風の果て
時代遅れの大衆演劇の話です。廃れて行くものかはしれませんが、どこかに大衆の原風景があるかもしれません。
何年か前なら、私も少しは人に知られた。時代の流れの早い今では忘れられるのも早い。私もいわば一発屋だった。今は地味な演歌を歌ってレコード店の前などでビールケースの上に立ち、自分の歌をキャンペーンして回るようになった。それでも振り返ってもらえないことがしょっちゅうだったが、路上ライブなんて言葉が知られるようになったせいか、ギターを持って歌っていると並べたCDを買ってくれるのではなく、ギターケースに五百円硬貨だのが放り込まれることもあった。投げた相手は私を素人のシンガー志望と思って、励ますつもりで投げてくれたのだろうが、私には惨めなだけだった。
歓楽街でも歌って回った。ここは一曲歌うのも難しかった。地元の顔役さんに話を通しておかなければとんでもないことになった。飛び込みでギターを抱いてバーに入ると、ママが目を吊り上げて私の肩を小突き、恐ろしい剣幕でたたき出された。その上ママさんから連絡を受けた地回りの兄ちゃんたちが私を路地裏に連れ込んで、殴る蹴るだ。マネージャーも付いていない一歌い手は、顔を殴るんじゃないぞという言葉を聞きながら、腹を蹴られて地面に這いつくばった。かといって、警察に駆け込んでも、後々余計に面倒なことになるだけで泣き寝入りするしかなかった。
次の土地で、私は何とか蛇の道に入る方法を見つけた。ビールケースに立って歌わせてもらったレコード店の店長に、知らぬ間にこの蛇の道に入れて貰ったのだ。店長がどこかに電話していた。そして、まずこの店に行って、それから歌わせてもらえといわれた。
「なに歌ってるの?演歌?ふーん、そのCDを売るの。まあ、歌ってみて。」
「そんなもんなの。まあ、**さんの口利きだから、何とか話は通しとくわ。」
そういって貰えて、私はそこから叩き出されることだけは無かった。
夜のとばりが降り始めた頃、私はCDラジカセにギター、CDアルバムを持って、言われたバーに入っていった。すると女の子達が、
「待ってたわよぉ。」
と声を掛けてきた。私は戸惑うばかりだった。話を通してもらうとこんなにも扱いが違うのかと、そんな思いの裏で怖いものがあるんだと解ったような気がした。酔客から、
「いよっ、兄ちゃん、流しかい?珍しいねぇ。」
と、声が掛かった。仕事柄、言葉は知っていたが自分が流しだといわれるとは思ってもみなかった。
「へぇ、めずらしいなぁ、じゃあ、お富さん、やってくれ。」
「お富さん?」
「そうだよ、春日八郎のお富さんだ。」
「違うわよぉ、この子は将来有望な、今売り出し中の歌手なのよぉ。」
「歌手か、じゃプロなんだ。だったら余計にお富さんを歌ってくれ。」
お富さんは昔爺さんが風呂の中で歌ってたのを聞いた覚えがあった。母はそれを下品と嫌った。しかし爺さんはお構いなしで私に歌って聞かせた。だから、ギターの方は自信がないが、歌詞は解っていた。やらせていただきますと、
いきなくろべい にこしのまあつに
と歌った。
「いやあプロだねぇ、気に入った。」
そういって、客は私に200円くれた。流しは昔一曲100円だったそうで、
「いいから取っときな。」
と、剛毅なつもりらしかった。
「すいません、持ち歌、歌わせてください。」
そういって、CDラジカセにマイクをつなぎ、音を流しながら熱唱した。だが、
「お富さんのほうが良かった。」
「湯の町エレジーやってくれ。流しの定番だろ?」
「おやんなさいよぉ、そしたら、CD一枚買ってもらうから。」
女の子が酔客にしなだれかかりながら助け舟を出してくれた。私はこの後三曲歌った。また爺さんに助けてもらった。そしてやっと一枚買ってもらったが、こいつはお前にやるよと、客は女の子に放り投げた。すると、女の子が曲名をみて、その中のカバー曲を歌えと言い出した。昔のグループサウンズの歌だ。
あまいろのながいかみをかぜがやさしくつつむ
女の子が歌い、客も歌った。私はもう本当の流しだった。
朝まで歌って回って、へたり込むように眠った。だが今日は次の町に行かなければならない。私は世話になったレコード店の店主に一応挨拶をと思って立ち寄った。すると、
「お前は私の顔をつぶす気か。」
といきなり怒鳴りつけられた。えっと顔をあげると、店主は最初に行ったバーのママのところへ謝礼を持って挨拶に行けと言う。そんなことも知らずにやってきたのか、プロダクションの社長は何を教えてるんだと息巻いた。
私は次の地に出発するのを遅らせ、昨日のバーを訪れた。恐る恐るドアを開け、声をかけると、まだ支度をしていないママが上を羽織って出てきて、じろっと私を見詰め、何しに来たといわんばかりだった。私は何と呼べばいいか解らず、つい、
「あねさん、昨日はお世話になりました。」
と頭を下げた。
「あんたまだいたの。で、今日は何?」
「昨日のお礼が出来ておりませんでしたので、お尋ねしました。有難うございました。おかげで、それなりに歌わせて頂きました。」
そういって私は胸ポケットから謝礼の封筒を出し、もう一度頭を下げた。
「そう。」
ママは封筒に手を伸ばし、中を覗いて受け取った。私はもう一度頭を一杯に下げ、用意していたバラの花束を差し出した。ママはびっくりしたようだった。
「えっ、これ、私に?」
「はい、ほんのお礼の気持ちです。」
そう言って腕一杯のバラの花束を差し出した。ママの顔が一気にほころんだ。バラがいちどきに香った。
「バラね!花束なんて始めてもらった。あんたぁ、あんたぁ!」
ママが二階に声をかけた。すると、男が降りてきた。ママが男にこれまでの事を話し、花束を見せた。
「ほぉ、良かったじゃねえか。若い衆、気に入った。おめえ、つぎはどこへ行くんだ?」
私が次の地名をいうと、男は名刺を一枚くれた。名前の上に代紋が描かれて会長**とあった。そして**というところを訪ねてこの名刺を差し出せば、ちゃあんと面倒見てくれるはずだと言われた。私がこの業界の仕組みに取り込まれた始まりだった。
私の旅は順調に回りだした。そしてまた地方テレビとか歌謡ショウの前座もつとめることが出来るようになった。マネージャーも付いた。そんな折に、地方回りの途中で挨拶に行った**会の会長から、
「あんた、確かにいい男だねぇ、すまないがあの一座の助っ人に行っちゃくれないか。」
と言われた。大衆演劇の助っ人というのだ。言われた温泉場のホテルに行き、フロントを訪ねて用向きを告げると、それまでにこやかに応対していた男の顔が、まるで見下げるような様相に変った。
「表から入ってくるんじゃない。裏へ回れ、役者風情が。」
と、怒鳴りつけられた。私は男の指差す方へ逃げるように向かった。場所などわからない。しかし、大広間の奥に舞台があり、私はそこへ入っていった。顔を真っ白に塗り、目元と唇をくっきりと描いた着物姿の女がいた。いきなり鉢合わせしそうになったが
「すいません、ごめん下さいまし。」
と先にそういったのは女の方だった。そうか、こういった世界なんだ、と私は思った。私も頭を下げ、
「**会長からこちらに伺うように言われた竹原ですが、どちらへ行けばいいのでしょうか。」
「ああっ。」
女の胸の辺りで、白く塗った手がひらりと踊った。
「聞いております。座長があちらで待っております。どうぞこちらへ。」
娘姿の座員は小腰をかがめ、軽く頭を下げてそういった。まるで時代劇だ。
座長の部屋と座員の部屋とは別々だった。暖簾の掛かった入り口で、女の座員は、座長と声をかけて中に入った。
「**会長紹介の竹原さんです。」
女はそう言った。
鏡の前に、鬘を置いて羽二重だけになった渋い感じの小男が座っていた。挨拶をすると、いきなり、
「おお、あんたか、確かにいい男だねえ。まあ、ちょっと立ってみてくれ。そしたら歩いてみな。そうじゃあねえ、すり足だよ。顔は俯き気味にして。脚は内股、いいねえ。これで顔を作ったら見られるんじゃねえか?」
そう言われた女の座員は、
「はい、そう思います。」
と答えた。
「若いねえ、若いってえのはいいねえ。」と私の背中に声がかかった。
否応はなかった。いきなり鏡の前につれて行かれ、浴衣に着替えて、上半身裸にさせられた。髪をネットで包み、瞼と鼻の両脇に朱が塗られ、その上を目といわず口といわず、まるでペンキをぬるように刷毛で真っ白に塗り込められた。全く知らないわけではなかったが、それはついこの前の、遠い昔だ。今、顔は輪郭が解るだけで、後はキャンバスになった。その上を素早く大きなパフで叩き、どうらんのてかりを消す。羽二重を付け、さらにどうらんで化粧してもう一度パフで叩き、目尻と目頭に紅を差す。眉も形よく描かれた。最後に口紅を塗って、上唇と下唇を合わせ塗り広げるように言われた。上唇の方が色が薄いので、描き足される。そして少し濃い色で輪郭を描いて終りだ。と、えっ、おんな?女形のかつらがかぶせられた。衣装も一枚一枚着るのではなく、羽織れば一度に着られるようになっており、後は前をあわせて帯を結べば形は整った。
「おお、女にしちまったか。頬骨も飛び出ておらず、目も一重、鼻筋が通って唇もふっくらしてる。それで女形にしたのか。立ち役もこなせるとは思うが、まあ急には無理だ。先ずこれで歌を歌ってもらおう。」
「えっ、これで何歌うんですか、女の声は出ませんが。」
「いいんだよ、派手に歌ってくれりゃ一応穴は埋まる。ただ、所作だけは覚えておいてくれ。」
そういって、座長は立ち上がり、膝を寄せて腰を落とした。背筋はしっかり立て、上半身を少しよじる。顎を引き、少し伏目で顔を傾ける。手は胸の前で交差し、ゆっくりと開く。私も言われるまま、膝をゆるめ、顔をかしげた。
「違うちがう、頭を先に動かすんじゃなくて、顎の先を横に動かして傾けるんだ、目線は斜め上とか斜め下に持っていって、ゆったりと見詰める。これが女形の流し目だ。手は開いちゃいけない。四本の指はそろえてすっと伸ばし、親指をそっと添える。指を曲げて前に垂らしたらお岩だ。それから、決めの時以外は手を肩より上に上げちゃいけない。常に膝は内股で軽く曲げ、腰と背すじは少しそらし気味。これさえ守れば、後は曲に合わせて動いてりゃ、それだけで女形だ。」
そういって座長はくるりと回って首をかしげ、斜め上を見上げた。
「いいわ、出しちゃえ。ヘッドセットマイクをつけて歌わせて、お前、横で踊ってろ。」
座長が、化粧してくれた女に言った。
「大丈夫ですか、座長。」
脇の立ち役が不安そうに言った。
「大丈夫。今から稽古だ。」
