ー2ー 西に昇る太陽。
「……オレさぁ、結構哲学的な人間なんだよねぇーたぶん」
「…寝ぼけてます?」
「起きてるよ、ちゃんと。てか、先生に戸締りのこと言ったの君でしょ?」
一体、哲学を何だと思ってるんだこの人は。
2日目の朝、私が学校に着くともうこの人は来ていて、しゃがみこんでジッと花壇の花を見つめていた。私に気づくとにっと口角を上げ、ひらひらと手首をぶらつかせているだけのようなやる気のない手を振ってきた。
…やっぱり昨日のことは夢じゃなかったかぁ。
そんな風なことを思い、ふぅーとため息をついた。
「おはよぉ〜」
「…おはようございます。本当に来てたんですね…」
「来てたよー、見張りのくせに遅いのなぁ」
「貴方が来る時間をいちいち把握してないからな。」
ははっと気の抜けるような浅い笑い声。私のことを変わってるというが、この人の方がよっぽど変わっているような気がする。夏休みの朝に知らない女子に会いにわざわざこんな早い時間に学校へなど来るだろうか。まあ、この人の場合は別の理由もあるけれど…。
「…はい。言いましたよ、生物室の管理はちゃんとしてくださいって。」
「せっかく昨日の夜、忍び込んだのに生物室開いてなくてがっかりしたんだよーオレ。しょーがないからホテルで済ませちゃったけど。」
「貴方が見張れっつったんでしょーが。まず、そこから徹底するのが筋だろ?」
そう、この男はうちのろくでなし担任の管理不足に付け込み、夜な夜な生物室に女を連れ込んでおり、そんな自分の不摂生な生活を私に見張れというのだ。どうしようもないことを言う。朝来る私に出来ることはせいぜい戸締りを徹底するようにとあの脳みそ下半身教師に注意するくらいだ。
そもそも、なぜ昨日知り合ったばかりの私に…。
そんな事を考えながらホースを水道口に差して、上を向くと彼が近くに立っていた。
「…あの」
「ん、なに?」
こっちを横目で軽く見下ろす。伏し目になった長いまつ毛が光って彼の整った顔がより磨かれたように綺麗に見えた。そのまま立つ私とやはり顔一つ分は違う位置に目がある。だから、余計に疑問に思うのだ。
「…疑問だったんですけど、なんで私が貴方の見張り役なんですか?貴方みたいな人なら大抵の女の人が喜んで受けてくれるでしょ?」
彼はそれを聞き、ニヤッと口角を上げて微笑する。
「…だって、あんたが言ったんだろ?疲れてしまうのが一番いけない事だって。言い出しっぺの君が放棄して、オレが過労死したらどうするの?」
「…なんですか、その揚げ足にも満たない言い訳は?知りませんよ、貴方がどうなろうが。」
「それからオレは君みたいな変人の話が好きなんだ。オレには想像もつかないような回答が返ってくるのが面白くてさ。」
「ま、また人の事を変って!?貴方の方がよっぽど変わってるじゃないですか!?」
「あははっ自覚なしかよw今まで人に言われた事なかったの?君だいぶ変わってるよ。普通、女に手を出してばっかのクズと普通に会話するかよ!」
「いや、普通にドン引きしてるんで。」
笑う彼をぽかんとした目で見つめる。まあ、確かに関わり合いたくない人種ではあるけど話すと案外話せるもんだと思った。この人がすっと人の中に入り込むのが上手いのかもしれない。だって、そうじゃなけれは私は……今までなんで一人だったのか。
「……でも、こんな朝早くに…しかも夏休みに会いに来る必要ありますか?話すだけなら別に学校始まってからでも…」
「だからいいんだろ?君を独占できる」
その言葉にボッと顔が赤くなる。ホースをギュッと強く掴んでしまう。
「なっ…なにを、言ってるんですか!」
「夏休みの学校なんて最高だろ。誰もいないし、静かで君の話だけに集中できる。何より君は他の女子と違ってオレに興味がない。」
