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山鹿と見られる山鹿への自転車旅行記

作者: 小財 明

朗は、心の中で「コロナウィルスの感染者」のことを「分けの分からない人達」と思った。


ニュースで報道する、NHKで報道するコロナウィルスの感染者は大抵県別で報道され、住所、氏名、性別、年齢が報じられることはない。個人が個人として扱われることはなく、マスコミによって、名前が単なる「数」に置き換えられ、尊重されていない。患者一人一人に向き合うと言う姿勢の、根柢から嘘臭く見える、我が国マスコミの生命倫理の無さである。真に回復、患者の回復を祈る、マスコミ機関、周辺の住民がそう祈りたいの

であれば、個人名を公表すれば良い。


だって、そうでしょ。患者個人が名前が分かったら、もう沢山の人が発症しているんだから、逆に例えばネット上で、徒党を組まれて、「亜魔族」と名乗られると困るからでしょ。精神病患者を抑圧して、封殺したときとパターン一緒じゃないか。


殺人者、殺人被害者は実名で報じても、ホモやレズしか通常は罹患しないHIVの事を人権主義者が「この病気はっ」と力説するほどには今回のコロナウィルス、気合いが入っていると言えよう。


近代は覆い隠そうとする。近代は間違った意味で「発見する」世紀であった。


朗は近代的自我の崩壊を起こしている。この事を診断したのは、自分の身体で精神科の薬を試して、患者に一番効く薬は何か、真剣に自分の職業観念と向き合っていた「明田彦クリニック」の弥高医師であった。


その彼ですら、朗がネットで億万長者、大金持ちになる可能性を消滅させたに等しい投薬を行った。


あれはブログ「世界の中心でニュースに叫ぶ」で、朗が数千単位で読者を獲得し、Ask.comからTrackbackをもらい、調子付いていたときのことだ。朗は少し経ってから精神向薬のエビリファイを処方してもらい、体重も太っていたお腹が付き出していた状態からスリムな理想体重の72kgに早稲田大学の学生だった頃に戻り始め、朗の身長は、181cmであり、新たな女の子を獲得しようと気持ちを新たにしていた。


「自信が出てきた」弥高医師も嬉しそうであった。


朗32歳の頃である。


暗転。その年の夏のお盆の頃である。朗は自転車、アメリカの自転車JAMIS(ジェーミス)を漕いで、「四国」を目指した。自転車人サイクリストと言う熊本市の黒髪にある自転車屋の2階にある自転車のストック置き場で変な意味でなく、ズボンを下ろされて、多分、足の筋肉を見たのだろうが、店長、二古山に強力にプッシュされて「買わされた」自転車でである。


夜になって、山鹿と見られる山鹿に着いたときは、疲労困憊と興奮のため、ラブホ街に宿を求めた、今は取り壊されてない、一年後見に行ったときには街ごと取り壊されていた。最初に宿泊しようとした宿、コンクリの普通のホテルである、には「地獄組一行」、たしかそう言う名前だったと記憶しているが、満室で断られてしまったのだ。


他にも、街の入り口で何回も同じ場所を暗闇と街の景色が断片的に浮かび上がるなか、ループして通ったりした。


ラブホで朝を迎え、今考える。朗が薬を飲まず、この時も薬、精神科の薬は飲んでいなかった、薬を飲まなかったらどうなるのだろう。


近代的自我を無くしたとき、そこに現れるのは、多くの人が現在、魔族によって、与えられた新たな自我を通して見ているように、神話や中世の世界観であろう。


現在、世の中は魔法社会である。


私の愛している水亜さんは、天野屋書店の長女であり、私の十八年来の恋人である。


水亜さん、間違っていなければ、私もデカルトを読んでいて、魔法を弾く、無化する「魔法的自我」を持っています。デカルトの発展的段階の自我です。


疑えば、HlVも今回のコロナウィルスも根っこはおんなじだと朗は気づく、「未知のウィルスへの恐怖」である。


だからこそ、人は、サバイバルを働かして、生き延びようとする。


この国の「患者」が過半数を越えたとき、この国の統治形態は、患者にとって大きく革命的に変わるだろう。


魔族の支配下に人類が入り、絶滅又は支配の隷従に入るまで、あまり時間はもう無いのかもしれない。


反撃せよ!このままでは我が子らは全員、魔族によってヒキガエルにされるであろう。


ヒキガエルと化した我が子は、油で熱せられた油鍋で、こんがりと焼き上げられるのを、じっと待つ。ただじっと待つ。言葉は発せられない。ただ、グェッゲーコ、ゲコと言う鳴き声を発するのみである。言葉は無く、ただカエルとして鳴き声を発するのみである。


言葉側と魔族との戦いは、今が一番大事である。


気の抜けない言葉、新たな強い言葉、それでいて分かりやすく平明な言葉を自らの表現活動に使うことが朗の見るところ、求められている。


懸命に夜のガストで、ウーロン茶を飲みながら、曲のリリックのイメージをつかみ取ろうとする若手アーティストがいる。彼の曲はリリックが斬新すぎて、今一つ音楽業界で受け入れられていないのだ。


朗はどうか?「小説家になろう」に投稿を続けていて、今まで書き上げた短編が何れ何らかの輪郭を持ち始めたら、それらを繋ぎあわせて、長編にして、文学賞に応募するつもりでいる。


言葉のよく研ぎ澄まされた言葉は、文章、良き文章を紡ぎだし、敵の構築した構造物、魔族の構造体を破壊するであろう。


健闘を。日々の生活に疲れたときはマッサージをプロの業者で。サラリーマンって辛いっすよね。

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