そんなもんじゃ、できるわけがないと、女に手を引かれながら私は不安で一杯だった。
私が稽古で舞台にあがると、今回の為に派遣されたマネージャーがやっと着いたのか、客席に座っているのが見えた。
「こいつを歌ってくれ。」
カラオケが鳴り出した。私はただ突っ立って歌った。勿論男の声でだ。歌い終わると、
「それでいい。」
と答えが返ってきた。
「もうちょっと喉を絞って歌ったらもっといいんだが、まあ今日のところはこれでいいことにしよう。」
すると、この変わり果てた姿が誰なのか、やっとわかったようで、マネージャーが飛んできて素っ頓狂にいった。
「どうなってるんですか!」
私はそこで2年修行した。助っ人とはなっていたが、本当は修行させて貰ったのだ。ここで私は舞台の醍醐味を知った。恐ろしさと酔いしれるような高揚感が綯い交ぜになって私を襲った。それはもう歌手として歌った時とは全く別なものだった。
だが、初舞台は演技や踊りどころではなかった。私が闇の中で立っていきなりスポットライトを浴びると、観客席の空気が動いた。曲のイントロが流れ、脇で構えていた女が踊りだす。女形の豪華な衣装で構えた私も身をよじり、手を翻して歌いだす。脇の女がするすると近寄って私に絡んでくる。私も体を回してすっと目を流す。全てが白塗りと闇の舞台のマジックだ。衣装の金糸がきらめいて、女と女姿の私が互いに交差する。曲の終わりに女の背が私にもたれかかり、私を見上げた。私はとっさに鷺娘の所作で両振袖を羽ばたかせ、女をはぐくむように抱きしめた。一瞬のち、ライトが消えた。私と女は下手に下がって曲が終わった。私は酸欠の金魚のようにあえいだ。
「何時まで手を握ってるの。」
私は女に言われ、驚いて手を離した。それが初舞台の最後だった。
「あんた、舞台度胸がいいねぇ。」
と後で座長が言った。
芝居が終わると、私は促されて他の座員と一緒に出口で客を見送った。座長もほかの座員も、客一人ひとりに声をかけた。すると、初老の女性客が何人か私の前に寄って来て、
「あんた、ほんとにおとこ?」
と、私をじっと見上げて言った。
「はい、おとこです。」
「ほんとだ、男の声だ。」
「ほんとう?」
別の客が今度は、私の胸の辺りに手を伸ばして触った。
「ほんとだ、胸ないわ。」
「あんた、ほんとにきれいねぇ。」
そういうと、女性客が私の胴に手を回して抱きついてきた。座長がその客をハグするように目で合図してきた。私はそっと客の背を抱いた。
「きゃあ、わたしも。」
別の客が私の胸元に一万円札をねじ込み、抱きついてきた。
「客の望むなら、パンツも脱いでみせるのが役者だ。」
後で座長が私に言った。
翌日、私は他の座員より先に起きて身支度を整え、昨日化粧をしてくれた娘役の女に化粧の仕方を教わった。役者は皆自分で自分の化粧をする。昨日は顔と手、それから足と脛まで白塗りに塗ってくれた。もちろん脛毛も剃った。その時、
「あなた、色が白いわねぇ。肌理もこまかいし、化粧が映えるわ。」
と、襟足をスポンジで叩きながら私に言った。
「本当のおんなみたい。」
その時はまだ、これは一時のことと思って聴いていた。
「姉さん、おねがいします。」
と、女座員の後ろに正座して頭を下げた。
「いい?見てて。」
鏡の前でさっともろ肌を脱ぎ、化粧を始める。もちろん胸元は晒を撒いてある。昨日の通り、顔に化粧刷毛で歌舞伎白粉を油に解いたどうらんを塗って行く。鼻の横は紅を差してあり、それが白塗りの下から浮いてくる。羽二重を被って更にその境目を塗って目立たなくする。目尻と目頭に紅を差し、唇にも塗り添える。あざやかに出来上がった。私は鏡に写った娘役の顔を見ながら、その手順を頭の中で繰り返した。小指と人差し指で紅を差す、上瞼の上側を次にと、手順を確認しながら、ふっと顔が熱くなる。
「どうかしたの?」
「姉さんの背中、まぶしいです。」
そう言ってごまかした。戸惑ったような空気が流れた。
「おっ、どうしたい?」
座長が顔を出し、声をかけてきた。
「はい、化粧の仕方を教わっております。」
「そうかい、しっかり教えてもらいな。だけど、菊華に手を出すんじゃねえぞ、これは俺の娘だからなあ。」
そういって座長は稽古場へ行った。菊華姉さんは本名を菊子と言って、本当に座長の娘だった。
稽古場では菊華姉さんだけが芝居の稽古に加わり、私は横で見てるように言われた。最初っから芝居をやるなんて百年早い、それより昨日の踊りは良かった、だから歌謡ショーの方に専念してくれと座長にいわれた。
「だけど踊りだって菊華姉さんにリードしてもらったから格好が付きましたが、私一人では無理でした。」
「まあ、そのあたりは菊華と相談しながらやるんだなぁ。とにかく思ったより良かったよ。菊華もあんたに一目惚れみたいだし。なあ、菊子!」
「そんなことありません!」
「いや、俺には解る、あの踊りを見れば全部解る。にいさん、演技はその役者の気質や骨品が全部滲み出てくるんだ。こいつが何を考えてるかなんて、全部解っちまう。しかしだ、男と女、できちまうと甘えがでて芸が濁る。俺たちゃ旅芸人で人間国宝なんて大それたもんじゃねえ。だから、芸に媚も外連も下品もあったってかまわねぇ。うけりゃいいんだが、濁っちゃいけねえ。あんた達は純な男と女の綺麗なところがでていて、それがお客様に伝わった。そいつを汚しちゃいけないよ。」
私は、何かを言い当てられたようで、ただ黙って聞いていた。
翌々日は移動日だった。座長ともども座員全員がホテルの支配人に挨拶をし、車に分乗して出発した。私がトラックの荷台に乗ろうとすると、座長が菊蝶さんはこっちだと座長の車に乗せられた。菊子の芸名が菊華。それで私は菊蝶になった。菊蝶さんはうちの客分だから、そういって座長は私を同乗させた。ちょっと古い外車だった。
座長が車を運転しながら、
「菊蝶さん、あんたも若いのに人が悪い。」
と突然言い出した。
「えっ?」
何事か解らなかったので聞き返すと、信号で車が止まった隙に、座長は胸の前で両手の平をひらひらと動かし、
「あんた、日本舞踊の名取りだってぇじゃないか。」
と言った。すこし言いよどんだが、
「はい。」
と答えた。
「マネージャーさんに聞いたよ。どおりでああも舞台で度胸よく菊華と踊れたんだ。たとえ当振りといったって、ああ上手くは踊れない。それに品が良すぎる。所作と言い、腰の据わり方といい、菊華が負けてた。俺りゃ、とんだ恥をかいちまった。」
「申し訳ありません。母が竹原流の師範をしておりまして、見よう見まねで子供の時から遊び代わりに踊っておりました。母も私を早くから発表会なんかの軽い舞台に引っ張り出して、相舞踏の相手をさせたりしておりました。」
「いけねぇいけねぇ、ほんとに恥をかいちまった。」
「いえ、とんでもございません。しかし踊りも芝居も、その人の人柄、人間が全部出るという座長のお言葉は身にしみました。私の歌が売れないのも、そんなことからかもしれません。」
「そのことだ。俺はあんたを当分預からせてもらう事にした。プロダクションの社長には俺から断わっといた。」
「マネージャーから聞いております。どうせそんなに売れておりませんから。」
「おっと、自分からそんなに卑下するこたあない。あんたを見つけてきたのは菊華だよ。レコード店の前で歌ってたろう。それで、座長、こんな人がいますって、あいつが俺に言ってきた。それで一度会うことに決めて、いちどきにほれ込んだ。だが、菊華を見ると、あいつが女の子の顔から娘の顔に変ってやがった。あぶねえかなぁとは思ったんだが、背に腹は変えられねぇ、プロダクションさんに頼んで来てもらうことにした。しかし、若けえ股旅者とか若衆姿にするかと思ったら、菊子はあんたを女形にしちまいやがった。びっくりしたねぇ。それで、正直大丈夫かって思ってたら舞台でちゃあんと格好がつくじゃあねえか。こいつは拾い物だと俺りゃあ手を合わせたねぇ。まあ、よろしく頼むわ。」
そういって、座長は頭を下げた。
「もっとも、俺りゃ、踊りは苦手なんだ。ここだけの話だが。」
そう言い足して座長は笑った。
しばらく沈黙が続いた。そして、
「こいつは言おうかどうしようか、迷ったんだが、」
と座長が話し出した。
「中年の女の客が、あんたに抱きついたろう。」
「はい。」
「あれねぇ、あれはあんたが若衆姿だったら、いくら中年だって、ああも簡単に抱きつけるもんじゃない。女の姿だから平気で抱きつけた。女同士みたいな錯覚でね。菊子もそうだったんじゃねえかなぁ。あんたは男だけど、女同士ってことにして、それであんな風に身をあずける仕草が出来たんだ。」
座長が何を言ってるのか、私には解らなかった。稽古では踊りの最後は指先を握り合い、見詰め合って回りながら終わるはずだった。それが、指先をからませて一回りすると、菊華が体を回して背を向け、手を胸の前で重ね、そのまま体を預けてきた。私はとっさに胸で支えて両袖を蝶のように一二度羽ばたかせ、袖を重ねて菊華を包んだ。私はそれをアドリブだと思っていた。
「あぶねぇんだよな、頼むよ。あんたは客分なんだから。
実は、あいつは俺が外に作った子なんだ。」
そういって、あとは押し黙ってしまった。そして不意に、
「まあ、またそんな話をすることもあるかも知れねぇが。」
そういって、座長は車のスピードを上げた。
菊華菊蝶は評判をとった。ポスターも、始めは座長の後ろでその他大勢と共に二人並んで映っていた。それが次第に二人が大写しになり、座長と並ぶようになった。それは女と女方が、見る人に虚実の混交する錯覚を抱かせたからだ。それゆえ座長は私を芝居には出さなかった。芝居の役のイメージを舞踊ショーに引きずってはいけないと思ったゆえだ。座長は今よりも更に豪華できらびやかな衣装を作らせて私に着せた。しかしそれは決して女は着ないだろうデザインだった。それが演出だと座長はいう。女姿だけど実は男、それが狙いだと、闇の中でその衣装を着た私にスポットライトを当て、その効果を確かめながら座長が言った。
「いい女だねぇ。」
座長が苦笑いしながら菊華を見た。
「おまえじゃ、ああは色気は出ねえ。」
菊華は私を凝視したまま、何も言わなかった。
「女形の色気だねぇ。」
「いいですね。」
回りの座員も声を上げて言った。妖しい世界が現出された。
私達の踊る内容を決めるのは座長と菊華だった。私はひたすらそれに付いていった。女の情念を歌い上げる演歌、戦前の歌謡曲の悲恋ものなどで、約1時間の長丁場のショーになった。そして踊りの合間に掛け声がかかった。
きくか!きくちょう!
