」
私が聞き取れたのは、そこまでだった。大きな鉄の塊を、小さな背中に感じて……
ゴンっ
鈍い音を立てて、私と美南の体が宙を舞う。美南の私にしがみつく力、意外と強いなぁ、最期まで美南と一緒になれて良かったな、とかぼんやり思っているうちに、段々と視界が真っ白になってきて。
私は、目の前が真っ暗になった。
---*---
「……み、……な……」
一面真っ黒の世界にいて、どこからか声が聞こえてきた。微妙に聞いたことがあるような、そんな何とも言えない感慨。
「……な…、みな……」
段々はっきり聞こえるようになってきた。あぁ、この声、美南のお母さんのか。でも何で?
「美南!」
最後のその声で、私の意識はついに覚醒した。
ゆっくり目を開けて、周りの様子を確認する。どうやらここは病院の寝室のようだ。美南のご両親が心配そうに私をのぞき込んでいたが、私が目を覚ますのを見ると「良かったぁ」と安堵のため息をついた。
「うう……頭痛ぁい」
「ま、まだどこか具合が悪いの!?」
「大丈夫なのですか、お医者さん!?」
ご両親が血相を変えてお医者さんに尋ねる。すると、お医者さんは心底おどろいたようにこう言った。
「いえ、むしろ頭痛程度で済んでることが驚きですよ。あれだけの大事故に遭って、生きているばかりか後遺症すら残らなかったなんて……」
頭痛もすぐに収まるでしょう、とお医者さんが付け足すと、緊張の糸が切れたからだろうか。お母さんが涙をぽろぽろとこぼして、泣き崩れてしまった。
それをお父さんが、これまた目に涙を浮かべながら優しく介抱する。大事な娘が生死の境目に立たされていたのだ。ご両親の心労は計り知れない。
……ところで、そろそろ聞いてもいいかな?
「あのぉ……」
「? どうしたの? みなちゃん」
「さっきから”美南”って、もしかして私のこと……?」
「「「え?」」」
病院の部屋中に、3人の声がきれいに重なった瞬間だった。
あの後、追加検査を受けさせようとする美南の両親をなんとか誤魔化して、なんとか美南の家に戻ってくることができた。入れ替わりのことは言っても面倒なことになるから、当面他人に口外しないほうがよさそうだな、こりゃ。
(にしても、とんでもないことになったなぁ……)
現状を整理しよう。私は確かに、自分のことを二宮梓だと自認している。ところが、私の髪のきれいなウェーブが、それは違うぞと、鏡の向こうでこれでもかと主張しているのだ。
そればかりではない。おっとり温厚そうなたれ目、豊かなお胸、すらっと高い身長……どれ一つとっても、二宮梓とは正反対である。これってやっぱり、そういうことだよね……
(もしかしなくても、これ美南と身体が入れ替わってんじゃん……)
入れ替わりなんて、だいぶ前に流行った映画ぐらいのものだと思ってたのに、ここにきて現実になるとは。それでも、入れ替わった相手が美南だったのがせめてもの救いだ。
当の美南(in梓)は、美南のご両親によるとどうやらまだ病院で眠ったままとのこと。ただ、こちらも後遺症などはなく、そのうち目を覚ますだろうということで、とりあえずはほっと胸を撫で下ろす。
(ただ、うーん。元に戻るとすると、やっぱり美南が目を覚ましてくれないと始まらないよねぇ)
どうやら私の体の美南とやり取りできるようになるまで、しばらくは美南を演じている必要がありそうだ。まぁ、生まれた時からの幼馴染なんだし、美南の振りなんて朝飯前よ。問題なし。
そんな風に楽観的に構えていると、ふと美南の机の上のパンパンに膨らんだファイルに視線が向く。表紙に「重要! 見ちゃダメ!」って書いてあるんだけど。何だろう、すごく気になる。
親友のプライバシーと自分の興味を天秤にかけた結果、「ま、今は私が美南なんだし、問題ないでしょ!」と謎理論を展開し、ファイルの中身を見てみることにした。
「うわぁー。懐かしい……」
入っていたのは、私が今まで美南にあげてきた手紙の数々だった。今時手紙って、と思われるかもしれないが、うちのお母さんに言われて文章を書く練習の一環として、幼稚園から小学校卒業まで美南と手紙を出し合っていたのだ。
読んでみると、その日あった楽しかったこと、悲しかったこと、天気、自作の歌に至るまで、無秩序にいろいろ書いてあった。さすがに小学校低学年までのは内容が全然思い出せなかったが、でもやっぱり懐かしさで胸がいっぱいになる。
「お? 一通だけ他のと違うのがある」
その手紙は、ファイルの最後のページに1通だけ入っていた。何か特別なものなのかなと思いながら、ファイルから引き抜いて読んでみる。
みなみちゃん、だいすき!! おとなになったら、わたしとけっこんしてね! やくそくだよ! あずさ
赤いクレヨンでぐちゃぐちゃに書きなぐられたその字は、確かに私の書いたものだった。記憶にはないが、文体を見るに幼稚園の頃のものだろう。何度も見返したからなのか、紙質はすっかりボロボロで、今にも簡単に破れてしまいそうだ。
(美南……)
大事にしまわれていた私からの手紙を眺めて、私は今も眠り続ける親友を想う。
美南は間違いなく、私のことを心から大切に思ってくれている。手紙だけではない。机の中、古びたおもちゃ箱、いろんなところに私との思い出が大切に閉じ込められている。
私は美南から大事に思われるほどの人間なのだろうか? 成績は中の下、スポーツはからっきし。スタイルも容姿も性格も、到底美南のそれには及ばない。
いや、もしも美南には釣り合わないとしても、私は美南のことを大切に思ってるし、その気持ちはずっと変わらない。もしそれで一緒にいられなくなるんだったら、死ぬほど頑張って美南の隣に立ってやる。
「美南、待っててね。絶対何とかして、また2人でおしゃべりしよう」
美南の体を自分でぎゅっと強く抱きしめて、そう誓った。
---*---
さて、一晩明けて、さっそく今日から登校再開である。
美南のご両親からはもう少し休んでからの方が、とかなり心配されたが、もう体はすっかり良くなってるのだし、学校を休む必要はない。それに、家でじっとしてるのは私の性に合わないのだ。
(お、あれは……)
いつもの時間のいつもの通学路。とくれば、見かけるのもいつもの人、と当然なる。
「奈々……ちゃん、茜ちゃん、おはよう」
今の私は美南なので、普段の彼女っぽく呼びかけてみる。すると、振り向いた二人の表情がみるみる変わっていく。
「美南ちゃん、大丈夫!? なんかすごい事故に巻き込まれたらしいけど」
「私たちがお見舞いに行ったときもずっと眠ってたから、心配で心配で……」
そう言って、涙を流した二人に駆けよられ、抱きしめられる。どうやら相当心配をかけてしまったようだ。
「うん……もう大丈夫。後遺症もないみたい」
「良かった。本当に良かった。うう……」
「みなみんが死んじゃったらって思っちゃって、夜もあまり眠れなかったんだから」
「二人とも、心配かけてごめんね。私はもう大丈夫だから」
ぐすん、と嗚咽を漏らす二人を優しくなでる。美南以外にこんなことするのは私の柄ではないが、美南なら絶対こうするはず。
少しすると、涙が引いてきたらしい二人が、目元を真っ赤にしながら梓のことを問うてきた。
「あ、あずちゃんなら、今朝目が覚めたみたいだよ」
「そうなんだ、良かったぁ」
「うんうん、目が覚めてよかったよ」
あれ、なんか反応薄くないっすか、お二人さん?
