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07.第二王子アレクシスの出発



〈第二王子アレクシス視点〉



 隣国と接する辺境の地は、王都から馬車で北西に進み、五日ほどかかる。


 王宮に居場所がないと感じていた俺は、少ない荷物で逃げるように王都を後にした。



「将来に期待できない俺に無理して付き合う必要はない」と伝えたのだが、専属の近習は辺境への同行を強く望んだ。父上に頼まれたのかもしれない。


 加えて護衛として、騎士科を卒業したばかりの青年カイルも同行することになった。辺境伯家の分家の次男である彼は、ちょうど領地へ戻るところだったらしい。

 鍛えられた肉体に、黒い短髪と灰色の瞳。彼はこれまで出会った誰よりも気さくで、王族である俺に対しても遠慮がなかった。


 馬車の中に引きこもる俺を、休憩のたびに外へと引っ張り出し、剣の稽古の相手をさせるのだ。




「殿下、今日はここで野宿(のじゅく)です! 近くの川で魚を獲りますよ!」


 初めて野宿をした。焚き火を起こすのがあんなに難しいなんて知らなかった。煙に巻かれ、(すす)で顔を汚しながら、俺は必死に火を守った。


 部屋の暖炉は侍女が簡単に点けているように見えたが、実は彼女も並外れた才能の持ち主だったのだろうか。




「殿下、今日はこの街に泊まります! ちょうど祭りの日らしく、屋台が出ているので行きましょう!」


 専属の料理人が作るものしか口にしたことがなかった俺は一瞬足が止まった。近習の顔色をうかがうと、構わないと言わんばかりに深く頷いている。


 最初はカイルの背に隠れるように歩いていたが、見慣れない出店への好奇心には勝てなかった。

 「あれはなんだ?」「美味そうな匂いがする!」とカイルの袖を引いて回る。


「仲の良い兄弟だねぇ」

 立ち寄った祭りの屋台で、店主にそう笑いかけられた。


 黒髪のカイルと金髪の俺。何一つ似ていない俺たちが兄弟に見えるはずもないのだが、カイルが不敬を通り越して、すがすがしいほど堂々と肯定するものだから、そのままになってしまった。


 ――そこまで悪い気はしなかった。




 馬車に揺られながら外を眺めれば、視界に飛び込んでくるのは広大な田畑や牧場だ。土の匂いや家畜の鳴き声が、閉め切った馬車の中にまで容赦なく入り込んでくる。

 そこには陽光の下、泥にまみれて額に汗して働く人々がいた。


「自分たち王族は、民の暮らしを守るためにある」


 幼い頃から聞かされてきたはずのその言葉が、豊かな自然と人々の営みを目の当たりにすることで、すとんと胸に落ちる。

 俺は父上の真意を探るように、その言葉を何度も頭の中で反芻(はんすう)していた。






 五日間の旅路は、慣れない不便を強いられながらも、終わってみればあっという間に感じられた。


 辺境伯の領地はその名の通り我が国の北西端に位置し、北のレイクン王国と西のビオープ国の国境に接している。両国とは良好な関係を築いているとはいえ、有事の際の防衛の要として機能する重要拠点だ。

 また、領土の半分近くを荒々しい山々が占めている。山には魔獣と呼ばれる凶暴な獣が棲みついており、時おり人里に下りては被害を及ぼすため、その警戒も怠れないという。


 それゆえに辺境伯家は、王家の騎士に匹敵する兵力を持つことが許されている特別な家門の一つ。


 ――これが俺が王宮で教師から教わっていた情報だ。




 辺境伯の居城は、歴史ある華美な彫刻が施された王宮とは正反対の、さながら堅固な要塞であった。



 跳ね橋を越え、重厚な門をくぐり抜けると、馬車がゆっくりと止まる。

 高い城壁の内側に広がるのは、花一つない、ただっぴろい石畳の広場だった。


 馬車から降り立つと、城の入り口に向けて、軍服姿の男たちや実用的な制服に身を包んだ使用人たちが整然と列をなしていた。


 その列の先頭に、大柄な男と、素朴なデザインのドレスをまとった令嬢がわずかに顔を伏せた状態で俺たちを待っていた。


 カイルと同じだ。

 陽光に灼かれた小麦色の肌と、夜を溶かし込んだような黒髪黒目。それこそがリドラス家の象徴なのだと、直感的に理解した。



「アレクシス殿下、遠路はるばる我が家へようこそいらっしゃいました」

「カイルも、よく戻ったな」


 よく響く野太い声が、俺たちを迎える。辺境伯の挨拶と同時に、後方の部下や使用人たちが一斉に頭を深く下げた。その一糸乱(いっしみだ)れぬ動きは圧巻で、ただならぬ家門であることをあらためて認識させられる。