それは座員が客席に混じってかける掛け声だった。これも、さくらではなく、ショーを盛り上げるための演出だ。それに釣られて、
きっかちゃーん きくちょーさーん
と、女性客の声もかかる。舞台の前にお花が飛ぶ。黒子が出て、タイミングよくそれを拾って回る。客席には飾らない剥き出しの感情が溢れてた。私はその生な感情にけおされた。
「そうだよ、俺達大衆演劇の舞台は取り澄ました教養とかお上品さで見てもらうもんじゃない。だから媚びて、妖しくて、ケレン、バテレンで迷わせなきゃいけない。」
「えっ、バテレンて何ですか。」
「言葉のあやだよ、アヤ。」
そういって座長は笑った。舞台衣裳の漆黒の地に、金糸銀糸の蝶模様、白襟、緋の裾模様のひるがえりは、私の朱の口元を映えさせた。菊華の控えめの化粧と目姿は、紅色の袖の華やかさを際立たせた。
そんな舞台を夢中で続けていた時、どこかのテレビが私達を取り上げた。そして私のプロダクションの社長が訪ねてきた。
「座長、お約束の2年です。」
と社長が座長に切り出した。
「ありゃ、あんたの仕掛けかい。」
社長は黙って笑っていた。
「いい仕掛け時だったなあ、今が一番いい時だ。それに、約束だから返さねえともいえないし。」
「そうですねぇ、それにご子息さんのお帰りもありますから。」
社長の言葉に、菊華が反応した。顔に怯えが走った。
「そうなんだよ、菊蝶さん。息子は本当の芝居をやるんだって言い出してやがってね、東京の劇団で芝居修行をやってたんだが、あんまりパッとしなかったのか、親父の後を継ぐって、今度帰ってくるんだ。」
「あにさんが・・・。」
菊華が言った。本妻の子を、にいさんではなく、あにさんと呼んだ。
「俺りゃ、覚悟はしてたんだ。」
座長はそういうと座りなおし、
「菊蝶さん、いや竹原直人さん、菊子を連れて行ってくれないか。」
と言い出した。
「菊子は以前言ったとおり、俺が外に作った子だ。ところがその母親は、菊子が3歳のときにこれを置いて逝っちまった。それでやむなく俺は女房に頭を下げて菊子を育ててもらった。女房は菊子に、自分ことを師匠と呼ばせ、俺のことは座長と呼ばせた。長男はあにさんだ。だが、このあにさんが菊子をいじめた。それを俺は庇い切れなかった。女房の手前もあるし、息子も可愛かったからだ。だが、そんな甘やかしがいけなかったのか、独り立ちできるようになると、反発して出て行っちまった。」
座長はそういうと、手をつき、
「菊子を連れて行ってくれないか。」
と頭を下げた。
「だけど座長、座長の世話は誰がするんですか?」
菊子が言った。
「そんなこたぁ、なんとでもなる。直人さん、こいつには亡くなった女房が全部おしえてある。行儀も作法も芸も、みんな教えた。だから大丈夫だ。後は竹原直人さんに頼むだけだ。」
「菊子さんを連れて行っていいんですか。」
そういうと、
「頼む。」
座長はそう答え、もう一度頭を下げた。
それからの日々はめまぐるしかった。退団記念公演、テレビへの再デビュー、そして中央の劇場での歌手活動。プロダクションの指図のまま、それらをこなしてぼろぼろになった。私の武器は座長が持たせてくれた舞台衣装と菊華だった。
「竹原さん、綺麗ですね。ほれぼれします。」
ワイドショーの司会者がわざとらしく言った。
「さてこの竹原直人さんですが、歌手活動をされていたとき、大衆演劇の座長に見出され、女形として舞台をつとめるようになりました。それが大評判になり、今日、また歌手に復帰されましたが、ここでは竹原直人さんではなく、菊蝶さんとして、相方であり奥様でもある菊華さんと一緒に舞台での踊りをご披露していただきます。」
そんな司会の言葉に用意して構えていると、イントロが流れる。菊華が踊りだす。私の歌手復帰がはじまった。そして私のこれからの歌手活動がどうなるかはこれで決まった。
それから数年、私はプロダクションのスケジュール通りステージに立って歌い、菊華と舞って、また車、電車、飛行機で移動して春も秋もなかった。そんな中、菊子に子供が出来て、女の子が産まれた。私は暫く一人になったが、子供の事など振り返れなかった。
菊子が復帰してきたとき、テレビですこしドッキリのような内容の番組に出された。プロデューサーの指定通り、歌手復帰の契機になった曲を先ず私が歌い、いつものように間奏になると二人で踊りだした。何時もこの手順を繰り返していたが、そのメロディに突然、元歌の、大衆演劇では大御所といっていい人の歌が入った。サアーと背中を汗が流れた。菊華の顔も引きつった。懸命に建て直し、体で覚えている振りを無心でなぞった。私達の向うにもう一つスポットライトがあたり、大御所が歌っていた。
踊り終わると顔が上げられなかった。大きな拍手が聞こえた。
「いやぁ凄い。菊蝶さん、凄い色気だねえ。うちの劇団に欲しいよ。」
大御所が言った。私達は頭を下げるのみだった。
番組の後、ご挨拶が遅れまして、といいかけた私に、
「なぁに、いいんだ。売れりゃいいんだ。あんた達、この曲、好きに使っていいよ。しかしなあ、売れてるときはいいが、俺たちぁいつまで経ってもきわもの、げてもの、外道扱いだ。だから苦労だよ。芸もない連中が、妬み心で脚を引っ張る。気をつけなよ。
ところであんた達、菊華ちゃんのお父さんが悪いって知ってたかい。」
知らなかった。忙しかったこともあったが、折り合いの悪いあにさんに憚られ、電話もかけられなかったというのが本当のところだった。孫が出来たか、そうかい、そういって大層なお祝いが義父の座長から届きはした。しかし会いに来いとも孫を見たいとも言わなかった。
「一座もあんた達が抜けた後、副座長の方針で硬い芝居をやり始めたらしいんだが、これが躓きのもとになって、そこから傾きだしたようだ。そこへ今度は座長の病気だ。もう旅から旅は無理だからと座長から言い出して、今じゃ一人、施設暮らしらしいぜ。」
そういうと、
「俺ももう還暦だ。そっちは対の揚羽でこっちは一人、はなっから勝負はついてたようなもんだ。知ってるかい、蝶は一頭二頭って数えるんだ。二頭なんて色気が失せるが、対の揚羽でお稼ぎよ。」
と言い残していってしまった。
ところが、そのころから私達の人気に翳りが見え始めた。飽きられちまうんだぜと以前座長がいってたが、その通りだった。それを懸命に立て直そうと頑張っていた時に、私達は座長のいる施設の近くのホテルのディナーショーで行くことになった。公演の終わった翌日を,私達は休みにしてもらった。朝、施設に電話し、座長に電話に出てもらった。
「もしもし、ざちょう。」
「おお、菊子か。そっちは元気か?」
少し呂律の回らない口調に、菊子は声を殺して泣いた。
私達が会いに行くというと、座長は衣装を持ってきて踊ってくれないかと返してきた。ここの人達に見せてやりたいし、俺も見たいと言うのだ。
施設の舞台は慰問の為の小さなものだったので窮屈だった。私たちは暗幕を引いてもらい、マネージャーに一基だけのライトを頼んで何曲か踊った。すると、重くよどんでいた客席の老人達から少しずつ反応があり、ついには割れんばかりの拍手に変わった。昔を知っている人たちから、
きっかちゃーん きっちょうさあーん
と、声まで飛んだ。車椅子の座長も病で涙もろくなったのか、泣いていた。
帰る時、老人達から、昔見てたのよ、菊蝶さん、今も綺麗ね、菊華ちゃん、可愛いわよ、といちどきに声が掛かった。
後で座長に、直人さん、菊子に子供を授けてくれて有難う、といわれた。
「菊子はさみしい育ち方をしただけに、本当の家族が欲しかったんだ。今菊子が幸せなのは顔みりゃ解る。俺達といた時は、こんなに和らいだ顔付きはしてなかった。踊ってる時もあんたのそばで安心しきってる。有難う。感謝してます。」
そして、菊子が持ってきた孫の写真を見ながら、有難う、良かったをくりかえした。
「座長、また来ます。」
と菊子も安心したようだった。
帰る道筋で、これからは他の施設にも慰問に寄るようにしようかというと、菊子も頷いた。これが私達に次の新しい舞台を作ってくれるきっかけになった。そうだ、芝居をやろう、私達は大衆演劇出身の、きわもの、げてものなんだ。座長には芝居に出させてもらえなかったが、菊華は芝居を知ってる。だから、二人だけで出来る芝居をしよう、二人芝居だと、その思い付きを菊華に話した。すると、
「なにができるかしら。二人だけででしょう?」
と首を傾ける。
「始めから終わりまでやるんじゃなくて、名場面だけ舞踊劇のようにやるというにはどうだろう。」
「そうですね。一座でやってた演目、ちょっとやってみましょうか。私、一通り全部、通しでやれますから。」
と言う。えっ、と私は菊華を見た。
この娑婆にゃ辛いこと、悲しいことがたくさんある。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。ああ、明日も天気か。
五十両はなくなったけど、おいら、お星様になったようなきぶんだぜ。
菊華がすらすらと演じる。
「それって、なんの芝居?」
「関の弥太っぺ。座長が若い頃よくやってた芝居です。」
「そうかぁ、しかし、台詞が中心で、舞踊劇にはむつかしいかなあ。」
「そうですねぇ・・・。」
そう話しながら、私は菊華の異能な才に驚いていた。だが、次に突然ズンタカズンタカと言い出したのには吹き出してしまった。
さあさあ、いらはい、いらはい
本日は新派大悲劇、湯島の白梅、湯島の白梅でござあい
「なに、それ?」
「ジンタです。座長が湯島の白梅を演った時の出だしです。もっとも、まじめにやったわけではなくて、こけたりすべったり、アドリブをいれてお客さんを大笑いさせる喜劇仕立ての演目でした。」
私達は旅先でも休みでも、舞台に載せられるようなものを模索した。しかし、どこまでやっても白々しく思え、身に馴染んでこなかった。
そんな時、私は旅の途中で気になったことがあった。あと少しで東北と言う土地で、早朝、体力維持のためのジョギングしていたのだが、その道筋に田舎にしては大きくて由緒ありげな神社があった。神社の入り口の由来を書いた銘板を読むと、静の桜と書いてある。シズカの桜?静御前かと、その時は思っただけだった。だがそのあと、白拍子姿の静御前が頭の中で勝手に舞い始めた。白拍子なぞ私は知らない。どう舞うのかさえ解らない。ただ、しずやしずの歌声が聞こえてきた。
