食わず嫌いを治す唯一の方法
オレの友人に、TS(性転換)は絶対に認めないと言い張る男がいる。
名を田辺という。
小学生の頃から付き合いがあり、同じ高校に入学した今に至るまでオレにとって最も交友の深い相手、親友と呼んで差し支えない男だ。
ここで言う「認めない」とは、TSという現象そのものに対してではなく、男から女に変わったキャラクターに備わる魅力のことを指している。
見た目がどれだけ美少女でも、中身男とか絶対無理。
それなら中身女の子で、見た目男の方がまだ愛せる。
それが田辺の揺るぎない主張だった。
奴の名誉のために付け加えておくと、こいつは童貞だし、カノジョがいたこともないが、ゲイではない。千を超える数のエロ動画を所有しており、そのジャンルは幅広く、おそらくはスカ●ロにまで及んでいるとオレは睨んでいる。
漫画やアニメ、小説といった創作を鑑みても、奴の好みは幼女からロリBBAと、ヒロインの年齢にこだわりはなく、モンスター娘や擬人化等の人外さえも大好物。最近だとケモノのお友達で大いに盛り上がっていた。およそ思いつく限りの属性に欲じょ――愛を注げる博愛主義者なのだ。
そんな田辺の好みから唯一外れるジャンル、それがTSだった。
田辺のTS嫌いに明確な理由は無い。
女子だと思って好きになった子の股にちんこが付いていたとか、ペニ●バンドを装着した痴女にお尻を掘られそうになったとか、そういう複雑なトラウマを抱えているわけでもない。ただ、生理的に受け付けないのだと言う。TS女子にちんこは生えていないと言っても聞く耳を持たない。本能で拒絶しているため、覆すことが難しく、いかなる主義主張にも勝る理由なのかもしれない。
もう一つ、田辺のフォローを入れておこう。
こいつはいい奴なのだ。馬鹿だしエロいし、好きな子ができたら友達より恋愛を優先すると冗談めかして言ったりはするが、友情にも篤い好漢であることは間違いない。そんな奴だから、オレはこの先もずっと、叶うなら生涯の友として、田辺と親友でありたいと思っている。
だが。
極めて大きな問題が発生した。
オレが女になってしまった。胸が膨らみ、ちんこが消えた。
急に何言ってるんだと思われるだろうが、こっちも突然のことで困惑している。詳細は省くが、朝起きたら女体化していた。いわゆる〝あさおん〟だ。
今後の苦労を考えるより先に、オレは田辺との友情の亀裂を恐れた。
幸か不幸か、家族の順応は早かった。むしろ喜ばれてしまった。
それは一般的に見て、女になったオレが美少女の部類に入るからだと思われる。体は小さくなり、顔立ちも男のものから完全に少女のそれへと変わってしまった。TS初日にして、オレはあっさり娘として家族に受け入れられ、翌日には学校指定のセーラー服も用意された。
気持ちの整理をつけるため、学校には表向きインフルエンザだと伝えてしばらく休むことにした。病院での検査や、戸籍上の性別変更などなど、そういったことは後回しにし、とにかく田辺との友人関係を壊さないためにはどうすればいいのか、こればかりに頭を働かせた。
数日が経ち、それは閃いた。
事情を話す前に、別人を装い、女としても友達になればいいのだと。
その布石を打っておけば、TSを理由に友達をやめるという選択は意味を失う。
何故なら、オレたちは性別の垣根を超えて友人関係になるのだから。
この妙案に対し、母は言った。
「童貞なんて、おっぱいを触らせてあげれば一発で落とせるわよ?」
母よ。オレは落としたいのではなく、お友達になりたいのだ。
それに、田辺はTS女子に性的興味を示さない。これも幸いだったと言えよう。
だからこそ、オレたちはこれからも親友であれる。オレはそう信じている。
見ず知らずの女がアドレスを知っていると気味悪がられるかもしれない。また、第三者による茶茶が入っても面倒だ。そこでオレは、欠席を利用して、生徒たちが授業を受けている間に、認めた手紙を田辺の下駄箱に入れておくことにした。
内容はシンプル。
――放課後、一人で体育館裏に来られたし。
学校の敷地内に入るため、恥を忍んで女子の制服にも袖を通した。どうせ、近いうちに通らなければならない道だ。これは予行演習の意味もある。
指定したとおり、田辺は一人で現れた。
「君がこの手紙をくれたのかい?」
オレと手紙の間を田辺の視線が何往復も泳いだ。
戸惑うのも無理はない。体育館裏への呼び出し。ともすれば、これから果し合いでもしようかというシチュエーションだ。にもかかわらず、そこにいたのは屈強な男子ではなく、ただの女子生徒だったのだから。ただの、ではないけれど。