 「リドラス辺境伯家当主、レオン・リドラスと申します」


 歳は父上と同じくらいだろうか。彼もまた貴族の礼服ではなく、実戦的な軍服に身を包んでいる。俺は久しぶりに王宮の騎士団長を思い出した。纏っている空気の質が、彼と同じなのだ。



 そして、その隣にちょこんと佇んでいた少女が、ゆったりと顔を上げた。


 貴族らしいドレス姿ではあるものの飾り気はなく、短く切られた黒髪も相まってか、ひどく質素な装いに見える。

 だが、その黒い瞳にはやはり強い意志が宿っており、真っ直ぐに俺を捉えた。


 

 少女がカーテシーをしようとした瞬間、あの春の庭園での失態が脳裏をよぎり、俺の顔は勝手に強張ってしまう。


 反射的に半歩後ずさりそうになるが、多くの国民が注視する前で王家の名を汚すわけにはいかない。俺は、逃げ出しそうな足をどうにか踏みとどまらせた。



 しかし、俺の葛藤を余所に、彼女は予想を裏切る挙動を見せた。


 胸に手を当て、ドレスの裾が地面につくのも構わず、すっと右足を引いて膝を突く。そのまま深く頭を垂れた彼女の姿に、俺は違った意味で息を呑んだ。


「リドラス辺境伯家長女、リース・リドラスと申します」


 迷いない凛とした名乗りは、令嬢というよりはまさに騎士のそれだ。


「え?」

「……え?」


 思わず漏れた俺の声に、驚いた彼女もまた、釣られたように声を上げ、パッと顔を上げた。



「リース、それは騎士の上官への挨拶だ」

 レオンが苦笑いしながら指摘する。


「あ、間違えました……」

 少女は年相応の恥じらいを見せたかと思うと、弾かれたように立ち上がり、慌ててスカートの裾を整えて一礼した。

 その動きがあまりに素早かったことを除けば、完璧な貴婦人の礼だった。


「失礼いたしました。あらためまして……リース・リドラスです」


 唖然とする俺に、リース嬢は「あはは」と照れ隠しに笑う。

 ディアナなら、絶対にありえない失敗だ。



 屈強なレオンが、苦虫を噛み潰したような顔で娘に呆れた視線を向けた後、俺に向き直って小さく頭を下げた。


「申し訳ございません、殿下。辺境では女性の騎士も多く、娘のリースも日々鍛錬を積んでおりまして……彼女は令嬢として振る舞うより、上官に敬礼する機会の方が多いものですから」


「……そうなのか」


 「申し訳ございません」と目を伏せて落ち込んでいる彼女を見て、俺は思わずホッと息を吐き出した。


 王宮では、俺は完璧でなければいけなかったし、周囲にもそれを求めてきた。

 だが、彼女のミスにふっと肩の力が抜けたことで、ずっと胸の奥につかえていた苦しさが、わずかにほどけていくような気がしたのだ。




「内々の話ではありますが、リースは貴殿の兄上、レイモンド殿下の婚約者候補なのです」


「……そ、それは聞き及んでいるが」


「リースは殿下より一つ年上なのですが、見ての通りの未熟者でしてな。ぜひ王都の作法などは、アレクシス殿下からご指南(しなん)いただければ幸いです」



 俺で務まるだろうか――。

 喉まで出かかった不安は、勢いのある辺境伯親子の言葉に遮られてしまった。


「母と兄は現在視察に出ております。夕食の折にご挨拶させてください」

「長旅でお疲れでしょう。それまで、今日は城でゆっくりとお休みください」





 辺境では、家族が揃って同じ食卓を囲むのが常のようだ。


 王宮では父上も母上も多忙を極め、公的な会食以外で食事を共にしたことなど、片手で数えるほどしかない。他人と食卓を囲むことには、まだ拭いきれない違和感があった。

 だが、カイルや近習の男と飯を食らった道中の経験のおかげで、そこまで気負わずにいられた。



「殿下、おかわりはたっぷりあります。気に入ったものがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」


「……ここでは、これほど大勢で食卓を囲むのが普通なのか?」

 俺の問いに、レオンが頷く。


「ええ。辺境は実り豊かな土地ですが、同時に魔獣の脅威とも隣り合わせです。皆、広大な領地を飛び回っておりますからな。食事の時間は一日の無事を喜び、情報を共有し合う、何より大切な場なのです」