オフになり、すこしまとまった休みが取れたので、私達は実家に帰った。今、母は私たちの子供を育てながら、踊りの発表会に時折出るだけになっていた。
昔、私は母の跡を継ぐのを嫌って家を出た。家の芸の継承を嫌って自由になりたいと、そんなありふれた思いからではなかった。根底に父の事があった。私が物心ついたころ、父は常に母の後ろにいて、決して母より前には出なかった。それがどうしてなのか、幼い私には解らなかった。だが、自分が成長するにつれ、それが次第に苛立たしいものに見えてきた。どこまでも自分を殺し、母の言うまま、黒子のように母に付き添う父がたまらなかった。
父は養子だった。家付き娘の母が家を継いだ。この家は流派の家元が継嗣を欠いたとき、代わって家元を継承することもある門下総代の家だ。だからといって、父がないがしろにされるのを見ているのはつらかった。
流派の門下合同公演があった夜、遅くに帰ってみると、稽古場に明かりが点いていた。私は公演の手伝いのために帰れないはずだったが、体調不良で返してもらった。そして見るはずもないことを見てしまった。稽古場の舞台の前に母が正座していた。舞台では父が踊っている。はっとなった。父が舞の名手だとは聞いていたが、私は一度もそれを見たことがなかった。祖父が父の舞いの技量を見込んで母の連れ合いにと望んだとは聞いていた。父の踊りの見事さは、ほんの駆け出しの私でも解った。
父が舞い納め、舞台を降りると、今度は母が舞台に上がって舞い始めた。父はそれを見ながら、舞扇で膝を叩いて拍子を取っていた。すると、時折膝の扇がピシッと大きな音をたてた。その一瞬、母の顔がこわばる。そこは不手際があったのだ。一通り終わって、
「お稽古、有難うございました。」
母が父に礼を言った。父が母に稽古を付けていたと解った。家の継承は血が優先された。それ故、父はここまで自分を殺さなければならないのかと思った。
父が苦しみ抜いて病院で亡くなった時も、母は流派と自分の踊りを優先した。特にその時は、家元に代わって公演の最後に踊らなければならないことになっていた。私は、父が亡くなった後のことが落ち着いたとき、家を出た。
しかし、どうしても帰らないわけには行かなくなった。劇団を離れて約二年程して菊子の妊娠が解った。ところが、菊子の悪阻がひどく、医師に中度の妊娠中毒症で早期流産もあるかもしれないと、入院加療を勧められた。たよるところなどなかった。私は母になんと言われようと構わないと意を決した。
門の脇の格子戸を開けると、三味の音が稽古場から聞こえてきた。私達は庭から裏口に回り、戸を開けて入った。すると、
「まあ、若先生、お帰りなさい。どうしたんですか、こんなところからお入りなって。」
と、お茶の用意をしていた古参の弟子が私達を見つけて言った。私達はそっと居間に入り、母を待った。昼が過ぎ、午後の稽古が終わっても母は部屋に入って来なかった。久江さんが、
「お昼をどうぞ。」
と食事を出してくれた。それが母の指図だと察しはついた。
夕暮れ時、廊下に激しい気迫が走って母が入ってきた。
「直人、よく帰ってこられたわね。」
これが第一声だった。
「この人が菊華さん?どこの馬の骨ともわからない人ね。大衆劇団の座長と愛人の間に出来た子ってことね。帰るなら、まずあなただけ帰ってくるのが筋でしょ。そして、家を嫌って出て行ったことへの詫びからしなさい。こんな人、顔も見たくない。」
母は激しく切り捨てた。私達は座布団を外し、何と言われようと、ただひたすら頭を下げ続けた。
「勝手に飛び出したのに一本立ちできなくて、大衆演劇から色物芸人に成り下がり、結局あなたの嫌った日本舞踊の真似事、それも女形なんてものに身をやつし、結局家の芸に頼って生きてるじゃない。恥を知りなさい。第一なによ、あの踊りは。どうしてあんなに芸を崩したの。あんな踊りをして回るぐらいなら、もう帰ってなんか来ないで。」
母の叱責は激しさを増した。
「母さん、頼みます、菊子に無事子供を産ませてやってください。」
更に何か言いつのろうとしていた母の言葉が一瞬止まった。
「妊娠中毒症で、子供が駄目になりそうなんだ。母さん頼む。」
母が座敷にぺたんと座り込んだ。
「で、何ヶ月なの。」
「四ヶ月になろうとしてます。」
菊子が答えた。
「旅の空じゃ、体をいたわってやれないんだ。子供を殺したくない、たのむ。」
「あんたのお母さんは?」
母が菊子に訊いた。
「実の母は私が三才のとき、死にました。育ての母のお師匠さんも、つい三年前に亡くなりました。」
そう聞くと母は頷いて、
「そう、それじゃあしょうがないわね。そちらに女手がないのなら、赤ちゃんの事はこちらで見るしかないわね。」
母が急に折れた。
「で、どうするの?」
「一応妊婦健診をうけてた先生の紹介状は貰っていて、産婦人科で診察を受けて先生の指示をあおげといわれております。」
「おねがいします、おかあさん。」
菊子がそういうと、
「あなたにおかあさんって言われる覚えはありません。」
と母にぴしゃりといわれた。
「結婚の挨拶もなかったし、式も挙げてないのに、なんでそう呼ばれなければならないの。第一、私はあなた達の結婚を認めたつもりはありません。でもまあ、預かりましょ。子供が生まれるんですから。それでいいわね。」
そういって、母は出て行った。翌日から私は一人で各地を飛び回る日々に戻った。
菊子を母の元に預けたその日から、菊子は内弟子の部屋に置かれた。もう内弟子などはいないが、いま母の世話をしている久江さんは、一人だけ残ったかつての内弟子だった。菊子は、この久江さんに付き添われて病院にいった。そして一週間の入院加療が必要ということで、一人入院の用意をして病院にいった。久江さんが時折来て、それなりの世話をしてくれた。旅と仕事の無理が原因でしょう、ここで無理をしちゃいけません。安静にしていれば大丈夫ですということだった。入院の初日と二日目は何も知らず眠りこけた。はっと気がつき、目を開けると、久江さんが心配そうに覗き込んでいた。
「若奥様、大丈夫ですか。」
そう呼びかけられ、夢の中でまた寝入った。
体も次第に楽になり、起きて歩けるようになると、退院してよいと許可が出た。しかし、悪阻の苦しさは続いていた。一週間余りでなんとか退院し、菊子は直人の実家に帰った。
久江さんと玄関を入り、久江さんが、
「先生、若奥様がお帰りになりました。」
と声をかけた。少し間があった。そして母が出てきて、
「久江さん、若奥様とは誰の事?」
と、お世話になりましたと言いかけた菊子を見ることなく言った。
「それはっ。」
答えに詰まる久江さんに、
「この人の事だったら、あなたの心得違いです。この人は、家の預かり人、いわば居候。それに、私の後見さえ勤まる久江さんともあろう人が、芸の上でも年の上でもずっと下の人に、なんでそんなにへりくだるの。この人は内弟子部屋に住んでる人です。あなたが内弟子時代、わたしはあなたをなんて呼んでいました?菊子、か、菊子さんでいいんです。」
そういって、奥に引っ込んでしまった。
「すみません。」
菊子がそういうと、久江さんは笑いながら首を横に振り、荷物を持って菊子と部屋へ入って行った
菊子は母の部屋へ行き、退院のお礼と、あらためてお世話になりますとの挨拶をした。母は振り返りもせず、
「妊娠は特別なことではありません。女は皆、それを乗り越えて子供を産むのです。体をいたわるのも大事かもしれませんが、体を動かすこともお産の準備です。明日から久江さんに付いて家事をしてください。」
と言われた。菊子はそれをきつい言い方とは思わなかった。むしろどこかに労わりの気持ちを感じた。
翌朝から菊子は劇団にいたときのように朝早く起き、玄関先、中庭と表周りの掃除をし、台所で久江さんを待って朝食の手伝いをした。
「先生は、朝はパンなの。紅茶に食パンの厚切りを半分、ハムエッグかベーコンエッグ、それとサラダを少々、果物を二切れ、パンにジャムは多め。それが毎日。ほんとは若先生の趣味だったんだけど、先生はいまでもそれを続けてらしゃっるの。」
菊子はそれが何となく解る気がした。
菊子は台所の食卓で一人食べた。内弟子はそうしていたと久江さんから聞いたからだ。食事が終わると、家内の掃除を始める。掃除機は使わず、箒とはたき、雑巾での掃除だった。特に稽古場の舞台は茶殻を撒き、手箒で手早く掃いて集め、硬く絞った真新しいタオルで拭いた。通りかかった母がそれをみて、何も言わず立ち去った。
お昼が終わり、三時のお茶に菊子も呼ばれた。スコーンにたっぷりのジャム、それと砂糖をいれない濃い目の紅茶だった。それは菊子の知らないお茶の時間だった。甘すぎるジャムの後味が紅茶で洗われた。
めまぐるしい毎日と、それに慣れることで精一杯だった菊子は悪阻の辛さを忘れていたが、毎日の疲れが少しずつ貯まっていった。三週間ほどして、母と久江さんが大きな踊りの会に呼ばれて一日留守をした。菊子はここでの日課を済ませたあと、ぽっかり開いた一人っきりの時間に、すこし放心したような気持ちになった。菊子は部屋に戻り、細長い包みを稽古場に持ってきた。稽古舞台の前でそれをほどき、中棹の三味線を取り出した。それを絹手布巾でぬぐい、糸を確かめ、糸巻きを締めて調弦する。きりりっと糸が鳴る。象牙の撥をあて、もう一度音を確かめて三味を弾き、唄いだした。
花も雪も 払へば清き袂かな
ほんに昔のむかしのことよ
わが待つ人も我を待ちけん
鴛鴦の雄鳥にもの思ひ
羽の凍る衾に鳴く音もさぞ
なさなきだに心も遠き夜半の鐘
聞くも淋しきひとり寝の
枕に響く霰の音も
もしやといっそせきかねて
落つる涙のつららより
つらき命は惜しからねども
恋しき人は罪深く
思はぬことのかなしさに
捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛
母がその時帰っていた。そして唄われだした地唄、雪、に廊下に座って聞き入った。母は、唄い終わった菊子へ、
「あなた、何者?」
と、自分でも思いがけない問いかけをした。振り返る菊子に、
「職格者?」
と、重ねた。余計にその問いの意味が解らず、ただ見返しているだけの菊子に、
「お免状持ちの、師範格なの?地唄の難曲、雪をそこまで唄えるなんて、そうなんでしょ。」
と続けた。
「いえ、そうではありません。これはお師匠さんに教えてもらったんです。」
「お師匠さんって、育ての親の?」