「意外とリアクション薄目なんだね……」
「え? いや、梓は殺しても死ななそうだし」
「そうそう、梓は大丈夫って、みんな信じてたから」
えぇ……私、なんかあんまり心配されてない? っていうか、何この私の生命力への信頼。さすがに殺されたら死ぬからね。
とにかく、微妙な気持ちのまま苦笑いしていると、何やら後ろから誰かが駆けてくるような音が……
「あずちゃん!!」
「ぐえっ!?」
不意に思いっきり体当たりされて、思わず美南らしからぬ声が出てしまった。
しかもかなり強い力で抱きしめられ、正直体が痛い。まぁでも、彼女も色々と思うところはあるんだろうな。
「あずちゃん、あずちゃん……」
私を抱きしめながら号泣する美南。私はそんな美南の頭をよしよししながらも、どうしても唖然とする奈々、茜の方に意識がいってしまう。
「”あずちゃん”……?」
「っていうか、何でここに?」
ほらさっそく怪しまれてるよ! あと、ついさっき病院で目を覚ましたばかりって聞いてたから、何でもう制服着てここにいるのかは私も気になる。
「ちょっと、梓、美南ちゃん、どうなってんの?」
「もしかして、事故の影響とか……?」
「ぐす……ご、ごめんね、あずちゃん。私のせいで……」
いっぺんに色んなことを言われ、ただでさえ情報処理が追い付いていない私の頭は、もはやオーバーヒート寸前の状態である。
(ああああ! もう、わけわからん!)
---*---
「あ、二宮さんに藤代さんだ!」
「すごい事故に巻き込まれたって聞いたけど、大丈夫!?」
「体の方はもう平気なのか!?」
教室に入ると、クラスメートたちの視線が一斉に集まり、瞬く間に周りに黒山の人だかりができる。どうやら事故のことはとっくに学校中に知れ渡ってるみたいで、ここに来るまでにもすれ違った人達に一様に質問攻めにあった。
「あ、あはは……もう大丈夫だよぉ、ね、み……あずちゃん」
「うん。この通り、もうすっかり平気だよ!」
そう言って、美南が私に思いっきり抱き着いて、頬ずりまでしてきた。
「ちょ、ちょっと美南! 男子も見てるんだからやめて!」
「あ、そっか! ごめん」
私が小声で言うと、やっと手を抱擁を解いてくれた。確かに奈々や茜の前で美南に抱き着くことはあっても、クラスの皆の前ではそんなことしない。いわんや頬ずりなんて……って、こら、そこの男子、何ガン見してんだコラ。
「今日の梓、なんかいつもより元気だね」
「そうかなぁ? いつも通りだけど」
美南なりに頑張ってるんだろうけど、やっぱり雰囲気に違和感があるんだよなぁ。まあ、さすがにしょうがないんだろうけど。
「ま、まぁ、あずちゃんも元気そうだし良かったよね。私もすっかり良くなかったから、大丈夫だよぉ」
私が咄嗟にフォローを入れて、なんとか注意を逸らす。
「本当に? 皆めっちゃ心配したんだからね」
「そうそう。特に男子達なんか気が気じゃなくてウザかったんだから」
「そ、そんなことねぇよ!」
「なぁ」
がやがやと、周りが急に賑やかになる。私の周りは普段からわちゃわちゃしてる方だけど、今日は一段と騒がしい。あんなことがあった後だから仕方ないけど、やや高値の花扱いの美南でこれなんだから、本当に一大事なんだったんだなと、改めて実感する。
ちなみにあの後、やっと落ち着いた美南から聞いた話では、私に謝りたくて居てもたってもいられなくなり、無理を言って退院させてもらったとのことだ。彼女はあれで、意外と行動力がある方なんだよねぇ。
入れ替わりの件についても、梓の気が動転してたことにして何とか誤魔化すことができた。あまりこの件を人に言わないほうがいいというのは美南も思っていたらしく、落ち着いてからは何とか取り繕うことができた。まぁ、二人からはかなり不審な目で見られたが、気にしない。
そうして、美南ともども質問攻めに手を焼くこと数分。
「おい、授業始まるぞ。早く席に着け」
にぎやかな喧騒は、先生のその一声でようやくやんだ。
「……ということで、関係代名詞は文章を繋ぐ接着剤の役割がある」
1時間目は英語の授業である。
英語は苦手な上に、しかも退屈で眠くなるという中々に厄介な教科だ。
とはいえ、今は美南の体だ。居眠りなどしようものなら、美南の評判が地に落ちてしまう。私のせいで美南に迷惑をかけるなんて絶対あってはならない。ここは美南になったつもりで切り抜けなければ……
「じゃあ、『トムは家具を作っている会社で働いている』を、藤代、訳せるか?」
「ひゃいっ!?」
唐突に指名されて、思わず素頓狂な声が出てしまう。頑張って切り抜けようと決意したそばからこれだよもう!
「? どうした?」
「い、いいいえ。大丈夫です。」
「? そうか?」
いいえ、全く大丈夫じゃないです。英語万年40点の私が、新しい範囲の、しかも和文英訳なんてできるわけがない。
「えっと、その、あの……」
わかりません、と言えばいいんだろうけど、美南に恥をかかせたくない思いが先行して、なかなか言い出せない。その間にも、時間は無慈悲に流れていく。
半ば涙目で教室を見渡すと、遠くの席の美南と目が合った。すると、はっ、と何かに気づいた美南が、急に手を上げて立ち上がった。
「はい! この問題、私にやらせてください!」
元気の良い返事が静まり返った教室に響く。その刹那、教室中の目が驚きとともにその人物へと向けられる。
(え、美南!?)
「おお、二宮か。少々難しいけど、いけそうか?」
「はい、問題ありません」
「そうか。じゃあ、答えてみて」
そう言われると、美南はすぅ、と一呼吸入れて。
「Tom works for a company which makes furniture.」
それは流暢な発音で、すらすら答えた。
「せ……正解だ」
えぇー!? と教室中が驚きに包まれる。
私は基本的に英語の授業は寝てるかぼうっとしてるかのどっちかで、当然当てられてまともに答えられたことはない。
「え、いつそんな勉強したの!?」
「お前、本当に二宮か!?」
「すごいよ梓ちゃん!」
唖然とする私を置いて、一躍時の人になってしまった美南。助かったけど、入れ替わりがばれないようにって話はいったいどこへ……
「いやいや、私の普段の努力がようやく実ったってだけだよ」
どや顔でそう語る美南。いや、私別に普段勉強してないけどね。
「へぇ、意外とやるじゃん、二宮」
「梓、見直したよ!」
クラスメートから誉められる度に、美南は嬉しそうに頬を緩め、私は気まずさに居たたまれなくなる。人の手柄で誉められるって、なんかすごい気持ち悪い。
そうして美南の方を見ていると、ふと視線がぶつかった。私が「ちょっと」と目でシグナルを送ると、パチン、と愛らしいウインクが返って来た。……ちくしょう、それ美南の顔で見たかったよぉ!
