雪のふる前に
研修は7月に始まった。
会議室のパイプ椅子に47人が詰め込まれ、講師の声はマイクを通しても後ろの列まで届かなかった。冷房は効きすぎるほど効いていたが、誰の額にも汗が滲んでいた。覚えることが多すぎた。商材知識、コンプライアンス、トークスクリプト、ロールプレイの評価シート。3週間の研修期間中、毎日のように小テストがあり、点数の低い者から順に名前が呼ばれて指導が入った。
塚本亮はその研修の3日目に、隣の島に座っていた坂井菜穂と初めて言葉を交わした。きっかけは些細なことだった。休憩時間、彼女が手元の資料を落とし、亮がそれを拾った。それだけだった。
その夜、同期の何人かで居酒屋に行くことになり、亮と菜穂も自然と同じテーブルについた。生ビールを2杯ほど空けたところで、菜穂が突然、今日の指導担当の名前を出して悪態をついた。
「あの人、人前で名指しで詰めるじゃないですか。あれ意味あります? 萎縮するだけなのに」
亮は少し驚いたが、すぐに笑ってしまった。自分も同じことを思っていたからだ。
「わかります。俺なんか今日、電話応対のロープレで台本と1文字も違わない返答しろって言われて。そんなの現場で通用するわけないのに」
そこから2人は堰を切ったように愚痴をこぼし合った。研修の理不尽さ、講師の高圧的な態度、同期の中で早くも露骨な選別が始まっていること。誰かに聞かれたら困るような話も、酒の力を借りて言葉にした。他の同期たちが解散した後も、2人だけ残って飲み続けた。
「坂井さんって、前は何してたんですか」
「アパレルです。販売員。立ち仕事がきつくて辞めました。塚本さんは」
「俺は工場です。ラインの検品。単調すぎて頭がおかしくなりそうで」
共通点があるようでない、けれどお互いの疲労の質はよく似ていた。終電近くになって店を出るとき、菜穂の方から連絡先を聞いてきた。亮はスマートフォンを取り出しながら、少し照れくさい気持ちを隠すのに苦労した。
それから研修が終わるまでの2週間、2人はほぼ毎日連絡を取り合った。研修後に軽く飲みに行くことも増え、次第にそれは2人だけの習慣になっていった。愚痴を言い合うためだけに会っているはずが、いつからか、会うこと自体が目的になっていた。
研修最終日の夜、打ち上げと称してまた飲みに出た。他の同期も何人か参加していたが、2次会には亮と菜穂だけが残った。酔いも手伝って、その夜、2人は初めて同じ部屋で夜を明かした。
翌朝、気まずさよりも先に来たのは奇妙な安堵だった。菜穂は亮の部屋の狭いキッチンでインスタントコーヒーを淹れながら、「これ、続けます?」と聞いた。亮は「続けたいです」と即答した。
そこから2人の関係は自然な速度で進んでいった。休みの日には一緒に過ごし、配属先が違う部署になってからも、週末は必ず会った。研修中に共有した理不尽さへの怒りは、いつしか2人を繋ぐ最初の絆として、恋愛感情の土台になっていた。
交際8ヶ月目、亮からプロポーズをした。特別な演出があったわけではない。菜穂の部屋で、鍋をつつきながら、亮がふいに「結婚しようか」と言った。菜穂は箸を止めて、少し間を置いてから「うん」とだけ答えた。
籍を入れたのは、それから3ヶ月後だった。派手な結婚式は挙げず、区役所に婚姻届を出し、両家の家族と近しい友人だけを呼んで小さな食事会をした。新婚生活は都内の1LDKの賃貸から始まった。家賃は9万8000円。2人の給料を合わせても決して余裕のある暮らしではなかったが、それでも当時は幸福だった。
結婚してからの1年間には、いくつもの小さな出来事があった。菜穂が原付でスーパーに向かう途中に転倒し、膝を10針縫うことになったとき、亮は仕事を早退して病院に駆けつけた。処置室の外で1時間以上待ち続け、菜穂が松葉杖をついて出てきたとき、思わず涙ぐんでしまったことを亮は今でも覚えている。
逆に、亮が高熱を出して3日間寝込んだときには、菜穂が毎日おかゆを作り、夜中に何度も体温を測りに来た。「大袈裟だよ」と亮が笑うと、菜穂は「大袈裟でいいの」と真顔で返した。
結婚2年目の冬、2人でささやかな海外旅行を計画した。台湾の九份に行き、赤い提灯が並ぶ石段を歩きながら、菜穂は「いつか子供ができたら、ここに連れてきたいね」と言った。亮は「うん」と頷いた。それが、後になって思えば、2人が子供について初めて交わした会話だった。