そういいながら、母の目は菊子の抱えた三味線をみていた。紅木金細の棹、花木の胴、象牙の糸巻きと撥。
「それは?」
「お師匠さんの形見です。」
その三味線は菊子の持っているものの中で、唯一誇れるものだった。
「座長が、これはお前が持ってろと私にくれました。それが一番いい、あいつも喜ぶだろう。常々そういってたからなあと言って、いただきました。そして、俺りゃなあ、昔、おまえが小さい時、しゃがんで泣いてるお前の横で、手を振り上げたまま泣いているあいつを見たんだ。どうしたと聞くと、あいつは急に俺の方に振り返り、どうしたらいいの?あなたは私に何をさせたいの?私、始めはこの子が憎くて憎くてしかたなかった。でも、こうしてそばに置いて育てていると、可愛さが押さえられなくて、可愛くて可愛くてたまらなくなってしまう。だからこうして手を振り上げてしまうけど、叩いたりなんかできゃあしない。でも、抱きしめたりも出来やあしない。あなたは私に、この子の何になれというの。そういって俺を叩くんだ。俺りゃ、このときほど悔やんだことはなかった。だから、俺は女房にも、おまえの母親とおまえにも詫びなきゃならねえ。座長はそう話してくれました。そしてその後、お師匠さんが突然笑顔になって、わたし、この子のお師匠さんになる。菊子、おまえはこれから私を、おばちゃんじゃなくてお師匠さんって呼んで。あなた、ありがと。こんな可愛い、絶対逃げない弟子をわたしに呉れてと言ったそうです。」
そこまで聞いた母の頬に涙がつたい落ちた。
「そう、じゃあ、あなた、これからは私のこともお師匠さんって呼んで。いいわね。」
そういって母は稽古場を出て行った。菊子は畳に手を突き、じっと頭を下げ続けた。
母に座長から電話が入った。菊子がお世話になります、という挨拶だった。多分びくびくものだったろうと思われる。
「菊子さん、お父さんからのお電話よ。」
お互いの挨拶が終わると、お師匠さんが受話器を菊子に渡した。
「有難うございます、お師匠さん。」
その受け答えが座長にも聞こえたらしい。
「おいおまえ、お姑さんをお師匠さんて呼んでるのか。」
と聞いた。
「はい、お師匠さんになってくれました。」
そういうと、なにか戸惑った沈黙が向うにあった。
義母が座長に会いに行くと言い出した。こちらは嫁に貰ったほうですから、というのだ。
「何時ごろだったらお父さん、ご都合がいいのかしら。」
「先に言っておけば、午前中なら大丈夫と思います。」
「そう。本来なら仲人を立てて、結納事があって、ご挨拶して、それから色々するもんだと思うんだけど。」
「先生、それはもう済んでます。」
久江さんが笑って言った。
「そうね、ご挨拶だけでいいのよね。私は踊りしか知らない世間知らずだから。」
と母も笑った。
母は座長の都合を聞いて出かけて行った。施設の受付でおとないを入れると、若い男が奥から飛んできて、座長がお待ち申しておりますと頭を下げた。若い男は吉之介と名乗った。奥の部屋で、座長が車いすに乗ってかしこまって待っていた。
「申し訳ございません、こんなむさ苦しいところでお初にお目見え致します。高遠吉也でございます。」
座長の物言いには、まだかすかに呂律の回らないところが残っていた。
「竹原直人の母、遊亀です。」
そんな挨拶から始まった。
「高遠吉也って芸名ですの?」
「呼び名は きちや、ですが、字は吉哉が本名でございます。
ご高名は常々お伺い致しております。この度は申し訳ございません。」
そういって、座長は深々と頭を下げた。
「あら、そんなに恐縮されても。」
母の言葉に、高遠親子がふっと和んだ。
それで少し気が楽になったのか、座長は自分を取り戻したように話し出した。
「そちら様のことは何も知らず、私らみたいなものと一緒にして、ついついご子息に菊子を押し付けてしまい、申し訳ございません。私らなんぞ、昨日くっ付いて明日別れるってなもんで。ところが、ご子息には、この私がほれ込みました。お人柄です。」
そういうと、思わず座長は母を見た。いきなり逆鱗に触れたかもしれないと気付いたからだ。しかし母は、
「私、喜んでますの。菊子さんて、いい子ですね。直人は自分の意志で家を出ました。結婚も一人で決めました。ところが、あんないい子を連れて帰ってくれて、わたし、喜んでますの。お師匠さんのお仕込みがよかったんだと感心しております。私、いま、不精して、踊るときの着物は菊子さんに着せてもらってます。すると最初の一、二度はきついゆるいと申しました。それからはそれがないんです。踊っても着崩れしないし、楽なんです。帯もこうこれに結んでと、わざとにいろいろ言うんですけど、さらさらっと結んでくれます。それも踊りに合わせて手早く。これには私の古参の弟子も感心しておりました。」
と、笑った、
「それから、菊子さんの地唄はどうでしょう。お免状持ちの地唄です、お若いのに。お師匠さんがお教えになったとか。」
「菊子はそんなことまでお話しましたか。あれは女房が教えました。菊子が三才のとき、生みの母が死にまして、どうにもならず女房に育てさせちまったんですが。」
「そのいきさつは菊子さんから聞きました。それで今度は、私が菊子さんのお師匠さんになることに致しました。」
母がそういうと、座長は頭を下げた。
「申し訳ございません。そのことをお話しすると、私の恥を全部さらけだしてしまうことになりますが、菊子の出自もご承知いただけると思いますんで。」
俯きながら座長は話し始めた。
「女房と私は、共に東京の劇団の研究生だった時に知り合いました。その劇団は文学座とかのインテリ劇団じゃなかったので、女の研究生は珍しかったんです。そこで二人が妙に気が合いまして。馴れ初めは、その劇団の新しい演目に予備知識があった私に、女房が教えて欲しいと聞きに来たときでした。」
「えっ、親父もそんなことがあったんか?全然聞いたことないよ。なんで話してくれなかったんだ。」
素っ頓狂にいったのは吉之介だった。
「こんなことは鼻にかけて自慢げに話することじゃない。どこでどう修行したと言ったって、その経歴が芸を上げて上手くなれるわけじゃない。しかし、おまえがこんな田舎芝居はいやだ、俺は本当の芝居のできる役者になるんだって飛び出しても、俺は止めなかった。昔の俺みたいなことを言ってらぁと思ったからだ。それで、俺は知らないことにして、母さんにおまえへの仕送りをさせてたんだ。」
まだ何か言いたそうな吉之介にそういうと、顔を母に向け、話を続けた。
「ところが女房は、元は関西のいいとこのお嬢さんだったらしく、俺とは違って本道の芸をちゃあんと身につけておりました。それが地唄ってわけで。ところがこっちは、爺さんが、おれっちはオッペケペー以来の由緒ある一座だって、自分で勝手に勿体つけてたドサ回りでした。」
「オッペケペーって?」
母が訊くと、
「いえっ、川上音二郎の。」
「はい、あれですね。自由民権運動の。」
「爺さんのこじつけです。」
そういったのは吉之介だった。
「ところが、私が研修生だった劇団の雲行きがあやしくなりまして、次の看板役者候補は飛び出す、客足は遠のくといった具合で、さしもの劇団もついには解散になりました。こちらは親父の一座という帰るところがありましたが、女房には意地でも家に帰れないわけがありました。そこで、看板女優にしてやると強引に、騙すようにして引っ張って帰って、挙句の果てに苦労させました。
こちらに帰ると、後はただ夢中で、子供が出来るわ、親父にゃ死なれるわ、お袋は第一線から引くと言い出すありさまで、その日その日を切り抜けるのがやっとでした。
それでも何年かすると、親父の時からのご贔屓筋と、後から私達のご贔屓になっていただいた方々も出来てきて、ちょっと安心できるようになりました。そんな折、私は芸にもう少し厚みを加えたいと思って地唄舞を習うことを思い立ちました。といいますのも、女房が地唄をよく致しますんで、それを演目に加えたいと考えたんです。そんな時、旅先でひょいと入った日本舞踊の発表会で地唄舞を見かけて、これだと思いました。なかでも、草柳福寿の舞は絶品でした。
ここからは、私の恥をさらけ出さなきゃなりません。福寿のもとに無理矢理弟子入りさせてもらい、何度か通ってるうちに、福寿と二人っきりの日が急に出来まして、福寿が一人、私の前で踊って見せてくれました。部屋の障子越しに夕日が差し込んで、部屋一面が夕焼け色に燃え上がり、そのなかを福寿がひとり舞います。私は地唄舞の妖しさ、美しさ、本物の芸に引きこまれました。福寿に魅了されたといってもいい。そしてつい、ふらっと立ってっと、まあそこんとこはご勘弁願います。まるで夢の夢でございました。
それからしばらくして、福寿が急に、まるでかき消されるように居なくなったのでございます。私もそうなって始めて、この恋は誰も幸せにしない、不幸を作るばかりの恋だと気が付きました。そう分別が付き、じっとまるまる呑み込んで、忘れたふりして三年経って、私のそんな思いなぞ、まだ甘っちょろかったと思い知らされます。突然福寿が死んで菊子が残されている、引取りに来いと知らせがきたのでございます。何が何だか解らないまま出かけてみると、これはまさしく私の子。もう取り返しが付きません。私は首を括りたい気分で菊子を抱いて帰りました。
一座に帰りついた途端、菊子が泣きます。高熱を出しておりました。女房との修羅場なんか、一辺に吹っ飛んでしまい、頭を冷やす、医者に走る、入院しろと医者に言われて、男の私じゃ埒があきません。それからは女房が付きっ切りの看病で、お母さん、なんでこんなになるまで気がつかなかったんですかと女房は医者に怒られ、そんなこんなで、なし崩しに菊子は女房が育てることになっちまいました。いえ、女房がなんにも言わなかったわけじゃありません。殺されると思ったこともありました。当然です。私はいつ殺されてもいいと覚悟してました。しかし事はいつしか次第に落ち着いてまいりまして、そっから先は男のずるさだと思っております。
一二年経ってかと思います、あいつが、あの人の墓参りに連れてけって突然言い出しました。あの人って?と聞くと、菊子のお母さんのことよ、私、こうして菊子を育てていると、あの人が可愛そうで、なんだか妹みたいな気がしてきて、このままじゃいけないと思うの、だから一度ちゃあんとお墓参りして、菊子は私が育てますと言っとかなくちゃと思うの、と言います。それで、とうとう福寿の墓に参ることになりました。その帰り道、あいつが私に、私、菊子に地唄を教えて、あなたに嫌がらせする、このことを忘れないように、ずうっと仕返しをしてやると宣言しました。それは半分本気で、半分菊子可愛さからだったと思いました。」