「は…?だってそりゃ昨日会ったばかりの知らない人に興味なんて湧くわけ…」
「だからそれがいいんだ。気楽に話せるだろ?」
彼は私に笑いかけた後、目を空に仰がせた。
「……オレは何も考えず、雲の動きを追うだけの時間が欲しいんだ。」
彼の言っているその答えがこの頃の私には理解できなかった。
だったら、夜に女の人と遊んでないで一人でいればいいのに。
本当に変な人だ。
すると、彼は私の方にくるっと体を向けた。
「……あと、朝は君の仕事があるだろ?」
「え…?」
彼は蛇口に手をかけた。
「____水やりは一人じゃ大変だろー?」
…彼はきっと、その言葉を何気なく言ったんだと思う。ただ、この蛇口をひねってもらうだけの作業なら一人でもいいと思ってた。
…でも、2人ならどんなに楽だろうかとも思ったのは事実だ。
「……貴方はさぁ」
「ん?」
「……本当は軽い人なんじゃなくて、器用な人なんだろうね?」
「…おっ、初めて褒められた。」
「いや、褒めてはないけど。」
「じゃあオレについての少しまともな意見が述べられたくらいに思っておこうか。」
そうして、彼がきっと隣で笑ってるのを静かに想像した。
花の水やりが終わり、次は肥料をまく。用具室から10キロはある肥料の袋を運んでくる。ただ一つ不満があった。
「……貴方は水道係だけなわけ?」
「手汚したくないし。」
「女子か、あんたは。」
「だってその作業は一人でも出来ることだろ?」
花壇のデッキに座り、悠々とスマホをいじる彼。10キロもある肥料を運ぶ女子の存在にも一切、反応しない。
そういえば、忘れていた。この男はマイペースなただのクズだった。さっきまでこの男に評価していた自分が恥ずかしい。
「…ならもう帰っていいですよ?邪魔になるだけなんで。」
「オレのことは気にせず、手を動かしなよ。終わらないよ?」
「なぜ、上から目線。」
イライラとしながら、軍手をはめて肥料の袋を開封する。まあ、そもそもこの人は手伝いに来ているわけではない。話す相手が欲しい、早起きの年寄りのようなものだ。
そう自分に言い聞かせながらザクザクとスコップで穴を掘り、肥料を撒いていく。5、6カ所撒いた後、視線を感じてチラッと横目に彼を見ると膝を抱えて私の手元をジッと見ていた。
「…楽しいですか?花壇なんてジッと見て。」
「え?んー、まあ花はもともと好きな方だからね。見てて飽きない。」
「…じゃあ手伝ってくださいよ?」
「それとこれとは話が違う。」
そう言って、自分の近くにある花をそっと触った。
本当に変わった人。男の人で花が好きな人も珍しい。まあ、確かになんか花が似合うけど。
「…君は花が好きそうだよね?」
そうこっちを見ずに彼が呟いた時、自分が彼をジッと見ていた事に気づき、慌てて作業に戻った。
「あっ、えっと…まぁ単純に和みますし、好きですね?割と…」
「オレが?」
「はい。
………………………え?」
適当に返事をしてしまった後、我に返る。その顔がよっぽどアホ面だったのか彼の方を見た瞬間、ブハッと吹き出された。
「あはははっ!すげー簡単に引っかかるじゃんっ。」
私は真っ赤になると同時に、フツフツと怒りがわいた。
「あ……あのなぁー、そういう冗談は他でやってくれよ!貴方がいつも連れてる女と一緒の扱いすんなっ!」
「ふふ…ごめんごめん。そんなに怒んないで?つい、いつもの悪い癖が…くくっ」
そう言って笑う君に私は何だか馬鹿らしくなってハァーとため息をつく。
「…よくそんなことでここまで笑えるなぁ。もはや感心するよ。」
「いや…こっちのセリフだから。君の反応が素直で面白いから…ふふっ。こう言えばだいたい女の子は冗談めかしに笑うか赤くなるんだもん。君みたいに、真っ赤になって怒り出す女の子は初めてだな。」