異変に気づいたのは、亮自身だった。
ある朝、髭を剃っているときに、鏡に映る自分の喉に小さな膨らみがあることに気づいた。押しても痛みはなかった。最初は気にも留めなかったが、1ヶ月経っても膨らみが消えないどころか、心なしか大きくなっているように見えた。菜穂に指摘されたこともあり、亮はようやく病院に足を運んだ。
検査は思いのほか長引いた。超音波、血液検査、そして細胞診。医師の口から「甲状腺がんの可能性が高い」という言葉が出たとき、亮は27歳だった。
「20代でも珍しくはありません。甲状腺がんは比較的進行が緩やかなタイプが多いので、過度に悲観する必要はないですが」
医師はそう説明したが、亮の頭には「がん」という2文字だけが重く残った。菜穂と2人で診察室を出た後、待合室の長椅子に座り込んだまま、しばらく2人とも言葉を発せなかった。
「大丈夫だよ」
先に口を開いたのは菜穂だった。亮の手を強く握りながら、「進行が遅いタイプなんでしょう。ちゃんと治療すれば」と、自分に言い聞かせるように繰り返した。
手術は甲状腺全摘となった。術後の病理検査で、リンパ節への転移も見つかった。追加でアイソトープ治療が必要になり、入退院を繰り返す生活が始まった。
生命保険には入っていなかった。結婚してすぐの頃、保険の見直しを勧められたことはあったが、「まだ若いし、そのうちで」と後回しにしていたことを、亮は何度も悔やんだ。
高額療養費制度のおかげで、月々の自己負担額には上限があった。それでも、入院のたびにかかる差額ベッド代や、通院の交通費、亮の休職による収入の減少は、2人の家計を確実に圧迫していった。貯金は、結婚後に少しずつ積み立てていた150万円ほどだったが、それも半年を待たずに底が見えてきた。
亮は休職と復職を繰り返した。復職しても、以前のように無理を利かせて働くことはできなかった。声帯の近くを触る手術の影響で、以前のような張りのある声も出しづらくなっていた。営業の仕事は他の部署への配置転換を余儀なくされ、給料はさらに下がった。
菜穂はパートから正社員に切り替え、残業も積極的に引き受けるようになった。それでも、2人分の生活費と治療費を賄うには足りなかった。
「どうにかするから」
菜穂は繰り返しそう言った。亮は「ごめん」としか言えなかった。何度も「ごめん」と口にするうち、その言葉自体が2人の間で摩耗していくのを、亮は感じていた。
がんは、医師の見立てよりも進行が早かった。1年後の検査で、肺への転移が見つかった。追加の治療、追加の入院、追加の費用。
亮が長期休職に入ってから、生活費のほとんどを菜穂が担うことになった。菜穂は昼間の仕事に加えて、夜、駅前のキャバクラで働き始めた。最初は「時給がいいから」とだけ説明された。亮は詳しく聞かなかった。聞けば、自分がもっと惨めになる気がしたからだ。
半年ほど経った頃、菜穂の帰宅時間はさらに遅くなり、化粧の匂いも変わった。亮はそれが何を意味するか、うすうす気づいていた。ある夜、菜穂が浴室で長い間シャワーを浴びている音を聞きながら、亮はリビングのソファに座り、テレビの音量を必要以上に上げていた。
菜穂が風俗店で働くようになったことを、亮は確信していた。深夜に帰宅した菜穂のスマートフォンの通知や、家計簿に記された不自然に大きい金額の入金。何より、菜穂が以前よりも家で口数が少なくなり、亮の顔を見るときにわずかに目を逸らすようになったこと。
それでも亮は、何も聞かなかった。
「今日、どうだった」
「うん、いつも通り」
そんな会話を、亮は毎晩繰り返した。気づかないふりをすることが、自分にできる唯一の優しさだと思っていた。問い詰めれば、菜穂を追い詰めることになる。かといって「ありがとう」と言うことも、亮にはできなかった。感謝の言葉は、菜穂が何をしているかを認めることになる。それは、亮自身が最も見たくない現実だった。
夜、菜穂が隣で眠っているとき、亮は天井を見つめながら、自分の無力さについて考え続けた。稼げない夫、治らない病気、妻に体を売らせている自分。そのすべてを、亮は声に出すことができなかった。