そういって、座長はうなだれた。
「菊子が来た最初のうちは、この吉之介も珍しがり、菊子を可愛がったりしてましたが、なにかの折から、とてつもなく険悪になりました。見ての通りの一人息子、甘やかして育てておりましたから、母親を取られたとでも思ったんでしょう。母さんは、俺は叩くのに菊子は叩かないって私に言ってきたことがありました。そりゃお前は男だろ、菊子は女だ。
でも後から来たよ。そうだ、後から来て、何にも知らない。小さくてなんも出来なくてお前より弱い。だから男は守ってやらなきゃいけないんだと言い聞かせたこともありました。しかし、やっぱり一人息子の甘えん坊、聞き分けが出来なくて、菊子をよくいじめました。そのあげく、我慢が出来なくなったのか、一人立ちできるようになると、ぷいっと出て行きました。それが、女房が逝ってしまうと急に帰ってくると言い出しまして。それでこのままじゃいけないと直人さんに頼み込んだってわけで。ところが、吉之介は帰って来た途端、菊子がいない、どうしてだと問い詰めます。お前と菊子の仲があまりにも険悪で、見ちゃあいられなかったんだ。間を取り持つ母さんもいなくなったから、直人さんて人に貰ってもらったといった所、ひどく叱られました。今だから解る。女同士の繋がりの深さは、たとえ息子であっても間に入り込めるもんじゃない。それに、菊子は腹違いとはいえ、妹だ。今じゃあかわいいとも思う。申し訳ないとも思う。だから、出しちゃいけなかったんだといわれ、親として恥じ入りました。親の心子知らず、子の心親知らず。そんな親知らずなんか抜いちまえって、こいつに逆に説教されちまったのでございます。」
「そうなんです。私は意地っ張りの我儘で、菊子には辛い思いをさせました。でも、私がいない間一座を支え、父や母の面倒を見てくれ、あげくに病気で倒れた母を一生懸命看病してくれた妹に、誰が邪険に出来ましょうか。嫌いだ、出てけ、いなくなれっていってたのは、子供の時分の私の理不尽。でもこれを言うと親父がつらがりますが、外の子、妾の子と回りが陰で言うのを聞きますと、つい分別なく子供心に、邪険にいたしました。
ところが、母の欠けた一座を支えなくちゃと帰ってみると、菊子はいない。親父に怒ったんです。行かしちゃ駄目だって。」
吉之介は座長にそう訴えかけるように言った。座長は目を伏せ、膝に突いた両腕で肩を突っ張り、
「それもこれも俺の気の迷いのせいだ。すまねえ、この通りだ。
直人さんやお母さんまでこんなことに巻き込んじまって申し訳ございませ ん。」
と、座長は深々と頭を下げた。綺麗なままの話を聞いていたら、それはそれで丸く治まる。事情は深く知れないけれど、つらい修羅場はもう昔のこと。母はそう思ったらしい。そうでなければ福寿さんの事が解らない。母にすれば、それはもう異次元のことだった。
「どうせ名もない金もない、この世に残せるものは何にもない、そんな男がもしこの世に残せるものがあるとしたら、それはこいつと菊子の子供二人。女房は菊子を懸命に育て、少々ひがんで育ちはしましたが、吉之介も一人前にしてくれました。
なあ吉之介、俺は田舎芝居の三文役者だ。菊子はお母さんが杵屋千登勢としてとことん仕込んだ。それだけ菊子は幸せだった。それに比べて、俺はおまえに一座と一握りのご贔屓さん、それだけで精一杯だ。」
母は、高遠吉弥、吉之介、そして杵屋千登勢、草柳福寿の名を聞いて帰った。菊子のおなかの子は女の子とわかっていた。母は菊子だけでなく、菊子のおなかの子のお師匠さんにもなろうと心に決めた。ふふっ、楽しみ。直人だから直子にして、私が直子のお師匠さんになって、家の芸を伝える、そうしよう、そう思った。竹原遊穐の名を継がせようとも思った。そして、そうだ、扇、それも飛びっきり素敵な舞扇を直子に買って帰ろうと思った。
菊子が休んでいる間も、私は時折実家の稽古場で、菊子とあれやこれやと迷いながら稽古をした。だが、どれも上手く行かない。その焦りを見抜いたのか、直子を抱いた母が、後から部屋においでと言い残して行った。
私は菊子と一緒に、母の部屋に行ってみた。
「お師匠さん」
と菊子が声を掛けると、部屋の中で、
「オシサン」
と直子が言ってるのが聞こえた。
「あの子、私と一緒な言い方してる。私も小さいとき、継母のことをオシサンって呼んでました。なんでそう呼ぶようになったんだろ。気がついたらそう呼んでて、もう大きいのだから、おっしょうさん と言いなさいと直されました。」
私は頷きながら、
「師匠」
と声をかけた。すると向こうで、
「はい。」
と母が答えた。部屋に入ると、母は直子に扇を与えて、その扱いの稽古をさせていた。直子は小さい膝をきちんと折り、扇を取って母のするように扇を扱った。扇を回し、ひらひらと波打たせ、手を正面に向けて顔と形を決める。それが小さい頃からの直子の遊びだった。次に、扇を膝の前方に置き、手をついて頭を下げ、扇を胸元に差して膝に手を置き、すっと立ちあがる。その形で足は摺り足、背筋を伸ばし、足先を内にむけて前へ進む。そんな基本を直子はやっていた。
二人で母に向かうと、
「何か昔の物をそのままやろうと思っているの?それじゃ自分のものはできませんよ。」
そう言い出されて、私はふっと思い出したことがあった。静の桜だ。
「師匠、白拍子の舞いはどんなものだったんでしょう?」
「白拍子なら、今でも京都にいますよ。行って見ることもできます。」
そうと聞いて、私はただ漠然と考えてきたことの最後の場面が見えたように思えた。静の舞いは小劇場で初めて演じた。
静の舞い 静の桜
これを題目とした。その題目が暗幕の上に白々と浮かぶ。そして大勢の声が右から左からと駆け巡る。これは吉之介兄さんに頼んで、一座に演じてもらった。と、ここで英子の篠笛が一声、鋭く響く。この篠笛は半次郎おじのお仕込みがよく、切り裂くように鳴る。
「いえ、私が半次郎おじさんの寝床に這いこんだんです」
と、けらけら笑いながら英子は、施設のベッドで苦笑いしている座長に言った。おじさん、かっこいいもん。半次郎おじは頭を掻くばかりで言葉もない。
「幾つ離れてるんだい。」
「私が23で、おじさんが52だから・・・。」
「もういい。」
座長は呆れて放り出すように言った。
「で、いいんだな?」
「いいんです、わたし、おじさんの老後の面倒をみてあげるの。」
「もう知らねえや。」
それで決まりだった。する、直ぐに若手一同が部屋に入ってきて、おめでとう!と囃したてた。
「もう解らねえ、何がなんだか全然解らねえ。おめえたち、何考えてんだ。」
この座長の言葉も宙に浮いた。吉之介も笑った。一座は大笑いにわらった。
彼らは。次々と辞めて行く座員たちの代わりに吉之介が声をかけて集まってもらった、演劇を真剣に志す若い役者志望の者たちだ。彼らは、芝居は理屈じゃない、役者は毎日舞台に立ってなきゃいけない、脚本を読み合せたり、リアリズムがとか、役の心理が、解釈が、なんて小理屈はどうでもいい、毎日芝居をやってることが大事なんだと、一も二もなく飛んできた。大衆演劇は彼らの理想郷だった。その若手の中に英子も混じっていた。彼女は演技ではなく、芸の方に敏感だった。それが彼女と最後まで座に残っていてくれた半次郎おじを結びつけたようだった。
若手のリーダー、佐々木信吾は器用に演じる。ところが器用貧乏で、信吾はよくとちった。しかしそこが彼のよさで、愛嬌のあるごまかし方をする。
「あー、科白わすれたあ!」
すると半次郎おじが待ち構えていて、はりせんを持って登場し、信吾の頭を音高く叩いて、
「修行が足りねえ。ちゃあんとやれえ。」
と決め台詞をいう。これで客席が大笑いする。だからだろうか、たまに忘れたりしないでいると、
「しんごちゃあん、今日はわすれないの?」
と声までかかる。途端に、
「っととととー!」
と六方を踏む。途端に、待ってましたと、半次郎おじがはりせんを持ち出して、今度は,真面目にやれぇと引っぱたく。これが彼のギャグになった。だが、芯はまじめな演劇青年で、芝居がしたくてしたくてたまらない男だ。おい、休みにそんなに本を読んでて楽しいかと半次郎おじが聞くと、人懐っこい顔で笑って、楽しいんですと答えた。吉之介は、信吾に演出の才能を認めていた。
私達が、高遠一座と芝居を演じることになったのも、母の勧めがあったからだ。母は座長を訪れて吉之介あにとも会って、吉之介の真意を知った。そこで菊子を説得して、この芝居を一緒にやってはどうかといったのだ。私はその母の言葉を聞いている菊子の顔を見ていた。俯いた顔に涙が流れていた。
吉之介あにさんと私で座長にこのことを伝えると、何度も深く頷いた。
それに加えて、吉之介あにさんが、ちょっと毛色の変わった芝居を菊蝶さんが考えているらしいので、この芝居に限って一座の名を変えてやろうかと思うんですと相談した。すると、どんな名前にするんだいと座長に訊かれた。吉之介あにはまだそこまで考えて来なかったので戸惑ったが、行き当たりばったりの思い付きから、演劇舞踏集団高遠組はどうでしょうと答えた。存外、これで決まりだった。
片しゃぎり、篠笛。舞台奥で芝居の始まる前のざわつきと騒々しさが伝わってくる。菊蝶の静、頼朝は吉之介、政子は私、半次郎おじが磯禅師を演じる。
この舞台の曲は、母が教えてくれた京都四条河原町にある神社の雅楽教習所が協力してくれた。しかし、古いまんまじゃいけないでしょう、もっと自由に作ってもいいと思いますよとも助言してくれ、洋楽器も加えた斬新な曲も提供してくれた。
この芝居の中心は、子を殺される静の悲劇のみにあるのではない。子を殺せと命じた頼朝の悲劇でもあった。頼朝は若き日、流刑地において地侍の娘との間に生まれた男の子を、生まれた直後に清盛に憚った娘の父親の手で川に沈めて殺された。
磯禅師もまた、娘、静ともども殺されるか、生まれたばかりの子を差し出すかを決断しなければならなかった。結局、禅師は苦悩の末、赤子を差し出して静を選んだ。
そして、舞台回しは政子だ。政子が静の懐妊に気付き、頼朝に告げた故にこの悲劇は起きる。そして、昔我が子を殺された頼朝が義経の子を殺せと命ずるのを見て、これが権力の正体かと戦慄する。