 昼間の出迎えにはいなかった、辺境伯夫人と長男のマルコとも挨拶を交わした。彼らは日中の視察報告を、まるで世間話のように楽しげに語らう。


 その賑やかさに最初は圧倒されたが、不思議と居心地は悪くなかった。





 自室に戻る前、気になっていたことを聞くためにレオンを引き留めた。


「レオン殿、少しいいだろうか?」

「もちろんですとも、殿下」


 彼は二つ返事で頷くと、「せっかくなら外で話しましょう」と、近くのバルコニーへと俺を連れ出した。


 よく鍛えられた広い背中の後を追う。


 俺も学園を卒業する頃には、これほどの背丈になれるのだろうか。

 辺境の厳しさが彼らを育てるのか、レイモンド兄上より一歳年上だという長男のマルコも、まだ学園入学前だというのに随分と体格が良かった。



 夏を目前に控えているとはいえ、夜風はまだ肌寒い。

 北方に位置するリドラス領ならなおさらだ。


 バルコニーから見下ろせば、つい数時間前、俺を乗せて到着した時と同じ中庭が広がっている。今はただ、俺をここまで運んできた馬車だけが、暗闇の中にポツンと取り残されていた。


 ふと顔を仰げば、そこには視界を埋め尽くすほどの満天の星空。王都のそれとは違う、今にも零れ落ちそうな輝き。



 暫くの間、俺たちは並んで、ただ夜の静けさの中にいた。


 レオンは悠然と夜空を。俺はどこか頼りなく、先ほど降り立ったばかりの地面を見つめ――。




 やがて、自分でも驚くほど小さな声が漏れた。


「俺は……ここで、どうしたらいいと思う……?」


 レオンは何でもないことのように、俺の震えるような問いかけに穏やかに応じた。


「それをゆっくりここで探したらいいのではないでしょうか」

「……そんなことが許されるのか?」


 予想外の返事に、思わず顔を上げ、彼を見上げる。


「陛下からのご下命(かめい)もありますし、最低限の勉強や武術の訓練はしていただきたいと思っております。ですが、それを何のためにやるのか。殿下がどうなりたいのか。それは殿下の自由です」


 俺が言葉を失い立ち尽くしていると、彼は「うちはそういう場所なんですよ」と、不敵な、それでいて揺るぎない確信を込めて笑った。

 この男は、決して無責任な男ではない。夜空よりも深い黒の双眸には、上に立つ者特有の、ギラリとした揺るぎない意志が宿っていた。



「……殿下が何を気にされているのかはわかりませんが、私は王城でのあなたのご様子を聞き、臣下の一人としてあなたを尊敬しておりますよ」


 思いもよらない言葉に、息が止まる。


 王城での様子を知られているのは当然としても、それをまっすぐ指摘されたこと。ましてや「尊敬」などという言葉は、今の俺には到底、理解が追いつかなかった。


「尊敬……? 俺を……?」

「ええ。置かれた場所で、与えられた役割を全うしようと一生懸命に自分を律し、鍛え続けてこられた。そのひたむきな姿を、私は尊敬しているのです」


 結果ではなく、俺が泥臭く取り組んできた日々を承認されたのは初めてのことだ。



 レオンは、辺境行きが決まったあの日の父上のようでありながらも、武人としての真剣な眼差しで俺を見つめていた。


「……今日はお疲れでしょう。今は寝て、時間をかけてゆっくり考えましょう」


 


 その温もりに張り詰めていた糸がふっと緩んだのか、俺はその夜、久しぶりに何も考えずに眠りについた。




――婚約者が引きこもっている間に、義兄と仲良くなりました。


アレクシスを「傲慢王子」と断定したディアナの、次なる一手は――。

断罪回避に、まさかの強力な助っ人登場!?


次回、「攻略対象(兄)、急接近」

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