彼はひとしきり笑うと乱れた髪をサッとかき上げて直した。彼の言う普通とは違うのだろう。だけど私はその基準は分からない。
「……勝手に言ってろ。」
呆れてプイッと顔を背けると、また肥料を掴んだ。そうしてまた、フッと笑う音がした。
「……発見。君は怒ると口調が荒くなるんだな?」
「別に…いつもこんな感じだ。」
「なるほど。じゃあそれが君の素なんだね。…いいこと知った。」
ニコッと笑う彼に、私はあーなるほどと感じた。これが彼の長所であり、人の心に入り込む技術なんだと。
当の彼は、全く隙なんてないのに。
「………変な奴だな。」
「君に言われちゃオレもおしまいだな。」
私はキッと彼を強く睨んだ。そんな私を気にすることもなく、憎まれ口を叩きながら、彼はまた目の前にある橙色の花を優しく愛でた。ゆっくり触れるか触れないかくらいの距離間で優しい眼差しを下ろしながら、手を添えてた。
彼の前髪が風で時折、その眼差しを隠す。君の髪はやはり光の加減で時折、オレンジのようなピンクのような不思議な色をした。
「……もしかして、髪の色?」
「えっ」
「ずっとさっきから見てるでしょ?」
「ああ…まぁ」
そんなにじっと見ていたのだろうか。彼は自分の前髪をつまんだ。
「もともと髪の色素が薄くて、ちょっと赤毛だったんだよ。それを中学の時にブリーチで金とかオレンジとかにして遊んでて、その後黒にしたから色落ちして今はこんな変な色になってんだ。」
光が当たると余計に変だろ?って笑う彼。私は彼が何か誤魔化したように笑った気がした。
「____私はその髪いいと思うけどな。花みたいで。」
思ったことをスッと口走ってしまった。思わず口をパッと抑えたが、彼の表情を見るに聞こえていたのは明らかだった。あーまた、余計なことを言ったな、笑われる。
「………そっかぁ」
彼の反応は意外にも、前髪をくしゃっと握って照れたような苦笑いだった。……こんな顔をするんだな。
驚くというよりは、素直な感想がふつっとわいて、私は何故だかホッとした。
なんで……、この人の反応にいちいち私が安心しなくちゃいけないんだ…!
「ほ、ほらな!やっぱり笑うっ!」
今更、自分の言ったことが恥ずかしくなって若干、声が高くなる。彼はそんな私を見ずに口元を手で隠して、違う違うというように首を横に振る。
「そんな風に髪の色を褒められたことがないからさ。花みたいって。君だからできる表現方法だなーって思って?」
「あ……確かに男の人にその表現は適切じゃないかも…。」
「そんなことないよ。男とか女とか関係なく、素直に褒められるのは嬉しい。」
そう言ってフッと目を細くして笑う彼。
「…あれだな。君の表現にはどこか魅力があるから、君だから嬉しいのかもな。
昨日までのオレなら、きっとその表現すら地雷だったろうに。おかしいな?」
そう言った君の髪が東からの光でまた明るく色が変化した。きっと西日だとまた違う色に変化するのだろうと思いながら、彼の言う地雷に妙に引っかかる自分もいた。
「……そうか、なんだか悪かったな。」
「ち、違う違う!君の言ったことは単純に嬉しかったんだって!」
「そうじゃない。貴方のコンプレックスを昨日からチラチラ見ていた。」
「え、そうなの?」
「そのことに対して謝った。だって昨日までの君なら地雷だったんだろ?長所か短所かは私みたいな他人じゃなく貴方が決めることだ。…でも、一意見として分かっていてほしい。私は本当に貴方の髪色が好きだから賞賛した。だから、許せ。」
まっすぐ君の目を見て告げた言葉は、どこかへ風とともに消えないように君の胸に入っただろうか。こんな風に人に気持ちを伝えることが今までなかったから間違えないように間違えないように言葉を選んだ。
この答えは本当に、正しかっただろうか…?