この多重の思いをどこまで演じきれたか解らない。芝居は終わった。黒の背景に、終、の字が無音で写される。場面が変り、次に
演劇舞踏集団 高遠組
高遠吉也
高遠 吉之介
岩根 半次郎
菊華
菊蝶
佐々木 信吾
・・・・・・
と続き、その他、高遠一座の者の名がながれて突然タンブラーがけたたましく鳴り、シタールが響きだす。タイトルバックの最後に、
演出監督 舞踊振り付け監修
高遠 吉也
竹原 遊穐
と映って、映画フィルムが映写機のリールから外れてパタパタ鳴り、真っ白な画面からフェードアウトして行く。観客席に照明が点き、大太鼓のどろどろが鳴り出す。スタッフ全員が、
ありがとうございましたぁ
と叫ぶ。その時まで私は観客の反応が解らなかった。ただ無性に喉が渇き、ペットバトルの水を一本、一気に飲み干した。そして、急ぎ、お見送りに向かった。菊華はもう出口に立っていた。
私達は知らなかったのだが、この芝居を月間演劇界の記者が見に来ていたらしい。思わぬほど好意的な記事を掲載してくれた。そして、菊華の白拍子の舞いを絶賛していた。
その公演の後、私たちは高遠組から別れ、またいつものディナーショーで全国を回った。だが次の事も考えていた。紙屋治兵衛と遊女小春、心中天網島の、二人が追い詰められて死んでいく最後の場面を浄瑠璃節のクドキに乗せて踊るという大それた試みだ。だがそれは荷が重いばかりで実現には程遠かった。
そんななか、女殺油地獄は、油にまみれて逃げ惑い、追って転倒、逃げても転んで逃げ切れぬ場面に、追求してみたい何かを感じた。しかし、こんなもの、演じていいのだろうかとも思った。母は手厳しかった。
「品を忘れては、ただ追いかけっこのじゃれ合いになります。」
私は、これが元は人形浄瑠璃だったことを思い出し、半次郎おじに相談をかけた。舞台袖に半板を置き、おじに拍子木を打ってもらって、その陰打ちに乗って踊るのはどうだろうとおもったのだ。
「何分だい?」
「クライマックスの5分ほどです。」
「長いねぇ、よっぽど体力がいるぜ。」
そういって渋ったが、
「まっ、やってみようか。」
と稽古に付き合ってくれた。
タタン、タンと軽快に拍子木が鳴る。時折ずれるが、その音に乗ると人形浄瑠璃の人形になったような気分になる。それを見て、母が言った。
「あら、面白い動きになってるわね。」
「陰打ちに合わせるとこんなことに・・・。」
菊華が答えた。
「この演目は、半次郎さんが主役ね。お世話になります。」
母はそういって、半次郎おじに頭を下げた。
演劇界の時評はこれを実験舞踏劇と書いた。
女殺油地獄
暴力のエロス
その記事はこんな見出しはこうだった。
そして暮れに、演劇界は先の静の舞と女殺油地獄を合わせて、演劇界新人賞を授与してくれた。そのことを電話で座長に報告すると、
「よかったなあ。」
と弱々しい声で喜んだ。
「でもなあ、菊蝶さん、あんまり偉くならないでくれよ。」
座長はそうも言った。
私達と高遠組の公演の場が、それまでの芝居小屋から都市の劇場ホールに自然と変わっていったのは、こうした演目のせいだった。だがそれは、高遠一座で演じる機会が減って行くということでもあった。
そんなある日、電話が菊子に入った。座長が脳梗塞で再度倒れたとの知らせだった。
「大丈夫だと座長は言うんだ。だから見舞いになんか来るんじゃねえぞ、俺達は人様のお役に立つようなことは何もできねえ。なのに、お客さまからお金をいただいて身過ぎ世過ぎをさせてもらってるんだ。だから、役者は舞台に穴をあけちゃならねえと、肩ひじ張って言うんだ。それが役者のせめてもの意地だとは俺にも解る。だけど親の病に見舞いにも行けないってぇのはわからねえ。だから今のうち、見舞ってやってくれ。」
吉之介あにがそういった。私たちは曽根崎心中の芝居の相談をかねて高遠一座を訪ねた。
この世の名残り 夜も名残り
死に行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜一足づつに消えて行く
夢の夢こそ あはれなれ
あれ 数ふれば暁の七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽と響くなり
私たちはもう奇を衒うことはやめ、これをこのまま太棹に乗せて踊りたいと思った。座長は病床で、
「曽根崎心中、面白いじゃないか。吉之介とやってみな。」
と言った。
「これも演劇舞踏集団高頭組でやります。」
と吉之介あにが座長に言うと、
「二足の草鞋か。それもいいだろう。」
と座長が弱々しく笑った。
実験公演 曽根崎心中
演劇舞踏集団 高遠組
高遠 吉之介
菊蝶
菊華
とポスターを作り、会場の前広場には絵看板も出した。打ち入り太鼓も鳴らした。出太鼓も高遠一座のときのように打った。出口でお客様のお見送りもした。観客には若い女の子が目立った。そんなことからか、私たちは大学祭に呼ばれた。
演劇舞踏集団 高頭組 きたる
そんな立て看板が、校門の前に立った。私たちは特別目新しいことをやってるつもりはなかった。それでも学生たちには古いものが新鮮に映ったのだろう。私たちはここで赤毛ものをやった。シラノ・ド・ベルジュラック、鼻のシラノだ。
芝居が終わると、シラノ、シラノとカーテンコールが上がった。私と菊華、吉之介が舞台中央、演出の信吾が舞台袖から出て、他の劇団員も横に並び、拍手に答えた。
私たちが旅に出ているうちに、座長が急逝した。誰にも見取られぬ、あっけない逝き方だった。私たちは高遠一座の公演を続けながら葬儀も済ませた。それでいいんだ、俺なんかのために穴を開けるんじゃないぞ、そういってた座長の言葉通りになった。ただ残された者はたまらなかった。それでも先のスケジュールをこなし、日々の講演を懸命に努めた。そんななかで、誰ともなく、自費でもいいから追悼公演をやろうと言い出した。後は早かった。
追悼公演の場所は自然と座長が初めて公演した劇場に決まった。演目は吉之介新座長と皆で考えた。
「座長が陰で独りやってたけど、座の演目には絶対掛けなかった芝居があるんです。」
菊華がこういいだした。
「えっ、それって?」
吉之介兄が聞くと
「こいつはやれないんです、菊華お嬢。やりたくてもやっちゃあいけないんだ。」
半次郎おじが言った。
「おう!やまがたや、じゃないか?」
吉之介あにが横から言った。菊華がはっとなって吉之介を見て頷いた。国定忠治、山形屋の段だった。
「座長は、若い頃、劇団の立ち稽古で代表の小山先生の代役をよく勤めてたそうです。それで、小山先生から、赤木の山は北野だが、山形屋の忠治はおまえでやれる、といわれたそうです。ところが劇団が潰れて、一度も演じることなく帰ってこられました。残念だったと思います。その後小山先生が亡くなり、北野、岡田両雄も亡くなってしまいましたので、もう演ってもいいかなと座長も言っておりました。小山先生の間の取り方、台詞回し、息遣いを知ってる者は俺しかいなくなった。あの芝居、もうなくなるぞ。でもこんな田舎の旅回りじゃ無理かとも、淋しそうにいっておりました。」
半次郎おじが口惜しさを滲ませながら言った。
信吾が「追悼公演です。最後にそれをやりましょう。忠治は若座長、山形屋を半次郎先生、かごやを私、やっこは体操屋、山形屋のあねさんは・・・、菊蝶さん。」
と早口に言い出した。
「えっ、私ですか?出来るかなあ。」
「やってもらいます。こう、老け作りで。」
「おいおい、そいつは困る。芝居の後のお見送りで、老け造りの菊蝶さんを見たら女のお客が納得しない。泣くぞ、客が。」
半次郎おじが言った。じゃあ、と菊華を見たが、それも半次郎おじが手を振った。そうかと、英子の顔を見た。
期間は短い。旅をしながら、バスの中でも稽古した。菊華が科白を付ける。半次郎おじがそれを聞きながら、ああ、この言い回しだと涙ぐむ。すいません、年取ると涙もろくなってと言う半次郎おじを、英子が慰めた。俺達は毎日が芝居だと信吾がわめく。吉之介あには芝居の最後の立ち回りを稽古していた。
追悼公演の二日前、私たちは公演会場に入った。追悼公演だから失敗は出来ない。そう思うといつものように朝着いて、午前中に舞台設営をし、午後にはもう第一回目の公演という訳にはいかない。準備は通常より入念に、しかし手早く行われた。
公演は四部構成で行うことになった。最初が座長の若い頃によく演じていた、恋時雨の闇太郎、二部は私と菊華の舞踊、そして竹原遊穐の舞、最後が国定忠治、山形屋の段だ。
この竹原遊穐の舞だが、追悼公演に母が踊りたいと言ってきたのには驚かされた。
「家元から叱られませんか?」
私が母にそう聞くと、母は、大丈夫です、嫁の父親の追悼公演ですからと断ってきましたと答えた。だが実際には、家元の秘書が眉をしかめ、それはいささかと渋った。それを返したのが家元だった。
「お羨ましい。そんな生の舞台で踊れるなんて、羨ましい限りです。私たちの踊りの会はおぜん立てが全部出来てる公演でしょ。それとは全く違って、どう評価されるか解らない舞台で踊るって、私もやってみたいとおもいますよ、遊亀先生。」
「家元!」
秘書役のたしなめる声が響いた。
「これです。不自由なことです。」
こういって、家元は笑った。そして、なお渋る秘書に家元が見せたのが、演劇界だった。
「遊亀先生のご子息と劇団は、この権威ある演劇界の新人賞を頂いている立派な劇団です。問題はないでしょ?」
それで秘書も黙ってしまった。
母が用意してきた舞台道具は、行灯一つだった。それに直子と久江さんの二人をつれていた。久江さんは筝を抱えていた。三弦、筝で舞うという。
「菊華さん、」
と母がいった。
「三弦を用意して。雪を演奏してね、久江さんには筝をみっちり練習してもらいました。後で合わせてみましょう。杵屋千登勢さんの三弦と福寿さんの地唄舞で、座長さんをしっかり見送ってあげましょうね。」
そういうと直子へ、
「直子、ちゃあんと見ときなさい。」
と念を押した。直子はすぐ座りなおし、
「はい、オシサン。」
と返した。
「父には少々面映いかも知れませんが、それぐらいで丁度いいんです。見せ付けてやればいいんです。」
そういったのは吉之介だった。
菊華菊蝶は、静の舞い以来続けている、母監修の今様の舞い、梁塵秘抄を演じる事にしていた。遊びをせんとて生まれけんと二人で歌いながら舞うのだ。