「……はっ、こら、授業中だぞ! 静かにしろ!」
先生の呼びかけもむなしく、教室の混沌はしばらく収まることは無かったのだった。
その後も美南の暴走(?)は続き――
<数学>
「ちょっと難しい問題だけど、二宮さんいけますか?」
「はい! 144√17㎤です!」
「おお……素晴らしいです、二宮さん」
パチパチパチ……美南の正解がわかると、教室中から拍手が巻き起こる。なんか、私(美南)が無双するのが一種のエンタメになってきた感があるような。普段美南が答えてるときには皆感心するぐらいなのに、私がやってると妙にリアクションが濃いのはなぜ?
<家庭科>
「今日はお裁縫でぬいぐるみを作ってみましょう」
さらさらさら……
「はい、出来ました!」
「あら、早いですね。どれどれ……え、滅茶苦茶うまい!? しかも、オリジナルのリボンまで!?」
「えへへ……」
先生に褒められてご満悦の美南さん。見てみると、くまのぬいぐるみの頭に、余った材料で作った可愛いリボンが結んである。さすがの女子力である。
「はい、美南。プレゼント!」
「え? これって提出物じゃ……」
「今すぐプレゼントしたいって言ったら、先生がいいって!」
「マジ……?」
先生の方を見ると、にっこり微笑まれた。もう最高評価は固いってことなんだろうか。
「それで、受け取って……くれる?」
「は、はうっ!」
上目遣いで可憐にそう懇願されて、思わず胸が高鳴る。見慣れた自分の顔なのに、中の人が変わるとこうも違ってくるものなのか。
差し出されたくまのぬいを受け取ると、美南は花がほころんだかのようなまぶしい笑顔を浮かべた。
「ありがと、美南! 心を込めてつくったから、大事にしてね」
「う、うん。ありがと……」
ああ、もう! 心が動揺しすぎて、自分の作品作りに全然集中できないじゃない! っていうか、女子の視線が痛い!
(今日の美南、一体どうしちゃったんだろう……)
プレゼントされたくまをぎゅっと抱きしめながら、そうため息をつくばかりなのだった。
<体育>
「みんな、梓をマークして!」
「「「OK!」」」
「おっと、そうはいかないよ!」
美南は機敏にマークを潜り抜けると、仲間からのパスを繋ぎ、一気にゴール手前まで駆け抜ける。
「! 梓の好きなようにはさせないわ!」
相手キーパーが気合たっぷりにそう言う。それを聞いた美南がニヤリと楽しそうに微笑むと、
「……勝負だよ!」
そう言って、美南が片足を高く上げ、蹴るモーションに入る。ただ、シュートコースは相手キーパーに見切られているようで、予測される方向へとキーパーが動き出した。が。
「こっちこっち!」
「は……しまった!」
蹴る直前に勢いを殺し、相手キーパーがノーマークだったゴール右辺へと標的を変える。
すでに左辺へと走り出していた相手はとっさに方向を変えようとするが、さすがに間に合わない。
ザシュッ!
「ゴール!」
ピピィー! と笛が鳴り、美南のチームの勝利が確定した。
校庭中に女の子たちの「きゃぁー!」という黄色い悲鳴が響き渡る。美南が「ふぅっ」と汗をぬぐうと、うっとりしたように頬を赤く染める子たちが続出した。
普段の美南は、運動神経抜群ながら、どこか目立たないように自分を抑えてる節があった。それが今は、私の体になったからなのかフルパワーでやってるみたいだ。1人で3点も取ってるんだから、人気が出ないほうがおかしい。
「梓、やるじゃん。今日本当にすごいよ」
「いやぁ、そんなことないよ。一緒にプレイしてくれたみんなのおかげだよ」
「二宮さん、かっこいい!」
「好き~!」
すかさず大勢の女子に囲まれる美南。私はぼろを出さないように見学してるからグラウンドの中は遠目で見るしかないが、モテモテの美南を見てるのは、嬉しいんだけど、なんかモヤモヤする……
「ちょ、藤代さん、顔めっちゃ怖いよ!?」
「え? い、いやぁ、気のせいだよぉ」
あはは、と誤魔化すように笑うが、心の中は全く面白くない。
全く美南ったら、私以外にあんなにモテちゃって……
<お昼休み>
「ちょっと美南! ばれないようにしようって話だったのに、なんであんな目立っちゃってるのよ!」
授業終わりに女の子達に囲まれてた美南を、半ば強引に裏庭に連れ出した。今はお昼時で、しかも裏庭はめったに人が来ないから、内緒話をするのにうってつけってわけ。
ともかく、心のもやもやをぶつけるようについ語調強めに問いかけたのだが、美南はきょとんとしたままだ。
「だって、あずちゃんホントはかっこいいのに、皆いつも全然気づかないんだもん。丁度いい機会だし、あずちゃんのすごさを分かってもらおう、って思って」
そう答える美南の目は真剣そのものだ。うーん、一体私のどこがそんなにかっこいいのだろう。
「いやいや、あれじゃもう完全に別人じゃん。私あんなに頭良くないし、キャーキャー言われるキャラじゃないでしょ」
「えぇー。でも、やっぱりホントはすごいのにな」
納得いかないのか、少し不服そうな美南。全く、美南には私がどう見えてるのだろうか。
「だいたい、美南は私のことを過大評価しすぎなのよ。私なんて別にたいして……」
私がそこまで言いかけて、美南の表情と雰囲気が変わったのに気づいた。
さっきまでののんびり優しい空気は、ぴりっと緊張したものに変わっている。
「あずちゃん」
真剣な声色で私の話を遮る美南に、私も思わず姿勢を正す。
「私ね、あずちゃんにとっても感謝してるんだよ。この間の事故だって、あずちゃんが庇ってくれなかったら死んじゃってたかもしれない。それに、あずちゃんも自分だけなら逃げれたかもしれなかったのに、私のこと助けてくれたよね」
「そ、それは……」
美南なんだから当たり前じゃない、という言葉は、何だか今は気恥ずかしくて、ぐっと飲み込む。
「それだけじゃない。男の子に意地悪されてた時、転んで一人で泣いてた時、いざという時はいつだってすぐに私のところに駆けつけて、助けてくれた」
そう話す美南は、感情が昂ってきたのだろうか、言葉が震えている。少し潤んだ目でこちらを見つめられると、見慣れた私の顔のはずなのに、その艶やかさに思わずドキッとしてしまう。
「あずちゃん、あずちゃんは自分のことを『私なんか』って言うけど、違うよ。私にとっては、世界の誰よりも大切な、私だけの白馬の王子様なんだから」
うう……嬉しさと恥ずかしさと美南が可愛いなって思う気持ちと妙なドキドキと興奮と……いろいろな感情がぐちゃぐちゃになってわけがわからなくなってきた。
それと同時に、今まで大切な親友だと思ってた目の前の女の子に対して、それとは違った感情が芽生え始めていることに気づいてしまった。何だろう、この気持ち……
そんな私の葛藤を知ってか知らずか。美南は私から目を離さず、恐る恐る、でも、しっかりした口調で続ける。
