異変
仲の良い家族。その家には両親と1人っ子の娘がいた。まだ5歳で物心付き始めた可愛い年頃である。
「レアー!昼から森に行かない?」
「行くー!森!」
母からの誘いにレアは元気よく答える。
「じゃあ、持っていきたいもの準備してきなさい。お昼ご飯は食べていくからね」
「うん!」
昼食を終えて少しすると家を出た。レアは母の手を繋いで勢いよく腕を振りながら父の事を聞く。
「マぁマ、パパはー?」
「パパは後から来るわ。少し道のりは長いけど、頑張って歩いてね」
「うん!分かったぁ」
レアはるんるん気分で森までの旅を続けていたが、あまりに長い距離に疲れてきてしまった。
「ママー、歩き疲れた。抱っこ!」
「ダメ。ちゃんと歩きなさい。あ、パパが来たわね」
「あ、パパだぁ!パパー!抱っこぉ!」
「まだそんなに歩いてないじゃないか。もう少し頑張ってからだ」
後から合流してきた父の元へ走って甘えるが、優しく断られた。けれど、子供の足で歩くには十分酷使していると言っていいほどの距離を歩いていた。
やがて夕方になり辺りは薄暗くなってきた。人は一人も見かけない。
「ママぁ、パパぁ、もう帰ろうよー!歩けないよー!うええぇぇえええん!」
大人の歩くスピードでずっと歩かされてきたレアにとっては既に限界が来ていた。それでも、両親に手を繋がされ、無理やり歩かされる。
「うえぇえええええん!わあああ…っ!」
レアの泣き声がピタリと止んだ。いや、それは父の持つ手にあった。
「あら、あなた、そんなもの持っていたのね」
父の手にあったものは注射器に入っている子供用麻酔薬。
「ああ。少し強めにしたから明後日の夜までは目を覚まさないだろう」
「そう。そろそろこの子にも飽きてきたところだったものね、丁度いいわ。ところで、何を持っているの?」
母は意識を手放した娘を抱き、父に尋ねる。手には緑、赤、白のカプセルが握られていた。
「こいつは凄いぞ。緑は体の一部を破壊する。それがどこかは俺たちにも分からない。赤は血を操作して寿命を縮める。白は光属性の封印。こいつは魔力が強すぎる。…どうだ?赤と白は4年置きに5回飲ませて定着する。緑はそのままだけどな」
「あら、そんな素晴らしいものを。さすが、研究員。面白いものまで作っちゃって」
「さぁ、飲ませるよ。水は…あったあった」
父は3錠のカプセルを眠る少女に服用した。
「…うっ……あぁ…ぅ……」
父が施した麻酔薬は一部のみのため、時折無意識のうちにレアは苦しみ始めた。
「さ、時間はあるが、時間もない。さっさと森まで行って置いて帰るぞ」
「ええ、そうね」
母は娘を抱き直すと、父の転移によって森の手前まで移動した。
「ここは一度入れば戻ってこれない死別の森だ。唯一の戻れる方法は空から結界を破ることだな」
「よく知っているのね」
歩くこと数時間、洞窟を見つけると父は何かに気づいて母に言う。
「ああ、洞窟だ。あの入口辺りにこいつを置いて帰ろう」
「じゃあね、孤独な純粋なる女。今度は期限が切れる日に会いましょう」
母が少女を洞窟に無造作に置くと、冷たい目で見下ろしながら挨拶をした。
「…これで、俺たちは自由だな。お前も子供を産む真似はもうよしてくれよ」
「あなたが望むなら」
両親は2人だけの世界に入り、そのまま空を飛んでその場から消え去った。
そこには1体の魔物が棲みついていた。
『憎らしい人間共め、小娘1人置いて我に何をしようと。我は小娘になど興味はないわ』
獣は後ろを向き洞窟の奥へと入っていった。
そして数日後の夜、ようやくレアは目を覚ました。いや、目覚めたのだろうか…?