「オレ、じゃない。私と友達になってください」
まだるっこしい話は抜きにし、単刀直入に用向きを伝えた。正体を明かすのは、田辺の口から友達になってもいいという言質を取ってからだ。
「ええと、友達……でいいの?」
「今の段階で、それ以上は望みません」
田辺の確認に、オレはしっかりと頷いて答えた。
いきなり親友になるのは難しい。親友の域に達するのが生半可なことではないとオレは知っている。十年来の友人なら他にもいるが、親友と呼べる仲になれたのは田辺だけなのだ。
「そうか。照れ屋なんだね。でも嫌いじゃない」
同意を示しているらしく、まんざらでもなさそうな顔で田辺は言った。
友達観がオレと近いことも知っている。そうでなくては親友になどなれない。
「返事をもらえますか?」
「喜んで。そういうことなら、こっちからもお願いするよ」
友達成立。
「では、続けて告白に移らせてください」
「驚きの急展開だね」
「手間は取らせません」
「段階がどうのと言っていたわりに、飛ばしすぎじゃないかと思うんだけど」
目的の友達になれたのだから、あとはオレの正体を告白すれば用件は終わりだ。
田辺、と呼びそうになり、まだ自己紹介すらしていないことを思い出す。
「田辺さんは、告白の前になんらかの手順を踏むべきだと?」
「必須ではないし、俺もそれを推すわけじゃないんだけど、友達から始めることを希望するなら、告白はもっとお互いを知ってからにすべきじゃないかな。俺は君のことを何も知らない。それは君だって似たようなものだろう?」
「いえ。私は田辺さんのことなら誰よりもよく知っています」
「誰よりもは大げさじゃないかな」
「例えば、彼女は欲しいけれど、本当は男友達と馬鹿騒ぎをしている方が楽しいと思っていること。巨乳好きを公言してはいますが、本当は貧乳を揉んで育てる過程こそが至高だと考えていること。等々。等々」
ほんの一端に触れているだけだが、話を聞いている田辺は目を剥いていた。
親友として誰よりも長く、そして近くにいた。友達連中の中で自分が一番田辺に詳しい自負がある。おそらくは田辺の家族よりも。
「どうして、そんなことまで、知って?」
動揺を隠せないらしく、言葉を区切りながら田辺が尋ねた。
「ずっと見ていたからです」
答えてすぐ、一つ前の発言も含めて後悔した。田辺からしてみれば、今のオレは素性のわからない女だ。そんな女から、ずっと見ていた。誰よりも知っているなどと言われた相手はどう思うだろうか。
決まっている。ストーカーだと思ったに違いない。
TSという現象が我が身に降りかかり、田辺と疎遠になってしまうことを何度も想像した。そのたびに心臓が捩じ切れそうになった。
誤解だとしても、親友に悪態をつかれ、嫌われてしまうのは耐え難い。
名乗るしかない。そう思い立つが――。
どうも田辺の様子がおかしい。ドン引きされたかと思いきや、口元がだらしなく緩んでいるように見える。オレは「田辺さん?」と反応を促した。
「女の子にそこまで言ってもらえるなんて」
「気持ち悪くないんですか?」
「光栄だというのが正直な感想かな」
長い付き合いだ。田辺が噓を言っていないことは、声や表情からわかる。
なるほど。こいつはTSを除いて、あらゆる性的嗜好で精通--もとい、あらゆる性的嗜好に精通しているスペシャリストだ。本物のストーカー被害に遭う状況すら楽しめるマゾ気質を備えていたとしても、なんら不思議は無い。
親友失格だな。オレはまだまだ田辺を過小評価していたようだ。
「嫌われなくてよかったです」
ホッ、と安堵の息をつくと、田辺が熱に浮かされたような瞳でオレを見つめた。そんなに悦ぶなよ、変態め(褒め言葉)。
「なんだろう。心の中に今、すとんと恋が落ちてきたような気がする……」
「すっとこどっこいがどうしました?」
聞き取り辛かったので尋ね返すが、田辺は「なんでもないよ」とはぐらかした。
「それにしても、君みたいな可愛い子がこの学校にいたなんて、どうして気がつかなかったんだろう。転校生じゃないよね?」
「実は、この姿で学校に来たのは初めてなんです」
スカーフをなぞるようにセーラー服を上から撫で下ろしていく。特にスカートが心許ない。膝に風が触れる感覚は、慣れるまでしばらくかかりそうだ。
「イメチェンでもしたのかい?」
間違ってはいないが、より正確には変身と表現するべきだろうな。
田辺に会いに行くと母に告げると、妙に張り切って髪を梳かされ、軽く化粧までされた。似合っているとは思うが、今尚残る少年心が羞恥を掻き立てている。