「あずちゃん、私もう、隠し切れないよ。いや、隠したくない。私の、本当の気持ち……」
そう言って美南はゆっくりとその顔を近づけてくる。その瞳には、強い決意の色が滲んでいた。
「私、あずちゃんのことが好き。友達としてじゃない。私はあずちゃんのこと、そっちの意味で愛してる」
幼馴染の親友の口から飛び出した、衝撃の言葉。
距離が縮まるにつれて、妙に色っぽい梓の顔に迫られるにつれて、私の胸の鼓動は高まっていき、全身がマグマのように煮えたぎる。
そうしてついに唇と唇がくっつきそうになった、その瞬間……
「う、うわぁぁぁ!!」
私はとっさに美南を突き飛ばしてしまった。
ほんの少しして自分のやったことの意味に気付き、頭が真っ白になる。
そうして混乱が極限まで高まった結果、私は最悪の選択をしてしまった。
……この場から、逃げてしまったのだ。
逃げる寸前に一瞬見えた美南の顔が、強烈に脳裏に焼き付く。
最愛の人に拒絶されて、呆然と涙を流す、一人の女の子の顔が。
---*---
(うう……なんで私、あんなことを……)
あの後美南に話しかけることができず、放心状態のまま放課後になってしまった。
授業終わりで人もまばらな教室で、私は自分の机でひたすらに頭を抱えていた。
違う、違うのよ。女の子同士が気持ち悪いとか、美南とは無理だとか、決してそんなわけじゃない。むしろ、美南は私なんかにはもったいないくらいだ。
だけど、わからない。
美南が私に向ける気持ちは、その……よくわかった。じゃあ、私は美南をどう思ってる?
私は美南のことが好き。赤ちゃんの頃からずっと一緒の幼なじみだし、優しくて可愛い自慢の親友だ。
でも、この好きは仲良しとしての好き。今までそれに何の疑問も感じてこなかった。
それなのに、火照った顔で、潤んだ瞳で、熱い言葉で迫られたら、私の心臓はとたんに早鐘を打っていた。今まで経験したことのないあの甘酸っぱい気持ちと興奮は、彼女への好きが決して仲良しへのそれではないことを物語っていた。
私と美南って、何だろう。
この問いを整理しきれないまま唇を奪われそうになって、混乱のあまりにとっさに逃げてしまったのだ。
(謝らなきゃ)
そう思って美南の方をちらっと見てみる。美南は終礼の後すぐに帰ろうとしていたが、幸いにも女子たちに囲まれてまだすぐそこにいる。
「梓、今日の放課後皆でカラオケ行かない?」
「梓ちゃんの歌聞いてみたーい!」
「うーん……まぁ、行ってもいい、かな? どうせ今日は暇だしね」
「やったー!」
相変わらず女の子にモテモテの美南in私。一見元気そうな美南を見ていると、胸がキリキリと痛む。
(あのまま想いを受け止めてあげられてれば、今日の放課後は二人きりだったんだろうな)
まだ自分の気持ちに折り合いをつけきれてないけど、あるはずだった未来が消えてしまったことに後悔の念が沸き上がる。
「やっほー美南ちゃん、って、暗っ! どうしたの!?」
「えっと、大丈夫?」
「奈々ちゃん、茜ちゃん……」
話しかけてきた二人に大丈夫だよ、と力なく返すが、奈々も茜も美南の方を一瞬見て「あぁー」と納得する。
「美南ちゃん、梓が急にモテて嫉妬してるんでしょ」
「今日なんかいつもと別人みたいにかっこいいからねぇ。急にライバルが増えちゃったから、どうしようって悩んでるんじゃない?」
……本当にこいつらはよく気づくわね。言ってることは当たらずも遠からず、ってところがなんだかなぁ。
「……ねぇ、私とあずちゃんの関係って、どう見える?」
ついでだし、二人に私たちの関係について感想を聞いてみる。他人から見たらどう見えてるのかは割と気になるところだしね。
「どうって、そりゃ、熟年バカップルでしょ」
「いつ付き合いだすのかなぁ、ってずっと待ってたんだけど、みなみん、全然踏み出さないんだもん」
「えっ……付き合う、って、私たち女の子同士だよ?」
「おいおい、いまさら何言ってんのよ。『私、あずちゃんのこと、恋愛的な意味で好きなの』って勇気を出して打ち明けてくれたじゃん」
「ええー!?」
マジか。私に言う前に二人には打ち明けてたわけ? ってことは、いつものメンバーの中で知らなかったの私だけですか。
「ええー、って、私たち散々相談に乗ってあげたじゃん。早く告白したほうがいいよってあれだけアドバイスしたのに、『もしダメだったら生きていけない……』とか言ってビビッて何もしないんだもん。そしたらこんな状況になっちゃったわけでしょ」
梓のやつ、超鈍感だから言葉で伝えないとわかってもらえないよ、と茜が言葉を続ける。
「いや、だって、私に男の子と付き合うのか、って興味津々に聞いてきたじゃん!?」
なんかいろいろ衝撃的過ぎて、思わず素の口調で聞いてしまった。
「何言ってるの……あれは梓を焦らせて意識させよう、って3人で決めた作戦だったじゃん」
「え、そうだったの!?」
「みなみん、ほんとに大丈夫?」
なんてこったい。そうだったのね……
思えば幼稚園時代の結婚の約束の手紙を大事に取っておいてくれてたあたりでも気づくべきだったのかもしれない。
私は彼女の気持ちとそのシグナルを、無意識にではあるが無視し続けてきたのだ。
、そう思うと、自分に腹が立ってしょうがない。
美南は告白に失敗することで私との関係が壊れることを恐れていた。それなのに、さっきは勇気を振り絞って私に告白してくれた。「ダメだったら、生きていけない」リスクを背負ってまで、私にその想いを告げてくれたのだ。
それで私はどうだ。彼女の決死の告白を、「心の整理がついてない」とか宣って、ぐちゃぐちゃに踏みにじっただけじゃないか。
彼女の想いに全く気付かず、土壇場になって慌てて逃げだしたのが私だ。
彼女はそれを自分への拒絶と受け取っただろう。私しかわからないだろうが、今の美南の目は虚ろで、どこか遠くをぼうっと見つめている。昔男の子にいじめられて、誰も助けてくれなくて心が壊れかけてた時の彼女にそっくりだ。
「……やっぱり私、謝らなきゃ」
「え? 美南ちゃん?」
席を立って、美南の方に向かう。
美南は私に正直な気持ちを伝えてくれた。今度は、私の番だ。
「あずちゃ……いや、美南。私の話を聞いて」
取り巻きの女の子たちをかき分けて、美南に正面から、そう呼びかける。
「え?」
「藤代さん? ”美南”って……」
「美南ちゃん、どうしたの?」
皆が一斉に私に質問を投げかけてくるが、そんなのはどうだっていい。私が気になるのは、美南の反応だけだ。
「イ、イヤ……」
私と目が合い、私の声が聞こえると、それまでの溌溂とした笑顔が瞬時に曇る。そこにいるのは、真っ青な顔で不安に震える、か弱い一人の女の子だった。
「さっきはとっさに突き飛ばしちゃって、逃げてしまって、本当にごめんなさい」
私が深々と頭を下げると、教室中がただ事ではない雰囲気を感じ取ったのか、一気にしん、と静まる。