「う…ん……?夜…?」
辺りが見えない。手で地面を探り、横に滑る。丸く弧を描くように上へと伸びている。
「…ここ、どこ……?ママ!パパ!」
レアは叫ぶが、自分の声が響くのみ。
「ママ、どこにいるの?!パパ!ねぇー!ママぁー!…うぇええええん!」
何も見えない暗闇で、いくら叫んでも来てくれない両親に孤独感が襲い、大声で泣いた。
『うるさいぞ、小娘』
「うぇええん…え?」
『さっさと泣きやめ、寝れぬではないか』
「…?えっ……と?そこにいるのは…だれ?」
レアは頭に響く謎の声に驚き、泣き止んだ。
『…人は我を山犬の類、狼と呼ぶ』
「狼さん…?ごめんなさい。…何がどうなったんだろう…」
レアはちょこんと地べたに座り、不安な表情で沈黙する。短い沈黙ののち、狼は言った。
『我は小娘の両親らしき者を見た』
「ほんと…?」
狼の言葉にレアは希望が芽生えるが、次の言葉でどん底まで突き落とされてしまった。
『だが、期限が切れる日に会おうとか言っていたな。内容は分からぬが…話を聞いている限り、お前は見放されたようだ…。』
レアはショックで目を開き、俯く。
「……………どうしよう…。」
レアはぽつり、呟く。
「なにか悪いことしちゃったかな…。」
『…………………。』
狼は興味がないと言う割にはレアの傍で寝そべっていた。月明かりに照らされたその姿はとてつもなく大きく、存在しているだけで畏怖してしまうような気配を感じさせた。
「…ねえ、狼さんはどこにいるの?」
『…我は小娘の目の前にいるが?』
「寂しいの、一緒にいてほしいな…。私を食べたかったら、食べてもいいから」
レアは手探りをしながら、少しずつ狼の元へ近づく。狼はその動作に気づいたように声をかける。
『小娘…、目が見えないのか?』
「…え?」
レアは少し驚いて動きを止める。狼は顔を上げ、空を仰ぎながら真実を口にした。
『今宵は満月だ。夜であろうとも満月の日はとても明るい。しかし、お前は新月の夜のように行動している』
「…目が見えないの…?うそ……」
レアは今初めて気づいたように言った。そして泣きそうになる。狼はそれを見て何を思ったのか、尻尾で無造作にレアを自らに引き寄せる。
「わっ!」
『…気が変わった。小娘、面白そうだ。我と契約を交わさないか?』
「…えっ?」
レアは触れた肌触りのいいお腹の毛に体を埋めながら問い返す。
『契約とは我と小娘を繋ぐ鎖のようなものだ。お前が我を呼べばいつでも出てくる。目の見えぬお前にたくさんのことを教えよう』
「…ほんと?ありがとう!狼さん!…それで、どうすればいいの?」
『我に名を付けよ』
「名前かぁ…名前……うーん。狼さんの毛並みの色は何色?」
『さぁ?何色だろうな?…夢で見てみるがいい』
狼はレアに少量の魔力を流し込むと、レアは再び夢の世界へと旅立って行った。
☾☾☾
狼からの夢を見て、朝が来た。
「うーん……。」
レアは目をこすり、起き上がる。寝る前と変わらず真っ暗な暗闇である。
「狼さん、おはよう…?真っ暗だね?」
『お主…、目が見えぬことを忘れているだろう。朝だ。太陽は出ているぞ』
「………。」
レアはその言葉に再び泣きそうになる。
『嘆いても仕方がない。何が原因で失明したか。だが、現実は受け入れるしかないだろう』
「………。」
『小娘、お前は人生の半分も生きておらぬ。やり直しは効く。今から学べば良い』
「…分かった。狼さん、ありがとう。それで…契約だったよね」
レアはしばらく考えたのち、言った。
「…えっと……白い毛並みでとてもきれいな艶だった。…ウィル。どうかな?白には喩えられるものがたくさんあるし、私はこれからの人生を狼さんから教えてもらいたいから、勇敢な守護者にしてみたの」
『ウィル。我はなんでも構わぬぞ』
「じゃあ、狼さんの名前は今からウィルね!」
レアがそういった瞬間、レアの左二の腕に、狼ことウィルの契約紋が現れた。
「…?左側に魔力を感じる…?」
『我の契約紋がそこに現れたからだ。我はほとんど小娘の傍にいる。随時召喚型になるから、我が離れぬ限り、その紋は消えぬ』
「へぇ…。」
『主、名は?』
ウィルは契約を交わしたことでレアの呼び方を変えた。
「えっと、名前は………名前?」
レアはウィルに言われて気づく。私の名前…なんだっけ?
『なんだ、主。名も忘れたのか』
レアはこくりと頷く。ウィルは憎らしい人間め…と殺気立つが、それも一瞬ののち、レアに言った。
『…しかし、都合よかろう。名を変えよ。そして身なりも変え、生活形式も変えるのだ。我は主と共にある。さらば、主の両親も娘だと認識出来ぬ者となるだろう』
「…………いいよ。私はシルヴィー。よろしくね」
『では、まず朝食に参ろう。我の背に乗れ』
レアことシルヴィーとウィルの生活と修行が始まったのだった。