「やっぱり変な人だなぁ、君は。」
そう呟く君の目がさっきまでの君より穏やかになった気がしたんだ。
「君さぁ、いつもそんなストレートな物言いなの?」
「…いつもって?」
肥料をまく作業を続けながら、彼がそう聞いてきた。
「友達と話す時とかさぁ、普段の生活でもそんな感じなのかなぁと。」
「……いや、学校では基本話す相手いないし。」
「…えっ、まさかの友達いないの!?w」
「何笑ってんだ、コラ」
「いや……ふふっ、びっくりして。なんで?作らないの?」
「別に学校に友達を作りにきてるわけでもないし…。まあ、就活の時に不利だよな。交友関係を築いてないと。」
「交友関係っww」
「だから、なんで笑う。」
この男は髪だけでなく、頭も花畑のようだ。呆れて物も言えない。無視してスコップを地面に刺すと、スッと目の前に手が伸びてきた。
「…軍手。片一方貸して、利き腕の方。」
「……どうした、急に。」
「友達は無条件で手伝うものだよ?」
「…なった覚えはないが?」
「じゃあ今日から友達だ。」
「……結構だ。必要ない。」
「じゃあ君とオレはどういう関係なんだ?友達でもなければ恋人でもない。」
「……ただの知り合いなんじゃないか?」
「………じゃあ動機は知人を助けたいで充分だな?」
そんな会話を続けている時でさえ、彼はずっと私に手を伸ばしていた。
「……汚いよ?」
「労働してるんだから当たり前だろ?汚れてるだけだ。「きたない」とは全然意味が違うな。」
…変な奴。私は右手にはめていた軍手を脱ぎ、彼に渡した。「ありがとう」彼はそう一言呟いて軍手をはめた。
「……君のクラスメイトはバカだな。こんなに面白い人が近くにいるのに…」
「……きっとそんなことを言うのは、物好きな貴方くらいだよ?」
「はは!確かにオレは変人が好きだからな。
……肥料はここに埋めたらいい?」
そうして彼は軍手をはめた手で袋にある肥料を掴んだ。
「そっか。君は…不器用なんだな、きっと。」
「……さっきからバカにしてるのか?いい加減怒るぞ。」
「なわけw 君はそのままでいい。器用になんてならないで。」
君はやっぱり器用なんだろうな?とでも言ってやろうかと思ったがよした。きっと、本当にそうなんだろうと感じたのとあと……静かに微笑する彼にこれ以上踏み込んではならない気がしたんだ。
______コツっ…
「ん?」
作業も終盤にかかった時、私の足に何か当たった。見るとそこには野球の硬式ボールがあった。
「ん、どうしたの?」
「いや…なんかボールが転がってきてな。」
そう言って拾い上げると、前方から野球部のユニフォーム姿の人が走ってきた。
……あの走り方には見覚えがある。
「すいませーーん……、おっ芽衣子か。」
「…なんだ、やっぱり池乃井か。」
2日連続か…。ついてないな。
ボールを投げると相手はキャッチした。
「いや〜、今日も来てたのなぁお前。大変だなぁ。」
「…うるさいよ。早く練習戻ったら?」
「いいのいいの。ちょっとくらいサボったって。」
あははっと笑う幼馴染に目をそらす私。
あんたが良くても、私が良くないんだよ。
俯いている私に、ポンッと肩に手が置かれた。
「____へぇ〜、君は「めいこ」って言うのか。案外、可愛い名前だね?」
ビクッとして後ろを向くと、ニッとして笑う彼が私を見下ろしていた。
「……あれ、「ゆうな」じゃん。なんでいんの?」
その時、私たちは初めてお互いの名前を知ったのだ。