「美南は私に、正直な気持ちを伝えてくれた。だから今度こそは、ちゃんと私も伝えるから。私のあなたへの、本当の気持ち」
「いや、やめて、聞きたくない」
大粒の涙を流し、声を震わせる彼女。でも、ダメだ。誤解で今までの日々が終わってしまうのだけは、絶対に。
「私は、美南を……」
「! い、いやぁぁぁぁ!!!」
私の話を遮って、今まで一緒に過ごしてきて、一度も聞いたことのない絶叫を上げる。皆が驚きのあまり固まっていると、全力疾走で教室の外へ走り去って行った。
「……! ダメ、私の話を聞いて、美南!」
私もそれに負けじと声を張り上げながら、廊下へと駆けだして行った。
(くっ……完全に見失った)
校門を出て周りを見渡してみても、既に美南の姿は見えなくなっていた。元の私の体はそんなに走るの得意じゃなかったはずなんだけど、その辺の力も精神に引っ張られるのだろうか。
(美南が行きそうなところといえば……)
どこだろう。家? ……はあからさま過ぎる。私とは会いたくないはずだから、私に押しかけられそうな場所は選ばないはず。
はっ、まさか、私に拒絶されたことに病んで、どこかしらで最悪の選択をしようとてるんじゃ!?
……いや、今の美南は私の体だ。そんなことをすれば、私の体も一緒に死ぬことになる。やけを起こす可能性もないわけではないが、それでも美南が私(の体)を巻き添えにしようとするなんて思えない。根拠はないけど、長年の幼なじみの勘がそう言っている。
ひとまず美南は無事として、じゃあ一体どこへ行ったというのだろう。いざという時、美南が選びそうな場所、場所……
うーん……
『みなみちゃん、だいすき!! おとなになったら、わたしとけっこんしてね! やくそくだよ!』
考え込んでいると、ふと、美南の家で見つけた幼稚園時代の手紙を思い出した。
そういえは、どうしてあんな手紙を書いたんだっけ……
そこに思考が至ったその時、私の頭に雷に打たれたような衝撃が走った。
(はっ!あそこだ!)
美南との思い出を振り返って、直感的に思い付いたあの場所。合ってるかどうかは分からないけど、そんなことを思う前には、もう足が動き出していた。
(今行くから、待っててね、美南!)
★
あずちゃんと初めて出会ったのは、いつの日のことだっただろうか。
気付いたら隣にいて、一緒に遊んでいた。それこそ生まれた時からずっと一緒だったって言えるくらい、彼女は私にとって自然で、大切な存在だったんだ。
私が困ってるとすぐに助けてくれるカッコよさ。落ち込んだり泣いたりしてると慰めてくれる優しさ。それでも、子供らしくわんぱくな一面。どれを取っても、一緒にいて楽しいし、心が穏やかになる、そんなあずちゃんの大好きなところだ。
どうやら、長い間一緒に過ごして来て、お互いのことが大好きな二人を「夫婦」っていうらしい。私のお父さんとお母さんはいつも仲が良くて、私もいいなって思ったものだった。
だから、まだ幼稚園生だった私は、大好きなあずちゃんと「結婚」して、「夫婦」になれるんだって、ずっと一緒なんだって、心の底からそう信じていた。
だけど……
『は、おまえ、あずさとけっこんしたいの?』
あははは、と、心底可笑しいことを聞いたとばかりに笑う男の子に、私はしまった、と直感的に思った。
この子にはしょっちゅうちょっかいを掛けられてて、よく泣かされたものだった。そうして私が泣いていると、あずちゃんが助けに来てくれるのがお決まりのパターンになっていた。
でもこの日は、あずちゃんは風邪でお休みしてて、私を守ってくれる人はいなかった。
『そ、そうだけど。なにがおかしいの』
嫌な感じを覚えながら、気持ちを振り絞ってそう返す。
あずちゃんに関わることだけは絶対に引き下がりたくなかった。
『おまえ、おんなのこがすきなのかよ。きもちわりぃ』
キ モ チ ワ ル イ。
純粋に、当然のことだと言わんばかりの口調に、心臓が瞬時に凍りつく。
みなみのやつ、あずさがすきで、けっこんしたいらしいぞー、と意地悪そうな顔で周囲に大声で伝える。
『えー、おんなのこどうしでけっこんなんておかしいよ』
『みなみちゃん、おんなのこがすきなの? へんなの』
『おんなのこはふつう、おとこのこをすきになるもんでしょ』
『うわぁ……もうあたしにちかづかないでよね』
子供ながらの純粋で、残酷な視線と言葉が私を突き刺す。
好奇、嫌悪、恐怖。「常識」から逸脱した私は、彼ら彼女らにとっては異質以外の何物でもない。
『ちょっと、みんな何してるの』
胸はバクバク、真っ青な顔で、頭が真っ白になって固まってしまった私を見て、先生がやって来た。
『だって、みなみがあずさとけっこんするとかいってるんだもん。こいつ、おんなのこがすきなんだぜ』
男の子の冷たい言葉に顔と頭が熱くなるのがわかった。でも、先生なら、私の気持ちをわかってくれるはず。辛い気持ちの中でも、そう期待していたのに……
『美南ちゃん、女の子同士はね、結婚することはできないのよ。梓ちゃんと仲が良いのはわかるけど、それはそういう好きじゃないと思うな。今は分からなくても、将来良い男の子がきっと見つかるはずだから、大丈夫よ』
視界がぐわんぐわん揺れる。もうまとまった思考もできない。目の前が真っ暗になる、という表現がこれほど的確だったとは思いもよらなかった。
信頼してた、優しい先生から掛けられた、優しい慰め。世間の常識から考えれば、これが満点の回答なのだろう。
私のあずちゃんへの想いは、幼さゆえの気の迷い。大人の先生にそう断ぜられて、私の心はぐちゃぐちゃになっていた。
『うわ、ないてんのか!? でもこんかいはおれわるくないもんね。あたりまえのことをいっただけだし』
無意識に涙が零れていたことに、言われてようやく気付いた。
でも、もうどうでもよかった。異常な私は、このまま消えて無くなりたかった。いろんな子に私の想いを笑われて、気持ち悪がられて、バカにされて、もう心が疲れきっていたんだ。
そんな私の心に光を照らしてくれたのは、やっぱりあの子だった。
ゴッ
鈍い音を立てて、拳骨が男の子の頭に落ちる。
『いてー!』
かなり痛かったのだろう。頭を抑えて涙目になったその子は
『先生ぇー!』と泣きついていた。
『ちょっと、梓ちゃん! 暴力はやめ……』
『うるさい』
ああ、また助けに来てくれたんだ。いつも助けを求めるわけでもないのに、私が泣いてると駆けつけてくれる、私の大好きなあの子。
『あ、あずちゃん!!』
急に安心したからか、どっと涙が溢れてきた。勢い強めであずちゃんに抱きつくと、あずちゃんはいつものようによしよし、と優しく頭を撫でてくれた。
『みなみちゃん、だいじょうぶ? わたしがきたからにはもうあんしんよ』
『うぅ……ありがとう、あずちゃん……』
胸の奥まで満ちる安らぎが、体全体に行き渡る。