次の日、私たちは、母と菊華、それと舞台設営の者を残して追悼公演宣伝のために街へ出た。そんなことは今までしなかったのだが、なんとしても沢山の人に来てもらいたかった。
「高遠吉弥追悼公演を明後日、午後二時より朝比奈座にて行います。皆々様ご多数のご来場をお待ち申しております。」
商店街中央で吉之介が呼ばわった。その横を人が通って行く。通行客が私たちを珍しそうに見ては通る。だが、立ち止まりもしない。私は商店街の中央に敷物を引き、そのうえで明治一台女を踊ってみせた。女子高生が、きれい、と言って騒いだ。店先で鉢巻姿のおじさんが腕組みをしながら見ていた。
とざい東西、明後日演じまするは、故高遠吉弥ゆかりの、恋時雨闇太郎、菊華菊蝶の演舞、竹原遊穐の舞踊、座長吉之助の国定忠治山形屋の段の四演目にござりまする。皆様多数の御来演ご来場をおん願い上げ奉りまする。
信吾が声を嗄らして口上を述べる。その横を車が通り、人が行く。それでも私たちは歩き、車で移動し、口上を述べて回った。そして、その手ごたえのなさに打ちひしがれながら郊外も山の中も回った。人気のない畑に信吾の声が響いた。
翌日、座員全体で通し稽古をした。照明と立ち位置を確認し、信吾が中心になって芝居をチェックする。闇太郎は座長が、なあに、鼠小僧と瞼の母をないまぜにした下世話な芝居よと自嘲気味に言ってた芝居だった。それを信吾は、体操屋とその仲間を使って、トランポリンまで駆使した派手なアクションの芝居に仕立て直した。いいんだよ、親父のやってた通りにやらなきゃいけないってことはない。新しいものを付け加えて初めて追悼になるってもんさと吉之介は信吾にいった。
もっとおっかさんに孝行しておやんなせい、と闇太郎が説教口調で言う。
なに言ってやがんでい、盗っ人風情が。義賊気取りで俺に説教か。笑わせるんじゃねいやい。
そう聞こえたらごめんなさいよ。あっしは捨て子でござんした。それがもとでの世をすねた稼業でござんすから、人様に説教垂れるご身分じゃござんせんが、あっしは世間じゃ恋時雨の闇太郎と呼ばれておりやす。
それがどうした。
その闇太郎の本当の二つ名は、母恋時雨の闇太郎でござんす。
これが決め台詞だった。
次が私たちだが、信吾は綺麗がいいんです、きれいに踊ってくださいと、ぬけぬけと指示を出してきた。しかし私たちは必死だった。なんとか私たちの世界にひきこまなければならない。息を合わせて懸命に踊る。それが信吾のねらいだったようだ。しかし、私は、次の母の地唄舞の方が心配だった。たった一人で地味な舞をやって大丈夫か。舞台には行灯一つだけだ。照明も全体をうすぼんやり照らしてくれればそれで良いと言う。そのうえ、稽古でも母は取り立てて踊ったりせず、菊子の地唄と筝の演奏をあわせることに気を使った。時間がない。はらはらするばかりだった。
「私、こわい。」
と菊華が言った。高遠一座でやったことのないものをこの追悼公演の舞台に乗せるがこわいというのだ。そうでありながら、
「私、お師匠さんを見てると思うんです。若ければそれだけできれい。でも、年を取ると、若さがそがれて完成された女の美しさがでてくるんです。わたし、そんなお師匠さんが好き。そうなりたいと思います。」
といった。
信吾は吉之介新座長にも注文をつけているようだった。そこはもっと軽く軽妙にと信吾が何回もダメを出している。それでも力が抜けない。そんな時、吉之介が、おい体操屋と声をかけた。すると横から、それです、その軽さで、やっこ、ですと信吾が頷く。体操屋が、信吾さーん、俺りゃ、やっこですかあ、というのへ、そうだ!と言いかえす。へーい、と体操屋は引っ込んだ。
あとの闇の立ち回りはさすがだった。それでも信吾は、槍、もっと座長にタイミングを合わせて、後ろからの切り込みももっと早くと言い続けた。
さあ幕開けと意気込んで劇場の入り口に立つ。不安な気持ちとは裏腹に、ご贔屓筋の花輪も並んだ。体操屋が、お客様がお並びですと声を張り上げた。木戸の向うに人の列が見えた。急ぎ我々も木戸から客席入り口まで居並んだ。お客さま、はいりまーす、の声が飛んだ。初老のご婦人方が入ってくる。一番先頭で迎える吉之介新座長に、花束を持ったご婦人方が頭をさげた。通路に吉也のポスターが並べて貼ってあった。まだ若かった座長が、何葉ものポスターの中で見栄を切り、笑いかけていた。そしてその向こうに遺影があった。その前にご婦人方が花を置こうとする。慌てた。ちょっと待ってと座員スタッフを奥に駆けさせ、白い布を掛けたテーブルを持って来させた。
「吉之介ちゃん、お父さん何時亡くなったの?ひどいじゃない。お葬式にだって参列したかったわ。」
と言う人もいる。吉之介の手を握って涙する人もいる。遺影に頭を下げる人もいた。数輪の花が次には山になった。
お出迎えが終わり、幕が開く。吉之介の顔も張り詰めていた。座長、時間ですの声に、自分の頬を張った。木がちょーんと鳴り渡り、どろどろが響いた。
きちのすけぇ!
と声がかかった。そして、最後の、
時雨は時雨でも、母恋時雨の闇太郎でござんす。
を決めた。
きっちゃん!きちのすけー。かっこいー!
と声が飛んだ。次は口上を述べなくてはならない。
舞台高こうはござりまするが、ご挨拶申し上げます。本日は高遠吉弥追悼公演に多数お運びいただきまして深く御礼を申しあげます。
父、吉弥、一昨年病を患い、やむなく舞台を降りましたこと、ご承知の通りでございます。しかしながら、幸いにも命取りとめ、懸命にリハビリに取り組んで今一度、もう一度皆々さまにお目にかかりたい、舞台に立ちたいと動かぬ手を動かし,立たない足でなお立って、一人芝居が出来るまでに一度は回復いたしました。ところが、その喜びも束の間、再び病が父を襲い、見取る者もなく、ひっそりとひとり逝ってしまいました。
旅から旅の空の下、思うような葬儀も営んでやれず、心残りでありましたが、ご当地のご好意に甘えまして、本日吉弥追悼公演を行えますことは、残されたもの一同、喜びの極みでございます。
どうかどうか、父吉弥をお忘れなきよう、おん願いもうしあげまして、みなさまへのお礼とさせていただきとうございます。
本日はまことに有難うございました。
吉之介は深々と頭を下げ、口上を終えた。
宝石を砕いたような、しんとした静謐な舞踊をと、信吾は言っていた。宝石だなんて、今の私たちにはなれやしない。大方、金紙銀紙のぺらぺらだ。観客席のお客様の顔が見えた。ライトがきた。その時、心がそよいだ。菊華を見る。客の顔が消えた。今様の曲の悲しみが私たちの悲しみとなり、指先からさわさわとそよぎ出る。体が波紋を起こし、波を起こす。舞台と菊華しか見えない。私たちは踊った。終わりに観客席をふと見ると、拍手が沸き起こった。私たちは暗転の闇の中で崩れ落ちそうになった。
場内アナウンスが竹原遊穐の演目を告げた。
地唄舞 雪 黒髪
筝 竹原久恵 三弦 竹原菊子
下手から黒子が二人して屏風を立てる。その前に筝、三弦。そしてその先に行灯ひとつを丁寧に置く。明かりは蝋燭だけ。黒子は舞台を下がり、入れ替わりに久江、菊子が筝、三弦の前に座って演奏の準備をする。それが整うと竹原遊穐が和傘を手に、行灯の脇に立つ。何がどうというのではない。それだけで芸の確かさがあった。そして余計なものを全てそぎ落とし、日本舞踊の型の中で無理なく自由自在に踊る芸の確かさがあった。陰影のなかに薄桜のお引き摺り、銀の帯が溶け、黒髪に鼈甲のかんざしが滲んだ。
「有難うございました。」
と礼を言うと、母は、
「直人、あなたもいい踊りでしたよ。」
と言ってくれた。菊子は三弦を仕舞い、母の前に手をついた。だが言葉が出ない。頬を涙が伝い、泣いていた。その背を母がなでてやった。そして、
「私もお金をいただいているんだから、お見送りに出たほうがいいかしら。」
と私に訊いた。
だが、お見送りのときの遊穐の人気は大変だった。
「竹原せんせ、すばらしかったわ。わたしにも教えてください、地唄舞。」
そういって色々な人が色紙を母にねだった。母はどう書いていいか迷っている風だったが、
福寿
千登勢
遊穐
の舞い
竹原 遊穐
と書いた。
初手から矢倉の彦六で押し通そうと思ったが、
十手に恐れて名を隠したとあっちゃぁ忠治の名が廃らぁ。
俺の名前を言うから、肝をつぶさねぇ用心
耳の穴かっぽじいってよく聞けよ。
俺の名前を手のひらに書き、
三度いただいてペロリとなめれば、おこりが落ちる、熱病が治る。
男の護り本尊、関八州の赤城山上州は
西郷里国定村の住人、
上州縄張り国定の大親分長岡忠治とは俺のこったぁ。
よく面を見よ。
と吉之介の小気味良い科白が舞台に響き渡った。半次郎おじの山形屋が震え上がって肝を潰す。へへいー、と山形屋がひれ伏し、子分が箒を取り落とす。それから先は忠治の独壇場だ。山形屋に年寄り爺さんと孫の路銀を出させ、
おう、やっこ
と子分を顎で使い、かご屋を呼ばせてふたりを送ると、いつでもいいから、だんびらかざしてやってきなと言い残して山形屋を出る。
忠治が去った後、こわもての女房が、おまえさん、随分男をお下げだねぇと焚き付ける。山形屋も、忠治も人の子だと思い込む。
場が変わり、暗い舞台で子分どもが槍をしごいて藪に隠れ、忠治を待ち伏せる。薄暗がりの仮花道を、忠治が提灯を下げてすたすたと歩いてくる。舞台上手にかかると、不意に槍が突き出される。それをさっと外し、もう一度繰り出された槍の穂先をむずっと掴んで、後ろから切りかかろうとする三下に突きつける。槍を前に引いて、つんのめって倒れる三下の横で、提灯を横にし、中のろうそくの炎で提灯を燃やして回りを一瞬明るく照らし、敵を確かめる。燃え尽きた提灯をなげ、暗闇が襲ってくる中、三度笠の顎紐を解き、道中合羽を脱ぎ捨てると、後ろから襲って来る三下を抜き打ちざまに切り払い、前から打ち込んでくる刀を払って切り下げ、群がる奴らを薙いで行く。ピシッ、ピシッとつよい連続音が響く。切られた三下どもは声もなく倒れる。忠治は刀を納め、袖をはらって何事もなかったかのように花道を下がる。
きちのすけっ!たかとう!
と大向こうがかかった。
きちのすけ!
その掛け声に
きっちゃーん!きちやさーん!
と女性の声があがった。
きちや、きちや!
と男の声も吉弥を呼ぶ。しゃりっと音をたてて花道の揚幕があがり、すたすたと旅の足取りのまま、その中に忠治は消えた。
もう誰も関心を持たないせかいだったでしょうか。