世界は彼らであふれてる。
それはいつもより暖かい冬の日のことだった。
風が吹き、お日様色のカーテンが揺れる。
「はい。ではここまでノートにうつして下さい」
先生が黒板をとことんっと叩いた。
私は開いたノートをぼうっと見下ろして、お気に入りのシャーペンを手に取った。
この頃、黄緑色が気に入っている。
「マコ」
ふと後ろから声を掛けられた。
井上真琴、それが私の名前だ。
友達からは、マコや、マコちゃんと呼ばれている。今時は中学生が名字で呼び合うことなんてない。
「ん?何?」
後ろを振り向くと、親友の奈々が小声で囁いた。
「田辺先生が呼んでるよ?帰りの支度もしなさいって。マコ、帰っちゃうの?」
「帰りの支度ってことはそうなんじゃないかな?」
そんなの、私にも分からない。
ちなみに、田辺先生は私達の担任である。
シャーペンをしまい、筆箱のチャックをしめる。閉じた教科書と共にそれを鞄に入れて、私は椅子から立ち上がった。
「じゃ、ばいばい」
―*―
先生から話しを聞いた数分後。
私の家と学校と駅は近い。
私はがたごとと揺れる電車の中から空を見つめていた。
おばーちゃんが…
死んだ。
おばあちゃんではなく、おばーちゃん。私だけの特別な呼び方。
「大変だったねぇ」と、しわだらけの顔で優しく微笑んで私の悩みを聞いてくれた。
そんな人が…もう、この世にいない。
「ずっと駅に着かなければいいのになぁ…」
私は小さく呟く。
人がまたたくさん乗り込んで来た。隣に座っていたお母さんが、子連れの女の人に席を譲った。
私も席を譲る。
男の子はにこぉっと笑って「ありがとう」と言った。
「どういたしまして」と返し、私はまた空を見る。
空は澄んでいて、死なんて感じさせないくらいすがすがしい色をしていた。
おばーちゃんはきっと、微笑んで旅立ったんだろうな…と思わせる色だ。
ぼうっとしていたら目的の駅に着くアナウンスが流れた。
―*―
病室で、おばーちゃんは案の定微笑んで安らかに眠っていた。
冷たくなった手に私の涙が落ちる。
実感は、電車に乗り込んだ時から湧いているつもりだったのに。私は、おばーちゃんがまだ此処からいなくなっていないような気がするんだ。
「ちょっと…外に行って来る」
そう言って、私は病室を出る。三〇二号室の札が、からんと音をたてた。
病院の裏庭まで駆け抜けて、息を大きく吸い込む。
「…っく」
喉の奥で何かが引っかかって、苦しくなる。心臓はどきどきと脈打った。
涙は後からどんどんと流れて、見上げたあの空をぼやけさせた。
「みゃぁお」
ふと一匹の三毛猫が寄り添ってきた。
赤い首輪に、金色のまぁるい鈴。ゆっくりと揺れ動くその尻尾と、生き物のあたたかさ。
この子は…生きている。
私はしゃがみこんで猫の喉を撫でる。だが、涙はまだ静かに流れている。
猫が私の頬を舐めた。
おばーちゃんも、猫が好きだったなぁ。
『大丈夫?』
「…っ……?」
…声?
『真琴』
「…っ…おばーちゃ…ん?」
そう、この暖かくてほっとする声と話し方は…おばーちゃん。
前に私は、この声をあったかいジンジャーティーに例えたことがあった。
「声を飲み物に例えるなんて、真琴は本当に想像力の豊かな子だねぇ」と頭をなでてくれたのを覚えている。
『おや?真琴には私たちの声が聞こえるのかい?』
あぁ。まるでどこかのファンタジーだ。
普通の人ならきっとすぐには信じない。死んだ人が猫になっているだなんて。
「…そう…みたい」
でも私は会話を続けた。
びっくりし過ぎて、涙は引っ込んでしまったが心音はどんどん大きくなる。でもこれは楽しいほうのどきどきだ。
『真琴』
三毛猫の瞳が悪戯っぽく光る。
黄金色なその瞳は、おばーちゃんそのものだった。
『世界の理を教えてあげようか』
と、おばーちゃんは唐突に話し始める。
さっきまで話していた話題を、再び掘り起こしたように唐突に。
「…うんっ」
きっとその世界の理は、どうでもいい人にはどうでもいい理。
私は何故だかそう思った。
でも私には、大事な大事な理。
"猫と話せるようになった"私には。
私が見つめた先で猫になったおばーちゃんは言い切った。
金色のまぁるい鈴を、シャランと鳴らして。
『人はね、死んだら猫になるんだよ』
こんにちは。
天野となりです。
これは私が、生まれて初めて完結させたお話です。
登場人物も少なく、
お話自体もすごく短いのですが、
自分の割にはまとまったお話がかけたかなぁ、と思っております。
PCに保存してあったものを見つけたので投稿してみましたー。
読み返してみると、
これもなんだか続きそうな終わり方ですね(笑)
では、そろそろ。
また次のお話で。