『梓ちゃん、今日は風邪でお休みって聞いたけど……』
『だいぶからだもよくなったから、もうおそいけどいちおうきてみたの。みなみちゃんのようすもきになるし』
まだ風邪が完全に治りきってないのに無理して来たのだろう、先生に対し、赤みがかった顔で少し気だるげに言うあずちゃん。すると、周りからナイフのような声が飛んできた。
『あずさちゃん、みなみちゃんからはなれたほうがいいよ。おそわれちゃうかも……』
そこまで言いかけて、『ひっ』と小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。あずちゃんに顔を埋めてるから周りの様子が分からないけど、キッと睨み付けたんじゃないかと思う。
『さっきからよくわかんないけど、だれかがだれかをすきになることの、なにがいけないのよ』
『そ、それは……』
『だっておんなのこはおとこのこをすきになるのがふつうでしょ?』
周りの子の反論に、あずちゃんは面倒そうにはぁ、とため息をつくと、当然のようにこう言いきる。
『ふつうとかあたりまえとか、そんなのべつにどうでもいいわ。いちばんだいじなのは、ほんにんのほんとのきもちにきまってるでしょうが』
とくん。あずちゃんの言葉を聞いてるうちに、胸が強く脈打つのが分かった。
ドキッとするのはさっきと同じなんだけど、さっきの刺されるようなのとは全然違う。優しい甘さと、切ない感じが入り交じった、不思議な感覚。でも、全く嫌じゃない。
今思えば、本格的にあずちゃんを好きになったのは、この時だったのかもしれない。
先生が『気持ちは分かるよ、梓ちゃん。でもね……』となおも続けようとするのを見て、あずちゃんは『もうけっこう』とピシャリと切り捨てると、私の手を引いて歩き出した。
『ちょ、ちょっと!』
周りの制止を無視して、私達は歩む。前を歩くあずちゃんの背中は、どこまでも大きく、頼もしかった。
『あずちゃん、ここは?』
『じんじゃよ?』
『それはわかってるけど、ようちえんぬけだして、どうしてここに……?』
そう。私達は、あずちゃんが教えてくれた秘密の抜け道を使って、幼稚園から脱走していたのだ。
あの頃のあずちゃんはわんぱくで、こういういけないことをよくしようとしていたものだった。その度に私が止めてたんだけど、今回ばかりはあずちゃんを止める気にはなれなかった。
『ふふふ。それはね、これのためよ!』
そうしてあずちゃんが指差した先には、1本の大きな木が立っていた。
『おっきいき……』
『ただのきじゃないわよ。このきのしたでしょうらいをちかいあった2りは、かならずむすばれるんだって!』
『えぇー!?』
驚く私に、おばあちゃんがいってたんだからまちがいないわ! と、どや顔で言うあずちゃん。
『ってことは、もしかして!?』
私が期待の眼差しであずちゃんを見つめると、可愛らしい笑顔で、大きく頷いた。
『わたしとけっこんしたいんでしょ。いいわ! しょうらいわたしのおよめさんにしてあげる!』
その言葉を聞いて、収まってた涙がまたこみ上げてきてしまった。あずちゃんがえっ、大丈夫!? と慌てるが、私は何も言わずにあずちゃんに抱きつく。
『もう……だきついてちゃ、ちかいがたてられないでしょ。はやくやりましょ、みなみちゃん』
『うん、うん……!』
そうして、二人でご神木の下で手を重ねる。
『にのみやあずさは、ふじしろみなみをしあわせにすることを、えいえんにちかいます!』
ほら、真似して、とあずちゃんに催促され、たどたどしくも繰り返す。
『ふ、ふじしろみなみは、にのみやあずさをしあわせにすることを、えいえんにちかいます』
緊張したけど、なんとかやり終えられた。これであずちゃんとずっと一緒にいれるかな、と思っていると。
『さいごに、ちかいのキスをするわよ!』
『えっ、えっ、えー!?』
さすがにこれにはびっくりした。しばらくはまともに言葉が出てこなかった位だ。
『なにおどろいてんのよ。しょうらいふうふになるんだから、キスくらいあたりまえよ』
さ、いらっしゃいな! と私を待ち受けるあずちゃんに、何が何だかわけがわからなくなる。
病み上がりでほのかに赤いあずちゃんの頬は、勝ち気な瞳は、繊細な黒髪は、近付けば近付くほど眩しく見えた。
それでも、唇をつん、と突きだして、目をつぶって私を待つあずちゃんを見ているうちに、段々と愛しい気持ちで胸がいっぱいになってきた。
ずっと一緒だよ、あずちゃん。
そっと、私の唇をあずちゃんのそれと重ねる。
初めて味わう温かい感触に満たされながら、愛する人と繋がっている喜びをかみしめていた。
どれくらいの時間幸せに浸っていたのだろうか。あずちゃんの顔がさっきまでより輪をかけて赤くなるのを見て、あわてて唇を離す。
『あ、ご、ごめんね! ちょっとながすぎたね!?』
『い、いいけど……いがいとやるじゃない』
そうして二人でてれてれして、でもすぐに可笑しくなって、笑いあって。この時の幸せを、私は永遠に忘れない。
『あずちゃん』
『なぁに、みなみちゃん』
こてん、と首を傾げるあずちゃんに、私は満開の笑顔でこう言うのだった。
『だいすき! これからも、ずっといっしょだからね!』
---*---
『う、うわぁぁぁ!』
あずちゃんの叫び声が頭の中でずっと反芻している。突き飛ばされた時の手の感触、走って逃げられた時の後ろ姿、全てが内臓をえぐるような痛みを伴ってフラッシュバックする。
(あずちゃん……ずっと一緒、って約束したのに……)
分かってる。あの頃のあずちゃんは、結婚とか夫婦とかってことの意味がよく分かってなかっただけだって。
(もう、どうでもいいや……あずちゃんに拒否された私なんて)
放課後にあずちゃんに話しかけられるまで、ずっと放心状態だった。記憶が全くないが、ちゃんと周りに対応できてたのだろうか。今となっては別にどうでもいいことではあるけど。
あずちゃんに拒否されて、一瞬死が頭をよぎったが、今はあずちゃんの体だ。振られたとはいえ、愛した人を巻き添えにするような真似は絶対に出来ない。
(あずちゃん……)
最愛の人の体を自分でぎゅっと抱きしめる。
透き通った愛らしい声も、きりっとした瞳も、滑らかな黒髪も、今は私のもの。
でも、一番大切な、その心は、もう永遠に手に入らない。
お願いだから、もう1度やり直させてよ。もう好きなんて言わないから。ちゃんと普通に男の子を好きになるから。だから、また仲良しに戻って。
そう思いながら心がキリキリ痛む。自分の想いを否定した人たちと同じことを言ってまでもがく自分が、ひどく痛々しい。
お願い、神様。どうか、どうか……
思い出のご神木の下で。体操座りで膝に顔を埋めながら、そう祈っていると。
よしよし……
頭に温かい感触を感じると同時に、小さく揺らされるのが分かる。この優しい手つき、でも、どうして……?