顔が熱くなるのを感じながら、オレは田辺の問いに小さく頷いた。
「そうか。今日のために、俺のために、そんなにも可愛くしてくれたんだね」
感極まったように、田辺が柔らかく微笑んだ。
これから毎日の習慣になるわけだし、別に田辺のためというわけではなかったのだけど、女子の姿で教室に入った時、クラスメイトたちがどういうリアクションを取るのか不安がある。そのため、家族以外で気の置けない相手から忌憚無い感想をもらい、心の準備をしておきたかった。その点で、田辺は都合がいい。
「初めて(女子の格好を見せるの)は田辺さんと決めていました」
「君の初めてを、俺に?」
「生涯の友になりたいと思っていますから」
「生涯を共にしたいだなんて、そこまで俺との未来を考えて。嬉しいな」
完璧だ。まさか、ここまで順調に事が運ぶなんて。
「では、そろそろ――」
名を明かそうとするが、田辺が手をかざしてこれを制してきた。
言わなくていい。言わなくてもわかるから。田辺の目がそう物語っている。
「もしかして、(オレの正体に)気づいてしまったんですか?」
「わかるよ。本当は、今も我慢しているんだろう?」
感動した。これが以心伝心というものか。親友の肩書きは伊達ではないな。
田辺の言うとおりだ。焦るまいと思ってはいるが、本当なら今すぐ自分の素性を明かし、少しでも早く田辺と元の関係に戻りたくて仕方がない。
「はしたないとは思わないよ。女の子にもそういう欲求があることは理解しているつもりさ。人は時に、本能の赴くままに身を委ねることも大切なのかもしれない」
「委ねてもいいんですか?」
田辺は全てを承知している。その上で受け入れると言ってくれているのだ。
「来たるべき時が来れば精一杯頑張るよ。優しくする。俺も経験は無いけどね」
「なんの経験ですか?」
「童貞という意味さ」
「知っていますが?」
「お見通しか」
お見通しも何も、田辺が童貞であることは周知の事実だったはずだが。
ともあれ、田辺の寛容さに感謝だな。
「ありがとうございます」
「敬語はやめよう。俺たちは将来を誓った仲じゃないか」
「それもそうだな。サンキュー田辺」
「凄まじい砕けっぷりだね」
オレと田辺の間に遠慮など不要。
もう少し時間がかかると思っていたが、杞憂だったな。これでオレは、男としてだけでなく、めでたく女としても田辺と親友になれたのだ。
「さて、この後はどうしようか。君の気持ちは尊重したいけど、交際を始めたその日にっていうのは、ちょっと性急すぎると思うんだ。そういう愛の形があることも否定はしないけど、できれば大事に育んでいきたい」
愛の形。友愛というものか。
育もう。親友の中の親友――心友へと昇華されるまで。
オレの正体に気づいているのなら、自己紹介をする手間が省けた。母にも上手くいったことを報告したいし、いつまでも立ち話をしているのもなんだな。
「家に来てくれ。親に会ってほしい」
「驚きの超展開だね。さすがに気が早すぎるんじゃ」
「ダメか?」
「なんという反則的な上目遣いだ。これは了承するしかない」
鼻息を荒くした田辺が、「望むところさ」と気炎をあげた。
道中、田辺は強張った面持ちで、何度も自身に気合いを入れ直していた。オレの家に来るのなんて初めてのことじゃないし、親とも知った仲だというのに、今さら何を緊張することがあるというのだろうか。
「この近くに俺の友達も住んでいるんだ」
会話を探すようにして田辺が言った。田辺の友達……誰のことだろう。ここらに住んでいるなら、オレが知らないはずはないんだが。
「同じ中学の奴か?」
「小学校から一緒さ。そいつ、俺の一番の親友なんだ」
「…………え」
一瞬、目の前が真っ白になり、すぐには田辺の言葉を理解できなかった。
確認したことなんてないが、田辺の一番の親友は自分だとばかり思っていた。
でも、そうじゃなかった。
どうして考えなかったんだろう。
オレの一番は田辺でも、田辺の一番がオレだとは限らないのに。
「どうかしたのかい?」
俯くオレの顔を、田辺が下から覗き込んできた。
目を合わせることができず、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「もしかしてだけど、嫉妬しちゃった?」
オレは答えない。だけど、それは肯定したも同じだった。
立場的に自分が優位にあると察したのか、田辺が恍惚とした笑みを浮かべた。
どういうことだ。やはり田辺は女になったオレを忌み嫌っているのか?