がんが見つかってから2年が過ぎた冬、菜穂の体調に変化があった。つわりのような症状が続き、心療内科ではなく産婦人科を受診した菜穂は、妊娠していることを知った。
「本当に?」
亮は病院からの帰り道、何度もそう聞き返した。菜穂は小さく頷きながら、珍しく涙を流していた。
「産みたい」
菜穂の声は震えていたが、迷いはなかった。亮の病状を考えれば、経済的にも体力的にも、決して簡単な決断ではなかった。それでも菜穂は「この子は、私たちの証だから」と言った。
亮はその言葉を聞きながら、複雑な感情に襲われた。喜びと、恐怖と、そして自分がどこまでこの子の成長を見届けられるのかという、拭いきれない不安。医師からは、亮の余命について、はっきりとした数字は告げられていなかったが、肺への転移が進んでいることは事実だった。
それでも、その冬から翌年にかけて、2人の生活には久しぶりに柔らかい時間が流れた。菜穂は夜の仕事を辞め、昼間のパートだけに戻した。生活はさらに苦しくなったが、亮は「それでいい」と初めて自分の意思をはっきり口にした。
「もう、無理しないで」
亮がそう言ったとき、菜穂は初めて、風俗店で働いていたことについて口を開いた。
「気づいてたんでしょう」
亮は少し黙ってから、頷いた。
「気づかないふりをしてた。ごめん」
「私も、あなたに言えなかった。ごめんね」
2人は、それ以上その話を深追いしなかった。ただ、亮は菜穂の膨らみ始めたお腹にそっと手を当て、「ありがとう」とだけ言った。それは、この2年間で亮が初めて口にできた、誰かへの素直な感謝の言葉だった。
妊娠7ヶ月に入った頃、亮の容体は急速に悪化した。肺の転移巣が広がり、呼吸が苦しくなる日が増えた。入院先のベッドで、亮は薄いカーテン越しに差し込む光を眺めながら、多くの時間を眠って過ごすようになった。
医師からは、菜穂に対して静かに、しかし明確な言葉で、残された時間が限られていることが告げられた。菜穂はその夜、病室の外の廊下で声を殺して泣いた。膨らんだお腹をかばうように両手で抱え、壁にもたれかかりながら、それでも声を出さないよう必死に堪えていた。
亮の意識がはっきりしている時間は、日に日に短くなっていった。それでも、菜穂が病室を訪れるたびに、亮は薄く目を開けて笑おうとした。
「名前、決めた?」
ある日、亮がかすれた声で尋ねた。菜穂は「候補はいくつか」と答え、いくつかの名前を挙げた。亮はそのひとつひとつに、小さく頷いた。
「どれでもいい。菜穂が決めて」
「一緒に決めようよ」
「うん」
亮はそう答えたが、その「一緒に」という時間が、もう自分には残されていないことを、亮自身が誰よりもわかっていた。
亮が息を引き取ったのは、菜穂の出産予定日まで、あと6週間というところだった。
その最後の夜、亮は意識を取り戻し、菜穂の手を強く握った。声はかすれ、途切れ途切れだったが、亮は必死に言葉を紡ごうとした。
「俺、まだ、やりたいことが、あったのに」
菜穂は亮の手を両手で包み込み、「うん、うん」とだけ繰り返した。
「娘の顔も、まだ、見れて、ないのに」
その言葉を口にした瞬間、亮の目から涙が溢れ出した。それは静かな涙ではなく、こらえきれない、幼子のような激しい嗚咽だった。27年間、亮が人前でこれほど泣いたことは一度もなかった。菜穂の手を握りしめながら、亮は声を上げて泣いた。悔しさなのか、恐怖なのか、それとも愛おしさなのか、本人にももはや区別のつかない感情が、涙となって溢れ続けた。
「まだ、行きたい場所も、あったのに。菜穂と、娘と、3人で」
「うん」
「ごめん、ごめんな」
「謝らないで。ありがとう。ありがとう、亮」
菜穂もまた、亮の胸に顔を埋めながら、声を殺すことをやめて泣いた。病室には、2人の泣き声だけが響いていた。看護師がそっとカーテンの外で足を止め、それ以上中に入ることをしなかった。
亮はその夜、菜穂の手を握ったまま、静かに息を引き取った。最後まで、涙は乾くことがなかった。
6週間後、菜穂は女の子を出産した。名前は、亮が最後に頷いた候補のひとつから、菜穂が選んだ。産着に包まれた娘の顔を見つめながら、菜穂は病室の窓の外に広がる曇り空に向かって、小さくつぶやいた。
「見せてあげられなくて、ごめんね」
窓の外では、季節外れの小さな雪が、音もなく降り始めていた。
完