「何でここが分かったの……?」
顔を上げてそう問うと、私の最愛の人ははにかみながら答える。
「私達の思い出の場所って言ったらここ以上はないからね」
まぁ、さっき思い出したばかりなんだけど、と少し申し訳なさそうに言うあずちゃんに、何とも言えない複雑な感情が沸き上がる。
「……別に謝りに来なくても良かったのに。同性に迫るような変態なんか、もう付き合う必要はないでしょ」
違う、そうじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。でも、拒否されたショックが、私の口を勝手に滑らせる。
「……」
あずちゃんはそれを聞いて悲しそうに表情を曇らせる。自分の顔のはずなのに、見てて胸が痛くなるなんてズルいよ。
「だから、あずちゃんはもう私のことなんか忘れ……て……」
言ってるうちに、思わず言葉が詰まってくる。涙が次々に零れて、嗚咽が止まらない。
「うっ……ひっく……」
情けない。これじゃあ未練がましさ丸出しだ。
でも、本当の気持ちに嘘はつけない。私は今も、あずちゃんのことを愛している。付き合うことは出来なくても、せめて想いだけは認めて欲しい。
「美南」
掛けられた声にびくっとしていると、あずちゃんは両手で私の顔を上げる。急なことにぽかんとしているとーー
ちゅっ
私は目を見開いて固まってしまった。だって、私を突き飛ばして、拒否して、逃げて行ったあの子の、あの唇の温かさを、今また味わえているのだから。
あずちゃんが、また私を幸せにしてくれたんだ。
ぷはぁ、とあずちゃんが唇を離す。幸せな瞬間は、本当にすぐに終わってしまった。まさか、これが手切れ金代わり、なんてことないよね……?
「あずちゃん、あの……」
「改めてだけど、ごめん、美南!」
そう言ってあずちゃんは、その場で土下座してしまった。
わわ、そんなことしなくていいよぉ、やめて! と、さすがに慌てて止めると、少しして元に戻り、真剣な目でこちらを見つめながら話を始めた。
「私、自分の気持ちが整理しきれてないままあんな状況になっちゃったから、混乱して咄嗟に突き飛ばしたり、逃げちゃったりしてたの。別に美南の告白が嫌だったとか、そういうわけでは決してないから」
「ほ、ほんと……?」
「絶対に本当。このご神木に誓うよ」
ご神木を撫でながらそう言い切るあずちゃんを見て、徐々に心のどす黒い靄が晴れていくのが分かった。
(よ、良かったー! 拒否されてたわけじゃなかったんだぁ……ってことは、まだチャンスあるってことかな!?)
一応まだ脈ありらしいということで、一度は捨て去った希望がまた蘇ってきた。
……と同時に、これでまた振られたら、今度こそ生きてはいられないだろうな、とも思う。
結局、あずちゃんは私のことをどう思っているのだろう。
聞くべきか、それともなあなあでごまかすべきか。
……いや、私とあずちゃんは、もう2回も大人のキスを交わした仲だ。どうなるにせよ、このまま曖昧にしておくのは絶対にありえない。まだ怖いけど、でも、一歩進むために、もう一度だけ勇気を振り絞ろう。
「あずちゃん」
「?」
「それで結局、気持ちの整理はついたんだよね? だから、今ここで私と話してるんでしょ……?」
「! ……うん」
私の直球の問いに、あずちゃんは一瞬表情をこわばらせていたものの、すぐに居住まいを直してこちらに向き合う。
私も緊張を高めながらあずちゃんの言葉を待つ。
そして。
「私、やっぱり美南のことが好き。友達としても、こ……恋人としても……」
つー……
涙が、私の瞳から静かに流れる。
何か言おうとしても、声が出てこない。喉が震えずぎて、言葉が散ってしまう。
「美南が男子から告白されたって聞くたびに、いっつも胸を刺されたような気持ちになってた。『お断りさせてもらったよぉ』て照れながら言ってくれるのを聞くまでは、不安で夜も寝付けなかった」
最初は恥ずかしかったのか、声量が小さかったけど、喋る毎に段々大きくなってきた。言ってるうちに熱がこもってきてるのが聞いててわかる。
「それだけじゃない。今日だって美南が女子からキャーキャー言われてた時、すごいもやもやしたし、皆に嫉妬してた。……私の美南を取らないで、って、正直思っちゃってた」
それでね、と真っ赤な頬で一生懸命に続けるあずちゃんは、今までで一番可愛く、そしてかっこよく見えた。
「さっき美南から迫られた時、体中が熱くなって、頭が真っ白になって、心臓が破裂しそうなくらいドキドキして……今まで美南のことを仲の良い幼なじみだと勝手に決めつけてたから、この気持ちがわからなくなっちゃったの」
でも、とあずちゃんは真剣な目で私を見て言う。
「美南を探してた時、あの日のことを思い出して、それで、あの時の自分の気持ちを思い出したの。『常識』に汚されてなかった、まだ純粋だった頃の想いを」
だから。続けて言いかけるあずちゃんの次の言葉を、脳の全リソースを結集させて聞こうとする。一言だって、絶対に聞き逃すもんか。
そして。
「美南、改めてになっちゃうけど、私はあなたのことを愛してます。どっちかが死ぬその時まで、どうかずっと側にいてください」
あの日の私、やったよ。
実った。あの日から10年間、ずっと胸に秘めてた、この想い。
馬鹿にされ、蔑まれても、それでも捨てなかった、捨てられなかった、この気持ち。
今日までの私、ありがとう。あずちゃんが大好きな、この心を無くさないでいてくれて。
「あずちゃん……またあれ、やらない?」
「え、あれ……?」
私の顔で「さっきのでも結構恥ずかしかったんだけどな……」と照れる最愛の彼女に、胸の奥の衝動がうずく。
だめだめ。全ては、あれが終わってから。
「わ、わかった……それじゃ、手を出して」
彼女の出した手に、しっかりと私の手を重ねる。もう片方の手はご神木に触れてるんだけど、不思議とパワーが溢れてくるのを感じる。
それじゃ、と前置きした後、コホンと咳払いしてあずちゃんが誓いの儀式を始める。