だとすると、オレたちは親友どころか、友達ですら……。
呆然自失のまま我が家に到着した。
が、門前で一戸建ての外観を眺める田辺の表情が当惑に彩られている。
「本当に、ここが君の家なのかい?」
「何回も来たことあるだろ?」
表札を見て、オレの顔を見て、そして首を傾げる。
「どことなく似ている気がする……けど、あいつは一人っ子のはずだし」
「あいつって誰だ?」
訊き返すと、田辺がオレの名前を挙げた。
「オレは一人っ子だぞ? ボケたのか?」
「……その喋り方、あいつの真似?」
「あいつって誰だ?」
さっきと同じ問いを投げると、田辺がまたもやオレの名前を挙げた。
「オレがオレの真似って、どういう意味だ?」
「え……と。オレオレ詐欺、なわけがないし、いや、ちょっと待って。え?」
さっきから一人で何を狼狽えているのか。それよりも、考えがまとまらないままここまで連れて来はしたが、家の中に招いてもいいものだろうか。
などと逡巡していると、
「――話し声がすると思ったら。おかえりなさい」
母が玄関を開けて外に出てきた。
「あら、田辺君も一緒だったのね。こんにちは」
「こ、こんにちは。おばさん、あの、この子は」
この子。何故そんな他人行儀な言い方をするんだ。
しかも、そのよそよそしい態度。まるで赤の他人だと言わんばかりじゃないか。
「もしかして、田辺君、まだ何も聞いていないの?」
「といいますと?」
「あらあら。んー、家に連れて来たってことは概ね上手くいったのよね。えーと、ざっくり説明するとね、かくがくしかじかなの」
「そ、そんなことが。女装とかじゃなくですか?」
「今は本物の女の子よ。おっぱいも私より大きいわ」
そんな説明を、どうして改めてする必要があるのか。
田辺はオレがオレだと見抜いているんじゃないのか?