「二宮梓は、藤代美南を幸せにすることを、永遠に誓います」
ほら、と恥ずかしさを誤魔化すように目で催促するあずちゃんに、私はあの日と同じ誓いを、あの日と同じ場所ですることに深い感慨を抱きながら、ゆっくりと噛み締めるように言葉を綴る。
「藤代美南は、二宮梓を幸せにすることを、永遠に誓います」
言い終わると、なんだか視界が少しぼやけてきて、意識が朦朧としてきた。だめだ、誓いの儀式の最後のキスは、死んだってやらなきゃいけないんだから。
異変はあずちゃんにも起こってるようで、「み、美南……」と力なく言葉を絞り出している。今すぐにでも倒れそうな様子だ。
もうお互いに時間がない。意識があるうちに、最後の誓いを立てるんだ。
私は、倒れかけたあずちゃんの体を、徐々に消えゆく体の力を振り絞ってぎゅっと抱きしめる。
そうして、私も意識を失う寸前、最後の気力で顔を近づけて……
そっと、あずちゃんの唇を奪った。
温かく、懐かしくて愛しい、あの感触。
唇から全身へ伝わる幸せを感じ取ったその瞬間、私の意識は暗闇に沈んだのだった。
☆
「ちょ、ちょっと美南! 奈々と茜がいるんだから、そんなにくっつくのは……」
「えぇー、いいよそんなこと。ね? 奈々ちゃん、茜ちゃん」
「うんうん、私たちは一向に構わんよ、お若いお二人さん」
「いやー、いいですねぇ、出来立てほやほやのラブラブカップルは」
「やかましいわ!」
春の陽気が心地よくなってきた今日この頃。いつもの学校からの帰り道で、私は甘々な彼女と、ゴシップ大好きな悪友二人に翻弄されていた。
美南が所構わず引っ付いてきて(それはそれで嬉しいけど)、それを周りの人たちに祝福される。最近ではすっかりこれがお決まりのパターンになってしまっている。
あの日、美南と晴れて恋人同士になった直後、急に意識が薄れて気を失ってしまった。それで、目が覚めたらまた病室に寝かされていた。どうやら通りがかった人が救急車を呼んでくれたようだ。
事故からまだ間もなかったこともあって、両親や友達からはすごく心配されたけど、それよりも驚いたのは、なんと言っても元の体に戻れていたことだ。
「梓」と母親から声を掛けられてもしやと思い、自分の体を確かめると、髪は短いし胸はないし、何より顔がさっき告白した相手だったのだ。
後ですでに起きてた美南と会って確かめたら、確かにお互い元に戻れていた。私がやったー! と喜ぶと、美南は「もうちょっとあずちゃんで居たかったなぁ」と少し残念そうにしていたのが思い出される。
意識を完全に手放す寸前に少しだけ、美南と一つになれたような、幸せな感じに包まれてたような気がするんだけど、それと元に戻れたことが何か関係してるのかな?
「ほら、奈々と茜はここでお別れでしょ。今日も美南に勉強見てもらうんだから、ほら、バイバイ」
「えぇー、もうちょっと梓で遊ばせて、じゃなかった、一緒に遊んでよー」
「おい、私で遊ばせて、って下り、普通に聞こえてたからな」
私が奈々を睨みつけると、ごめんごめん、と楽しそうに笑っている。なんか、格好の餌をあげてしまったみたいだ。
「でも、みなみんと付き合ってから、梓色々頑張ってるよね。一時のあれは別として、勉強なんてやったって将来使わないし意味ない、とか言ってサボってた梓が、まさか毎日みなみんと勉強してるなんてね」
入れ替わりが戻ってから、私の人気は当然ながら沈静化し、逆に美南の評判はうなぎ昇りだ。元のおっとり優しい性格に加え、私になってた時みたいなイケ女要素が合わさって、男子だけじゃなく女子人気もすごいことになっている。
私と美南の関係はすぐに学校中に広まったけど、意外なことにだいたい皆受け入れてくれている。まぁ、私へのからかいが大体セットではあるけども。
でも、美南を狙う男子(と一部の女子)の中には、「梓と美南ちゃんじゃ釣り合わない!」と、今だに美南を横取りしようとする輩がいるらしい(by 奈々・茜)。
で、少しでも美南に恥ずかしくない人間になろうと、勉強にスポーツに、色々頑張ってるところだ。
「別にそんなに気にしなくても、あずちゃんはあずちゃんで良いのになぁ。……でも、私のために頑張ってくれるあずちゃんも素敵だなぁ」
「そ、そうかな……えへへ」
思わず照れてしまうと、見ていた二人から「このバカップルが……」とため息をつかれた。べ、別にいいじゃない。彼女から褒められたら、嬉しくなっちゃうのが普通でしょ。
「それじゃ、奈々ちゃん、茜ちゃん、じゃあね」
「じゃあね美南ちゃん、梓」
「バイバイみなみん、梓」
「……バイバイ」
今度こそ二人に別れを告げ、美南と二人っきりになる。すると、美南が電柱の方に向かって私の腕を引っ張ってきた。
「わわっ、なに、美南」
「えっとね……あずちゃん、なんか、したくなってきちゃった」
「ちょっと、そういうのは家に帰ってからって約束でしょ!?」
「お願い、今はキスだけでいいから……」
ぐぅっ、そんな潤んだ瞳で上目遣いで見られたって、そう簡単に乗ってたまるもんか。だいたい、美南は一度スイッチが入ると止まらなくなっちゃうんだから。
ガンバレ、私!
「ねぇ、ダメ……?」
「! ……いいよ」
やっぱ無理! 美南に本気で懇願されたら、絶対断れない! なんか私たちの将来が見て取れるような……
でも、やったー! と心底嬉しそうな美南を見てると、まあこれはこれでいいか、とか思ってしまう。毎回このパターンなんだよなぁ。
「それじゃあ」
そう言って、私の顎をクイっと持ち上げる。皆からは意外に思われるのだが、美南は結構タチ気質なのだ。私も夜は結構泣かされている。
まあ、それはともかく。
「あずちゃん」
「なあに、美南」
今は、美南と恋人になれた、この幸せをただただ感じていよう。これから先も永遠に続いていく、この喜びを。
「愛してるよ、あずちゃん」
「私もよ、美南」
触れた唇から伝わる、この鮮やかな色を。
夕暮れに舞い散る桜は、何故だかいつもより色づいて見えた。