「あー、はーん、なるほどね」
何かに気づいたのか、母がにまにまと訳知り顔で田辺に不躾な眼差しを向けた。
「私なりに考えてみたんだけど、田辺君の好き嫌いって、食わず嫌いだと思うの。食わず嫌いを治す方法って、結局のところ一つじゃない?」
ぽん、と柏手を打つように手を合わせた母が、その方法とやらを田辺に告げる。
「とりあえず、騙されたと思って食べてみなさいな。きっと美味しいわよ」
食わず嫌い。食べてみろ。母は田辺を夕食に招待するつもりなのだろうか。
そういう空気ではないのだが。
「た、食べるって、まさか」
「性的な意味でよ」
「いやいやいや。おばさん、自分の息子、じゃなかった。娘でしょう?」
「気心の知れた田辺君ならいいかなって。もちろん責任は取ってもらうけど。私はこれから一時間、ううん、二時間位買い物に出てくるわ。だけど女の子の初体験は大抵痛いものだから、あまりハメは外しすぎないようにね。あ、言っておくけど、ハメを外しすぎるなっていうのは、ハメまくれという意味じゃないからね。優しくしてあげて。近藤さんなら私とパパの寝室の引き出しに常勤しているから、好きに使ってくれていいわ」
母は、絶句する田辺と、置いてけぼりを喰らっているオレに「Good luck!」と激励を送り、出かけていった。何故か人差し指と中指の間に親指を挟みながら。
残されたオレたちは、互いの唖然とした顔を見合わせた。
「おばさんの言ったこと、気にするなよ」
「そもそも話についていけなかった。ハメがどうのと、なんのことだ?」
「いや、いいんだ。お前は知らなくていい。というか……本当にお前なんだな」
「なんか、オレだけ蚊帳の外だな」
「そういうつもりじゃ」
居心地の悪い沈黙が流れた。
「せっかく来たんだし、中に入れよ。お茶くらい出すぞ」
「あ、や、それは、ちょっと」
家に入るのを躊躇う。そんなこと、今まで一度としてなかったのに。
これはもう、決まりじゃないか。
「やっぱり、オレのことが嫌いになったんだな」
「何を言ってるんだ?」
「誤魔化すなよ。女になったオレを、もう友達だと思えないんだろ?」
「は? そんなわけ……ッ」
玄関先で大声を出しそうになったのを、田辺は慌てて中断した。
気を落ち着かせるためか、深呼吸をしてから真っ直ぐにオレを見据えてくる。
「俺は確かにTSが苦手だけど、それと友達をやめるかどうかは全く関係無い。性よ――じゃない。恋愛と友情は別ものだ」
「でも」
「でもじゃない。よく聞け。何を勘違いしているのか知らないけど、お前が男でも女でも、友達だってことに変わりはない。今も昔も、お前は俺の一番の親友だ」
長い……付き合いだ。
田辺が噓を言っていないことは……声や表情から……わかる。
「さっきと言っていることが違うじゃないか」
「それもお前の勘違いだ」
「なんだよそれ。訳がわからない。馬鹿みたい」
不満を口にするも、胸に温かいものが湧き上がり、瞳から溢れそうになる。
意地を張るのをやめ、オレは目尻を拭いながら、「よかった」と呟いた。
「け、けど、実際ずいぶん変わったよな。見た目だけじゃなく、演技派というか、口調も変えていたし、すっかり騙されたぞ。もう少しで――あいやなんでもない」
「気づいていたんじゃないのか?」
「ああ、うん、最初だけちょっとな」
「オレも内心では、嫌われないようにって必死だったんだ」
「本当か? お前、あまり感情を顔に出さないからな」
「本当だって。今もまだ心臓がバクバク鳴っているんだから。ほら」
田辺の右手を取り、心臓のある左胸に押し当てた。
直後、田辺が真顔でフリーズした。
「どうだ?」
「……………………………………………………くっそ柔い」
「感触の感想なんて求めていないんだが」
胸から手を離した田辺が何を思ったか、首を限界まで上げて空を仰いでしまう。身長差があるため、田辺がどんな顔をしているのか見ることができない。
「何してるんだ?」
「首の体操を」
「あっそう。それはそうと、さっきはなんの話をしていたんだ?」
「……おばさんとしていた話か?」
「知らなくていいとは言われたけど、隠されると気になるじゃないか。寝室の引き出しに近藤さんとか。引き出しに入る近藤さんってなんだ? 小人か?」
グリム童話に、家人が眠っている間に仕事を手伝ってくれる話があるが、あれと似たような小噺だろうか。なんにせよ、高校生の男子が、友人の母親とそんな話をする状況がわからない。
「小人と近藤さんか。頼りになる存在という意味では同じだ」
「その話、ちゃんとオチはあったのか?」
「オチ……オチか。落ち……たのかな。……いや、でも」
「なんだよ。はっきりしろ」
言いよどむ親友を問い詰めるが、田辺はオレを無視してお天道様を仰ぎ続ける。
たっぷり一分間はそうしていただろうか。やがて、田辺は真上に向けていた首をそっと戻した。その真剣な面持ちに、思わずドキリとする。
オレと目を合わせる田辺の顔は、力みすぎているのか真っ赤に染まっているが、なんだろう。どこか決意めいたものを感じさせる。
そして、田辺はこれまでの遣り取りを引っくり返すようなことを口走った。
「お友達からよろしくお願いします」
結論
おっぱいを食わせろ(=揉ませろ)!